待ち構えるメリナ
朝早くから私は棚に乗せた聖竜様とお酒様に頭を下げ、今日一日の武運を祈る。
ティナ一行が私の依頼を受けたとローリィさんから報告がありました。聖竜様によるカレンちゃんの獣化がいつ行われるのかは知らない。でも、実行されたら彼らと戦闘になるのでしょう。
アシュリンさんクラス3人。いえ、邪神を通じて観察した盗賊との戦いからすると、それ以上。でも、誰の協力も要らない。聖竜様の一番になるのは私だけなのですから。
気合いが満ちる。
半ズボンの大男、奇妙な紺色の服の少女、そして若い貴族風の女ティナの3人が私と対峙している未来を想像する。
前衛はティナと大男、後ろに優秀な魔法使いである少女の陣形。あっちの方が人数が多いので長期戦になると不利。
だから、私は勇敢に突進します。
大男がロングソードを抜き、私を牽制。ここでスピードを緩めたら高速移動の術を扱えるティナに背後を取られるので、止まらずに私は氷の槍を連射。それを尽く打ち落とされるも接近に成功。鋭く私の顔を突き刺そうとする剣。私はそれを首を振って躱し、伸びた腕を掻い潜って飛び膝を男の下腹部に叩き込む。
後ろから迫るティナの一突きに私の意識が行くのを見越して、転送魔法が少女から発せられる。地中深くに埋める意図か? その魔力を操作してキャンセル。
しかし、その間に大男は激痛を外に見せることなく私を羽交い締めにしていて、悪いことにティナの細剣は私の後頭部に突き刺さる寸前。
万事休すと思わせたここで私は竜化を開始するのです。膨張した体で大男の腕を引き千切り、ティナの剣も分厚い体皮で無効化。私は羽ばたき天高く翔ぶ。呆気に取られて動けなかった3匹の顔を見下ろし、大きく顎を開く。最後に、全てを破壊する灼熱のブレスの一息でミッション完了となりました。
うふふ、楽しみです。
実際に力強く跳ねたので頭がぶつかりそうになっていたのを、天井を両手で押して着地。
深く息を吐いて体の滾りを落ち着かせる。
「メリナ様……追い出された営業部に恨みを持って――ヒッ! 私の机だけが蹴り飛ばされてる……」
カーシャ課長の声?
あっ、まだ早朝なのに出勤が早い。課長が事務所に入って来ていて、扉の前で小刻みに体を震わせていました。
「すみません。ちょっと考え事をしていたら体が勝手に動いてしまって」
課長の机は私の膝蹴りで真っ二つになって横転していました。他にも色んな物が部屋に散乱しています。
「そ、そんなに恨みが……。わ、私も蹴り殺される……?」
「まさか。あはは、本当にごめんなさい。すぐに後片付けをしますので」
床に落ちた紙を元の束へと集めていきます。順番が分からないのは申し訳ないです。
「……あっ、手伝います……」
課長は一応は偉い人なのに腰が低い。アデリーナ様もこの人の爪の垢を煎じて飲めば良いのにと思います。
「良い運動になりました」
課長の机以外は元通りにして、私は額の汗を手で拭う。
「はい。……あのメリナ様? 何だかいつもに増して少し怖いと言うか、正直なところ、今日、誰かを殺そうとしていませんか……?」
ん? 知らずに殺気が漏れていた?
あっ、課長の目を見たら人の感情が分かるって特別な能力か。
「イヤだなぁ。そんな訳ないですよ。あはは」
誤魔化しはしましたが、課長、ありがとうございます。敵にも悟られる可能性がありましたね。うん、肩の力を抜いてリラックスして行きましょう。敵意を隠すために笑顔です、笑顔。
中庭には石畳の参道が中心の池をぐるりと巻くように敷かれています。神殿の正門から本殿に向かい、そして、また本殿から正門に帰る為の道。参拝客に対しては右回りの一方通行になっていって、お土産を買って貰うために、本殿出口から正門までの半分にはテント張りのお店が幾つか並んでいたりします。
私はその道からちょっと離れた草の上で太陽に煌めく池の水を眺めながら、偽の依頼を引き受けたティナ一行を待ち構えます。
何組かの参拝客に会釈して直立不動で待ち構えており、やがて魔力感知にて遂に彼らの訪問を知ります。
パチパチと両頬を叩いて気合いを入れ直す。危うく寝そうになっていましたから。
「こんにちは。また会いましたね。どうかされましたか?」
自然な距離に入ったのを見計らって、私から声を掛ける。
「冒険者ギルドの依頼で倉庫の掃除に来たんだ」
ナベって名前の少年だったかな、その透明人間が私に答えた。カレンちゃんは王国出身の元奴隷で部外者だとして、他の4人の中で最も地位が低そうなのにこいつがリーダーっぽく答えて来たのです。やはり要注意。
「そうですか、ご苦労様です。あちらの事務所までご案内致します」
「何も買わないぞ」
は? いきなり何?
喧嘩を売られたのかな?
なら、遠慮なく買ってやるぞ。
って、ダメダメ。
聖竜様が手を出すまでは攻撃は厳禁です。
「案内するだけですから」
言い終えて気付く。そうだ。ペンを買って貰ったんでした。不良品だったか? そうだとしても心の狭い野郎ですね。聖竜様へのお布施だと考えたら、涙を流して感謝するものですよ。
「あのペンの使い心地は如何でしたか?」
まぁ、不良品だとしたら交換してやらないこともない。神殿の信用に関わりますから。
「まあまあかな」
チッ。不良品じゃないのですか。
なら、値段に不満があったのか。
「水でも滲まないし、紙でなくても書けるんですよ。高価なものにはそれなりの理由があるのです」
「そうなのか」
知りませんよ。適当に言ったんだから、突っ込まずに納得しておけ。
「そうです。私どもは使いこなせると見越した方にしか薦めておりません。ですから、どうぞ物が泣くことのないようにご使用下さい」
ここまで強く言えば黙るでしょう。
私の目論み通り、ナベは口を噤みました。
「お姉ちゃん、元気? また会ったね」
屈託のない笑顔が子供らしくて好ましい。ナベに代わって前へとやって来たカレンちゃんは大変に良い子です。
一時的に獣化しちゃいますけど勘弁してね。そこは本当に申し訳なく思っています。
「元気ですよ。あなたもお変わりないかな?」
「うん、元気。カレン、盗賊の人をブッ飛ばしたんだよ」
確かに数日見ないだけで、かなりの魔力的成長を感じる。ミーナちゃんには及ばないけど、大人になる前のソニアちゃんには勝てそう。
「そうですか。とても強いんですね。危険を払い除けるのは大切なことですね。聖竜スードワット様も敵は焼き尽くせとおっしゃっています」
最後の台詞は敢えて付け加えたものです。ティナ一行がどういう反応を示すかで、私や聖竜様が彼らを敵だと認識しているかを探りたかったのです。
カレンちゃんは特に反応無し、ナベの方は一瞬怯んだように見えました。強者3人組はそもそも聞こえてない感じか。
「スードワット様は、子を守れ、子は家を守れともおっしゃっています。あなたはまだお外に行かなくとも良いかもしれませんね」
こちらはカレンちゃんへのメッセージ。街中で獣化して欲しくないのです。魔物だと思われて討伐されるかもしれないから。もちろん聖竜様はご配慮されると確信しています。
「カレン、守る家ないよ。お父さんが奴隷になれって言ったもん」
……ヘビーな家庭にお生まれになっていたんですね。
「今も奴隷なんですか?」
「まさか。これだけ仲良しなんだから、奴隷な訳ないでしょ?」
私の問いに答えたのはティナでした。彼女はカレンちゃんの頭を優しく撫でる。大魔王を復活させた極悪人には到底見えませんが、詐欺師は偽るのが上手ですからね。私は油断しません。
「そうだよ。ダンが私を買って、奴隷じゃなくしてくれたの」
「そうですか。良い巡り合わせがあったのですね」
表面上は友好的なやり取りが続きます。




