禁書の秘密
「マジで大丈夫か、メリナ?」
床に踞る私の背中を撫でてくれるエルバ部長。いつの間にか戻ってきていたようです。
「うう……気持ち悪い」
「ここでは、アレだな。よし、お前の部署の小屋に行くぞ」
「ちょっと待ってください……」
「転移魔法を使う」
床の色が変わる。うぅ、また気持ち悪くなった。
エルバ部長の転移魔法は他の人と違って荒い。体が揺さぶられたみたいな感覚になりました……。
ここは確かに魔物駆除殲滅部。この板の傷は見覚えがあります。部署に来た日は毎日、お掃除をしておりましたから。
アデリーナ様の仮の執務小屋からお隣の小屋へと、ちゃんと移動したのですね。
しばらく四つん這いになって体と心を休めます。
「どうだ? 落ち着いたか、メリ――イタッ! イタタッ! ほっぺ、ほっぺを捻るな!」
「エルバ部長への恨みを晴らす時がこんなにも早く来るとは思いませんでした。よく逃げなかったと褒めてやりますよ」
「千切れる! マジでほっぺが千切れる!!」
涙目になったので許してやりましょう。
「イツツ……メリナ、お前はマジで強いだろ? 硬い石でも握り潰せるだろ? そんなので私のほっぺを掴んだら、どうなるか分かるだろ?」
「少し赤くなるだけですよ。しつこいですね。私は許したんだからお互い様にしなさい」
「しなさいって……。お前、私の方が役職も年齢も上なんだからな」
「私は思うんです。敬って欲しいのを口に出す人って、心が貧しいんだろうなぁって。エルバ部長はもう少し成長しないといけませんね」
「……ぐぬぬ」
ふぅ、エルバ部長をからかうことで、私はストレスを解消できました。ありがとうございます、部長!
いつまでも立っているのも疲れますので、私とエルバ部長は部屋の真ん中にあるテーブルを挟んで着席します。いつもなら奥の机に座っているアシュリンさんが居なくて「魔物でも狩りに行ったのか」と一瞬思いましたが、あの人はもう退職したのでしたね。
ちょっと寂しい。
何日か過ごしたら慣れるものなのでしょうか。あの強烈な拳骨でさえ、良い思い出となりそうです。
「で、メリナ。あれを読んだ感想はどうだ?」
感傷っぽい感情に浸っていた私にエルバ部長は唐突に尋ねてきました。
「えっ? んー、手の込んだ仕掛けにしては、アデリーナ様が秘密にしたかった内容ってのが今一分かりませんでした」
「だな。同感だ。アデリーナが後世に残したいと言っていた箇所は長かったが、大した内容ではなかった。マジで」
「は? 大した内容じゃなかった? 私、頭が割れそうに痛くなったんですけど、そこ! どの口で言ってんですか! 今度はぐいーって引っ張りますよ!」
「真面目に考えろ、メリナ。最初のアデリーナ10歳のところ、あそこにはおかしな点はなかったか?」
何故に私に訊く? 自分で考えなさいよ。
「おかしな点しかなかったんですけど? それに、私、アデリーナ様の小さい頃なんて知らないです。エルバ部長の方が詳しいのでは?」
「私が神殿に入ったのは、アデリーナが巫女になってからだ。それまでは学校で魔法研究を研究していた。だから、マジで知らない」
「じゃあ、んーと、はい、私はるんるんが気になりました」
「何でだよ!? フローレンスの奴隷商とか、見習い殺しとかあっぱいあるだろ!」
「いや、だから、おかしい点しかないって言ったじゃないですか。そもそも、あれ、本当にアデリーナ様が幼い頃に書いた文章じゃないですか?」
「……何故、そう思った?」
「巫女になったところで終わって、その後は私が神殿に入ったところで始まったから。一気に続けて書くなら、その間も普通は書きますよね?」
「……なるほど」
「私の頭に浮かんできた文字では分かりませんが、インクの種類とか筆跡とか違ったんじゃないですか?」
「……言われてみればそうだな。メリナ、お前、マジで賢いな」
いや、インクとか筆跡の情報があるなら、むしろ、お前が気付きなさい。調査部部長として役に立ちなさいよ。
「つまり、あれはアデリーナが子供であった時の1種の小説であろうか」
「くふふ、痛々しいですね。確か、最後は『新しい世界が来るんだね』でしたよね? くふふ。私も新しいアデリーナ様の一面を拝見できて、るんるんです。るんるん」
「止めてやれ。誰しも若気の至りはあるものだ」
あー、エルバ部長もご自分の若気の至りに悶絶していましたよね。ガチの戦闘が始まると思ったのに、あれには拍子抜けしました。
「メリナが登場してからは、どうだ?」
「感想なんて無いですよ。もう嘘だと分かりましたから。部長はどう思いました?」
「いや……。アデリーナは性的にメリナに興味があったのか、大変だなと思った。あそこで読むのを止めたら大変な事になるところだった」
「性的とか言うんじゃありません!! うわっ、また、肌がゾワゾワってした!」
「いや、お前ら、仲が良いだろ? 実は『恋仲でした』とかが判明したら気まずくなるなと思った。わはは」
「わははじゃないですよ。私はあのせいで記憶を失くしたんですから」
「そうなのか……。まぁな。お前らが付き合っていただなんてなったら、神殿も王国もマジで大混乱になっていたであろう。それくらいの衝撃だった。あれは表に出せん。で、禁書となり得る箇所はあったか?」
「部長、今、自分で言いましたよ」
「そうだが、そうじゃなくて、それ以外で気に掛かる部分はなかったか?」
「オロ部長が芋虫だとかミミズだとか書かれているところですかね」
「それは、ただの悪ノリだろ」
アデリーナ様とオロ部長はお酒友達らしいから、2人にしか分からない笑いとかあるのかもしれません。私が読んでも面白味が分からなかったし。
「じゃあ、巫女長の復活? 精霊食いによる分裂体の暗喩ですかね」
「うーん、マジで分からんな。確かに珍しいことだが、アデリーナが伝えたいことではなさそうだ」
は? 私に意見を求めたのに全部否定された。こいつ、絶対に上司にしたくない。
「んじゃ、やっぱり歴史のところに何か大切な事が書かれてるんじゃないですか。ほら、ブラナンの記憶が残っていたとか、知らない人が読んだら衝撃ですよ。これで納得行かないなら、エルバ部長お一人でお考えください」
「う、うむぅ……。でも、それじゃ、メリナ避けの文章の意味がな……」
まだグチャグチャ言おうとしている部長を尻目に立ち上がろうとした時でした。もう1つ、私は思い付きます。
「あの歴史の部分も間違いがあって怪しいですよ」
「さすがだ、メリナ。言ってみろ」
えっらそー!
「小難しい話が始まる直前の『大魔王に立ち向かった7英雄』のところです」
「なにが間違いだ? 全然分からんぞ」
「聖竜様、マイアさん、フォビ、カレン。物語では、この4英雄だとされています。でも、本人達が歴史を書き換えた結果でして、実はブラナンとヤナンカもいるんで、6英雄ですよね。7ではないです。アデリーナ様、数字を書き間違えたのでしょう。他の部分にもきっとミスがありますよ」
「しっかりしろ、メリナ。7英雄だ。竜であるスードワットを入れて良いのか疑問があるがな」
「は? 竜差別ですか!? 竜神殿の巫女なのに竜を排除するんですか!? 本来なら聖竜様のワンオペによる大魔王討伐としたいところを、チョー妥協して人間を入れてやったのに!! そして、何にしろ7じゃない!」
「まぁ、待て。もう一度私が名前をあげて数えてやろう。スードワット、フォビ、カレン、マイア、ヤナンカ、ブラナン、で、あと1人は……あれ? 出て来んな。ド忘れしてしまった……。えーと、あれ? 何だかぼんやりするなぁ。メリナ、とにかくあと1人いる気がする」
「エルバ部長、見苦しいですよ。大丈夫です。賢いモードじゃない部長には期待薄ですもの。でも、ご自分が勘違いしていた事はちゃんと認めましょうね」
「……むっ、ふむ、そうだな。すまない。ちょっと待て」
エルバ部長は目を瞑りました。
しばらく沈黙が続き、私は暇になります。
ハァ、今日はフロンやルッカさんも小屋に来ません。私しか出勤していない状況って、大丈夫なのでしょうか。私、実は部署の仕事してませんよ?
だから、アシュリンさんが所属していた時みたいに薬師処からの素材調達依頼とか引き受けられませんよ。
……あっ、その懸念を解消するために、薬師処からフランジェスカ先輩が異動してきたのかも……。
「メリナちゃん、お待たせ――痛っ! 痛い痛い!! ホッペが裂ける!!」
ふん。お前が私を苦しめた元凶です。存分に痛がるが良い。
「ひっどーい。メリナちゃん、ひっどーい!」
「ひどいのはエルバ部長です。嫌がる私に無理やり本を読ませるだなんて! で、どうしたんですか?」
「大昔の記憶を引っ張り出してきたんだよ。だいぶ前の依代の時だったから大変だった。7人目は居たよ。私は見てないけど、話に聞いたことがあるの」
「ふーん」
「でも、名前の記録が欠けてるみたいなんだ。これって異常だよね」
記録が欠ける?
またややこしいことを……。
私はもう頭をフルに回転させたので、難しいことを考えたくないのです!
「賢いモードの部長が言うのですからおかしいんでしょうね。でも、もうこの話は止めましょう。2000年も前のことを突き詰めても得しませんよ」
「そこにアデリーナちゃんが丹念に隠した理由はあるんだと思うよ。私は知りたいから、メリナちゃんに協力してもらいたいなぁ」
「嫌です」
「人事に口添えの件、忘れてないかな?」
「よし! 一緒に頑張りましょう」
「心当たりある?」
「マイアさんに尋ねたら良いんですよ。あの人、生きる辞書だから」
「なるほどねぇ。メリナちゃん、冴えてる。彼女は大魔王討伐の当事者だもんね。で、どこにいるの?」
「聖女イルゼに連れていって貰います。毎朝、アデリーナ様の所に来ているらしいので、明日にしましょう」
「うん、分かったよ。じゃあね」
エルバ部長は椅子から飛び降りて去っていきました。私はやっと落ち着けると一安心しまして、お茶を淹れるためポットとカップを棚から出すのでした。




