医務室へ
下ろされた所は石造りの大きな建物が見える池の畔でした。
「巫女さん、ここがどこだか分かる?」
「いいえ」
「竜神殿よ。聖竜スードワット様の神殿」
私は驚きました。この神殿で竜の巫女になりたくて村を出てきたのですから。
小さな頃から憧れの場所。唐突に告げられましたが、途端に足が感動で打ち震えます。
あちらこちらに、体全体を覆う黒い服を着た方々が見えます。あの衣装は間違いなく、お父さんの本で見たことのある巫女服です。ゆったりと着こなしながらも、足早にどこかへと向かう彼女らは私の憧れの人達です。
「あっ……」
「どうしたの、巫女さん?」
「神殿への紹介状が入った荷物を忘れました……。どこに置いてきたんだろ……」
「……探す前に医務室に行こっか」
どうして?と思ったのですが、そうですね、収まったと謂えど、先程まで私は頭痛を感じていました。念のために診て頂けるのですね。
「ありがとうございます。すみませんが、お姉さんのお名前をお教え頂いて宜しいですか?」
ここまで連れて来てくれた青髪の人に、私は丁重にお願いします。
「ルッカよ。んもう、調子が狂うわね。お酒でも飲めば戻るのかしら」
ルッカさんはお尻を振りながら、私を先導してくれます。良い人なんだけど、ご職業は夜の世界の人なのかなと思いました。都会の人にしても服装が際どい気がしますし。
案内された先で、清潔なベッドに寝かされます。
私が村で使っていた古びたシーツでなく、真っ白です。そこに私は上半身だけ起こして座っています。
壁際には色んな薬品や包帯の入った棚が置かれていて、全てが目新しいです。
ルッカさんは誰かを呼びに行くと言って出ていかれましたので、私はお行儀が悪いですが、キョロキョロとその部屋にあるものを物珍しく観察しておりました。
でも、窓枠とかの木材は古びた感じになっていて、侘しさの中にも神殿の歴史を私に教えてくれます。
幼い頃、私は毎晩の様に咳と高熱が出る病を患っていました。でも、ある時から夢の中だったのかもしれませんが、聖竜様とお会いし、やがて完治したのです。
聖竜様は私の命の恩人。だから、竜の巫女となって聖竜様に恩返しをしたいと考えて、ここを目指したのです。
勿論、この神殿に聖竜様はお住まいではありません。どこにおられるのかも知りません。それでも、私は誠心誠意、聖竜様を信じて我が身を一生捧げる所存で、神殿にお勤めしたいと決意しています。
良し! 面接の志望動機もちゃんと覚えてる。完璧です。
問題はいきなり医務室に運ばれた不健康な人間を雇ってくれるのか、ですね……。
あー、ついてないなぁ。
軽く溜め息を吐いた瞬間、横開きの扉がガラガラと開きました。すぐに息を飲み込んで、微笑みで入ってくる方を迎えます。
第一印象はとても重要ですからね。
やって来たのは、光輝く金髪を肩くらいの長さで切り揃えた女性です。この人も黒一色の巫女服を着ておられ、竜の巫女であることが明らかでした。
髪と同様に後光さえ射し込みそうな美貌をお持ちですが、その眼はとても冷たくて、私は思わず萎縮します。
ルッカさんもその方の後ろに見えました。
「……確かに様子がおかしいで御座いますね」
「さすがアデリーナさん。一目で分かるのね。とってもクレバーよ」
「えぇ。いつものメリナさんなら私を見た瞬間に苦虫を潰した様な顔をされますから」
いえ、初対面ですよ……。
それに私はその様な失礼な態度を誰に対しても取ることは御座いません。そのメリナさんは別人でしょう。
「クレイジーだけど、アデリーナさん、私が思うに巫女さんは記憶喪失だと思うの」
記憶喪失?
「その根拠は?」
「幾つか質問したら分かるわよ」
「承知しました」
ツカツカと足音を立てながらアデリーナと呼ばれた女性が私の方へと来ます。巫女服の下の部分はヒラヒラしたスカート状なのですが、それが暴れることなく優雅な佇まいでした。
「私のことは覚えてらっしゃいますか、メリナさん?」
「いいえ。本当に申し訳御座いませんが」
「私はあなたの親友のアデリーナです」
っ!? えっ、全く心当たりがなくて怖いんですけど……。
「すみません。そうだったんですね、アデリーナ。でも、私は村から出て来たばかりで何も分からないと思っているんです」
アデリーナは「ふーん」と小さく言ってから、ルッカさんを振り返ります。
「本当に記憶喪失で御座いますね」
「でしょ? クレイジーね、巫女さんは」
……今の1回のやり取りで一体何が分かったと言うのでしょうか。私が記憶喪失?
アデリーナは更に私の方へ詰めてきました。
「年齢と出身の村名を覚えておられますか?」
「15歳で、ノノン村から来ました」
「お母様の名は?」
「ルーです」
「神殿の巫女長の名前と印象は?」
「立派な方だとは想像しますが、存じ上げません」
「あなたの趣味は?」
「本を読むことです」
「特技は?」
「……特にない――あっ、料理ですかね。木々に囲まれた村でしたので、森の恵みをその場で料理できます。これには村の人も驚いていました」
「それは驚くでしょう。得体の知れない雑草を引っこ抜いただけで、お料理完成と言い張るのですから」
「でも、アデリーナは私の手料理を食べたことないでしょ?」
「いいえ、御座います。焼いたドングリ、ひょろっとした生の雑草、壺状の食虫植物の中の水。印象深いですよ。最近では……いえ、忌々しい想い出ですので語るのは避けましょう」
忌々しい? 私の手料理の話ですよね?
この人、本当に私と親友だったのかな。言葉の節々に疑問を感じてしまいます。
「数の計算も得意で御座いましたね。そちらを仰った方がよろしいのでは?」
「雨の日なんかは家の外に出られませんでしたので、手遊び代わりにやっていただけですが……。でも、よくご存じですね。私、本当に記憶喪失なんですか?」
「はい。そうでしょうね」
はっきり断言されました。もっと優しい言葉を付け加えたりとかないのかなぁ。
「巫女さん、寝たら治るかな?」
「その可能性に期待しましょうか。別に治らなくてもとも思いますが」
うん、絶対、親友じゃなかったと思う。
この人を友達に選ぶ方はよっぽどの聖人ですよ。慈悲の心で仕方なく友達になってあげるのです。
あっ、だから、私が友達になってあげたのか……。
「メリナさん、何故、私を見詰めているのですか?」
「アデリーナが可哀想だなと思いまして」
たぶん私が唯一の友人だったのでしょう。だけど、私は記憶喪失になった訳ですから、アデリーナは孤独です。今の私は彼女を友だと思えませんし。
「……勝手にそんな思いをぶつけられますと、困惑よりも憤慨が上回りますね。あと、貴女はいつも私の事を『アデリーナ様』と呼んでいましたから、以後、宜しくお願い致します」
「……はい、アデリーナ」
「『様』をお忘れ御座いますよ」
本当に親友だったのかなぁ。
やり取りを終えて、彼女らは私を置いて部屋の外へと向かおうとしました。それを私は引き留めます。私も聞きたい事があったからです。




