新たな仕事
日記を部屋に戻し食堂へ帰って来ましたら、またもや私は驚いたのです。アデリーナ様がまだ居て、しかも、ベセリン爺に焼き菓子を提供させていたんです。
「アデリーナ様、まだ帰ってないんですか?」
「それは、早く帰れって仰っているので御座いますか?」
「良かった。ちゃんと私の気持ちが伝わってますね」
「無礼過ぎるでしょ? ったく、メリナさん、貴女のことだから、聖竜様のお祖母様にも無礼を働いたことでしょうね」
っ!? ……何故に分かるんですか……。
アデリーナ恐るべし。千里眼の持ち主なのか……。
「図星だったようで御座いますね。さて、メリナさん、私も好き好んでここに残った訳ではありません。今日はここに集まるように巫女長に指示されたので御座いますよ」
「なっ!?」
ひどく驚愕する私。魔力感知の範囲を広げると、確かにあの人がこの宿に近付いているのが分かりました。
同時にショーメ先生が茶を淹れる為のカップ類を食卓に並べます。そして、先生の指示でそこにベセリン爺が優雅に茶を注ぐ。
私に逃げる時間はない。
「今日は趣を変えて、ここでお仕事の話をしたいと思ったの」
豪華な巫女服はとても重厚で、巫女長は体も小さいし朗らかなのですが、とてつもないプレッシャーを私に与えます。
アデリーナ様から受ける圧は慣れてきたのに、巫女長からのものは汗が吹き出そうになりますね。
「でも、ルッカさんが来ていないのね?」
「息子さんが亡くなったので喪中なんだと思います。急だったから連絡できなかったかもですね」
私はルッカさんを庇うため、ちゃんと理由を告げてあげました。
「あらあら、そうなのね。それは本当に悲しいことだわ。死因は何だったのかしら?」
「……老衰です」
事故死とか言ったら、事故の内容を追求されて私が関わっていることに激昂。そして、そこから、お仕置きの精神魔法とか勘弁して欲しいのです。
「大往生だったのね。人生は旅路にして、その終着に辿り着きしノヴロク・ブラナン、汝の美しい御霊が崇高なる聖竜様の下へ還り、次の生を迎えるまで安らかなる心で過ごされることを祈ります」
巫女長は頭を垂れ、胸の前で手を組んで柔らかくも厳かな弔いの詞を呟きます。
あの巫女長なのに、それっぽい仕事をしていることに驚きます。本日は朝から驚き尽くしです。
ノヴロクの名前を知っているのは、そっか。王城の地下の戦いの時、巫女長もいらっしゃいましたものね。
「フロンとフランジェスカ先輩も来ていませんね。どうしたんでしょう」
祈りを終えた巫女長が本題に入ろうとするのを鋭く察知した私は、欠席している2人のことを指摘して、話が始まる前に折ってやろうと努力しました。
「あの2人はね、見習いを2人ほどメリナさんが怪我させたって薬師処からクレームが入りまして、代わりの人として派遣しているのよ。もぉ、メリナさんって本当にお転婆ね」
「あ、あはは。気を付けますぅ……」
答えながらも冷や汗が出てきます。もしかして、私は折檻になりますか? 悪いのは明確に喧嘩を売ってきた見習い達ですし、元凶はルッカさんですよ……。
「えぇ、私の若い頃にそっくり」
「それは大変に光栄なことかなぁって思いました、あはは。私も巫女長みたいに成れるかなぁ。成りたいなぁ」
「まぁ、メリナさんたら」
必死の作り笑いで媚びを売る。無駄かもしれませんが、これで許してください!
「さて、今日は神殿の外の人々の生活について学んで頂きたくて、ここに集まってもらったの」
うしっ! 薬師処の件は不問で進行してる!
「頑張りますっ!」
嬉しくて気合いが満ち溢れて来ましたよ。
「何をすれば宜しいので御座いますか?」
笑顔の私の横でアデリーナ様が冷静に尋ねました。
「冒険者ギルドの受付よ。大丈夫。ガインさんには話を付けてあるから」
「分かりました。彼の冒険者ギルドに参りましょう。巫女長はお忙しいでしょうから、ここまでで結構で御座います」
「あらあら、アデリーナさんは気が利くわね。でも、心配しないで。私もガインさんに用があるから、一緒に行きますからね」
来なくて良いのに。アデリーナ様もそう思ったでしょう。
「まぁ、メリナさん、どうしたの? そんな不安な顔をしなくても大丈夫よ。ガインさんのギルドには怖い人は来ないわよ」
お前が怖いんだよと、はっきり言えないのが辛い。
さて、古着に着替えさせられ、街中を一刻ほど歩いた通りの一角に小汚ない冒険者ギルドが有りました。
先導する巫女長が扉を押すと、カランカランと備え付けられた鐘が鳴ります。
中は静か。
街の外の冒険者ギルドは多くの人達の喧騒で騒がしかったのに、このギルドには冒険者が誰もいません。居るのは寝ている受付の人くらい。その受付の人でさえ、カウンターに顔を付けて熟睡して私達の訪問に気付きません。
お食事を取れるはずの食堂兼団欒コーナーにも寂しく3卓程度のテーブルが並んでいるだけです。
「じゃあ、私はガインさんの所へ行くから宜しく。レポートは明日、神殿に持ってきて頂戴ね」
そう言い残して、巫女長はカウンターの端から奥へ勝手に入り、階段を昇って行きました。その間、受付の人はピクリとも動かず、死んでいるのかなと思うくらいでした。
「ここで一体何を学ぶんですか?」
「えぇ、同感で御座います。レポートも不要でしょう」
「えぇ。レポートなんて無駄ですよね」
ふふふ、完全に理解しております。
これはアデリーナ様が私を狙った罠。
澄まし顔のこいつは、絶対にレポートを作成するはず。そして、今の言葉を信じてレポートを作成しなかった私にはお仕置きが待っているのです。私を生け贄にして自分だけ助かろうなんざ、私が許すとでも思っているのか?
恐ろしい。アデリーナ様の深い闇が。これが真の友人とか呼ぶ相手にする仕打ちなのでしょうか。
お前、友人が何たるか分かってないでしょ。友人なら私の分のレポートも作成するんですよ。いえ、自分のレポートを忘れた友人に差し上げてこそ、真の友人です。
「そいつを起こしましょうか。仕事をしている振り程度は必要でしょう」
アデリーナ様はそう言いました。
巫女長が2階にいることは明らかですので、私も同意し、小さなイビキを掻いている女性の肩を揺らします。
軽く揺すること3回くらい、ようやくピクリと体を震わせて顔が上がります。小柄で丸顔の女の子。私くらいの歳かな。
「何か御用でしょうか?」
キリリとした顔付きを作っての言葉でしたが、残念ながら涎の後が頬にさえ残っている状態でした。
「受付の仕事を手伝うように言われております。宜しくお願いしますね」
アデリーナ様が外向きの愛想の良い感じでご挨拶をしました。それができるなら、普段からそうしろよと思わなくもない。
「受付っ!? 手伝いっ!?」
体をわなわな振動させながら、目を見開いて叫ぶ受付の人。
「遂に! 私は解雇されてしまうんですか!? うぅ! 毎日、あんなに頑張って働いていたのに! 情け容赦なくクビなんですか!?」
あー、これ、面倒な人ですよ。さっきまで居眠りしてたことを完全に棚上げしてます。
しかし、騒ぎは良くない。巫女長が降りてくるかもしれません。
「違いますよ。私達、竜神殿の巫女なんです。今日は街の人々の生活を学ぼうと、ここに来たんです。ギルド長の了解も貰っていますから」
私の丁寧な説明が奏功して、女の子は落ち着きを取り戻します。
「そうなんですか? 良かった。そうですよね。こんなに有能な私が解雇されるはずないですもんね。分かりました。巫女様、こちらにお座りください。私が1から10までギルドの受付のお仕事をお教え致します」
「ありがとう。貴女、お名前は?」
「ローリィと申します。貴女方は?」
「メリナです。こっちはアディ」
流石にアデリーナ様のお名前を出すのは宜しくないですよね。
「ふーん。じゃ、お仕事を教えますね。ここに座ります。冒険者の人が来るのをひたすら待ちます。以上」
以上? 10まで教えてもらう予定が、1と2しかなかった。
「冒険者の人が来たら、どうするんですか?」
「3日くらい誰も来てませんから、今日も来ませんよ」
いや、純真な目で見詰められても困ります。私が間違ってるみたいじゃないですか。
「……どうします?」
「不味いですね。このままではレポートに書くことが御座いません」
「いや、レポート提出は不要だと仰っていましたよ、アディさん自身が」
「あら? おほほ、そうでしたか」
その「おほほ」はあからさまに嘘だって証明でしょうに。
「ローリィさん、お駄賃を差し上げましょう。これで美味しいものを食べにお出掛けください。後は私達が留守番しておきますので」
アデリーナ様は懐から出したカエル型の財布から金貨を2枚出して、ローリィさんに渡します。
「えぇ!! こんなの頂けないです!」
と言いながら、しっかり2枚とも拳の中に握りしめて、嬉しそうにローリィさんはお外へと去って行きました。
「……大丈夫ですか、このギルド? 凄く簡単に、見知らぬ人間が乗っ取った状態になったんですけど……」
「どうでも良いことで御座います。メリナさん、ヤツが去るまでは真面目に仕事をしましょう」
「あっ、はい。分かりました」
私とアデリーナ様は2人並んでカウンターに鎮座します。




