剣王の念願
ベセリン爺にエルバ部長を食堂に案内するように頼み、それから私は剣王の部屋へと赴いてノックします。
魔力感知を用いて、そこに邪神がいることは把握済みです。
「ん? どうした?」
ドアを開けたのは剣王でした。顔の傷が精悍に見せます。
「邪神に話があります」
「そうか。手荒な真似は止めてくれよ」
「話を聞くだけです」
鍛え抜かれた太い腕で剣王は扉を大きく開け、私を室内へ通します。ベッドの上に邪神がいつもの幼児の姿で座っていました。
「ソニアちゃんは?」
「あぁ、あいつの母親とか言うのが見つかってな。今、迎えに行っている」
あー、あの能天気な人。帝国から逃げていたソニアちゃんが偽装するために使用人を母親と呼んでいたでしたね。
「めりゅな、みじゅ、のみゅ?」
「飲みません。だいたい、それ、毒なんじゃないですか?」
「ひじょい」
「おい、メリナ。俺の嫁がそんな下らないことをするはずがないだろ」
そうは言ったものの、剣王に怒気はない。
部屋の真ん中にある小さな丸テーブルへと案内されました。
「ミミもこっちへ」
「あいー」
ピョンとベッドから飛び降りて、椅子へとやって来る邪神。
「で、話ってのは?」
剣王が仕切る。何故か仕切る。
「禁書――」
「いやー」
まだ単語を出しただけなのに拒絶でした。
「いえいえ、知ってるかどう――」
「いわにゃい」
邪神が私の意思を無断で読んでいるのは間違いないでしょう。
無理矢理に喋らせたところで揉めるだけ。禁書の内容を知りたいのは、私でなくエルバ部長ですので、食堂に下りてもらうだけで良いか。
「りょーきゃい」
会話不要なのが何だか凄く気持ち悪いですが、移動の了承を得たので、私は席を立とうとします。
「待て。いや、待ってくれ」
剣王が座ったまま、私を見据えて言いました。
「良いですよ。待ちます。何かあります?」
「結婚式が終わったら俺と決闘してくれるとの約束だった。頼む。受けてくれ」
深々と頭を下げられまして、両手を付けるテーブルに前髪が触れるくらいでした。
「承知しました。私の用件が終わればお相手しましょう」
剣王の愚行にパウスさん、アシュリンさんは制裁をしました。しかし、私は神の化けたパットさんを追うのを優先して、その制裁祭りに参加できなかったことを覚えています。
「幼い子供に手を出した罪を反省してもらいましょうかね」
「……いや、戦士の誇りを賭けての戦いが良いのだが……」
「は? 帝国や諸国連邦ではどうか知りませんが、この王国では子供に手を出すなんて変態扱いですよ」
「いや、なんだ。ソニアはちゃんと成人していたし、ミミも今はあんな体だが大人に変身できるんだ」
「言い訳は無用。剣で弁明しなさい」
「っ! 剣で!? ……あぁ! 強くなった俺を見てくれ!」
「ふん。今さら何を言っても変わらないのです。お前らの結婚自体は祝福してやります」
「ありゅがとー。みじゅ、のみゅ?」
「ソニアも喜ぶぜ」
エルバ部長が待つ食堂へと入る。
各々が席に着いたところで、ベセリン爺がお茶と軽食を運んできました。
「それが邪神だったか。マジで子供にしか見えないな」
「おみゃえもこどもー」
はい。2人とも幼長はあっても子供の外観です。
「メリナ、邪神にこちらの要望は伝えたのか?」
「伝えましたけど、言うのは嫌らしいですよ。あとはエルバ部長に任せたいと思います」
「そうか。ふむ。では、まず――お名前は何って言うのかな?」
いきなりエルバ部長の口調が変わって、こういう事もできるんだと感心しました。
「いまはみみー」
邪神も精霊。そして、エルバ部長賢いモードも精霊です。2匹が会話を交わす珍しい光景に学者さんなら興奮するかもしれませんね。
「れいのほん、おしえりゅー」
「そうなんだね。お利口さんで良かったの」
私の時はにべもなく拒否だったのに、何たる心境の変化。
「めりゅながじょるにかっちゃらー」
「じょる? メリナちゃん、知ってるの?」
「剣王ゾルザックです。目の前にいる剣士です」
ってか、帝都での精霊ベーデネール討伐戦で、集められた中に剣王も居たでしょう。
調査部の人間が忘れているのって、どうなんでしょうかね。
「あぁ、俺の事だ」
「メリナちゃん、勝てる?」
むっ。賢いモードのエルバ部長のくせに失敬な。
「無論。10を数える間に地へ沈めてやりましょう」
「すまねーな。しかし、胸が高鳴るぜ。世界最強の拳王に挑める喜びは隠せねー」
戦士とはそういうものなんでしょう。
私は黙って立ち上がり、食堂を出ます。
パウスさんとアシュリンさんとミーナちゃんとお母さんの猛攻に耐えていた剣王。恐らくは本人の自信の通りに、以前よりも遥かに強くなっているのでしょう。
北西門を出ます。ここは記憶を失くしている時に寝泊まりした場所です。なので、顔見知りの門番さんもいて、私は会釈します。ぎこちない笑顔を返して貰いながら、私は通門料を払いました。酷い。
「なんで、部長は無料で私は有料なんですか!?」
「さっき、あいつらも言ってただろ。アデリーナの命令がまだ有効なんだって。メリナに巫女の特権を与えるなって」
「くそぉ。アデリーナ様の怠慢ですよ! 私が記憶を戻したから、その命令に意味はないじゃないですか!」
靴下の中に金貨が入ってなければ、私は無一文で恥を掻くところでした。朝の私、グッショブです。
さて、私と剣王は街から離れた草むらの上で対峙します。もう暗くなり始めていまして、剣王の顔も確認しにくい状況です。
立会人はエルバ部長。剣王の背後に邪神が居ますが、私達の戦闘を邪魔する気配はありません。剣王の念願に水を差す意思は全くないのでしょう。
「それでは、私が『始めっ!』って言ったら開始だぞ。メリナ、開始前の攻撃はマジで不戦敗にするからな」
「そんな卑怯な真似をしたことはありません。それよりも始まったら、10からカウントダウンをお願いしますね」
「分かった」
全身の筋肉に異常がないことを柔軟体操で確認してから、私はどっしりと腰を落として構える。
拳はまっすぐ剣王に向け、もう片方は心臓の近くに引く。
剣王も鞘から抜いた刃の切っ先を私へ静かに向けました。
「本気で行きます。死んだらすみません」
脅しではありません。
先程も思った通り、お母さんを含む強者に囲まれても立っていた男です。
舐めて掛かっては誤算が生じると感じています。
「強者との戦闘で死ねるなら本望だ」
ふん。生意気にも鋭く良い眼をしていますね。
風に揺られた草の葉が音を出す中、エルバ部長の号令を待ちます。
「始めっ!」
開始前から体内で練っていた魔力を一気に放出する。それによって強大な衝撃波が私を中心に発生し、周囲を薙ぐ。
氷の槍を射出してから、視界を遮る土埃を追い抜く形で突進。
剣王は上段の構え。当然に私よりも攻撃の間合いが広く、先制は彼からでした。
雷光よりも速い、風切り音さえしない一閃。そんな凶刃が私を襲っていました。
見切る。踏み込む。振りかぶる。
一連の熟練された私の動作は川を流れる水よりもスムーズ。
剣王の一撃で遠くの方まで地が裂ける。しかし、私には当たっていない。
渾身の一撃を剣王の首もとを狙って振るいます。
「キェェエエエーー!!!」
魔獣の咆哮に近い剣王の気合いが私の耳をつんざく。そして、以前よりも一回りは大きくなった腕で、振り下ろした魔剣を強引に引き上げる。
しかし、私の腕の方が速い!
骨を砕くどころか体を貫く勢いで剣王を強打します。
が、ヤツは耐えきる。硬いっ!
剣王の口からガハッと息が漏れるものの、吹き飛ばずにその場で踏ん張ります。
ほんとに生意気ッ!!
斜め下から私の胴を斬りに来た剣を横目に確認しながら、一歩踏み込む。
剣王に当てている腕は曲げ、尖らせた肘で首を打ちに行く。それを避けるため、また、剣の間合いに私を入れるため、剣王はバックステップを踏もうとする。
遅いっ!
浮き上がろうとした相手の足を踏み抜く。次いで、体を回転させながら肘で喉へ痛打。
そのまま外へと離脱します。
開始と同時に射出した氷の槍が倒れた剣王の上を去っていきました。最初の攻防で倒しきれなかった時のために出した氷の槍でしたが、それらが届くまでの瞬時で私達の決着が着いたみたいです。
エルバ部長に10を数えてもらう必要はなかったか。
「えっ、マジか……。もう終わったのか?」
「はい」
痙攣する剣王を見下ろしながら答えました。うん、演技からの不意打ちはなさそう。
「ほとんど見えなかったんだが……?」
「最近の私は加速するんですよ。成長しました」
その私を捉えて剣を振るった剣王も間違いなく成長していました。王都最強と自負していたパウスさんよりも強くなっているのだと思います。
邪神に勝ったというのもあながち嘘ではなさそうです。
さて、街の宿屋へと戻ります。
剣王は元気がなく、エルバ部長は驚きの余りか放心気味でして静かな道中でした。
○メリナ観察日記34
また完敗だった。
己の限界はここなのか。いや、そんなことはない。
俺に足りないものは何だ!?
分かっている、薄々と気付いている……。




