幸せな生活
天井のある生活というものは良いものですね。星空を上にしての野外も悪い訳ではないですが、他人の目を気にせずに熟睡できるのは大変に素晴らしいです。何より、眩しい日射しで眠りを妨げられることがありません。
この部屋一室しか御座いませんが、ここは私の宮殿です。
この宿屋、グレートレークシティホテルを紹介して頂いてから10日ほど経ちました。
私は昼過ぎまで寝て、食堂にご飯を食べに行って、また寝て、お腹が空いたら再び食堂に行く生活を送っています。
支配人のオズワルドさんは大変に優しいです。私が欲しいものを何でも用意してくれます。また、メイド服の人もたまに掃除をしに来てくれます。洗濯物とかもやってくれるんです。何て快適な場所なのでしょう。
うふふ、お姫様みたい。プリンセスメリナです。
いやぁ、浮かれすぎちゃうなぁ。
さて、本日も窓からの行き交う人を観察する業務というか、暇潰しも終わりました。
今日の観察で一番の驚きは、あのソニアちゃんとお母様を見掛けたことです。しかも、その横には私の占い師としての最初の客だった門番さんが居ました。
知り合いとは思えませんが、どういった関係なのでしょう。興味は付きませんが、宿から出たくない思いの方が強く、ここで調査は断念です。
疲れたので、ベッドの上で一息付きたいところです。
しかし、なんと!
本日の私はヤル気に満ち溢れています。今日こそは神殿からずっと梱包されたままの箱たちの荷解きをしていくと決めていたのです。
メイド服の人に「メリナ様はずぼらですね。ずぼら。あっ、すみません。本心が出ました。でも、この荷物に足の小指をぶつけたら、賠償金を支払ってくれますよね? メリナ様はお金持ちだから余裕ですよね」って、すっごい嫌みを言われましたから。
手始めに、留学先で貰ったという不気味な絵を壁に掛けましょう。
出来るだけ高い所に飾りたいと思っています。アシュリンさんとかいう人が「これはメリナの勲章であるっ!」と力強く言っていましたから。
4つもある口が全部歯を剥き出している人の顔っていう、絵柄のセンスは理解できませんが、きっと見る人が見れば価値のある物なのでしょう。飾ってあげるのが一番です。
ただ、その誇らしい気持ちと、余り目にしたくない不気味さを天秤に掛けまして、出た結論が廊下側に出すことでした。
オズワルドさんに釘を貰って、椅子に乗って拳でガンガンと釘を打ち付けます。そして、そこに絵を掛けたのでした。
うん、殺風景な廊下に少し華が出ましたね。華って良く言い過ぎですが、魔除けにはなるんじゃないかな。この絵が魔物っぽいけど。
さて、最大の懸案事項を片付ける事が出来ました。でも、荷はまだまだ有りまして、誰かがやってくれた丁寧な梱包を外していく必要が有ります。
私は汗を滲ませながら、頑張って整理していきました。
誤算だったのは、同じ絵師が描いたと思われる絵がまだ2枚もあったこと。迷わず、先ほどと同じ様に外の廊下に置きます。
血を垂れ流す猫っぽい何かとか、悪い魔女が住んでそうなグネグネ曲がった枯れ木の林とか、誰であっても不安感を抱いてしまう絵柄でして、記憶を失う前の私も扱いに困っていたことでしょう。
私って気弱なところがあるから、押し付けられたのかなぁ。
絵の隅っこにサブリナと作者のサインが有りました。これだけ悪趣味な絵を描くのですから、相当にねじ曲がった性格をしていると確信します。友人にはなれない類いの人種ですね。
しかし、これで部屋の中は快適です。
持ってきたタンスの中も改めて確認します。何だかオシャレな服が多くて、村娘からシティガールに進化した私の活躍が目に浮かぶようです。
頑張っていたんだなぁ。早く記憶が戻って、どんな素敵な生活をしていたのか思い出すのが楽しみです。
でも、ずいぶん、服のサイズが違うんだよなぁ。ソニアちゃんに着せたヤツなんて子供服っぽかったし、胸当ては私の頭がすっぽり入りそうなくらい大きかったし。
あと、謎の大きな鱗が5枚も残っています。
魔物の鱗だとはすぐに判断できました。しかし、何故、私はこんなものを神殿の寮に保管していたのでしょうか。軽く拳で叩くと、カンカンと高い音がして、とても堅そうな雰囲気です。不燃ゴミだと思うのですが、過去の私が捨てていないのであれば、保管しておきましょう。
でも、よく分からないので、ベッドの下に押し込みました。
最後、大きな布袋です。これは知っています。
村からシャールに出てきた時に背負っていた物です。この中に、私が愛読していた本だとか、神殿への紹介状とか、私の大切な物を入れていました。お母さんから餞別に貰った金貨と銀貨なんかもこの中でしたね。
記憶を失くす前の私であっても入手した宝物は、この中に入れて大切にすると簡単に想像が付きます。
ふぅ、今日は1ヶ月分の仕事をしたなぁ。
疲れた腰を労るためにトントンと拳で叩きます。
同じタイミングで扉がノックされました。
「コリーです。メリナ様、いらっしゃいますか?」
……チッ。
「ごほ、ごほごほごほ。すみません。まだ風邪は治らないみたいです。移る危険性があるので、コリーさんは早く戻ってください、ごほごほ」
「大丈夫ですか、メリナ様? この宿に来てからずっと風邪じゃないですか? お医者様をお呼びしますよ」
「あー、要らないです。私は賢いので分かります。この風邪は外に出ると悪化するんです。あー、もう厄介だなぁ。ごほごほ。コリーさん、私、ゆっくり静養したいので、もう戻って頂けませんか?」
「し、しかし、メリナ様。もう10日ですよ? それに、さっきメリナ様が廊下に絵を飾っているのも見ましたし。もう回復し始めたのでは?」
見られていたか……。くぅ、不覚です。
「魔、魔除けの絵ですよ、それ。私、早く良くなりたくて無理して飾ったんですよ、ごほごほ」
「……分かりました……。メリナ様、記憶が戻ったりしていませんか?」
「いやぁ、全然。それじゃ、コリーさん、お休みなさい。私、寝ますので」
コツコツと床を叩く靴の音が去っていきます。
ふぅ、やっと行きましたか。全くコリーのヤツはいつも私を外に出そうとするんです。迷惑極まりない。
シーツを整えて、ヌクヌクとベッドに体を横たえた時です。
またもや、トントンとノックがされました。
「メリナ様、すみません。コリーです」
キーッ、しつこい! そんなに私の邪魔をして、何が楽しいんですか!
「ごほごほ、ごほごほ。あー、辛いなぁ。どっかの真面目さんが私の回復を妨げるなぁ」
これだけ言えば分かってくれますよね。
「あぁ、仮病で御座いますね。浅知恵にも程があります」
ん? コリーさんじゃない。
「し、しかし、メリナ様がそんなつまらない嘘を吐くとは思えないのですが」
「コリー、貴女は人を見る目がないで御座いますね」
瞬間、扉がバタンと倒れました。縦横4つに斬られた?
その向こうに剣を構えたアデリーナ様がいらっしゃいました。
「あっ、お久しぶりです。アデリーナ様」
「えぇ。フェリスから『あいつ、寝てばかりのクズになっていますよ』って報告を受けましたから、来て差し上げました」
「……誰ですか、フェリスって?」
「知る必要は御座いません。今から、貴女に説教します。1階に降りてきなさい」
何の権利があって、そんな御無体なことを言うのでしょう。そして、私が従うとでも思ったのでしょうか。
「嫌だって言ったら?」
「……ノノン村からお母様を連れてきての説教としましょうか?」
私はすぐに立ち上がって、アデリーナ様に生意気な口を聞いたことを謝罪致しました。そして、母の耳には入れないように懇願しました。
殺されかねません。




