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奇遇

 宿に足を踏み入れると、木張りの床が少し軋みます。外観と同じく少し古い建物なのでしょう。コリーさんがお勧めとは言っていましたが、疑心は増幅するのみでした。


 しかし、顔を上げて内装を見ましたら、色とりどりの花束が瓶に飾られていたり、半裸の大きな石像が置いてあったりと、多少の豪華さでそれを取り繕おうとする意思を感じました。それは決して悪いものでなく、客人をできるだけ歓迎したいという気持ちが伝わってきて、心地よさを与えてくれるものでした。


 コリーさんがカウンターへと進みます。長椅子が二脚あるだけの狭いロビーなので、そんなに歩かないのですが、その先にはきちんとした格好をした中年の男性が立っていました。



「お帰りなさいませ、コリー様。預かっていた部屋の鍵を取りますので、少々お待ちください」


 男性は後ろの棚から古びた鍵を取り、コリーさんに手早く渡します。

 それをコリーさんは当然のように受け取り、それから口を開きます。


「部屋をもう1つ用意できるか? あちらの方の為の部屋である」


 偉そうな口調になったコリーさん。男性との地位の違いを表しています。そして、詐欺師の本領を私に見せる時もこんな感じで脅してくるのだと心します。


「勿論で御座います。何泊されますか?」


「…………」


 コリーさんは黙り込み、その後、私へと振り向きます。



「メリナ様、何日くらいで記憶が戻りそうですか?」


「えー、50年くらいでしょうかね」


 くくく、コリーよ。策師、策に嵌まる。この言葉を与えましょう。


 私を借金漬けにして思い通りにしようとしているのでしょうが、そんなもの、私には通用しません! 私は借金の海を自由自在に泳ぎ、そして、最後にはお前を殺して脱出するんです!


「えっ……それは長過ぎませんか?」


「いいえ。私の勘ではそんなもんですよ、きっと」


「……すまない、支配人。とりあえず、一年分を支払おう。大金貨を扱えるか?」


 大金貨?


「問題御座いません」


「手付けに金貨を10枚。残りは後日払いで願う」


「承知致しました」


 ……金貨10枚?

 え、えぇ……もう額が大き過ぎて価値が分からない……。そのお金で城壁に(ひさし)を取り付けてくれれば、私は安住の地を離れなくても良かったんじゃないかな?

 

 


 いえ、大丈夫。落ち着きなさい、メリナ。

 あなたはそもそも銅貨とかの価値も分かっていない田舎者。

 分からなければ価値はないのよ。金貨も銀貨も謎の大金貨も全部、無価値。


 私は自分に語り掛けて、不安を解消させます。でも、握った手の汗は乾いてくれませんでした。



「メリナ様。鍵をお受け取りください」


「え、えぇ。ありがとうございます、コリーさん」


 私は平静を装いながら、カウンターへと向かいます。そして、宿の店主から部屋番号が刻まれた鍵を受け取りました。


「グレートレイクシティホテルをご使用頂き、大変ありがとうございます。私、支配人のオズワルドと申します」


「はい……」


 私の身ぐるみを剥がすため、コリーとグルの可能性があります。謙虚な私の返事の裏には疑念も隠されたものでした。


 荷物を運びます。コリーさんも意外に力持ちで4つのタンスや神殿にあったまま未開封の箱達なんかを部屋に置いていきます。

 支配人さん、「家具を持ち入れるのはちょっと……」と不思議な抵抗をしていましたが、私は無視ですし、コリーさんの一睨みで静かになりました。



「あれ? コリーさん、指輪してるってことは結婚しているんですか?」


 仮想敵とはいえ、無言での作業は精神的に辛いですから、私は敢えて友好的な話題を出しました。


「あっ……。気付かれましたか? えぇ、そうなんです。恥ずかしながら、結婚させて頂きました。と言っても、まだ同居していませんし、式も上げていないんです。メリナ様にも是非、私たちの結婚式に出席を願いたいと思います。それをメリナ様に伝えにシャールを訪れたのですが、大変な事態になっていてご報告できませんでした。謝罪致します」


 本来であればお目出度い話です。

 しかし、私は気付いています。コリーの幸せそうな顔の奥に隠された牙を。


 結婚式に招待されたとなれば、必ずお祝い金が必要です。しかし、私はお金を一切持っておりません。

 贈れるものと言えば、野で取ったネズミか草くらいなものです。


 分かります。私でも分かります。

 それを手にして会場に出向いた私は、恥を掻くのです。貧乏な私を意地悪な皆が嘲笑うのが目に浮かびます。


「へぇ……それは楽しみですね」


 それでも、私は平静を保つ。

 最後に勝つのは私だからです。



 その後、荷物を全て部屋に運び終え、コリーは去っていきました。私も一休みです。

 水を魔法で――あっ、ダメだ。街の中では魔法禁止です。不便ですねぇ。



 ロビーに向かいます。

 支配人さんをすぐに発見して、コップと水をお願いしました。


 すぐに、このロビーに隣接した食堂からメイド服を着た方が出てきて、私に水を盆に乗せて運んでくれました。助かります。



「よく冷えていて美味しいです。ありがとうございます」


「はい。私がわざわざ持ってきてあげた水ですから」


 うん? 不思議な言い方です。

 可愛らしいお顔をされていて、でも、大人びた雰囲気もあって、アデリーナ様と同年齢くらいかな。張り付いたような笑顔が胡散臭くもあります。


 彼女はそのまま私に背を向けて食堂へと戻っていきました。格好からすると、清掃係だと思うのですが、服装にお金を掛けているのが容易に分かる、お外を歩いている人たちよりもしっかりとした生地でした。


 宿泊代の一部をコリーさんは金貨で支払っていましたから、このホテルは外観の古さとは違い、高級志向なのかもしれません。

 私、少しドキドキします。借金。どれだけになるんだろう。



「お客様、すみません。こちらの宿泊者名簿に記録をお願いできますか?」


「あっ、はい」


 筆を手に帳面に向かった私に支配人は続けます。


「申し訳御座いません。お手数で御座いますが、名簿の作成が伯爵令で決まっているものですから」


 この支配人、とても朗らかな笑顔で対応をしてくれていますが、目の奥は笑っていません。何となく抜け目のなさを感じさせました。



 支配人にメイドの人、このどちらも善人ではないかもしれませんね。騙されないように気を付けなくちゃ。

 何せここはコリーの紹介した宿。少なくともコリーは私を借金漬けにして嵌めようとしているに違い御座いません。



 しかし、それは兎も角、宿泊者名簿に名前を「メリナ」と書いたまでは良かったのですが、途中で筆が止まります。


「どうされましたか?」


 優しい声。しかし、私の一挙手一投足を監視するような眼差し。


「いえ、居住地の欄にどう書けば良いか悩みまして……。今、家はなくて……」


「あぁ、旅人なので御座いますか? それでしたら、出身地を記して頂ければ結構で御座いますよ」


 なるほど。

 私は育った村、ノノンの地名を綴ります。


「いっ!?」


 支配人がすっとんきょうな声を上げました。


「……ど、どうしました? もしかして、私、間違えてしまいましたか?」


「い、いえ。すみません。私の知人の村と同じでしたから。すこし驚きました。申し訳御座いません」


「そうなんですね。でも、狭い村ですから、私もその人を知っているでしょうね。どなたとお知り合いなのですか?」


「ル、ルーさんとロイさん……」


 えっ!!


「私の両親ですよ! えー! すっごい奇遇ですね!」


 私の驚き以上に支配人の方が驚かれます。目を大きく見開いた後に、頭を下げて肩を震わせていました。

 禿げ始めた頭頂部を私は見せられています。


 それからブツブツと呟き始めました。


「……世界を司る現人神であるアデリーナ・ブラナン陛下、また、シャールの清浄なる湖の守護者にして聖なる竜であるスードワット様に申し上げます。私に報恩の機会をこんなにも早く与えてくださったことに深く感謝します。私はこれまでの精進と同じように、これからも熱心な精進を続けることを誓い、また、神殿への寄進もこれまでよりも多く致します。決してないものと信じており、疑うことさえも大罪に等しいものではありますが、いつまでも忠実なる(しもべ)である私、オズワルドをお見捨てすることのないようにお願い致します。この祈りは、命の続く限りの忠誠をお二方にあらためてオズワルドが誓うものです。天を超えて届きますように」


 怖い。何? 怖い……。

 すっごい小声かつ早口で唱えていました。


 それから、ゆっくりとまた頭を上げ、私を見詰めます。涙が流れていました。



「ルーさんは私の恩人です。その恩人から、私は『娘が困っていたら助けてやって欲しい』と頼まれております。お任せください! メリナ様の為であれば、このオズワルド、命に代えても何なりと願いを叶えさせて頂きます!」



 カウンター越しに私の手を握ってきました。正直なところ、汗でベタベタしていて気持ち悪いです。でも、勢い的に断れませんでした。


「は、はい。じゃあ、困った時は宜しくお願いしますね……」


「えぇ!」


 満面の笑みとその後に再開された闇の祈りみたいなものがとても怖いので、私は急いで部屋へと避難しました。

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メリナ教に対抗して崇めさせてて草
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