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苦行からの脱出

 旅路というものは辛いものでして、足下はぬかるんだ地面なので靴がぐちゃぐちゃになる上に、天井からは雫がたまに落ちてきて、それが顔や首に当たると大変に不快であります。

 最初はシャールの地下水路を進んでいたんです。その後、古い扉で封鎖された横道に逸れて、今に至ります。たぶん、ここは大昔の地下水路で後に放棄されたんでしょうね。そんな気がします。

 シャールの街に繋がる場所ですので、そんな場所に魔物が住んでいる訳はなく、たまに見るのは足の多い虫と鼠くらいでした。


 危険ではないけれど気持ちの良い場所ではなくて、でも、私はできるだけ快活に振る舞って、皆を元気付けます。


「さぁ、進みましょう。アデリーナ様、お顔に泥が付いてますよ。ワンパクですねぇ」


「……チッ」


 アデリーナ様はほぼ無言でしたが、キッと私を睨んで来て、元気が有り余っていることが分かります。


「フィンレーさん、鼻を押さえていると息がしにくいですよ」


「……人一倍臭いに敏感だからきついかな。死にそう」


 自分の鼻を摘まむフィンレーさんは5回くらい転倒したので全身が汚れています。指にも泥がいっぱい付着しているので、そんな手で鼻を止める意味はほとんどないのではと感じます。


「お風呂、入りたい……。もしくは死にたい……」


「まだ旅は始まったばかりですよ。元気出してこー!」


「魔法の使えない私なんて……ウジ虫未満……」


「そんな事ないよ。ウジ虫は喋れないよ。フィンレーさんはウジ虫より賢いなぁ」


「……雄弁は銀で沈黙は金だから……ウジ虫の勝ちかな」


「あっ、フィンレーさん。聖竜様はどこかな? 得意の魔力感知を見せて欲しいかも!」


「……あっちだと思うなぁ……。どうでも良いけど」


 フィンレーさんが指す方向は斜め下でして、床を掘れと言うのか。そんな重労働を提案するなんて、殺すぞ。


「まぁ、フィンレーさん、目にゴミが入っているの? それとも、お疲れ様なのかしら。うーん、じゃあ早いけれども、今日はここまでにしましょうか」


 巫女長が気紛れな優しさを見せる。

 休みなく歩いていた私達はようやく苦行から一時的に解放された様です。



「火炎魔法で地面とか壁を乾かして良いですか?」


 このままでは全身が水に濡れ、睡眠中に体力を消耗しそうです。


「メリナさん、無駄で御座います。湖に近い地下なので、幾らでも染み込んできます」


 今回もマッピング係である私の描いた地図を見ながら、アデリーナ様が指摘します。

 よく方角が分かるなぁ。

 


「立ったまま休憩とか、嫌なんですけど……」


 巫女長がいそいそと収納魔法で取り出した材料で夕食の用意を始めているのを横目に私は呟く。


「……フィンレーは靴を脱ぎたいよ。蒸れに蒸れて凄いことになってそう……。うぅ、ウジ虫未満なのに我が儘を言ってごめんね……」


「とんでもない話で御座いますね。メリナさんの足も兵器レベルになっているのでは」


 悲しむフィンレーさんを無視するアデリーナ様は、やはり鬼だと思いました。


「あはは、まさか。アデリーナ様、嗅いでみます?」


「死んでも嫌というか、嗅いだら本当に意識を失いそうで御座いますよ」


 巫女長が急にダッシュして照明魔法の範囲外に消える。


「……何ですか?」


「メリナさんの足の臭いを警戒したので御座いましょうか……?」


 失敬にも程があるでしょ。


「……フィンレーが臭過ぎるのかな……」


「皆のご飯、待ってちょうだーい」


 あぁ、その声で理解する。巫女長は食料調達に向かったのですね。


「鼠鍋かぁ。贅沢な話ですけど、あんまり美味しくないんですよね。石鍋より断然マシと思うしかないかなぁ」


「ドブ鼠を口にしては、変な病気になりそうで御座います」


「……うう、無能なフィンレーへの罰かな……。あぁ、早く楽になりたい。……メリナ様、聖竜様はあっちにいるんだよ……本当だよ……」


 再び通路下を示すフィンレーさん。彼女がそう言うならそうなんでしょうね。でも、私は全く分からないので、かなり地中深くなのだと思います。

 掘るのは無理だから魔法か……。


「信じてやりましょうか。メリナさん、やっちゃいなさい」


「了解です。でも、今の私もこの苦境から逃れたい一心でして、魔力の調整をミスって聖竜様を殺っちゃうかもしれません。だから、少し向きを変えますよ」


 ガランガドーさん、聞こえましたか?

 王都でヤナンカ本体を蒸発させた時と同じ、あの凄い魔法をお願い致します!


『えっ? 何って? 聞いてなかった』


 ……王都でヤナンカ本体を蒸発させた時と同じ、あの凄い魔法をお願い致します。


『いや、主よ、自分でやってよ。主は十分強いから我の助けなんて要らないのである』


 っ!? テメー、今度会ったら八つ裂きにしてやる!!


『ババババ、バァ! うわ、笑った!』


 ちょ!! バカにしてんのか!?


『邪神の子供をあやしているだけである』


 邪神! そうです、私には頼りになる守護精霊がいたのです!


 邪神よ、すみませんが、お手伝いをお願いします。この地面からちょいちょいと下の方にある通路と繋げてもらえません?


『構わないわぁ。でも、お料理を作っている最中だから、手を抜きたくないのよぉ。貴女の隣にいる神に頼めば良いわぁ』


 ……お忙しい中、ありがとうございます。

 ガランガドーよりは役に立ちました。



「アデリーナ様、ここの真上ってシャールの街かな?」


「メリナさんの地図が正しければ、壁の外で御座いましょうね」


 それを聞いて私はフィンレーさんを見る。街の外だから魔法を使っても良いのです。さぁ、出番ですよ。下っ端であっても神らしい素晴らしい魔法で、私達を導くのです。

 しかし、フィンレーさんは濁った目で虚空を見詰めているだけでした。


 アデリーナ様が邪魔なのかな。神であることを知られてはならないと、私が忠告したことを忠実に守っておられる可能性がある。ならば、それを排除しましょう。


「アデリーナ様」


「どうされましたか? 巫女長を抹殺するのであれば止めませんよ」


「落盤事故が起きそうな予感がビンビンです」


「それは前回に失敗したでしょう。直接、攻撃して息の根を止めなさい」


「恐ろしいことを言わないで下さい。返り討ちにあいます。それはともかく、もしかしたら、通路を作るついでに落盤事故も起きるかもでして危ないので、少し奥に行ってもらえます?」


「奥にって、それ、私を巫女長と共に生き埋めにするつもりで御座いませんか。まったく舐めたヤツで御座いますわね」


 そう言ったアデリーナ様は後退します。私の指示とは逆方向でして、こいつは!と思いましたが、フィンレーさんから離れさせるという目的は達したので、扱いに慣れてきたと表現しても良いでしょう。


「さぁ、フィンレーさん。邪魔者は居なくなりました。今こそ神の実力を見せる時です」


 泥まみれの両袖を持ってフィンレーさんに小声で語り掛けます。


「……こんな誰よりも転がってドロドロに汚れた、人間よりも愚かなフィンレーが神だなんて言って良いのかな……?」


「良いんですよ。さぁ、賢い頭で考えて。今、フィンレーさんは何をすべきですか?」


 フィンレーさんはゆっくりと目を瞑る。そして、二呼吸程した後にカッと目を開け、私に笑顔を見せました。


「魔法を使うかな。転移魔法陣だよ。巫女長様がそれを自力で見つけたことにしたら、とっても円満に終わるかも」


 ナイス!

 私が無理やり聖竜様への直通通路を作るより遥かに巫女長の納得感を得られます!


「すぐに実行」


「うん、任せて」


「できた?」


「これくらいなら余裕かな」


 良し! 信じる!


「ふぅ、お疲れ様です。……フン!!」


「ギャッン!!」


 私はフィンレーさんの腹を殴り、壁に叩き付けました。土がボロボロと落ちてきます。

 かなりの力で襲ったので、フィンレーさんは目を回して立ち上がってきません。



「メリナさん、どうしましたか?」


 アデリーナ様が異音に気付いて、こちらへ戻ってきます。


「このクズが落盤事故を防止しようとしたのです」


「なるほど。クズで御座いますね。その功績を元に、巫女長に取り入れようとでも?」


「恐らく。大人しい顔をして本物のクズでしたね」


「経験上、20歳を超えて巫女見習いになろうとする者は裏があることが多いで御座いますからね」


 フィンレーさん、ごめんなさい。

 貴女を貶めることで、貴女が神であること、私がアデリーナ様を欺いたことを隠蔽したのです。



「あらあら、凄い音がしたわよ。まぁ! フィンレーさん、ぐったりしているじゃない」


 巫女長が戻ってくる。その手には鼠の死骸が握られていました。


「えぇ。疲れていたみたいです」


「そうなの。でも、起こして。私、大発見したの!」


「大発見で御座いますか……?」


「そうなのよ。不可視の魔法も仕掛けられた転移魔法陣よ。きっと、これ、当たりだわ」


 巫女長はとても嬉しそうでした。

私も解放の時間が近付いて嬉しいです。

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