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アントンの父親

 問答無用で連れてきたので最初は暴れていたアントンのお父さんですが、今は上質な衣服が汚れるのも気にせず、尻を土に付けて大人しくしています。

 その表情は顔を下げているために見えません。でも、肩も下がっていて元気がなくなっていることは分かります。


「水でも飲みます?」


 言ってから、まるで邪神のようだとは思いました。


「……貰う」


 邪神と違ってガラスのコップを魔法で出すのが難しくて、まずは氷魔法で器を作り、その中に水魔法を使いました。


 アントンの父はゴクゴクと一気に飲み干しました。少しは落ち着きましたかね。



「何か御座いましたか?」


「お前に言う必要はない――いや、もう強がる必要もないか……ふぅ」


 あらあら。お辛そうな顔です。


「どうしたのですか?」


 私は元聖女らしく、とても優しい声で尋ねます。

 恐らく、こいつはこのお城から逃亡しようとしていました。それは許しません。こいつが式に出なければ、お母さんに私が叩きのめされるのだから。


「……愚痴を聞いてくれるのか?」


「えぇ。先ほどは、昨日の約束通りにガルディスと決闘していたようですね。負けたのですね?」


「うっ……う、うむ」


「そうだとしても、何故に貴方が走っていたのですか? 決闘で変なものを賭けました?」


「変なものではないっ! ……いや、声を荒げて済まなかった……」


 偉そうな口調ですが、息子のアントンみたいに傲慢ではなさそう。


「家名を賭けたのだ。私が勝てば、アントンに家名を再び名乗ってもらう。負ければ、負ければ……」


「御家断絶でしょうか?」


「いえ。あの忌々しい筋肉男を養子とすることを約束された……」


 ガルディスを養子にか……。それはきっつい。あれを息子と呼ぶ日々を想像したら、走って逃げたくなりますね。


「名門クリエール家。先祖代々、デュランと聖女を長年に渡って支えてきたことを誇りにしてきたというのに、あのような見るからに愚かしい男を迎えるなど……耐えきれぬ屈辱……。気付けば、私はあの場から去っていた……」


「うん、辛いですね。ところで、奥様は?」


「どうにかアントンと話をしようと、こっちに来てからどこかへ行っている。……あいつが決闘の結果を知らずに済んだのは不幸中の幸いだったか。あいつは私よりもクリエールの栄誉を尊んでおったからな」


 しかし、ガルディスが遠く離れた街の貴族の名前なんか欲する訳がなくて、クリスラさんの意向でしょう。だとすると、彼女はどういうつもりでアントンの実家を乗っ取ろうとしたのだろう。分からないなぁ。


「えーと、貴方のお名前は何でしたか?」


「フェドル・クリエール」


「フェドルさん、結婚式にはちゃんと出て、息子とその嫁を祝福なさい」


「……できない相談だ。あの娘がクリエールに相応しくないこともあるが、決闘の場には私の派閥の者や一族の者もいた。決闘の敗北から逃亡した形になっている私がおめおめと姿を現すことは難しい……」


 逃亡した形って、あれだけ全力疾走なら完全なる見事な逃げですよ。しかし、私は彼を追い詰めたり、問い詰めたりはしません。

 聖女メリナ、密かに静かにここに再臨です。


「ご安心なさい。決闘の敗北を認めた訳ではない様子。ならば、私が貴方の代理となり、あの筋肉バカを打ち倒しましょう」


「メ、メリナ様が、私の味方を……?」


「不足ですか?」


「い、いえ! メリナ様の強さは十分に聖女決定戦で見せて頂いております!」


「よろしい」


「し、しかし、メリナ様は私どもに何を求めるのでしょうか……?」


 期待と不安に満ちた顔で私を見上げるおっさん。私は最高に慈愛に満ちた声色で答えます。


「アントンとコリーさんの結婚式に出席してくれたら、私はそれで満足です。それ以外に何も所望致しませんよ」


「そ、それでメリナ様にどんなメリットが……?」


「フェドルさん。私は聖女だった者。全ては愛です。麗しき親子の仲を確認できれば、それに越したことはありません」


 完璧。なお、麗しき親子の仲って言うのは、実は私とお母さんのことを思っております。


「おぉ、メリナ様……。私は誤解をしておりました」


「そのようですね。しかし、分かって頂ければ構いませんので」


 ふぅ、何とかなりました。あとは、ガルディスを適当にボコってフェドルさんを安心させてあげましょう。


「メリナ正教会に改宗する者達の気持ちを少しばかり理解できそうです」


「それはしなくて良いです、絶対に。あれは邪教だとお考えください」


「……なんと謙虚な……。昨日までの私の態度を深く謝罪致します」


 ふむ、満足です。


「さぁ、お行きなさい。先に行ってガルディスにまだ敗北していないことを伝えるのです」


「メリナ様は?」


「ゆっくり現れた方が盛り上がるでしょう?」


「なるほど! 分かりました!」


 元気を取り戻したおっさんは、意気揚々と去っていきました。

 さぁ、私もガルディスを軽く捻り上げに参りましょう。一歩足を進めた時でした。



「あんた、何してんのよ?」


 フロンっ!? その淫らな存在がお城のでっぱりの影から現れたのです!


「全ては愛とか、巫女さんが言うとクレイジーに聞こえるわね」


 ルッカさんまで! しかも、そこらから話を聞いていたのかっ!? なんて恥ずかしい!


 2人とも珍しく真っ黒い巫女服を身に付けていました。何を企んでやがる。結婚式に乗じてタダ飯でも食らいに来たのか。いや、こいつらは淫らですが、意地汚くはないと思う。


「お前らこそ、こんな所で何をしてるんですか?」


「部長のオーダーなのよ。今日は魔物駆除殲滅部の全メンバーでお城に集合って」


「そしたら、あんたがおっさんを捕まえて人気のない所に連行してるの見ちゃってさ、怪しいって思って来たんじゃん」


 くぅ。部長命令だと……。

 しかし、偶然に遭遇しただけだと確認できました。ここは穏便にやり過ごし、こいつらが何かを仕出かす前にやるべきことを成しておくのが良いでしょう。


「そうですか。では、さようなら」



 ダッシュで2人の間を駆け抜け、あっという間にフェドルさんを追い抜き、木陰に立っていたガルディスを見つけて、正面から腹を殴り、太い木の幹に叩き付けてやりました。

 悲鳴も上げられずにずるりと沈むガルディスを確認して、私は周囲の者へ勝利宣言。順番は逆になりましたが、フェドルさんの到着を待ちます。

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