立ち直り
私は力なく食堂へと戻ります。ロビーにいると、更なる余計な情報を得て、より酷い混乱に陥る可能性が高いと思ったのです。あと、一気に疲れたので座りたかったのもあります。
しかし、休ませてくれません。
「ボス、パンは城に運ばせてもらったら良いんですか?」
「は、はい。お願いしますね」
「メリナ様、大丈夫ですか? 顔が白くなっていますけど」
「えぇ。時間の流れが違うことが、こんなにも恐ろしいことだったとは知らなかったんです……」
「意味分からねーけども、メリナさんよぉ、悩みごとがあるなら一人で考えるより皆で相談した方がいいぜ」
フェリクス、お前の言葉は真実です。
ですが、私自身も何がショックなのか分かっていないのです。
昨日まで幼児だった娘と邪神だった娘を孕ませたクソ野郎をぶっ殺したいという訳ではなくて、そんな事態にしてしまった自分に罪悪感があるのでしょうか。
いや、でも、私は悪くない。今回の件に関しては本当に全然悪くない。
でも、お母さん、ごめんなさい。貴女がゾル君と呼んでいた青年はいなくなって、手当たり次第に女を孕ます不潔なおっさんになってしまいました。
「……メリナ、どうした?」
寡黙なモーリッツにさえ心配されました。
私は尋ねます。
「モーリッツが我が子のように大切に思っているシャプラさんがどこぞの馬の骨と結婚して子供が出来ていたと知ったら、どうしますか?」
「……その馬の骨をぶん殴る」
ですよね。
でも、私はソニアちゃんをそんなに大切とまでは思ってなかった。
「メリナ様、元気を出してください」
「ハンナさん、貴女の甥、大人になったペーター君が一夜にして2人の女性を同時に手篭めにしていたら、どう思いますか?」
「えっ……。それは嫌ですね。ペーターを軽蔑すると思います」
なるほど軽蔑か……。その感情は確かに今の私も持っています。
剣王の野郎、剣の修行だけをしておけば健気と思いもしたろうに、まさか子作りまでしていたとはな!
「……ハンナさん、ありがとうございます。大変に参考になりました」
「え? あはは、メリナ様に褒められると嬉しいです!」
いつまでも悩んでいても仕方がない。
よくよく考えたら、ソニアちゃんや邪神が身籠ったところでどうでも良いことでした。
そうです。そう思って、自分を奮い立たせるのです!
「よし! では、皆さんはお城にパンを運んでください。荷車は宿屋の前にいる商人たちから借りましょう。ベセリン爺と女中さんも彼らと共にお城へ向かうのです」
私は立ち上がります。
そして、ロビーへと舞い戻ります。
なぜなら、そこに指輪の入った箱と日記帳を置いているから。
「メリナさん、私どもも城へと向かいます。あれだけの量を運ぶのは彼らだけでは難しいでしょう」
クリスラさんです。食堂での会話が漏れていたのでしょう。
「ありがとうございます。今日は疲れましたね」
クリスラさんとガルディスが恋仲になっていることが剣王の衝撃で薄まっていたのですが、改めて考えると、こいつらも大概な事件でした。
「ガハハ。まだ朝だぜ。疲れてねーよ。決闘ってのを受けてやんねーとな」
「大丈夫です。ガルディス、貴方の頑張りは報いられるでしょう」
「おうよ、クリスラ!」
イチャイチャするな、気持ち悪い。
「おっと、姉ちゃん、寄越しな」
そう言ってガルディスはハンナさんが運んでいたパン箱を取り上げます。盗もうとしたのではなく、非力なハンナさんに代わって外の荷車に積もうとしてくれているのでしょう。
既に剣王やソニアちゃんもパン屋の手伝いに入ってます。やがてシャプラさんとペーター君も起きて来て出発し、賑やかだった宿屋も静まり返るのでした。
今はショーメ先生と2人きりです。
「私も退散しますね」
「待ってください。ショーメ先生、反省会をしましょう」
「反省するのはメリナ様だけですよ」
お前、容赦ないなぁ。私の傷心を癒してくれても良いじゃないですか。
「本当に大変な事態でした」
私は無視して続けます。
「こちらの話は聞いてくれないのですね。仕方ございません。諦めます。そうでしたね。あの邪神が恋に落ちるなど思いもしませんでした」
邪神が邪神であることを私は先生に1度も喋ったことはないのだけど、気付いていましたか。
「恋に落ちるどころか、子を宿してたんですけど」
「うふふ、不思議ですね。長年に渡って世界を恨んでいた者が、高々10年くらいで愛を語るだなんて」
「全くです! ガランガドーさんもそうでしたが、精霊ってのは気紛れなんですかね」
「邪神は『世界を憎む私を打ち倒し』と言っておりました。あの男がそこまでの力を得ているのだとしたら驚きです。私が言っていた大変な事態とは、それなんですけどね」
「1年前の邪神との対決では私とアデリーナ様が協力して戦ったんですよね」
まぁ、協力って言うか、私が作戦を立てて指示を出していたのですが、それくらい邪神は強かったと記憶しています。剣王が勝ったと言うのなら、相当な腕前に向上していることでしょう。
「それはそうとして、ショーメ先生、お願いがあります」
「はい、何で御座いましょうか? 乗りかかった船ですので聞いて差し上げますよ」
「昨日の日記を付けて貰えませんか?」
こんな時でも日課を忘れない私は偉い。
日記帳をペラペラと開けて、最新頁を探します。
「えーと、ここ――あれ? もう書いてありますね」
「なら、私は不要ですね。クリスラ様に頼まれているので、ゾビアス商店に向かいます」
はやっ。お前、もう少し私とお話しましょうよ。
日記から顔を上げると、ショーメ先生はもう扉を出たところでした。声を掛ける間も無く、バタンと閉められます。
再び私は日記へと目を遣る。
『我が依代は気付いておらぬため記す。
憎き神が地に降り立った。
積年の怨みを晴らす。
世界を私で満たすの。 』
むっ。邪神が書いたのか……。
まだ世界を恨んでいるということは、剣王とどうにかなる前ですね。
神が地に降り立った、か……。
大変な重要な情報です。聖竜スードワット様を誑かし続けているフォビという男。遂に殺すチャンスがやって来たのです。
こうなれば、やるべきことは1つ!
アデリーナ様にもこの情報を与え、的確な指示を受けるのです! 素晴らしい作戦をお願いしますよ。アデリーナ様!
それから、剣王とその一味が酷い状況にあるのも教えて、この悶々とした不快感みたいな感情も分け与えてあげたい。
うふふ、どんな顔をするのか楽しみです。
私は剣王達よりも先回りすべく、全速でお城へと向かいました。大惨事のショックから多少は立ち直った気がします。




