母の怒り
「じゃあ、戻るわね。シャールでいい?」
「ルッカさん、一旦ネオ神聖メリナ王国に行って下さい」
日記帳を忘れたんですよね。
私、几帳面だからアレを毎日書いてもらわないと落ち着かない体になってるんです。いえ、魔王アデリーナの未知の力により呪われているのかもしれません。あー、こわ。
「メリナっ! またそんなおバカな国名を付けているの!?」
突然に怒鳴られてビクッとします。
「違うよ! イルゼさんの仕業! ほら、お母さんだって聖母って呼ばれてるし、イルゼさん、おかしいの!」
「あぁ、あの娘さん……。メリナ、でも、本当なの? 貴女、他人に罪を擦り付ける癖があるみたいだから。だからね、お母さん辛いけど、メリナを懲らしめないといけないと思ってるの」
……懲らしめるって、お母さん、さっきの蹴りでも私の回復魔法が間に合わなければ死んでたし、包丁も手元が狂っていたら顔面に突き刺さって絶命していましたよ。もう十分じゃないですか。
転移先は私が望んだメリナ王国です。遠くにベリンダさんの関所が見えます。今日も皆さん総勢で木材を運んだり、穴を掘ったりと復旧活動をしておりますね。
幼い子もその手伝いをしていたのですが、わざわざ、その手を止めて挨拶してくれたので、私は丁重に返答します。お母さんのお怒りも幾分か収まりつつあります。好ましい展開です。
「メリナ様、お疲れ様でした。王国の敵を排除して頂き、誠にありがとう御座いました」
中年太りをした男が近寄って来て、恭しくそう言いました。服装は凄く豪奢。動きにくそうですし、手も汚れてないから、こいつは働いてないのか。
彼の名は確かヨゼフ、ボーボーの男。ちゃんと名前を覚えた私は偉い。
「メリナ、こちらの方は?」
お母さんが耳元で小さく訊いてきました。
ここで私は勝機の予感を得ます。
「イルゼさんの仲間のヨゼフさん。私を利用してネオ神聖メリナ王国なんて作ってるの。ほら、あっちに見えるデンジャラスさんなんかも色々と困ってるんだよ。デンジャラスさん知ってる? あの髪の毛を逆立ててる奇抜な人」
はっきり皆に聞こえるように訴えます。
「えぇ、知ってるわよ。去年のメリナ王国の反乱の時に少しだけお話したことがあるから。悪い人じゃなかったわ」
お母さんは私から離れ、姿勢を正してヨゼフに向き直ります。
「あなた、メリナを誑かせています?」
「誑かす? いえいえ、唯一神メリナ様にそんな真似は出来ませんよ」
くくく、ヨゼフよ、愚かな答えですよ、それ。
「へぇ、唯一神……。メリナ、そうなの?」
「ううん。そいつらが勝手に言ってるだけで凄く迷惑なの。すっごく困ってる。ってか、怖くて震える。毎晩、枕を涙で濡らしている」
頼りにしていますよ、お母さん。
「まぁ……。アデリーナ陛下、宗教の暴走は国を駄目にすると士官学校で学びました。今もその考えは生きているのでしょうか」
「生きておりますね」
「ならば、私は国のために彼らを修正しても宜しいでしょうか?」
「お頼み致します。私、アデリーナ・ブラナンはメリナ正教会一派の目付にルーフィリア・エスリウを任命致します」
アデリーナ様が密かに悩んでいた彼らの処遇を一気に解決する手立てが付きました。
澄ました顔のアデリーナ様ですが、心では大喜びでしょう。
「ヨゼフさん、聞きましたね。まずはその宗教名から変えましょう」
「私は大魔法使いであり、伝説の賢者でもあるマイア様から直々にその知恵と知識を与えられた者。メリナ様と親しいようですが、どこぞの馬の骨かも分からぬ女に私の手綱が握れるものでしょうか」
……ヨゼフさん、私のお母さんを知らないんだ。うわぁ、楽しみ!
「私ね、上官に逆らう輩が嫌いなの。それから、前線に出ずに偉そうにしてるヤツも。ヨゼフさん、両方に当て填まるかな」
「我が知恵は後方において役に立つものですからな」
「あはは、役に立つといいね」
お母さんの拳が炸裂。ヨゼフさんの腹を貫いて戻した手には引き千切られた内臓が握られていました。
おぉ、こわ。
回復魔法もお母さん。ただ、昔からそうなのですが、回復魔法に関してだけは私の方が優れていまして、お母さんの回復魔法では完全回復までに数日単位の時間を要します。
ヨゼフさんは死なないけど瀕死の状態に陥ります。
が、まだ反骨心は有ったようです。口から血が流れている状態でしたが、無詠唱での火球魔法。それがお母さんの顔面に向かいます。
しかし、あっさりと包丁を持つ拳で掻き消され、そのままヨゼフさんは殴り倒されてしまいます。刺し殺したかな?
「なっ……何……?」
おぉ、よく喋れましたね。お母さん、流石に殺さなかったんだ。
ん? ヨゼフさん、回復魔法も使えるんだ。早めに失神した方が幸せなのに。
「ヨゼフさん、今の貴方ね、悪い夢を見ているのよ。だから、私が目覚めさせてあげる。喜んで」
片手に血塗れの肝臓、もう片手に包丁を持つお母さんが微笑んでいまして、私はとてもゾッとします。
「行きましょうか、皆さん。それでは、ルーさん、宜しくお願い致します」
「えぇ。お任せくださいな。カッヘル君ほど強情ではなさそうですし」
「お母さん、帰る時はイルゼさんに送って貰ったら良いからね」
「っ!? メ……メリナ様の母君――」
「気軽に娘の名前を口にしないっ!!」
「ガハッ!」
うはぁ、凄いなぁ。お母さんの蹴り、速いわ。私も見習わなきゃなぁ。
さて、アデリーナ様が滞在するのに使っていた小屋から日記を回収して、私達は撤収の準備に入りました。
再びのルッカさんの転移魔法でシャールまで戻してくれるみたいです。
集まって術の発動を待つ中、剣王が馬に乗って此方へと向かって来ていました。ソニアちゃんも同乗していまして、剣王の胸の前で馬に揺られております。ソニアちゃん的には剣王と密着できて幸せかもしれませんね。
「おい、俺たちも連れて行け!」
剣王がそんな事を遠くから告げて来ました。
ベーデネール討伐後の「俺も竜の巫女になる」という彼の発言。私はそれを思い出します。
「アデリーナ様?」
「いや、無理で御座いましょう。神殿は男子禁制で御座いますよ」
ですよね。しかし、以心伝心でしたね。アデリーナ様もあの会話を聞いていて、且つ、私と同様に危惧していたのでしょう。
「良い男じゃん。一度くらい寝てやろうかしら」
最近は落ち着いていると思っていたのに、フロンめ、魔族としての本性を見せてきましたね。呑気なことを言っておるんじゃない。
「ミーナの方が強いよね?」
戦闘狂のミーナちゃんはそればかり。
「ちゅよいよー。みじゅ、のみゅー?」
全く問題児ばかりです。
剣王が馬から降りる。それから、脇の下に両手を入れてソニアちゃんを下ろします。
「くすぐったい」
「悪いな。落ちたら危ねーだろ」
ふむぅ、兄妹みたいです。でも、ソニアちゃんは彼に対して淡い恋心を持っていると、この私には分かっておりますよ。全くまだ子供だというのにおませさんなんだから。
「私もシャールに戻りたい」
「街の復興はまだだが、命の心配はもうねー。ソニアの母親代わりをしていた女をマールテンに戻したいんだとさ。故郷に戻りてーだろーからな」
「そういうこと。お願い」
「いいわよ。じゃあムーヴするね」
私達は宿屋のロビーに転移しました。
私、違和感を抱いております。ルッカさん、転移魔法を連発できないと昔は言っていたのに、今日は3回も大移動しています。
能力を向上させているのか、嘘つきなのか。
どちらにしろ大変に気に食わないです。あの笑顔の下で、やっぱり私を殺そうと思ってる可能性もあるのですから。
「お帰りなさいませ、皆様」
ショーメ先生が迎えてくれました。こいつ、ベーデネール戦に参加していたクセに涼しい顔ですね。他のメンバーに任せてサボっていたのかもしれません。
「私の借りてた部屋に、まだお母さんはいる?」
「外に行かれてますよ。夕飯には戻ってこられるでしょうか」
オズワルドさんが不在なので、ショーメ先生が宿屋の管理を行っているみたいです。
「分かった。ありがとう。ゾル、街に出る。ミミちゃんも来る?」
「いきゅー」
「そうか。おっと、そうだ、メリナ。ルーさんからの言付けだ。『借金の件、ちゃんと解決しないと許さないわよ。後日、確認しに行くから』だとさ」
3人は扉を出て行きました。私は膝がガクガクと震えるのを抑えられませんでした。
「それじゃ、化け物、帰るわ。アディちゃんも一緒に神殿だね」
「えぇ、そうで御座いますね。その前にルッカ、宜しくお願い致します」
「えぇ。サンキュー」
ルッカさんに咬まれてフロンはふーみゃんとなります。愛らしいその猫を見ても私のどうしようもない心の動揺は消せませんでした。
扉がまた開かれ、アデリーナ様とルッカさんも居なくなります。
「ミーナも帰るね。お母さん、遅くなったから心配してるかも」
「ミーナさん、ここはお住まいから遠いですので私が道案内しますね」
ショーメ先生とミーナちゃんも不在となります。私が呆然としている間に誰も居なくなったのでした。まさか、皆、私一人でお母さんからの命令に従えると思っているのでしょうか。
私は助けて欲しかったんですよ! 温かい言葉を掛けられるのを待っていたんですよ!! あと、日記は誰に書いて貰えば良いんですか!?
あぁ、急ぎお金が必要です。しかし、当てがないのです。
私は部屋に籠って、必死に金策を考えることになりました。
◯メリナ観察日記29
お嬢様が憔悴しておりました。
何があったのか爺には拝察致しかねるのですが、お嬢様のお悩みが解消されることを心よりお祈りしております。
お嬢様が好まれていたドラゴンの上等な肉を手配致しますので、何卒ゆっくりお休みになって頂ければと存じます。
なーに、お嬢様のことです。明日、明後日にはお元気な姿で爺の余計な心配を笑い飛ばしてくれましょう。




