ダンスをしてないダンスホール
「おい、メリナっ! アデリーナはあそこにいるぞっ!」
「もご、もごもご」
お口いっぱいにパンを堪能しておりますので、こんな返事になりました。
「メリナっ! ふざけるんじゃない!!」
「もー、もごもご」
なお、両手もパンで塞がっております。
「チッ! もう良いっ! 黙って付いてこい!!」
まぁ、野蛮な言いっぷりです。
この美しいドレスを纏った私の横には相応しくない女性です。
私はアデリーナ様を指差しつつ、アシュリンさんに伝えます。
「もご、もごもごもご、もご、もーご?」
「あん? あぁ、確かにアデリーナは誰かと話をしているな。分かった。少し待つか」
完全な意志疎通ができました……。
普段は私の意見なんか聞きやしないのに。
アレですね。こいつに言葉は不要だったということが分かりました。
アシュリンさんは端に行って柱に凭れていまして、そのまま待機することにしたみたいです。皆が正装をしている中、ピチピチの黒一色の巫女服を着た短髪の背の高い人ってのは、まるで今から出し物をする人なのかなと勘違いされそうでした。
恥ずかしいので、遠くに離れます。
「メリナ様! どうですか、パンを食べてくれてますか?」
今朝、宿で別れたきりだったハンナさんが多くのパンを運びながら挨拶をしてくれていました。
後ろには彼女の甥っ子もいますね。お手伝いのようです。
「もご、もごもご」
「えっ? 何ですか? あー、でも、食べてくれてるんですね! ありがとうございます!」
やはり彼らが作ったパンでしたか。
王都で指導係だった私も誇らしい。
「ごっくん。ぱく。もぐもぐ、もぉぐもご」
「あはは、頬張りすぎで何言ってるのか分からないですよ。でも、嬉しいです。はい、これ追加です」
パンを口に入れて、やっと両手が空いたと言うのに、ハンナさんはパンをお盆ごと私に渡したのでした。嬉しい。
さて、他に面白い物がないか、会場をブラブラします。
「あれはメリナ公爵閣下? 今日は着飾っておられますね」
「不祥事で公務停止中と聞いていたが、昼間は普通に陛下と談笑していたのを見たぞ」
「えぇ、私が聞いた噂では、事故で頭を打ち、おかしくなったとか」
「あの謁見式の奇跡の場にいた私としては、早く元に戻って欲しいと願うばかり。何でもロクサーナ様の難病もあの時に治癒したとか?」
「あくまで噂であろう」
「今日の合同結婚式、メリナ閣下のプロデュースと聞きましたが、そこまで悪いものではありませんでしたね」
「平民どもが宮殿に入り込んでいるのを無視すればな。全く……。薄汚い成り上がり者の――」
「聞こえますぞ、あの方に」
聞こえていますよ、私に。
シャールの貴族の方々ですね。お付き合いで参加してくれているのでしょう。
ご迷惑をお掛けしていますから、挨拶しておきましょうかね。
「もご、もご、もごもぐもご」
「ひっ」
「これはこれはメリナ・デル・ノノニル様。今日は素晴らしき日で御座いましたな。新しく夫婦となった者共に祝福を」
「もご、もごご」
喋れない代わりに、にっこり笑ったらパンが口からはみ出しそうになりました。
私の気品に気後れして青白い顔をする彼らが気の毒で、私はその場を去りました。
サルヴァが手を振ってくるのは見えましたが、それは視界の外へ出しまして、あっ、あっち。何だろう。いっぱい人がいます!
面白そうだから近付きましょう。
「もごもごもご」
「うん? 押すなよ。あっ、メリナ様……。どうぞ、どうぞ!!」
混雑する人の波を特権で掻き分けつつ、私は前へと進みます。盆に入れたパンを落とさないよう、周囲の動向にも注意しつつ慎重に動きます。
遠くにはエナリース先輩も見えましたが、背の低い先輩は懸命に背伸びして、何の集まりか見ようと努力されていました。良い物でしたら、私がご案内しますよ。
デカデカと看板が立てられて、『メリナズキッチン』そんな文字が書かれていました。
皆の注目を浴びているのはパン職人達の中の問題児ビーチャです。いえ、正確には違います。注目を浴びているのは、巫女服を着た私、を型どった模型。
本当に精密に作られていて、鏡の中の自分を見たかの様な錯覚になるくらいでした。髪の毛1本1本まで再現されています。
「見てくれ、これは俺が数年の歳月を全て注ぎ込んだメリナパン最終進化形だ!」
メリナパン。
昨年もデュランで見たのを思い出しました。丸いパンに各種の食材を乗せることで私の顔を表現したもの。デフォルメされていて可愛らしいパンだったのですが、他人に自分の顔を齧られるのは嫌だなと後々に思ったものでした。
あの時、ハンナさんは言っておりました。「最初はメリナ様の頭部で量産しようとしていたから阻止しました。生首が並んでるみたいで気持ち悪かったから」。こんな感じの言葉があったと記憶しています。
折角、阻止されたのに、この愚か者ビーチャは完成させてしまったんですね……。
あっ、そっかぁ、今朝、宿を出る時に布袋を担いでいましたね。これを入れていたのか。
しかし、凄まじい造形力。こいつ、無駄な才能だけはある。パン職人よりも芸術家になった方が出世したんじゃないかな。
周りからも余りのレベルの高さに驚きの声がしきりに上がっています。
「それじゃ、今から試食タイムに入るからな。欲しいヤツは皿を出してくれ」
ふむ、味わってやりましょう。
私は率先して一歩前に進み、結果、この世で最も早くメリナパンを食べる人間となりました。
「あっ! ボス!! いやー、やっぱり最初に食べてもらう人はボスが良いって思っていたんですけど、願いって叶うもんなんですね!」
願いが叶うというフレーズに、憎たらしいフォビの顔が脳裏に浮かびましたが、ビーチャは男だから関係ないですね。
「もご」
「は? 何食ってんですか? あー、それ、モーリッツとデニスのパンですね。んなもんよりもっと旨いもんを食わせてやりますよ」
「もごご」
期待していますと、私は答えました。
ビーチャは鮮やかな手付きで鋭く光を反射する包丁を操り、メリナパンの顔半分を剥ぎ取る。
それが私の持つお盆に乗せられました。
「もご?」
「旨いっすよ。食べてみてください」
……いや、とてもリアルで気持ち悪いんだけど? これ、肌質とかどうやってパンで表現してるんです? 死体と違うのは、瞳に力が籠っている点ですね。
「ごっくん。ぱく」
顎に近い部分を千切って、口に入れました。
うまっ!! 今まで食べていたパンは絶品だと思っていましたが、このメリナパンの味を知ると、最早2流品。
薫り、食感、全てにおいて絶妙なバランス。
クソ、ビーチャめ。普通にパンを作った方が良いでしょうに。変に捻るから純粋に誉め難くなるんですよ。
「ボス、どうですか?」
「味は凄い……凄く美味しい」
「うっしゃー!!」
握り拳を挙げて体全体で喜ぶビーチャを殴り付けるのは忍びなくて、私は静かに集団を離れます。
「よし、ボスの分は終わったから、皆に配るぜ。まずは左目。左目が欲しいヤツは前に出な! その次は半分になってるけど鼻な!」
少し空気が沈んだようにも感じましたが、誰かが左目を貰ったのが聞こえ、それを機にまたもや熱気溢れる雰囲気に戻ります。
いや、この眼球も本物っぽい質感で口に入れるのを躊躇う程です。
「メリナ、何の騒ぎだったの?」
集団から離れるのを、目敏くエナリース先輩に見つかったようです。
しかし、私が返答する前に、お盆の上にある私の顔面右半分を見て無言で去っていきました。
「エナリース、あの人達がどうして集まっているのか分かった?」
「アンリファ、ダメ。あれに近付いちゃダメ……」
「どうしたの? まぁ、涙まで……。泣かないでエナリース。いつもの太陽のような笑顔を見せて」
「ありがとう、アンリファ。でも、近付いちゃダメ。顔を斬られるわ。メリナも可哀想に綺麗なお顔を……。うぅ、ぐすっ」
「大丈夫よ、エナリース。ほら、見てご覧なさい。メリナの顔はいつも通りよ」
「ううん、アンリファ。メリナは凄く回復力高いから。私達なんて、ざっくりヤられてお嫁に行けない姿にされるわ」
「悲しまないで、エナリース。大丈夫、私は近付かないわ。うふふ、メリナの尋常じゃない生命力に感謝ね」
……きれいに纏めたつもりなのでしょうか。
2人は笑い合っていました。
さて、漸くアデリーナ様の会話が終わったようです。
アシュリンさんもそれを認め、私に目で合図をしてきました。
仕方が御座いませんね。行きますか。
「ご機嫌あそばせ、アデリーナ様」
私は軽やかに挨拶をします。
っ!? ヤツの顔は上機嫌だ!?
私はすぐにその原因が手に持つ細いグラスにあることに気付きます。
酒です。淡く黄色い液体の中に泡が幾つも見えました。
「おほほ、ほろ酔いですのよ。おほほ」
なんだ、その笑い方は。未だかつて聞いたことがないんですけど。
「何しに来たの、化け物?」
巫女服からドレスに着替えているフロンもその横に立っていて、満足そうです。
元から軽薄な女だった為、この華やかなパーティー会場においてはその容姿は見事なものでした。
「おほほ、おほほ。おほほ、おほほ」
壊れた様に笑うアデリーナ様は怖い。
しかし、アシュリンさんは物ともしません。
「おい、アデリーナ。メリナが稽古を付けてくれるとのことだっ!」
「おほほ。おほ?」
なんだ、それは? お前、このパーティーをそれで乗り切るつもりなのか?
「は? 稽古って、その美名の下にアディちゃんをどうにかする気?」
フロンの当然の指摘を受け、私はダメリーナを一瞥してから答えます。
「ククク、こんな感じで面の皮を剥いでやりますよ」
ビーチャ特製のメリナパンを指で摘み上げ、2人の目の前にビロンと広げます。
大丈夫。酔った今のあいつは「おほおほ」しか言えない。記憶も怪しい。
「化け物! 恩を仇で返す訳っ!?」
「恩? そんな物、貰ったことないんですけど? 山羊の頭でも移植してやりましょうかね。ほら、お父様とお揃いに――」
ここで、私は言葉を止めざるを得ませんでした。
「ほぅ。面白いことを言う」
私の喉元に剣先を向けながら、正気を戻したアデリーナ様は嗤うのです。
「ジョークですよ……?」
「理解しております」
「祝いの席ですし……」
「理解しております」
じゃあ、剣を下ろして欲しいなぁ。
「おほ、おほほ」
「気持ちの悪い笑い方で御座いますね」
「心からそう思います……」
同意したのに、剣がちょっと前に出されました。酷い。




