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頑張りの見返り

 夕闇が近付きつつある階段は薄暗く、一歩一歩と昇る度にキシキシと木が鳴きます。階段を終えても2階の自室までは長めの廊下でして、両側に色彩とデザインともに不気味な絵が飾ってあり、この絵描きは頭と目の両方がおかしいに違いないと、私は荒んだ心で恨むのでした。


 息を殺してドアノブをゆっくりと握る。ひんやりとした金属の感触が、いつも以上に私の怯える体に響きます。


 ……行きましょう。覚悟はできました。


 カラカラの喉に向けて掻き集めた唾を飲み込み、私は一気呵成に扉を開けます。鍵が掛かっていましたが、気合い十分な私のパワーの前ではとろけたチーズみたいにあっさりと切断されました。


「ただいまー!」


 空元気と取られないように気を付けて、努めて明るく、そして、室内の相手に一言も喋らせる時間を与えずに、私は次の句に入ります。


「いやー、今日は忙しかったなぁ! コリーさんが結婚式したいって言うから、色々と準備しちゃったよ! 勿論、借金を背負わしたのは私……って言うか、本当は巫女仲間のシェラなんだけど、私もちょっとは悪いかなと思って、謝罪の意味も込めて、全力を尽くしたなぁ!! 結婚式の服はシャールで一番有名な服屋さんに頼んだし、私の友情に感動した服屋さんも『特別に可能な限り、仕立てます』って言うんだもんなぁ!! 新郎のアントンの化粧までするって言ってくれるし、これ以上の頑張りはないって自分で思うかな!! それに、シャールの前伯爵のロクサーナ様にもお目見えして、2人の指輪も用意したし、これは結婚式が楽しみだわ!! あー、明日も準備で忙しい!! でも、私が頑張らないと! 2人の門出だもんね!! 私が怪我なんかしたら2人も悲しむから、今日は殴り合いとか、稽古とか、絶対にしないでおこうっと!! あー、明日に備えて休まなきゃ! お母さんが来たとしても相手できないくらいに疲れたー!! 残念だなー!! 本当に残念っ!!」


 言い切ることができた……。大声で早口だったから息切れも激しい……。


 部屋は静寂に包まれました。



「……メリナ、貴女の部屋は隣」


 ソニアちゃんが凄く心配そうな目で指摘してきました。


「ルーさん、来てるぜ」


 剣王も分かりきった事を言ってきました。


「めりゅな、みじゅ、のみゅ?」


「頂きます」


 喉は渇いていますし、絶叫に近い訴えをした後の火照った体には邪神が出した冷水は大変に嬉しい。



「早くルーさんの所へ行けよ」


 剣王、お前、ここで死にますか? 私は全てを知っていて、この部屋を訪れたのです。


「あっれー!? 私の部屋って隣!? えー!! 疲れ過ぎて間違えちゃった!! 何せ今日はいっぱい仕事したからっ!! ふぅ、早く1人になって休みたいなー!」


 壁を越して聞こえていることを願います。

 私が魔力感知でお母さんの存在が分かっていますので、同様にお母さんもここに私がいることを把握しているでしょう。



 ベストケースは、私の思いが通じて、疲労困憊な私を気遣ってお母さんが立ち去ること。いや、感動したお母さんが私に「もういいのよ。頑張ったね、メリナ」と言ってくれること。


「めりゅな、そりぇ、にゃいー」


 ないかー。

 邪神め、あどけない表情で私の心を盗み読んできやがりました。


 しかし、激怒しているお母さんが壁をぶち抜いて殴ってくるというワーストケースは避けられたようです。

 その場合、私は神速の動きでお母さんと入れ替って自室に侵入。次いで、イルゼさんの腕を切断して転移の腕輪を奪い、諸国連邦や帝都のような遠方に逃亡する計画でした。


「めりゅな、やびゃーいー」


「やばくない。本当にやばいのは……お前とお母さんですよ」


 もちろん、最後はお隣に聞こえないように呟きました。


「メリナ、お母さんと喧嘩?」


 このソニアちゃんへの返答はよく考えてからでないとなりません。お母さんに好印象を与えるのです。


「喧嘩じゃないよ。私がね、友達に悪いことをしたから、お母さんは私の成長を願って怒ってくれてるんだ。お母さんもきっと辛いと思う。だから、喧嘩じゃなくて、これは愛。とても深い愛。ありがとう、お母さん」


 ……正解を言えたか?


「そう。私も体で知っている。メリナの鉄拳は愛」


「それは愛じゃない! 人を殴って愛だとか、ソニアちゃんは変態ですか!!」


「えっ……」


 何を驚いているのですか、ソニアちゃん。

 マジで怖過ぎます。

 お母さんが今の言葉を勘違いして、殴り込みに来たら危険でしょ!! 死ね!!



「あっ!!」


「ルーさん、転移したな」


「えぇ!! 生き残った! 私、命を長らえた!」


「母親相手に何を言ってるんだ、ったく」


 お前も私の立場になれば分かります。


「メリナ、教えて。稽古で私を血塗れにしたのは愛じゃない?」


「愛だとか、訳の分からない事に拘って、本当にソニアちゃんは子供ですね。ソニアちゃんが愛だと思うなら、それが愛で良いですよ。でも、お母さんの前では決して2度と口にしないように」


「ぐぬぬ、腹立つ」


「そにゅあ、かあいそー。よちよちー」


「それでは皆様、ごきげんよう」


 私は軽くなった足取りで自室へと向かい、そして、イルゼさんから滴り落ちたと思われる血痕を見てゾッとしました。

 イルゼさんに関しては完全に自業自得だけど、いやー、お母さんが村に帰ったら少しは労ってあげよう。



 その夜、ベッドでうとうととしているとノックされます。


「俺だ」


 剣王です。


「夜中に1人でいる女性の部屋を訪れるなんて極めて不埒です。サブリナには黙っていてあげるので、腹を掻っ切って死になさい」


「俺も弁えている。入らん。このまま話を聞いてくれ」


「……何でしょう?」


「アントンから聞いた。お前、男を女にする秘術が使えるらしいな。恥を忍んで頼みたい。俺を女にしてくれ。強くなるために竜の巫女になりてーんだ」


 マジかよ……。私はベッドに横たわりながら答えます。


「剣王よ、冷静になりなさい。そもそも、そんな魔法は使えなくて、胸を大きくするだけ――」


「サブリナにも事情を話す! 頼む! 化粧もしてくれ!」


 夜中に叫ぶんじゃありません。ソニアちゃんが目を覚まし今の願い事が耳に入ったら、彼女はショックで塞ぎ込んでしまいますよ。何せソニアちゃんは剣王に恋しているのだから。


「また別の機会に聞くから去りなさい」


「あぁ。……頼んだぜ」


 頭が痛くなる問題ですが、私が独りで悩む必要はなく、副神殿長やアデリーナ様と相談して、彼女らから断ってもらったら良いでしょう。


 さて、寝ましょう。目蓋を閉じて夢の世界に旅立とうとした時でした。

 またもや、トントンとノックされます。



「メリナ、開けて」


 ソニアちゃんです。あー、剣王の願いが聞こえてしまったのかな。お寝坊さんなのに起きちゃって、余程ショックだったのかなぁ。

 私は仕方なく鍵を外しに扉まで歩きました。


「ありがとう」


「どうしたの? 剣王の件?」


 再びベッドに潜り込みながら、私はソニアちゃんに問います。


「そう。メリナは結婚式を開こうとしている」


「うん、そうだね」


 ソニアちゃんの確認に私は軽い調子で肯定します。そして、彼女が本題を口にするのを待つのです。


 だけれども、暫くは沈黙が続きます。

 静か過ぎたので、横になっている私は眠ってしまいそうになりました。


「お願い。私とゾルの結婚式も開いて」


 はぁ!?


 一気に眠気が去って、私は上半身をガバッと起こす。

 横にいるソニアちゃんの顔は紅潮していました。


「メリナにしか頼めない。今日の日記も書くからお願い」


 いや、反応に困りますよ。

 えっ、何? 剣王もソニアちゃんのことを愛してたってこと? 子供を性的に愛してるんだとしたら、ぶっ殺しますよ。

 お母さんにもその大罪を伝えて、この世から抹殺です。

 

 衝撃の余りに動けない私を置いて、ソニアちゃんは日記帳を開く。


「もう書いてあった。残念。でも、メリナ、お願い。ゾルは私の運命の人」


 そのまま、ソニアちゃんは隣室に戻っていきました。残された私は鼓動が激しくなっていて、もう眠れません。

 それに日記はもう書かれているだと? 有難いことですが、誰がそんなマネを?


 ドキドキしながら日記を確認した私はまず顔面蒼白になります。恐らくインク代わりに血を用い、ペン代わりに小指を使ったと思われる、悍ましい文字達。

 しかし、その内容を読んで安心した私は安眠が約束されたのでした。剣王とソニアちゃんの件はどうでも良くなっていたのです。


◯メリナ観察日記31


 ゾル君達と話しているのが聞こえてきたけど、頑張っているようね、メリナ。

 貴女ならできると思っていたわ。さすが私の自慢の娘。双子ちゃん達もメリナみたいに育って欲しいわ。

 イルゼさん達は大丈夫。邪魔が入って手間取ってるのだけど、もうすぐで正気に戻ると思うから、明日には終わるかな。

 もう一息ね。期待してるわ、メリナ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「アントンから聞いた。お前、男を女にする秘術が使えるらしいな。恥を忍んで頼みたい。俺を女にしてくれ。強くなるために竜の巫女になりてーんだ」 「お願い。私とゾルの結婚式も開いて」 [一言]…
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