森へ移動
案の定、ノエミさんとミーナちゃんは寝ていました。それでも、私が訪問してきたと聞いたノエミさんはしっかりと身嗜みを整えて、宿の入り口まで来て下さいました。
安宿なんでしょうね。玄関の柱にさえ虫食いの跡が見えます。
「すみません。今から出発するとのお話なのですが、ミーナはまだ寝ておりまして……。あの子の剣は重くて、私には運べません。起きるまで待ってやれませんか?」
「ほな、馬車を回すで。ノエミ、元気やったか?」
「あっ、えーと――」
「ガインや。2年ぶりくらいやな」
「あっ! 王都への馬車ではお世話になりました! パットさんもお元気ですか?」
「元気やと思うで。ほな、取ってくるわ。その重たい剣はパウスに任せたらえーと思うで」
「あぁ。俺に任したらいい。部屋はどこだ?」
「案内致します。こちらの大部屋です」
いやー、大人の人達ばかりだから要領良く物事が進ますね。あっさりと2人を連れて馬車に乗ることができました。
ガタゴトと揺れる箱馬車の中でもミーナちゃんは眠ったままです。ノエミさんも眠いでしょうに「恩人の前でそんな失礼な事はできません」と頑なに起きていらっしゃいます。
ガインさんは御者として馬車を運転しています。あっ、前もこんな感じのことがあったような……。あー、思い出せそうで思い出せません。ノエミさんも居た様な気がするのですが。
「あの剣、相当な業物だな」
パウスさん、ミーナちゃんの大剣を片手で悠々と宿から馬車へと運んでいたのですが、今も感心しきりでした。
何でも魔力を巧く剣に回してやると軽くなるらしく、そういう類いの魔剣なんだと教えてくれました。しかし、興味がないので「ふーん」と答えて流します。
「どこで手に入れた? 正直、あんたらみたいな冒険者もどきが手にしているのはおかしいぜ」
「はい。実はミーナが無理を言いまして、美しい金髪を持たれている女性から借りているので御座います」
「誰だ、そいつは?」
「確かアデリーナ様です。私は余り交流がないのですが、2年ほどお世話になっていたマイア様の所へしばしばお目見えになられる女性です」
アデリーナ様って、あのアデリーナ様かな。
「……なるほどな。あいつの剣なら合点がいく。しかし、よく譲ったものだ」
馬車は街道を進みます。窓から見えるシャールの街はどんどん小さくなっておりまして、道の両脇なんて小麦畑になってきました。
「どこへ向かっているんですか?」
「シュリ侯爵領との境にある深い森だ。その森で行方不明者が続出していた。調査の結果、蟻猿の仕業と判明し緊急討伐が必要とガインが判断した。休憩をしておけよ。いつ戦闘になるか分からん。蟻猿か、それに追い出された魔獣が不意に森から出てくる可能性がある」
パウスさんの言い様は偉そうでしたが、確かに戦闘が控えているのなら、今は休むべきでしょう。特にいつもなら寝ている時間のはずのノエミさんを万全にする必要があります。
幸い、馬車の中は皆が横になっても十分なスペースがある程に広いものでした。毛布を借りて、ぐっすり致しました。
後方の扉が開かれた明るさが目を刺激して、私は起きます。
ノエミさんも目覚めて、ミーナちゃんの体を優しく揺らします。パウスさんの姿は見えなくて、既に馬車を出ていることを知りました。
「お母さん、ここ、どこぉ?」
目を擦りながらミーナちゃんは体を起こします。
「メリナ様のお願いで森にやって来たのよ」
「蟻猿っていう魔物を狩るんだって。ミーナちゃんにも手伝って欲しいな」
「えっ! 本当に! 私、頑張る!」
ミーナちゃんは一気に興奮したみたいで、全身に力が漲ってきました。筋肉が増大した訳でなく、気力が目に見える感じ。赤黒い流体が膨れ上がって彼女の体内を駆け巡る、そんな印象を感じました。不思議な感覚です。
馬車を飛び降りると、パウスさんやガインさんの他にも知らない人が何人か集まっていました。
その中に大部分の頭を剃りあげて側頭部に獣をあしらった刺青を入れている人がいまして、その異様さのせいで周囲からは際立って見えました。大きな宝石をおでこに垂らしたアクセサリーも目立つのですが、それ以上に、そのおでこからうなじまでの一筋だけ真っ直ぐに毛を残し、真っ赤な髪を鶏の冠みたいに逆立ててセットした髪型に視線が行きます。服装も全身を艶のある黒革で仕上げていて、金属の鎖をあちこちに装飾として取り入れています。耳輪も片耳だけ連なるようにぎっしりと、唇にまで小さな輪を付けています。
街中で出会ったら、間違いなく避けたい人種です。
そんな人が私に近付いて来るのです。緊張します。
「お久しぶりです、メリナさん」
言葉遣いは見た目と違って丁寧。そのギャップが私を少しだけ余分に安心させました。
私は記憶が失っていることを伝えます。
「聞いております。私の名はデンジャラス。メリナさんと再び共に戦える日が来たことを喜んでおります」
変な名前です。いや、名前なのかな。
でも、外見ははっちゃけた人でしたが、声は落ち着いていて、ノエミさんよりも歳上なのかなと思いました。
「そうですか……。宜しくお願いします」
「えぇ。成長した私をご覧に差し上げます」
デンジャラスさんは鉄器を拳に嵌めていますが、その他にも杖や槍、弓など各々の得物を手にした冒険者風の人達が周りにいます。
そんな中、若い男性剣士とミーナちゃんよりも小さな女の子が私をチラチラ見てきます。その理由は私が気品溢れる淑女だから気になる為でしょう。それは仕方がないことです。若しくはデンジャラスさんに恐喝を受けていると誤解されているのかもしれません。
デンジャラスさんが私から離れたところで、ガインさんが皆の前に立ちます。
「お疲れさん。ほな、状況を説明するで。各ギルドの優秀なやつらばかりやから簡単でえぇと思っとるけど、質問があったら最後に手をあげてな」
ガインさんは訛りを気にすることなく喋り始めます。
「今回の目的は蟻猿の女王猿を殺すことや。この広い森のどこにおるかは分からんけど、探しだして仕留めるんや。ほんまやったら、王国や伯爵に連絡して軍隊を出したいことなんやけど、帝国に不審な動きがあってな、内々に冒険者ギルドだけで秘密裏に解決することに決まったんや。お前らは各ギルドのエースや。だから、心配はしてへんけども、油断はしたらあかんで。煙玉を用意しとるから、蟻猿に遭遇したら、これを破裂させて仲間を呼ぶんや。分かったやろか」
ここで、1人の男が手を挙げます。質問があるのでしょう。
「報酬は?」
「女王には伝えてあるんやけど、まだ確定してへん。せやけど、約束しよ。女王猿の首を持ってきたヤツはギルドから金貨100枚は別に用意するわ」
金貨100枚……。たぶん、もう日々の煩わしいお金稼ぎをしなくて済む気がします。是非とも蟻猿の女王を仕留めたい。他人がその首を取ったとしても、それを奪いたい衝動に駆られそうです。
「この広い森を、たったこれだけの人数で捜索するのか?」
「それだけの人材を揃えたんや。見てみ。そこにおるのは、神速パウス。それから、聖狂女デンジャラス」
デンジャラスさん、名前も酷いですけど、二つ名も凄まじいです。
「そして、黒髪の悪魔メリナ」
……えっ? 私、そんな呼び名を与えられているんですか……。
「王殺しの……メリナ……」
「えっ、本物……?」
「とびっきりにヤバいヤツが参加かよ……」
「王国の制御できない最終兵器じゃん……」
周りがドン引きしているのが分かります。
過去の私は何をしたのでしょうか……。
とりあえずスマイルで誤魔化します。
静かになってしまったのですが、それを切り裂いて質問したのはミーナちゃんです。
「いつ出発するんですか?」
「嬢ちゃん、せやなぁ。食料とかまだ届いてへんねや。森を警戒しつつ、明日の朝にしよか」
「やった。じゃあ、あの人と戦ってみたいの、ミーナ」
お行儀悪く、ミーナちゃんが指を差したのはパウスさんでした。なお、ミーナちゃんは左手1本で大剣をぶら下げて持っていました。
指名されたパウスさんは決まり悪くノエミさんを見ます。そして、彼女が申し訳なさそうに頷いたのを確認してから、口を開きます。
「手加減は苦手なんだけどな。いいぜ。特別に稽古を付けてやる」
「ありがとう!」
ミーナちゃんは飛び跳ねて喜びます。持ってる剣も跳ねます。怪力ですねぇ。
「ほら、お嬢ちゃん。いつでも打ってきな」
「うん!!」
明るく返事したミーナちゃんは瞬時に消え、身に余る長さと思われた大剣を遠慮なく横から振り回します。
油断していたこともあって、私は目で追えませんでした。それは神速と呼ばれているはずのパウスさんも同様でして、素早く抜いた剣でガードすることで直撃を免れたものの、大柄な体が宙を真っ直ぐに吹き飛ばされ、遠く離れた木の幹に激突します。
ミーナちゃん、強い。
遅れて吹き荒ぶ風が周囲を襲います。土煙が上がるより早く、ミーナちゃんはもう詰めていて、パウスさんに止めをさそうと大剣を上段から下へと振り下ろしていました。
「チィッ!!」
パウスさんは素早く避けます。でも、避けただけ。反撃をする余裕はなかったみたいです。
ミーナちゃんの剣によって縦に切断された木が左右に分かれて倒れ、轟音が空気を激しく震わせます。まるで落雷のようです。
うん。ミーナちゃん、マジ獣。
彼女は10歳くらいですが、その頃の私なら一撃で殺されていたかも。




