凄いマリール
朝から快晴でして、私は意気揚々と神殿を訪れておりました。
場所は薬師処の敷地の外れ、マリールの実験小屋です。
久々にここに来ました。1年前は魔物駆除殲滅部くらいの掘っ立て小屋感が強い印象だったのですが、増築に増築が重ねられて、とても大きな建物に変貌しています。
ただ、需要が出る度に建屋を広げていったのでしょう、全体的なデザインの統一性はなく、非常に無秩序な、よく言えば多文化的な外観となっております。
周辺ではうっすらと嗅ぎ慣れない臭いもしておりまして、扉を開けた私は恐る恐ると頭だけ入れて中の様子を伺います。
「すみませーん、魔物駆除殲滅部のメリナでーすぅ……」
玄関も薄暗い。いや、ここを玄関って言うのかな。以前は部屋だったのを壁をぶち抜いて奥に延ばした感じがする。
返事がないので、私は勇気を振り絞って進みます。
すると、ちょいと行った先の横にあった引戸が開いて、見覚えのある方が現れました。
「あら、聖衣の巫女さん。って、もう古い言い方になったわね。メリナさん、お久しぶり。元気にしてた?」
フランジェスカさん。マリールの先輩巫女で、とても優しくて明るい人!
「はい、元気にしてました。今日はマリールに用事があって訪ねています」
「うん。分かった。少し待ってね。今の実験が終わったら、マリールの所に案内するから」
「場所だけ教えてくれたら、自分で向かいますよ」
「あはは、ダメダメ。この建物、迷路みたいになっちゃってるのよ。実験と違って、建物を作る計画性は足りないのよ、皆」
フランジェスカさんは嘘を吐かない。私が頼りにしている巫女さん相談室の相談員もしているくらいに人格者。
この人が魔物駆除殲滅部みたいなクソ溜めみたいな部署に配属されることはないけど、私の先輩だったら嬉しかったな。
しかし、とても待たされる。ちょっと片付けをするくらいなのかと思い、立って待ち続けていたのですが、辛抱できずに私は廊下の板の上に座って待機することになりました。
「ごめんね! 予想より濾過が遅くなったの。今回の液は悪戯っ子だったみたい。ほんと、ごめん!」
フランジェスカさんの笑顔と陽気な言い様に、私は待たされたという気分は吹き飛びました。
廊下を歩きながら会話をします。
「濾過って何ですか?」
「石を砕いて溶かしてるのよ。溶けなかったのを濾してたの」
分かったようで分からない説明。
「知ってる? マリール、凄いのよ。もう私は彼女の助手にもなれないわ。メリナさんが武勇を国中に轟かせているくらい、マリールも国内の学者の間じゃ知らない人が居ないくらいよ」
「武勇は轟かなくていいかなぁ……。でも、マリールはまた大発見してるんですか?」
「そうよ。凄いのよ。ちょっと見せて上げる」
フランジェスカさんは少し戻った小部屋へと入り、私も続きます。中にいた人達に会釈をします。
「わっ!」
すっごい明るい! 頑丈な机の上に置いてある燭台がとても眩しく周りを照らしています。
でも、まぁ、私の照明魔法の方が明るいかな。魔導式の道具としては凄いんでしょうけど。
「これ、マリールのアイデアよ。魔法なしでこの明るさ」
「へぇ」
魔法なしねぇ。魔法が使えるなら、魔法を使うべきだと思うけどなぁ。
「ほら、2年前にプリズムを使った分光実験をしたのを覚えてる? あれから、色々と研究が進んでね、マリールはスペクトル分析を利用して元素をいっぱい発見したのよ。元素って分かる? 物質は――」
あっ、私の耳が拒否した。ケイトさんが毒物について熱く喋る時と同じ様に、フランジェスカさんも少し早口で何事かを言っています。
「へぇ、凄いですねぇ」
大半を聞き流しましたが、私は相槌を言える淑女です。
「炎中スペクトルの分析中にね、熱していた物が凄く光ったことがあるのよ。熱を加えると鉄なんかも赤くなるんだけど、もっと明るく輝く物質があるって分かって――」
うわぁ、また長そうになる気配です。
「――で、色々試した結果、塩酸で処理した釷と鈰を木綿に染み込ませて、炎を囲むように置くとね、こんなに光る。不思議よねぇ」
「はい」
「こんなのもあるのよ。鎵製の棒」
普通の金属の棒に見えますが、フランジェスカさんが横に構えた棒の真ん中を指で摘み続けること暫し、やがて、ぐにゃりと棒の両端が垂れ下がる形で曲がりました。
「わっ、怪力! 凄い」
「違うわよ。体温で融ける金属。でも、魔法みたいでしょ」
「へぇ、何に使うんですか?」
「皆で考えているところ」
「へぇ」
フランジェスカさんと共に廊下に戻ります。
「各地の石を集めて組成を調べて、新しい元素を探す。その元素を単離して物性を調べる。更に、何かに使えないか考える。全部、マリールが取り纏めているのよ」
「凄いです」
さっきから、私は「へぇ」と「凄いです」を多用していると自覚しています。しかし、それが正直な気持ちなんです。
「そう。口では簡単だけど、本当に凄いこと。商人からの資金援助も多くてね、神殿の敷地だと狭いから、元素単離までは他の土地を借りてるのよ。危ないし、臭いってのもあるけど」
「へぇ。マリール、そんな凄いことをしているなんて、言わないから知らなかったです」
「あちこちの街の学校からも招聘状が来たりとか、薬師処の出世頭よ、マリール」
「凄いなぁ」
左右に曲がったり、階段を昇ったり。うん、これは迷うね。
「メリナさん、魔法が使えたら、あんな発明要らないって思った?」
「全然思ってないです!」
純粋に凄いって思いましたもん。
「でも、思う人はいるのよねぇ。魔法を実用的に使える人って100人に1人くらいだから、マリールの発明も便利なんだけどねぇ。分かってくれない人が偉い人に多いのよ。便利だから規制したいのかもしれないけど」
「へぇ、そうなんですね」
アデリーナ様はどうなんだろう。結構、新しい物好きに思うけどなぁ。
擦れ違う人は巫女服を着ていない人達が多くて、彼女らと狭い廊下ですれ違う。もう若くない人もいて、巫女見習いになるのに年齢制限はないんだと、初めて知りました。
「マリールの下で働きたいって人が増えてね。巫女見習いさんも激増したのよ」
「皆、聖竜様の声が聞こえたんですね」
神殿の巫女見習いになるには、聖竜様の声が聞こえたってのが条件だから。
「あはは。……お金。薬師処にお金を払って、その辺りは融通してるのよ。聖衣の巫女様とは違うかな」
フランジェスカさんは私を先導してくれているので、表情は見えませんでしたが、少しだけ声が沈んでいるように聞こえました。
「皆、優秀だからね。結構デキる方だと思ってたんだけど、私は自信を失っちゃったわ」
「フランジェスカさんが? そんなことないですよ」
「ううん。部署異動の希望書を出したの」
……少し悲しい。
「どこにですか?」
「魔物駆除殲滅部」
私、衝撃を受けました……。しばらく声が出ませんでした。
「本気ですか? ……かなりハードですけど」
「面白そうだもん」
「もしも実現したら、歓迎はします」
フランジェスカさんはとっても優しい人です。オロ部長、アシュリンさんが退職の意向を示している今、この方が来られるなら、私は大歓迎です!
さて、フランジェスカさんが立ち止まります。マリールのいる部屋に着いたのでしょう。
「じゃあね、マリールによろしく」
「えっ、フランジェスカさんは?」
「私も忙しいから帰るの」
……もしかしたから、マリールとの仲がギクシャクしているのかもしれない。そんな気がしました。
うーん、そうであるならば解決したいですね。
心配な気持ちになりながらも、私はガラリと扉を横に開けます。
「マリール、いる?」
「誰?」
知らない見習いさんが対応してきました。
「同期のメリナです。ちょっと相談ごとに――」
「マリール様は忙しいので帰ってく――」
ここから1人で帰る自信はないなぁと思った私ですが、奥から懐かしい声が上がります。
「ちょっと! そんなに今は忙しくない! メリナなんでしょ? ちゃんと部屋に入れて」
マリールです。姿も現してくれます。
相変わらず背が低い。もう16なのに、体は成長してないなぁ。
部屋の片隅のごちゃごちゃ小物が置いてあるテーブルに案内され、そこでマリールと話をします。
マリールは雑にテーブルの上の物を押し退けて、お茶のカップを置く場所を作ってくれました。
「よくこんな奥地まで来れたわね」
「フランジェスカさんのお陰です」
「えっ。先輩来てたの? 最近、顔を見てないのよね。忙しくしてんのかな」
マリールはフランジェスカさんに悪い感情を持ってなくて、以前のままか。良かった。
でも、その話よりも、まずは私のお願いからです。結婚式の為に、化粧品と服が欲しいことを伝えます。
「分かった。兄さんに手紙を書くから、それを持ってお店に行けばいいよ」
「ありがとう。でも、見習いに成り立ての頃に手紙を持っていったら、店の人に『マリールなんか知らない』って言われたよ」
「神殿に入ったばかりの私が実家を頼らないようにっていう、兄さんの配慮よ。メリナには悪いことしたわ」
そうなんだ。うん、長年の疑問が解けました。そんなに悩んでなかったけど。
「あと、テミルルって宝石店を知ってる? 知り合いがそこに結婚指輪を売ったから取り戻したいんだけど」
「買い戻しよね? 殴り込みに行きそうで怖いんだけどさ。でも、知ってるわよ、その店。うちの系列店」
おぉ、ゾビアス商店は手広い!
他愛のない雑談もします。
「は? あんた、帝国に侵攻したの?」
「違うって。ソニアちゃんって子供を里に返しただけ。あと、巫女長が分裂してたから――」
「は? 巫女長って分裂するものなの?」
「なんか分裂したの。しかも4体に」
「は? おかしいでしょ」
「おかしいよね。でも、もう1つになってるよ」
「合体もするの?」
「ううん。殴ったら消えるのが基本かな。料理人だけは毒で死んだのかな」
「意味分かんない。分かんないけど、メリナが頑張って解決したってことだよね?」
「うん」
「なら、良し。流石は我が親友」
って感じでした。
「メリナさぁ、最近、勉強してる? 前よりバカになってない?」
「えぇ、勉強の日々だよ」
「ホントかな。あっ、でも、本はよく読んでたもんね」
「うん。今も私の日記を書いてもらって、毎日読んでるよ」
「は? メリナの日記を他人が書くの?」
「うん。アデリーナ様が観察日記だって」
「……女王陛下の命令だったら、うん、仕方ないね」
「あっ、アデリーナ様も日記を書いてるみたいだよ。こないだ、燃えて失くなったのが復活して喜んでた」
「あんたさ、燃えて失くなったって、あんたが新人寮に放火したからじゃないの?」
「放火って……。私がそんな事をすると思う?」
「思わないけど思う。あんた、人の常識じゃ計れないもん」
「もぉ、やだなぁ。誤解だって。あはは」
ってな感じな会話もしたり。
マリールは口が悪いけど、私の事を心配してくれていて、帰り際も見習いの人に私を出口まで案内するように言いました。
わたしは「またね」って、マリールと別れました。
しばらく進むと、その見習いさんらしき声が聞こえました。
「……うすのろ、時間の無駄よ……」
こっちを見てないし、ボソボソって言い方だったので、私の空耳だと思います。
でも、途中でその足早な人を見失い、でも、本当にうすのろって言われたら嫌だなと悩みまして、思いきって、壁を何枚か破壊して私は脱出に成功しました。




