敵だと思ったものですから
パットさんは上を向いて気絶していました。
「こんな弱い神様がいますかね?」
「さぁ、どうで御座いましょう」
揺さぶってみます。
「うー、うーん。あれ? メリナ様?」
わざとらしいようにも、パットさんのいつも通りの振る舞い方にも思える感じでした。
「あれだけ飛ばされたのに無傷で御座いますね。痛がりもしてない」
なるほど。そうですね。顔面を強く叩かれたのです。痣が出来ていないと不自然ですし、パットさんの体内の魔力量なら首を痛めていないとおかしい。
「貴方が神様で御座いましたか?」
アデリーナ様の言葉は感情が籠っておらず、大変に冷たかった。
「えっ? あはは、アデリーナ陛下、何を仰っているのでしょうか。私はパトリキウス・デナン、クリスラ様の祐筆だった男ですよ」
チラリとアデリーナ様は上を見ます。その行動の意味を私は分かります。木で遮られているものの、ルッカさんの動きを気にしたのです。
「メリナさん、イルゼをお呼びしましょう」
帝国領で始末するおつもりですね。心強い!
「分かりまし――」
返事をしながら振り返っていた最中に、転移魔法が近くで発動。
ルッカさんの襲撃という可能性が浮かび、私は気を引き締めて戦闘体勢に入ります。
出現とともに殺してやる。
私の拳は空振り。その魔力変動は囮でして、ちょっと離れた所に発生した2つ目の魔力変動からマイアさんが現れたのです。
「物騒ですね、メリナさん。まさか貴女に殺されそうになるなんて」
「いえ、すみません。敵だと思ったものですから」
とは言え、マイアさんは経験豊富ですね。転移魔法の弱点は魔力変動と出現の間にタイムラグがあること。こんな安全対策があったとは。勉強になります。
「で、どうしたんですか? クリスラさんの結婚式は終わったんですか?」
「うん? ちょっと気になることがあってね。途中で抜けてきたの」
マイアさんは倒れたままのパットさんを見詰めます。じっと見詰め続ける。
「マ、マイア様?」
「静かに。私は精神統一中」
その間、私達は黙って見守っていました。登場のタイミングを外したのか、または、舞台の上にいる獲物にじっくりと狙いを定めているのか、隣の木の後ろにいるサブリナも静かでした。
「ふーん。どういうつもりか知らないけど、久々ね、フォビ。どうして私から逃げたの?」
マイアさんの口から出たのは、アデリーナ様の推測を肯定するものでした。
「いえいえ、マイア様。私の名はパットですよ。しがない無職です」
「いいえ、貴方はフォビね。うまく魔力を隠蔽しているけども、打たれた頬の部分の術式修復が不十分よ。私の目には漏れているのが分かる。それに、あんたは女性に会ったら、胸を見て顔を見てから胸に再び目を遣る癖があるのよ。2000年前から治ってないわね。呆れたわ」
……うわぁ、その癖は気持ち悪いなぁ。
「イルゼに連れられて地上に出た時に、懐かしくも悍ましい視線をありがとう。でさ、場所を変えて話をしたいんだけど」
マイアさんも上空を気にして、そう言いました。
「じゃあ、帝国領か諸国連邦領か、それよりもっと遠い所でお願いします」
この男を殺すところを聖竜様に気付かれることを避けるためです。
「分かったわ、メリナさん。では、精霊を倒したあの洞窟にしましょうか」
離れた舞台では乱戦が行われていましたが、その騒がしさは一瞬で消え、視界が真っ暗になります。そして、ひんやりとしているのに湿った独特の空気。
高度な魔法技術を誇る大魔法使いマイアさんによる鮮やかな転移魔法です。聖女の転移の腕輪にも匹敵する見事な技でした。
私は照明魔法。パットさんに化けた神もちゃんといて、さっきのまま地面に倒れている状態です。その横に、マイアさんとアデリーナ様が立っています。
それから、ナイフを持ってまだ震えているサブリナもいました。
「マイアさん、関係のない方も巻き込んでるんですが?」
「メリナさんのお友達でしょ? 可哀想に酷く悲しんでいるじゃない。フォビは女癖が悪いから、また犠牲者が出たのね」
……そういう勘違いでしたか。
「サブリナ、少し待ってね。終わったらシャールに戻るから」
「メリナ……。私は誰を殺したらいいんだろう……? お兄様かな、雌ブタかな……?」
「えっ、うーん、ちょっと考えてみるから待ってね。ちょっと片付けないといけないことがあるからね」
サブリナの口から雌ブタって単語が出て驚きました。しかし、私はやってしまわないといけないことがあるのです。
「フォビ、早く謝りなさいな。可哀想に、その娘、思い詰めてるじゃないの」
「ま、待ってください。私はパットです。フォビなんて人じゃないですよ。その女性も初めて見る方ですよ」
往生際の悪い男です。
それにサブリナは初見じゃない。パットさんが司会した貴族学院でのクラス対抗戦で見ていたはずです。
「今から全力で殴ります。アデリーナ様、本当にパットさんがパットさん本人だった時は、申し訳ないんですが、何も見なかったことにしてくれますか?」
「無論。行方不明の男が1名出るだけのこと。大したことでは御座いません」
「マイアさんも良いですか?」
「フォビ、早めに正体を白状なさい。メリナさんは凄いわよ。2000年前に居たら、私達の誰も不要だったと思うくらいに」
「いや、そう言われましても――」
喋っている最中で申し訳なかったのですが時間稼ぎの可能性もあるので、私は渾身の力で地面に接して逃げ場のないパットさんの頭部を正面から叩きました。
鼻と上顎の骨を砕いた感触は伝わってきたのに、そこで異変。急に堅くなって、私の拳が押し戻されそうになりました。
「ウォーーーッ!!!」
負けません。思いのままに叫び、気合いを込め直して、頭を圧し潰してやります。
が、パットさんの姿が消える。勢い余った私の拳が地面に大穴を開け、土埃が立ち上ります。
「確かにマイアの言う通り、その娘は中々やるな」
チィィっ!! 背後っ! 裏拳で仕留めてやる!!
しかし、私は身動きできず!! クソっ!
「アデリーナ様、お願いします! 私は動けませんので!」
声は出た。どうも体内の魔力の流れを制御されたみたいです。
「私もで御座いますよ。魔法も禁じられました」
なっ!? 役立たず!!
「やっぱりフォビだった。随分なご挨拶ね」
「マイア、無事にこちらに出て来れたようで何よりだ」
背後にいるので目では見えない。でも、明らかにパットさんではない声。
「今はヤナンカがあの空間に籠ってるわよ」
「そうか。あいつも苦労したよなぁ」
体は動かない。魔法も出ない。どうしたものか。
神を殺せる機会を逃したくない。
ということで、次の手を考えましょう。
「さて、メリナであったか。ルッカとワットから聞いておる。我が天使になりたいとのこと――」
うるせぇです。それはお前を誘き出す罠ですよ。
「しかし、それは残念ながら叶わない。我は目的を達した為に神を引退する予定である。この度も引き継ぎでこの地に降り立った。色々と雑務があって、あー、投げ出したい。今すぐ残務も投げ出したい。あっ、マイア、今のワットには秘密な」
私の準備は着々と進んでいます。が、まだ途上。独り言を続けなさい。
うん、魔法は使えないけど魔力操作は行けそう。
「目的? 私を空間から出すこと?」
「うむ。それが終わったから、俺は自由に生きたい」
「……分からないわね。神は自由じゃない?」
「自由じゃない。詳しくは言えないが、全く自由じゃない」
よし。準備完了。
本当は体内の魔力を動かしたいところだけど、そっちは無理だった。神ってヤツの方が制御の力が強いのかも。癪だけど。
「サブリナ、あの男が剣王を誑かしたんだよ」
「メリナ、ありがとう」
「驚かないでね」
「はい」
サブリナはこれで私に全面協力してくれるでしょう。
壁の中や天井の奥、地中に集めた魔力で石ころ大のブロックを形成し、一気に男へ勢い良くへ放出する。尖らせたいけど、複雑な形を作るより数を優先。
「おおっとっと。凄いじゃじゃ馬――」
喋る余裕を見せた事に立腹してしまいそうですが、ここは冷静に。
「いっ! 痛っ! 結構キツいな……」
ククク。神と名ばかり。ダメージは普通に入りそうです。
仕上げに一枚だけ鋭く円盤にした魔力の塊で、サブリナの手首を切断。手にしていたナイフが宙に浮く。
円盤はそのまま男に向け、ナイフを何回かブロックで方向を調節しながら、男の頭上から狙う。
魔力感知的には見事に刺さったと思います。
動けるようになったカラダで振り向き、同じく自由を回復したアデリーナ様の剣とともに男を殴る。
もうパットさんの姿ではなかった。ただのやせ型のおっさんです。ひ弱そう!
ナイフは頭に刺さってるのに動いてる! サブリナ、もっと猛毒を塗っておいてよ!
が、勝つっ!!
衝突音が狭い空間に鳴り響く。
絶句しました。
アデリーナ様の剣は盾で受け止められ、私の拳はもう片方の手で握り止められている。
「おいおい。話を聞いてくれよ。お前達の願いは分かっている。竜の巫女メリナ、ワットはお前に任せた。ブラナンの意思を継ぐ者アデリーナ、神になりたいならその道を示してやろう。我は女の願いを叶える者だからな」
焦りもしてないだと!?
しかし、ヤツは気になることを言いました。
任せる? むぅ、何だかお古を貰う感じで、少し複雑な気持ちです。が、飲めない条件じゃない。
「……どうですか、アデリーナ様?」
「腹立たしい限りですが、力量差があり過ぎて交渉にもなりませんよ。これ程とは……」
やけに簡単に認めやがったと思わなくもないですが、剣を押す力を緩めるアデリーナ様。私もそれに従い、男から距離を取ります。
代わりに私の回復魔法を受けたサブリナがスタスタと横を歩いて行って、男の頭に刺さったナイフを押し込みました。
すごく自然な感じだったので、誰も止められませんでした。男は呆気なく倒れました。




