共通の匂い
頭一つ分くらい私より背が低いマリールはグイッと一歩前に出てきました。その迫力に私はその同じ一歩だけ後ろへ下がってしまいます。
「黙ってたら分からないんだけど!?」
勝ち気な性格が現れたかのような吊り目はより角度を上げていて、私を責め立てます。
「いやー、誤解があるかなぁと思うんだよね」
後輩が生意気を言うので鉄拳制裁してやりました。この事件の真相はそうなのですが、いかにも恥ずかしい。
巫女見習いは皆、聖竜様の為に奉仕する仲間候補、謂わば私の妹分みたいな存在でして、自分の気持ちを害したからと言って力を振るうのは人間としてどうなのでしょうか。
「誤解? この血の池地獄にどんな誤解があるって言うのよ!」
「フランジェスカ先輩、どうか説明を宜しくお願いします」
全責任を取ってくれると仰っていた先輩に助けを求めます。
「あっ、マリール。ちょうど良かったわ。最近の流行りの香水ってどんなの?」
マリールの怒声を全く耳に入れていなかったことは分かる反応でした。そして、私の期待にも応えていない返しです。
「……先輩までおかしくなってる……?」
戸惑うマリールはまたもや私を強く睨みます。
「メリナ、あんたの仕業でしょ! 白状なさい!!」
「えっ、う、うん……」
もう一度振り返ってフランジェスカ先輩を見ますが、まだウェイニーの体へ異様に顔を接近させておられまして、私は諦めの境地に至ります。
「……うん。何でも聞いてちゃんと答えるから……」
「嘘を吐いても無駄だからねっ! メリナの嘘はすぐ分かるんだから!」
はい。見習い時代からの長い付き合いですからね。
マリールは扉を閉め、この凄惨な現場を他人に見られないようにしてくれました。悲鳴を聞いて駆け付けた他の方々も「魔物駆除殲滅部が来てるんですよ」というマリールの一言で、「あぁ、御愁傷様」とか「なるほどね」とか「これ以上、騒がないでよ」とか、そんな反応で納得されて戻って行かれます。
よくよく考えるとトンでもない話でして、うちの部署は悲しくなるほどに腫れ物扱いなのですね。
「3つ質問があるから、ちゃんと答えなよ」
えぇ!? 3つもあるの!?
その頃にはフランジェスカ先輩も近くに来ていて、私と一緒に答えてくれる雰囲気でした。これには私も涙が出そうなくらいに嬉しかったです。フランジェスカ先輩さえも私を裏切ったのかと思っていたから。
「どうぞ、何なりと訊いて」
頼りになる先輩が横にいる安心感から私は萎縮せずに返答することができました。
「じゃあ1つ目。うちの見習いを半殺しにしているのは何故?」
良かった。身動き一つしていない見習いさん達ですが、完全に殺してないって分かってくれたのですね。マリールが私を信頼してくれている証です。
「あっ、長くなるかもしれないから座ろっか」
私の提案。
「は? ……そうだね。すぐに喋りなよって思ったけど、ん、まぁ、私も動揺を隠せないか」
ということで、急ぎ、私は机と椅子を起こして用意します。
床が血塗れなのはどうしようもないのですけどね。
マリールを正面に私とフランジェスカ先輩が横に並びます。
「で、半殺しの理由は?」
「それが聞いてよ。マリールが居なくなった途端に、あの年下の見習いさんが悪態を吐いて、フランジェスカ先輩に『2度と薬師処に来るな』とか、私に『死ね』とか言ったんですよ。で、先輩が私に『黙らせて』ってお願いしたので殴った」
私の答えにマリールは本当に困惑した様子でして、眉間に皺を寄せています。
「……黙らせる手段が圧倒的な暴力ってどうなの?」
えっ、違うの……? 私も困惑。
「ごめんね、マリール。でも、これも異文化交流って考えられないかな? 彼女らも良い経験ができたんじゃないかな」
わっ! さすがフランジェスカさん!
素晴らしく角の立たない物言いです。強引だけど。
「本気で言ってるんですか?」
むぅ、騙されませんでしたか。
マリールは続けます。
「分かってますよ。メリナは2年前のアデリーナ様の蜂起でも当時の王以外には誰も殺しませんでした。1年前の諸国連邦の反乱も誰も死なないように尽力しました。世間の噂なんかよりも心根の優しいヤツだって知ってます」
まぁ、マリール、貴女はやはり親友です。私のことをよく理解してくれています。つい昨日、精神魔法を扱う恐れがあった魔法使いの冒険者を有無を言わさず殺めたことは黙っておきましょう。あと、世間の噂がどんなものなのか気になりました。
「諸国連邦の件は王国との演習ってことにしたのによく知っていたね?」
話題の方向を少し変える。フランジェスカさんは昨日のことを知っているので、ポロリと私の些細な過ちを口に出してしまうかもしれませんからね。
「サブリナと文通していたから。でも、サブリナか……」
ん? サブリナの名前を出したら顔がひどく曇った……。
あっ! 異常な感じで愛していた兄である剣王の結婚ショックをまだサブリナは引き摺っていたのか!?
その状態で巫女見習いとして危ない薬物がいっぱい保管されてそうな薬師処に!?
新婚一家毒殺事件が発生するかもしれませんね……。
「あんな感じになるなんてねぇ……」
どうも既に会っているようです。
ならば、私がする事はまずマリールを安心させることです。
「サブリナは兄のことが好きだったみたいで、その兄が結婚して少し動揺しているんだ。マリールもちょっと理解できない?」
マリールも兄がいて、サブリナみたいな変な感じじゃない意味で好きだったということを私は知っています。
「んー、あれは理解できない。でも、まぁ、そっか。うん、分かった。サブリナが変わっていた事は質問の3つ目だったんだよね。メリナのお蔭で事情は分かった。私はサブリナを受け入れるよ」
……受け入れる? 相当な問題が起きてないと人間関係で使う言葉じゃないですよ。
サブリナ、いったいどんな感じになっているんですか……。
「じゃあ、最後の質問。フランジェスカ先輩、さっきの見習いへの行為は何ですか? 魔物駆除殲滅部の変態に感化されたんですか?」
変態とはフロンの事でしょう。
あぁ、嘆かわしい。あいつの悪名は薬師処にまで届いていたか。
「されてないよ、あはは。で、答えなんだけど、ちょっとマリールも嗅いでもらって良い?」
フランジェスカさんが立ち上がって進み、私達も続いて気絶したままの巫女見習いの傍へと血の足跡を付けながら向かいます。
先輩に促され、マリールは見習いさんの脇辺りに鼻を持っていく。
「香水が気になるんですか? 甘くて、でも爽やかでスパイシーも強めのフレーバーですね」
マリールは不思議そうに言いました。
ついでに私も匂いを確認させてもらいました。
ん? これ、嗅いだことある。
ここに来る前、魔物駆除殲滅部の小屋でルッカさんに襲われた時、あいつから匂った香水と全く同じだ……。
だから、フランジェスカ先輩は「流行りの香水ってどんなの?」と聞いたのか?
私達はもう1人の反対側の壁にもたれ掛かっているウェイニーも同様の香水を使用していることを確かめました。
香水と言っても微かに漂う感じで使用していて、かなり顔を近付けないといけません。だから、香水本来の使い方とは違う気がする。
フランジェスカ先輩はよくこんな僅かな匂いに気付けたものですね。感心します。
「2人の香水が同じだけど、先輩は何が気になるんですか?」
「んー、これ、昨日も別の場所で嗅いだんだよね」
「えっ? 今日じゃなくて昨日?」
昨日はルッカさんと会ってない。だって、オズワルドさんの村で――あっ!?
「もしかして、精神魔法の臭いがこれと同じだったんですか!?」
思わず私の声に力が入る。そして、先輩は首を縦に振る。
私に敵対、高度な魔法技術、人を操る、同じ匂い。
こんな言葉が私の頭の中で結び付きます。
犯人はルッカか!?
性懲りもなく。あいつ、また私に悪さを働こうとしていたのか!?
沸騰する勢いで怒りが私を駆け上がる。しかも今回はニラさんやノノン村の人達みたいな関係のない方々も巻き込む形だと!?
どこまでも卑劣なヤツ!!
すぐにでも跳び出そうとした私の手をフランジェスカさんは優しく上から握り、私を制します。
「メリナ、待って。貴女の結論は分かるけど、それじゃおかしい点もあるかな。後で話すね」
先輩は今朝、ルッカさんと激突していました。だから、あの魔族も同じ匂いがするって分かっているはず。つまり、私がルッカを疑っているのを理解している。その上で待てですか……。良いでしょう。私は頷きます。
マリールは私達のやり取りで満足したみたいです。
「よく分からないけど、何かのトラブルを解決しようとしていたんですね。良かった。でも、先輩、魔物駆除殲滅部に染まったら人生辛いですよ。だから、早く戻って来てくださいね」
「そうね、あはは」
「マリール、私、ずっと魔物駆除殲滅部なんだけど……?」
「辛いでしょ?」
うっ! その通りです……。
「薬師処に誘って。私、サブリナを元気にするから。お願い、薬師処長に私を推薦して」
私の懇願は無理なものと思ったのですが、マリールは承諾します。
「サブリナを元に戻してくれるなら考えるわ」
ほんと!?
どうもマリールは薬師処の中で権力を持ってそうな雰囲気ですから、私の願いをちゃんと叶えてくれるかも!
「フランジェスカ先輩も一緒に薬師処に移籍しましょう」
「あはは、メリナ。私は異動したばかりだから嫌だよ」
「あんなクソみたいな部署に居たら人生も性格も腐りますよ。ね、マリール?」
「先輩、マジですよ。メリナの蹴りとか受けたら死にますよ。実戦練習とか本気だから」
「マリール、私が実戦練習で殺したいと思ってるのは違うヤツだから」
「メリナ……何言ってんのよ……」
私達は廊下を歩きながら楽しく喋ります。
しばらく歩くと扉の前で止まりまして、サブリナが待機している部屋だとマリールに教わります。
入ってすぐに、3人掛けソファの真ん中にデンと座る者の後ろ姿が見えました。短髪、太い首、筋肉で膨れ上がる肩、何本もの切り傷の走る、丸太の様な二の腕。明らかに男。でも、ここは巫女さん業務領域に位置する薬師処の建屋内でして、男子禁制のはず。
「サブリナよ。メリナは分かってるだろうけど」
マリールの言葉に私は戸惑う。目の前のそれは完全なる男ですから。
そして、そいつが振り向く。
「サブリナ・マーズよ。メリナ、宜しく」
裏声で自己紹介した彼は、完全に、明らかに剣王でした……。




