老女との再会
門番を打ち倒す必要もなく、名乗るだけで中に入れてもらえまして、しかも、お城の応接間まで数人の兵士さんの誘導で案内してくれました。
私、凄く優遇してもらってます!
さて、応接間では既に多数の訪問者が待っている状態でして、左右の壁際に設けられた長椅子に空席は有りませんでした。
「こちらへ」
立って待つかと入ってきた扉の脇に佇んだ私を、案内してくれた兵士さんの1人が反対側にある扉へと進むように促して来ました。
「良いのですか?」
他の方々がまだ座っているのに、私が先で良いのかという意味です。
「はい。その様に申し付けられております」
ふむ、後から来たばかりなのに、他の方に申し訳ないなと思ってしまいます。皆さん、長くお待ちな感じですし。
とは言え、早くお会いし指輪の問題を解決して安心したいのも事実。
気まずさから自然と下を向きながらも、私は前進します。
「おい。こちらは2刻も待っておるのだぞ。その間、何度も後から来た者に先を越されている。分家とはいえロナビット侯爵家に連なる我が主人の、その類い稀な忍耐にも限度があるというものである」
おっさんとその従者って感じの人が兵士さんに抗議しました。
「謝罪致します。ですが、ロクサーナ様のご準備が整っておりませんので」
「何を言う。その娘もロクサーナ様への面会者であろう。聞こえておったぞ」
兵士さんが困り顔になります。それから、声を絞り出して答えます。
「こちらの方は特別な方で御座いまして……」
「我が主人は特別でないと申すのか!?」
「あっ、いえ、そういうことでは有りませんでして……」
「その非礼、ロナビット侯爵の耳に入っても構わぬと言うのであるな!!」
……いやぁ、怒ってらっしゃる。
それもそうですね。2刻もこんな狭い場所で待たされたら、お腹も空くし、空気も悪いしで大変ですものね。
だけど、私も急いでいるのです。余計なトラブルで時間を浪費するのは勘弁してもらいたい。
「もしも宜しければ、一緒に参りませんか?」
私の提案です。
「ぬっ?」
「私は用が終われば、出ていきますから」
「従者も帯同していない小娘が、生意気なことを言うな! もう一度言うぞ、兵士。脅しではなく忠告と受け取ってもらいたい。我が主人の忍耐を試すつもりだろうが、下らん策謀で身を滅ぼすこともある。その娘も使用人を変装させているのであろう。その様な小細工はお見通しである! ロクサーナ様へよく伝えて欲しい」
「も、申し訳御座いません。こちら、元ラッセン一代公爵メリナ様で御座います。特別な方で御座います。お怒りをお鎮め頂きたく」
私は優雅な会釈で対応します。
「っ!? ……女王陛下の懐剣……」
世間ではそんな誤解があるのでしょうか。あいつの懐剣だと言うのなら、そのまま胸を突き刺してやろうかと悩んでしまいますね。
「ど、どうされますか?」
従者は主人に尋ねます。
「その話が本当かどうかは分からぬ。だが、誘われたのだ。行こうではないか。それに、その娘はタダの小娘にしか見えん。本物だとしても、ロクサーナ様によって化けの皮が剥がされるのを見るのも一興よ」
あっ、久しぶりに私を軽く見てくる貴族様だ。シャールでは誰も居なくなったんだけど、そっかぁ、別の街の人だもんね。顔が知れてなかったか。
私は怒っていないですよ。だって、確かに私は小娘ですもの。
でも、これから私の人間性を知ってもらって、考えを改めてもらえば良いのです。
「ビリアム様、差し出がましいことで御座いますが、ご注意を」
「下賤な出身では力不足であったとバレて、公職追放されておるらしいではないか。なぁ、メリナ殿」
「いやぁ、まぁ、実のところ、宿屋でゴロゴロし過ぎて怒られたんですよねぇ」
それを力不足と言うなら真実ですので、私は苦笑いしました。
けれども、その私の態度は相手に付け入る隙だと思われたみたいでした。
「愉快なことよ。今後は己れの力に見合った地位を望むが良い」
むぅ、追い討ちを受けました。不快です。
「はい!」
しかし、私は我慢できる淑女メリナ。素直に元気に返事です。
言いたいことを言いきって満足されたようで、ビリアムさんが立ち上がります。
彼の従者の方はここまでのようで、案内役の兵士さんと共に3人で奥の扉を進みます。
「よぉ、メリナ。こんな所で何をしているんだ?」
廊下で出会って、軽薄なノリで声を掛けてきたのはグレッグさん。記憶喪失になっていた時に、防具屋で出会った以来ですね。
彼は騎士ですので、お城で稽古でもしていたのでしょう。うっすらと汗を掻いておりました。
「ロクサーナさんに用があってね」
「へぇ。珍しいな。あっ、メリナ、金に困ってたみたいだが、もう良かったのか?」
「大丈夫。あの時は商売の為だったし」
「そうか。じゃあ、またな」
グレッグさんは爽やかな笑顔で去って行きました。
「メリナ殿、どなたで御座いましょう?」
「騎士のグレッグさんです。昔、一緒に森で獣を狩ったりしたのです」
「なるほど。余りに親しいので愛人かと思いましたな、ハッハッハ。竜の巫女が慕うのだから、彼のモノは竜のように巨大なのだろうかと想像してしまいますな」
……お前、笑い事で済まそうと思ってないだろうな。お下劣に過ぎるだろ。
聖竜様に身を捧げる私に何たる冗談。万死に値する発言ですよ。
しかし、まぁ、淑女たる私は本領を発揮して、笑顔で対応します。
「ここだけの話ですが、グレッグさんはシェラ・サラン・シャールの愛人ですよ。ビリアムさんは鋭いなぁ」
「は?」
「今から会うロクサーナさんの孫に当たるシェラの愛人ですよ。鞭で打たれて悦んでるって。あっ、打たれてるのはグレッグさん。秘密ですよ。他の人に知れたら、私、貴方が漏らしたと思って殺しに行きます」
空気が一変します。
兵士さんは聞こえてないことをアピールするために両耳を手で押さえてますね。
「……何故にそんな事を私に……?」
「えっ。ロクサーナさんに『シェラが慕う騎士は竜みたいだそうですよ。下品な意味で。この人が言ってました』って、話の掴みに使おうかなって思いまして」
「この私を脅すのか……?」
「脅してませんよ。アデリーナ様なら失笑だけど、ロクサーナさんなら優しく笑ってくれると思うし」
「メ、メリナ殿、悪い冗談は互いに止めましょうか」
ふむ。勝ちましたね。
前を進む兵士さんはずっと耳を塞いだままです。貴族の会話を盗み聞きしたと疑われるのを、そんなに避けたいのかな。
シャール伯爵のお城は広かったのですが、無事に目的の部屋へと着きます。受付の時間を惜しんで、強行突破からの潜入を選択していたなら、迷子になっていましたね。
ロクサーナさんは揺り椅子に座って、こちらを見ていました。その横には身の回りの世話をするのであろう、こちらも老人の召使いさんが控えています。ベセリンよりも年季が入った感じの人ですね。
2年前に見たまま、ロクサーナさんは痩せておられます。若い頃は帝国にも攻め入るくらいの豪傑だったと聞いたことがありますが、見る影もないです。
それもそのはずで、ロクサーナさんはシェラとアシュリンさんの曾祖母だったはずなんですもの。100歳近いお歳だと思います。
先に入ったのはビリアムさん。私は彼から一歩退いて入室します。
「久々ね、メリナさん」
まだビリアムさんの体に隠れているであろう私に、ロクサーナさんは話し掛けて来ました。
「夜会以来ですね。ご無沙汰しておりました。用件なのですが、宝石店テミルルで購入された指輪を私に譲って頂きたいのです」
「ネイト?」
ロクサーナさんは召使いさんに目を遣って、短く尋ねます。ネイトってのは、召使いさんのお名前でしょうね。
「はい。良質な魔力が込められておりましたので買っております」
「メリナさんにご返却を」
「畏まりました」
召使いさんはハンドベルを数回鳴らして、若い使用人を呼び、細かい指示を出しました。その使用人は素早く何処かへと向かいます。
「麗しきロクサーナ様、私の話も――」
「メリナさん、記憶喪失も治って、ご活躍されているようですね」
ロクサーナさんにはビリアムさんが見えないのでしょうか。それくらいの徹底した無視っぷりです。
「いえ、それ程でも。あはは、大したことはしてません」
「お聞きしましたよ。帝国に攻め込み、領土を切り取ったそうですね」
「なっ!!」
ビリアムさんが驚きの声を上げました。
つい最近のことですので、帝国から遠い街には情報が行っていないのかもしれません。
「いえ。攻め込んだというか、街を追い出された子供を届けに行った感じかなぁ……」
喧嘩屋フローレンス討伐の件もありますが、ビリアムさんを更にビビらしてしまいそうなので控え目に申しました。
私の意図通りにビリアムさんもホッとした顔を見せてくれました。
初対面のおっさんに気を遣う必要はないのですが、ゾビアス商店で味わった淑女的扱いは気持ち良くて、こういうコツコツとした積み重ねが大切なのだろうと思います。
「私がもっと若ければ一緒に楽しめたと思うのに、残念ね。どうして人間は老いてしまうのかしら」
私は無言です。自然の摂理ですので、返すべき言葉が特にありませんでした。
「で、その子供を連れて行った街の名前は何だったのかしら?」
「えーと、マールテンだったかな」
「随分と内陸まで食い込んだのね。若い頃、私もそこまで取ったのよ。懐かしいわ」
「そうなんですね」
お歳寄りの昔話は適当に相槌を打っていれば良いと村で学んでおります。
「当時は折角、攻め取ったのに王都の情報局に返上させられたのよ」
ヤナンカが帝国と密約でも交わしていたのだろうか。
でも、大昔のことだからどうでも良いかな。
「竜神殿の権益を認めるのと引き替えだったから悪くなかったわ」
ここで指輪が高価そうな台座に乗せられて運ばれて来ました。大小2つあるので間違いないかな。
「メリナさん、どうぞ。老い先短い私からのプレゼント」
「ありがとうございます」
「魔族を殺したり、3万の軍勢を鎮圧したり、帝都にまで殴り込みに行ったとも聞いてるわ。貴女がシャールに居るのなら、当分はこの街は平和ね。他の街には畏怖されそうだけど、敵対する愚か者はいないでしょうね」
不思議な程によくご存じで。
ビリアムさんが少し震えたのが哀れです。
「フローレンスさんとは親友なのよ。彼女からよく話を聞くわ」
「あぁ、そうなんですね」
よくもまぁ、あの人と友達になれるなぁ。凄く心が広くないと耐えきれませんよ。
「そこの貴方もメリナさんが立派な方だと思うわよね。実績も能力も十分なのに謙虚。もっと早くお会いできてればと、あと数年で朽ちる体を悔いるわ」
「は、ははは。いやはや仰る通りで、メリナ様は我が国の宝ですな。それに劣らぬロクサーナ様も10年経っても健在でしょう」
社交界に長くいる貴族さんは自分の意見を翻すのが早い。
「口の上手い方ね」
ロクサーナさんも私と同じ感想を抱いたようです。
「このビリアムさんは観察眼も持っていますよ。さっき出会った騎士さんの何かが大きくて――」
「メリナ殿! ……謝罪致しますので何卒……」
ロクサーナさんは微笑んでおりました。
「それで、貴方の用件は?」
ロクサーナさんはビリアムさんを見ます。
「あっ、いぇ、麗しき湖の如く、清廉にして――」
「ごめんなさい。私の命は残り少ないのよ。だから、用件を早くお願い」
「それでは。ロナビット侯爵領及びシャール伯爵領間に存在する帰属未定地の問題についてご意見をお伺いに来ました」
「あら、妖かしの森かしら。残念ね。あそこは情報局と話が付いているのよ。国境外だけど、シャール伯管理よ。実質は古い祠の管理を押し付けられただけでね、迷惑だったのだけど、今となっては僥倖ね。瘴気がなくなって、良い開墾地になりそうと報告が出ているもの」
「その話が付いているという証拠は御座いますか?」
「ネイト」
ロクサーナさんが再び召使いさんの名前を呼ぶと、彼は壁際の本棚から書類を一式出し、それをビリアムさんに渡します。
「老眼が酷くてね。読むのが億劫だから、ご自分で確認して頂けるかしら」
立ったままビリアムさんは書類を捲っていきます。机くらい貸してあげれば良いのにと思いました。
が、私の目的は達成済み。早く帰りましょう。
「それでは、ロクサーナさん、失礼します」
「えぇ、またね。生きている間に再会できたら良いのだけど」
私は丁寧にお辞儀をして部屋を出ます。
それから、指輪を失くさないようにと思って、すぐに宿屋へと走りました。
今日はいっぱい仕事をしましたし、成果も満点です。だから、とても気分が高揚していました。
しかし、ロビーに足を踏み入れた瞬間、部屋にお母さんとイルゼさんの気配があるのに気付き、私は戦慄するのです。
ロクサーナさん、ごめんなさい。私が先に死ぬので2度と会えないかもしれません……。




