震えるメリナさん
今日も巫女長は忙しいみたいで、伯爵のお城に行かないといけないと言って、小屋を退出しました。
新たな仕事を申し付けられることはなくて幸いでしたが、私は先程の衝撃的な出来事に手が震えました。
巫女長の後継者となるということは、巫女長が自ら私に教育を施すってことになって、あの似非人格者の非道で無茶な要求に我慢しないといけない日々が待っているのです。
行き先のわからない棘の道を、油断したら後ろから剣で突かれる状況で闇夜に疾走を強いられるようなものです。
「ど、どうしたら良いのでしょうか……?」
私は助けをアデリーナ様に求めます。
「どうもこうも、巫女長のお言葉には従うべきで御座いましょう? この数日、私もお側で勉強させて頂きましたが、大変に貴重な時間で御座いましたよ。……忍耐力を付けるには」
クッ、アデリーナめ、ターゲットが私になったことを喜んでやがる。唇の端を上げやがった。
「ルッカさん! 天使としてあの悪魔の化身を討伐してください!」
「ダメよ、巫女さん。あの人は悪魔じゃなくて正真正銘のヒューマンだもの」
「信じられない! 普通の人間は分裂なんてしないもん!」
立ち上がって叫んだ後、力なく着席します。しかし、良いアイデアが浮かび、私は再び顔を上げるのです。
「そうだ! フランジェスカ先輩ですよ! 彼女の守護精霊は聖竜様! 真の竜の巫女なんです! 彼女こそ巫女長に相応しい。アデリーナ様と違って人望もあるし!」
「こらこら、私はメリナさんよりは人望があると自負しておりますが?」
現実を見詰めない人が国のトップだなんて悪夢ですね。とは思いましたが、今、アデリーナ様に喧嘩を売る必要はない。口には出さない。
「彼女ねぇ、確かにとてもレアよね。私、長生きしているけど、聖竜様が守護精霊になってる人は初めて見たわ」
ぐっ。羨ましくて悔しい気持ちは明らかだけど、フランジェスカ先輩は悪く思えない。
色んな感情を押し殺し、私はルッカさんの言葉に乗っかります。
「でしょ! いずれ守護精霊を交換してもらう予定ですが、フランジェスカ先輩を私は強く推します!」
「メリナさん、フランジェスカは巫女長の後継者には選ばれませんよ」
冷や水を浴びせ掛けたのは、いつも通りアデリーナ様でした。
「以前に聖竜様が直々にフランジェスカを次の巫女長に就任することを拒んだので御座います。聞いたのは巫女長とフランジェスカのみで御座いますが」
「え? なんで?」
フランジェスカ先輩ですよ? 穏やかな性格なのに聖竜様が拒絶する?
「当時は理由は分かりませんでした。聖竜様が実在するかどうかも怪しいと思われていた頃ですから、巫女長の我が儘かもと噂されたもので御座います。しかし、今なら分かります」
「ならば、その理由を」
「聖竜スードワットは怠け者です。真面目なフランジェスカが巫女長になったら、頻繁に仕事関係の話を聞かされて惰眠を貪れそうにないと考えたからと推察します」
「……それは邪推も邪推、口が過ぎるのでは……?」
聖竜様への侮辱は大きな怒りとなって私を支配し、わなわなと体が小刻みに震え出します。
「巫女さんと一緒で聖竜様も寝るのが好きだからねぇ」
一気に萎む怒り。
「一緒かぁ。じゃあ、仕方ないですね。聖竜様と私って似た者同士ですものね。良い夫婦になっちゃうなぁ」
今の私はニコニコです。諸々の不安も吹き飛ぶ程でして、聖竜様ってやっぱり偉大だなと全身で感じました。
「メリナさんが元気になられたところで、私とルッカは別に話が有りますので、メリナさんはどこかに行ってなさい」
「望むところですが、本当に話し合いなんですか? もしも、真剣での斬り合いだったら面白そうだから見学します」
私に続き、ルッカさんもアデリーナ様に尋ねます。
「……何か話すことあったかな?」
「色々と御座いますよ。魔王の存在を危険視する理由、メリナさんを執拗に狙った理由、メリナさんを巫女さんと呼ぶ理由。あとは、そうで御座いますね、本当にメリナさんは蘇生魔法を使ったのか……」
むっ……。どれもそんなに興味ない。
「それじゃ、お暇しますね」
「巫女さんの話ばかりなんだけど、本人は興味ないの? ほんとクレイジー」
「ないです。後はアデリーナ様にお任せします」
私は素早く小屋を後にして、真っ直ぐに神殿の門の外へと出ます。難しいお話は眠くなるし、余計なトラブルの元です。私の危機管理能力も高くなってきましたね。
「こんにちはでーす」
扉をカランカラン鳴らしながら、私はその小汚ない建物に入りました。
「あれ、えーと――」
「メリナです。今日もお手伝いに来ました」
宿に帰る途中にある冒険者ギルド。私はそこに寄りました。早く宿に帰るとショーメ先生が変な言い掛かりを付けてくるかもしれませんし、サボるにしても、ここならば言い訳ができると考えたのです。
予想外だったのは受付の女性ローリィさんが起きていたこと。紙の束をカウンターに置いて、何やら書いている最中でした。
「嬉しいです! 人手がないから、これ、一人で書いていたんです! 手伝って、いえ、全部やって下さい」
私は考えます。
カウンターの上で寝転びたかったのに、邪魔な書類が置いてあります。最早、ここを訪れた理由の全てが無くなっている状況です。
しかし、断った場合、巫女長の耳に入る恐れはないでしょうか。ここの長であるガインさんと巫女長はお知り合いみたいだから。微妙な判断が要求されますね。
「何をしているんですか?」
とりあえず私は近付きます。
「各冒険者ギルドに送る依頼書を書いているんです。ほら、見てくださいよ。これ、私が取ってきた依頼なんですよ」
嬉しそうに言いながら、ローリィさんは手元の1枚を私に寄越します。
「依頼は『最強の者を連れてこい』ですか?」
「そうなんです! ほら、ギルドへの手付金もこんなに貰ってるんですよ」
カウンター上に無造作に置かれた袋から、彼女が喜色満面で取り出したのは、通常の金貨と比べて2、3倍ほどの直径で分厚いもの。私は見たことないです。
「大金貨ですよ、大金貨」
へぇ。話にも聞いたことがないや。
「色んなレリーフやサイズがあるんですね」
袋から何枚か手に取って、確認します。
「あー! ダメですよ、ダメ! これは私の物なんです!」
「そうなんですね、すみません」
「凄い昔のヤツとかコレクターからすると垂涎の的みたいなヤツもあるんですから。すんごい額なんですよ。だから、手の脂を付けないでください」
「ふーん」
「依頼者に最強の人を紹介したら、その冒険者はもっと報酬金も貰えるし、その分、ギルドに入る額も増えて、私は大出世です! こんな場末のギルドの末端職員から脱出なんですよ! うぅ、嬉しい!」
私とローリィさんの間には、凄まじい熱量の差がありますね。
「だいたい話は見えてきたんですけど、ちなみに最強の人ってどんな基準で決めるんですか?」
「ふふふ、知りたいですか? この有能で天才なローリィ様が考えたアイデアを」
「いえ、そこまでじゃないです」
「肉体、知性、魔力、品性。これらを全部評価して王国ナンバーワンを決める大会を開くんです!」
「でも、期限は1週間ですよね? 王国全部に今の話を広めて、更に人を集めるなんて間に合わないですよ」
私の指摘にもローリィさんは平気な顔でした。冒険者ギルドには秘密の連絡網みたいなものがあるのかな。王都の情報局やデュランの暗部もそんな仕組みを作っていたとか言ってましたし。
「その点は大丈夫です。依頼者も誰が最強かだなんて分からないですもん。ある程度強ければ許されます。シャールの近くにあるギルドだけにお知らせします」
ん、まぁ。それが良いかもしれませんね。
ちょっと抜けたように見えるローリィさんだけど、ずる賢さも併せ持ってるんですね。
「それじゃ、私、帰ります」
「ちょっ! お手伝いは!?」
引き止めるローリィさんの声が聞こえましたが、素早く決断した私は既に表の通りに出ているのでした。
その後、旧スラム街で時間を潰した後、私は宿屋に帰りました。散歩中にクリスラさんに出会ったので、紙片に今日の日記を書いてもらえてラッキーでした。
◯メリナ観察日記40
メリナさんに頼まれて彼女の日記を付けます。
数日前に出会ったばかりだと言うのに、彼女の奥底に潜む魔力が高まっていることに気付きました。
最早、私には到底届かない領域だと恐れを抱くものの、武を愛する者同士として挑戦したいのも事実。
叶うならば、聖女決定戦の時のように肉や骨を削り合う戦いがしてみたいものです。私にリンシャル様の加護がありますように。




