新生魔物駆除殲滅部
半分ほど飲んだのに未だ軽やかな湯気を残すカップを見ながら、私は一息付きます。
静か。
いつも書類が山積みになっていたアシュリンさんのデスクはキレイに片付けてあり、広い天板にペン置きが1つだけ鎮座していました。
ゆっくりしていても怒られることはなくて、この場所でこんなにも心の平穏を得たことはなかったかもしれません。
でも、これは偽りの静けさ。新部長であるフローレンス巫女長、そして、新メンバーの1人アデリーナ様。これらが魔物駆除殲滅部に加わったのです。平和なんて言葉が世界で最も似つかわしくない連中です。私は血反吐を吐いて毎日を過ごすことになるのです。
溜め息が出そうになるのを我慢します。
そして、その直後に扉が開くのでした。
「化け物、聞いた!? アディちゃんが同じ部署になったんだって!」
入ってきたのはフロン。その顔はとても嬉しそうでして、こいつが不埒な性格でなければ、私は少なくとも表面的には一緒に喜んでやったでしょう。
「地獄とか煉獄とか、そういうのに叩き落とされた気分です。つまり最悪、この上なく最悪ってこと」
「あぁ、あのババァも来たもんね。化け物、どう? 一緒にあのババァを追い出さない?」
「止めなさい。触らぬ神に祟りなしって言葉を思い出しなさい」
「はん。あのババァは神じゃないし」
神を称するフォビよりもやり辛いし、手強く思いますけどね。
「ルッカは?」
私の忠告を受け入れたのか、フロンは話題を変えます。
「あいつがサボってるのはいつものことですよ」
「ルッカもそれ以上に仕事してない化け物に言われたくはないだろうね」
「ふん。軽口はここまでです。覚悟しなさい」
「分かってるって」
私たちは沈黙します。
近付いているのが分かったからです。新部長と新メンバーが、こちらに向かっているのです。
「あらあら、ルッカさんはお留守なの?」
アデリーナ様とフランジェスカさんを伴った巫女長が部屋を見回してから言いました。フランジェスカさんが本当に薬師処からここに来たことに、改めて少し驚きました。
「はい。あいつはサボってばかりで、いつも迷惑してるんですよ! ねぇ、フロンさん?」
「そうよね。あいつ、仕事を舐めてるわ」
「懲らしめてやって下さい、巫女長!」
生き残るためには仕方がないのです。組織の中の問題児としてルッカさんを巫女長の意識に刻み付け、私達に危害が向かわないようにしないといけなかったのです。云わば、生け贄です。
すみません、ルッカさん。でも、貴女は不死なので大丈夫です。
「悲しいわ、メリナさん、フロンさん。ねぇ、私達はみんな巫女なのよ。他の人を悪く言うなんて、私、悲しくて涙が出ちゃうわ」
っ!?
くそっ! 今日はそっち路線だったか!?
「巫女長、何も悪口を言った訳ではないのです。誤解です。ルッカさんは巫女の仕事ができないほど忙しいと言っただけなんです。あぁ、ルッカさん、大丈夫かな。心配だなぁ」
「巫女長、騙されてはなりません。先ほど、メリナさんは『迷惑してるんですよ』って発言を致しました」
アデリーナっ!?
むむむ、貴様、この私を嵌めようとしているのか……。性格わるっ!
幸いなことに、巫女長は本件についてそれ以上訊いてくることはありませんでした。でも、柔和な微笑は何を企んでいるのか表情を読ませてくれなくて、私は心を掻き乱されます。
「じゃあね、今日は自己紹介から始めましょうね。私はフローレンス。オロ部長が辞められたので、魔物駆除殲滅部の部長も兼任することになったの。よろしくお願いしますね。心配しないで、巫女長になる前は薬師処長もしていたから、何となく部長の仕事も分かりますからね。はい、質問コーナー。メリナさんから」
えっ。私、試されてる?
「えーと、えーと……」
ダメだ! 早く何でも言いから質問をしないと! 精神魔法が私に炸裂してしまう! 猛烈に心の闇をほじくられて、涙を流しながら猛省する魔法!!
「あっ、そうだ! 巫女長、奴隷商のお仕事はもう辞められたのですか? ほら、巫女見習いを売るヤツ」
しまった!! 何て事を私は訊いてしまったのか!!
焦り過ぎです!!
「マジ……?」
フロンが本気にしてしまった!
フランジェスカ先輩も少し眉を動かした! いや、笑いを堪えたんだ!!
「もぉ、嫌ね。メリナさんはよくご存じで」
肯定……? ダメです。流石にそれは聖竜様への冒涜でして、国家が許しても神殿としては宗教的に大罪な感じがします。もちろん、私も許せません。巫女長と戦争になる気がします!
「新人係の異名なのよ。ほら、巫女見習いさんが巫女さんに上がれなかったら次の職を紹介するでしょ? だから奴隷商なんて呼ばれたりするのよ。ね、アデリーナさん?」
「はい。その通りで御座います」
そうだったのか……。良かった。
「次はフランジェスカさん、行きましょうか?」
「質問ですか?」
「いいえ。自己紹介よ」
質問コーナーは私を狙い撃ちにしただけで終了したようです。腑に落ちませんが続けたい訳でもないので流します。
「はい。薬師処から異動になったフランジェスカです。メリナさんとは以前から交流がありますが、皆さんとは初めてですね。宜しくお願いします」
今までの頼りになる印象通りに、フランジェスカ先輩は、この鬼や魔王や魔族が集う会においても堂々としていて立派でした。鬼と魔王は同一人物ですが。
「ねぇ?」
フロンが声を出しました。
「何でしょう?」
「あんた、うちの部署を志願したらしいじゃん。なんで、うちなの? 正直、あんたじゃ死ぬよ?」
フロンの指摘は厳しいですが尤もです。
うちの部署は悲しいかな、武力が優先されます。インテリ集団である薬師処とは違う肉体系なのです。下手したらフロンにはフランジェスカ先輩の死相が見えているのかもしれない。
「いやー、恥ずかしながら薬師処では才能に限界を感じまして。それで新しいチャレンジを検討した結果、フィールドワークもできる人間になろうかと思い、ケイトさんに相談したんです。彼女が殻を破るには良い部署だと推薦してくれました」
ケイトさんか……。コッテン村に滞在していた頃、葡萄狩りに行きましたが、あの人、結構体力有ったもんなぁ。
「ふーん。で、戦えんの?」
「あはは。戦闘経験ないんですよ。でも、どうにか頑張ります」
「舐めてたら、本当に死ぬよ? まぁ、いいや。あと、私に敬語は不要だから」
その言い口だと死相はないのかな。
「ありがとう」
フランジェスカ先輩の異動をフロンもどうにか認めたようですね。確かに戦闘能力は皆無かもしれませんが、私が先輩を守ります。そして、経験を積んでもらって、より能力を発揮できる部署に移ってもらいましょう。
そうだ! エルバ部長にフランジェスカ先輩の異動についても相談すれば良いですね。
「メリナさん、フランジェスカさんに質問は?」
巫女長よりご指名をまたもや頂きました。何故なのか……。私はまたもや焦ります。額に汗が浮いているのが自分で分かるくらいです。
「フランジェスカさんはアデリーナ様と友達なんですよね。いつからですか?」
「えっ? そりゃ、アデリーナ様の名前と顔は知ってるけど、会話したことないんだけどなぁ。あっ、あの即位の動画で私の映像もあったからか。あはは、あれ、目立ったよね」
ふむ。やはり、そうですよね。
禁書の内容が真実ならば、アデリーナ様の一方的な友達認定か。
「フランジェスカと私は見習いの時から同期で御座います」
「最初の頃は部屋も一緒だったね」
「なのに、会話がなかった……?」
スッゴい不自然!
「私も内気で御座いましたから」
「いやいや、アデリーナ様は王家の方でしたから、私みたいな田舎者なんかが声を掛ける訳にはいかないもの。今も畏れ多いと思っております」
「結構な心掛けで御座いますが、遠慮は無礼にもなり得ます」
「厳しいなぁ。でも、頑張ります」
チッ。アデリーナ様の焦る顔が見られると期待したのに、普通に返しやがりましたか。残念。
「次、私ね。フロン・ファル・トール。趣味と特技は性交――モガッ!」
素早い動きでフロンの口を手で閉ざしたのは、私でなく巫女長でした。
「フロンさん、悪ふざけにしてもお下品なのはよく有りませんよ。私達は聖竜様にお仕えする巫女なのですから」
また、まともなセリフだ……。
キレイな巫女長なんて存在するのか……。
「フランジェスカ、このフロンは魔族で御座います。気を許し過ぎないように」
「へぇ、初めて魔族を見ましたが、人間にしか見えないですね」
「フロン、私の友に手を出した場合、どうなるか分かりますね?」
「分かってるって。アディちゃんの友達だもんね」
友って単語にフランジェスカ先輩が一瞬だけ見せた戸惑いを私は見逃しませんでした。
これ、私と同じですね。一方的な想いですよ。アデリーナ様は人との間合いがおかしいんです。
「アデリーナ・ブラナンで御座います。私を知らない者はいないでしょうので、これで終わります」
「メリナさん、質問をお願いね」
ふふふ。そうなると思って、ちゃんと準備してましたよ。
“人生で一回だけ怒るって話ですけど、怒ると世界が崩壊するんですよね。うふふ、メリナ、とっても怖いなぁ。で、いつ怒るんですか?”
攻め過ぎでしょうか。
禁書を目にしたことがバレバレになりますが、それは望むところ。
巫女長とフランジェスカさんのところで、ちょっとずつ触れていますので、アデリーナ様は内心ドキドキしていることでしょう。
しかし、思い直します。我慢。もう少し我慢した方が楽しそうです。
結果、私は無難な質問をします。
「アデリーナ様のおパンツは派手ですが、誰へのアピールにそんな扇情的な物を好んでいるのですか? 無駄ですよね」
言った瞬間、ゾクリとしました。
すんごいアデリーナ様の目が冷たいのです!!
どうしてっ!? 禁書には触れていないのに!?
「私だよ、私へのアピール」
黙って、フロン!
どうやら私は痛恨のミスをしたようです!
「アデリーナさんはお年頃なのよ。フランジェスカさんもおしゃれパンツよね?」
巫女長、ナイスフォロー!
私から話題が逸れた!!
そして、恥じらうフランジェスカ先輩! ちょっと可愛らしい! このタイプは新鮮です!
「最後、メリナさんね」
「はい!」
いよいよですね。
「私はノノン村出身のメリナです。るんるん。光の戦士であり、慈愛の塊です。一日一善をモットーに生きてます。るんるん。いつも心の中ではキャピキャピしてます。肩に止まった小鳥さんは焼いて食べる主義です。今日もガンバるぞっ☆彡 るんるん」
くふふ、やりきった。
さあ、アデリーナ様のご反応を堪能したい。
「は? 狂ったの、化け物」
フロン、お前が食いついたか。
良いですよ。大変に良いです。
「あれれ? 私の頭はおかしくないですよ。ねぇ、アデリーナ様?」
「…………」
チッ。無表情かよ。
「フロン、お願い。私を怒らせないで。世界が崩壊しちゃう。崩壊しちゃうの!」
追撃です。
「……何言ってんのよ? キモいんだけど」
「キモいかぁ。キッツイなぁ。ねぇ、アデリーナ様」
「……えぇ、腸が煮え繰り返りそうなくらいキモいで御座いますよ」
やった!! それが聞きたかったんですよ、アデリーナ様!! 肩が震えているのもグッドですよ!
私を爽快な気分にさせてくれます。
「メリナさん、本当に大丈夫かしら? どこかで頭を打ったの? 私の魔法で治療できると良いのだけど」
っ!?
「メリナさん、るんるんで御座いますね。私もるんるんして来ました。巫女長、早く宜しくお願い致します」
アデリーナ、お前っ!?
「巫女長、治りました! 有り難いお言葉のお陰で! 魔法を受ける前に!!」
抵抗むなしく閃光が迸り、巫女長の魔法を受けた私は嗚咽とともに反省の言葉を繰り返すのです。術の発動が終わった頃には足腰が立たなくなっておりました。
○メリナ観察日記35
あのメリナが憔悴させする程の実力者がいるとは。やはり竜神殿は底が知れない。
今日、使者が来た。
遂に動き出す時が来たのだな。アントンと共に練った俺の巫女化計画が。
俺は更なる力を得るのだろう。楽しみだ。




