巣穴へ
激しい戦闘音が聞こえていたのに、静かになりました。私達は乗り遅れたのでしょうか。
草を豪快に刈りながら走るミーナちゃんの後ろを追いながら、私は魔力感知で前方の様子を窺います。
地面に魔力? その上にパウスさんか。
大きな猿っぽいのも居ますね。
「見えた! メリナお姉ちゃん、ミーナが先だからね!」
駆ける勢いを殺さず、ミーナちゃんは剣を真っ直ぐ前にして突進する意向です。
「え、ちょ」
私は逡巡してしまいました。凄い違和感というか危機感というか、このまま前進することに抵抗を覚えたのです。もしかしたら、覚えていない過去の経験からの警告だったのかもしれません。
でも、ミーナちゃんは行ってしまいました。
押し退けられた草影から前方の様子が確認できます。どうも森の中にぽっかりできた広場のようです。
地面に光る魔法陣、それが幾つか見えました。
冒険者の方の誰かが唱えた魔法なのだろうかと思いましたが、そうじゃないですね。
だって、魔法陣の上には人間が棒立ちしていますし、その近くには大猿、肩幅も身長もパウスさんより一回り大きいのが自由に動いているからです。これは猿が使用した魔法だと思います。筋肉モリモリの肉体派の猿のクセにやりますね。
ミーナちゃんは魔法陣を無視して突撃しましたが、彼女も罠に嵌まってしまいました。緑色に光りながら回る文字があるのですが、それを踏んだ瞬間に体が硬直し、更には転倒してしまったのです。
効果は恐らく麻痺系。近距離での打撃はよろしくないですね。私も引っ掛かる可能性があります。
ならば、魔法。
特大の火炎魔法で燃やし尽くしましょう。ミーナちゃんは強いので、きっと猿が絶命するまで彼女は持ちこたえると判断しました。
「メリナか?」
一撃の魔法で仕留めるため、魔力を練っている最中でした。背後から声を掛けられます。ショートカットの女の子です。どことなく、街の門前で占い師をしていた時に出会ったソニアちゃんに似ていると思いましたが、別人でした。口調は似ていて偉そうです。
彼女には見覚えがあって、森に入る前の冒険者の集まりの中にもいた子供です。
「……はい、メリナです」
魔法を中断し、私は猿に聞こえないように小声で返答します。
「何もするなよ。見届ける」
「どういうことですか?」
「捕まっている奴等は蟻猿の巣を探るために、わざと魔法陣を踏んでいる。私たちは身を潜めて後を付けるんだ」
なるほど。小さいのによく知っているなぁ。
「でも、あそこにいるのはパウスさんとかデンジャラスさんですよね? 昨日のお稽古を見る限り、2人とも皆より強い人ですよ。他の人が囮になった方が良かったのでは?」
「うむ。蟻猿は捕らえた者の素質を調べる。自分達より弱い個体の場合はその場で殺して食べるんだ。逆に強ければ、巣に持ち帰って仲間とする習性がある。だから、犠牲者を出さないために強者が行った」
ふーん。だったらミーナちゃんも殺されることはないかな。
「よぉ、拳王。久々だな」
また1人、後ろからやって来ました。
これも昨日に見た顔でして、ミーナちゃんを倒した直後のパウスさんに稽古をせがんでいた若者です。
しかし、拳王と私を呼ぶのはおかしいです。誰と勘違いしているのか。
「俺は強くなった。が、まだお前と再戦するのは――」
「おい、お前。メリナは記憶を失っている」
「知っている。昨日、聞いた。しかし、俺のことを忘れているのも癪だ」
偉そうな口調の2人が会話している間、私は蟻猿を観察していました。同じ蟻猿という種類でも個体差が大きいんですね。
私が氷の槍で殺戮した猿とはまるで異なる種族に見えます。蟻と同じように同じ種族でも役目によって姿が変わる生き物なのかもしれません。
やがて、ミーナちゃんやパウスさん、デンジャラスさんは大きな猿の肩に担がれてどこかへ去って行きます。
「見えなくなりますよ?」
「大丈夫だ。私の魔力感知の範囲内で動いている」
女の子は偉そうに言います。が、信じましょう。彼女はガインさんが選抜したメンバーの1人なのです。それなりの実力者に違いありません。
猿が去った後には人間だったと思われる死骸が残されていました。
「この人も囮だったんですか?」
「いや、最初に罠に嵌まったヤツだ。おい、お前。こいつの墓を作ってやるんだ」
「生意気なガキだな。俺の名はゾルザックだ。墓を作ることに異論はないが、次からはちゃんとゾルさんと呼べよ」
軽口を言いながら青年が手にした剣で地面を強く突くと、深い穴ができました。
技の切れが素晴らしいですね。私、感心しました。
そこに猿に襲われた亡骸を埋めていると、ノエミさんも追い付きました。
「えっ、ミーナが連れ去られたのですか……」
「はい。でも、大丈夫です。この女の子が追跡してくれるらしいです」
「よ、よろしくお願いします」
ノエミさん、動揺が隠せていません。でも、自分の娘と同い年くらいに見える女の子に深く頭を下げていました。
私達はエルバと名乗る女の子の先導で慎重に猿を追い掛けます。
途中、会話も致します。
「えっ、エルバちゃんも竜の巫女なんですか? だとしたら、知り合いでしたか?」
「あぁ。メリナとは深く縁がある。今回はガインの古い友として参加しているがな」
古い友って、エルバちゃん、物心付いてから数年って感じじゃないですか。背伸びした物言いをしたいお年頃なのかな。
「エルバちゃん、小さいのに凄いね」
「おい。バカにしてるのか、マジで。私は神殿の情報部の部長だぞ。記憶が戻った時に備えて、エルバ部長と呼べ」
うわぁ、重症ですね。ミーナちゃんとは別の方向で性格破綻者ですよ。こんなに若いのに。お母さんが泣きますよ。
「エルバ部長、失礼しました。はい、これで満足ですか?」
「そんなこと言われて満足するバカがいるとマジで思っているのか?」
もう煩いなぁ。ソニアちゃんもミーアちゃんもそうですが、この国の幼児教育システムは良くないですね。
「しかし、私はメリナに、お前に救われた。感謝しているぞ。そのお前が記憶を失くすんだから、世の中、皮肉なものだ」
はいはい、大人びた言動をしたいんですね。私は聞き流します。
「む、見張りがいる」
エルバちゃん、じゃないや、エルバ部長の警戒の声で皆が立ち止まります。前は木ばかりで私には分かりません。魔力感知でも把握できませんでした。
「本当か? 俺には分からんぞ」
最後尾からゾルザックさんが私と同じ感想を口にします。
「ふん。分からなくとも当然だ。私は諜報のプロなんだからな」
じゃあ、囮作戦じゃなくて1人で森を歩いて巣を探せば良いじゃんとか思ったのは秘密です。
「で、見張りってことは近くに巣があるのですか?」
「あぁ。この先だ。煙玉を用意しろ。ガインに場所を伝えないといけないからな」
「あ、あの、ミーナは無事でしょうか?」
「大丈夫だ。生きている。心配するな」
エルバ部長は偉そうです。ちっちゃい体のクセに何を言うんだと思います。説得力ないです。
「ミーナ! 今、行くわ!!」
ノエミさんも同感だったようで、唐突な突撃が始まりました。ガサゴソと大きな音を立てながら草を突っ切っていまして、叫び声も合わせて、これは蟻猿に気付かれること間違いないでしょう。
「メリナ、追うんだ!」
エルバ部長の命令が発せられましたが、既に私はノエミさんを救うために駆けています。後ろからはゾルザックさんもやって来ていました。
「方向あってるんですか!?」
「知るか。母親の勘を信じるだけだな」
抜剣したノエミさんは真っ直ぐに森を走っています。私は魔力感知で周辺の様子を探りますが、ミーナちゃんどころか猿っぽい存在も感じません。
「おっ、猿がいたぞ! こっちだ!」
ゾルザックさんも魔力感知を使えたらしく、しかも私より有効範囲が広いみたいで、指を差して教えてくれました。ノエミさんの進行方向とは違います。
「ノエミさん、左! 左にミーナちゃんがいるらしいですよ!」
とりあえず声を掛けてから私も進路を変更。ゾルザックさんは既に敵の方へと向かっております。
ちょっとだけ森が開ける。その先に茶色い獣が2匹見えました。その向こうには岩場かな。あっ、洞窟だ。
ゾルザックさんはその獣の前に素早く出て、剣を肩から脇へと一閃します。
ずるりと大猿の上半身がずれたと思うと、そのまま崩れ落ちました。
私も渾身のパンチを筋肉で膨れ上がった猿の左胸にお見舞いしました。激しく吹き飛んだ猿は岩場に当たり、頭や四肢を残して肉片に化しました。
「……何だよ、その威力……」
「力加減がまだ分からなくて……」
「危なすぎるだろ……」
「ええ、こないだも2人ほど不幸な事故で死んでしまいました」
そんな他愛もない会話をしていると物凄い勢いで接近してくる物を察知します。
「この中ですよね!?」
「お、おう……」
ノエミさんです。血溜まりを無視して、彼女は私達の間を疾風のように走り抜け、恐れもなく暗い穴の中へと入っていきます。
鬼気迫るノエミさんの声にゾルザックさんも一瞬怯んだようですね。
「俺たちも行くぞ」
「えぇ。何せ金貨100枚ですものね」
「待て。私の案内も必要だろうに」
エルバ部長も合流しまして、私達は蟻猿の巣へと入ったのでした。後ろには緑の煙が立っていて、エルバ部長が何かの合図したことが分かりました。




