精神崩壊の策
現れたのは偽フローレンスこと、精霊ベーデネール。巫女長の少し若い頃の姿。
「ナハワガヌダーミユワ、スーナンットハナヤバィユハ」
巫女長が精霊語で何事かを言いました。ルッカさんの言い付けの通りに「聖竜様は遠くに住むのなら干渉しないと仰っていた」と伝えたのでしょう。
そして、間髪容れずに精神魔法。いやー、お見事。相手に何もさせずに直撃です。
宙から剣を出したアデリーナ様も敵に詰めていて、鋭く横へ一閃。ベーデネールの首を切断する。続いて、私の氷の槍がずるりと落ちる途中の頭部を壁に釘付けにします。
アシュリンさんと剣王が私達の横に広がり、相手の反撃に備えます。オロ部長も背後で舌をチロチロしている気配があります。
誰もこれで決着が着いたとは思っていません。
敵の体も頭も魔力の粒子になって形を失くす。
静寂が場を支配するが、警戒は解かない。
目には見えなくともベーデネールの魔力は漂っています。やがて、それらが一塊の霧みたいに集まって、ゆっくりと近付いて来るのです。
「これ、大丈夫なんですか!?」
危険を感じた私は不安を口にして叫びます。
「お得意の魔力操作で、全て吸収なさい!」
助けて欲しかったのに、アデリーナ様が冷酷な命令をしてきました。
「はぁ!? 体の中にあの魔力が入ってきたら、さっきの精霊に乗っ取られるかもって思って訊いたんですよ! 自ら体内に吸い込んでどうするんですか!?」
「メリナさん1人の犠牲で皆が救われるので御座います。胸を張りなさい」
「オロ部長! 女王で魔王の下劣な人が何か言ってます!! 助けてください」
「こらこら、魔王は貴女で御座いますよ、メリナさん」
勿論、私達は危機を静観している訳ではありません。氷魔法や魔剣、毒液などで魔力の動きを制しようとはしたのですが、実態のない魔力に対しては水を斬るみたいに無駄な努力だったのです。
「くぅ!! 分かりました! 何かあったら責任を取って下さいよ!」
杞憂かもしれません。でも、明らかに魔力は意思を持って、私達の方へと向かってきていると思われます。
精霊は自らの魔力を人間に与え、人の思考に影響を及ぼす。アデリーナ様が以前にそんな推論を語っていました。
それを合わせて現況を鑑みるに、あの魔力に敵の思惑があるのならば、全員の体内に侵入して皆の思考を操作する作戦なのかもしれない。
自己犠牲。
好きな言葉ではないのですが、この状況を変えられるのが私しか居ないのであれば致し方なし。
皆ではなく私だけがこの魔力の霧を吸えば、全滅は避けられる。
私は怪しげな魔力を全て呼び寄せ、そして、体内に取り入れます。
「メリナさん、貴女の崇高な死は無駄に致しません!」
おい、不吉な冗談を言うんじゃない。
「まさかとは思うが、また竜になるんじゃねーぞ。こんな狭いところじゃ、全員押し潰されちまうからな」
ふん、幾ら私でもそれくらい分かりますよ。
「メリナっ! 貴様の骨は拾ってやる! 存分に敵にぶつかって散ってこい!」
いや、アシュリンさん、死ぬ前提じゃないですか。
『お前は竜。お前は竜。お前は竜。お前は――』
ん? なんだ? 頭の中に声が響く。
しかも、えー、なんだろ、「お前は竜」って何回も呟かれて凄く不快です。
言われなくても分かってるっつーの。なろうと思えばいつでも竜になれるのですよ、私は。
だから黙りなさい。
『ククク、儂の声が聞き取れるようだな。竜とするのを餌に、お主に魔力を取り込ませたのは正解であった』
ふん。お前の目的はなんだ?
『愚かなる竜スードワットに代わり、この地を貰ってやるのだよ』
ほぅ、中々のチャレンジャーですね。ぶっ殺されたい宣言、豪気ですよ。
「メリナさん、どんな感じで御座いましょう?」
アデリーナ様が私を心配してか尋ねてきました。
「なんか喋り掛けて来てます。聖竜様を愚かだとかぬかしやがるんで、ぶっ殺したいです」
「精神を蝕まれる感じがしたら教えてくださいな。息の根を止めますので」
「それ、私の息の根じゃないでしょうか」
全くアデリーナ様は好き放題に言いますね。オロ部長みたいに黙って様子を見守ってくれたら良いのに。
さて、不遜な精霊ともう一度話をしますかね。
サッサッと出ていってくれます? 塵も残さずにこの世から滅ぼしてやりますから。
『強気な者のよぉ。今からお前の精神を崩壊させる。深き絶望の谷に落ちるが良かろう』
ふん。よく喋る虫けらめ。そんな脅しに怯む私ではない!
『ある人間のメリナに対する評価。≪生涯、苦楽を共にする無二の親友となるであろう、そんな存在。かけがえのない大切な人≫』
……ん? 何それ? 臭くて大袈裟な言い回しからすると、サブリナの私に対する評価かな。
愚か。
精霊だから人の感情が分からないようですね。そんな悪意のない普通の想いで私にダメージが入るとでも思ったのか。
いや、今からサブリナを殺すと脅すつもりか……。許すまじですね。
『Byアデリーナ・ブラナン』
「ヒッ!! マジでガチでキモい!!」
凄まじい勢いで背中を寒気が走りました。
悍ましい! なんたる悍ましさ!!
震撼とは正しくこの事です!!
「どうしたっ!?」
「……だ、大丈夫です……。ただ、気持ち悪すぎて気を失うところでした」
「メリナさん、酷い汗で御座いますね。苦戦しているのでしょうかね。ハンカチでもお貸ししましょうか」
伸びるアデリーナ様の手。
「さ、触るな!!」
私は思わずそれを払い除けてしまいました。
「様子がおかしいぞ……」
「メリナらしくない、普通のおかしさだなっ!」
「いえ、普通に無礼過ぎるで御座いましょう」
『ククク、次である。これもある人物のお前への想いだ。≪バカ。トンでもないバカ。今まで出会った人間の中で一番バカ。あと足臭い≫』
アシュリンさんか……。ふん、今更です。人間的に劣った方からの妬みなんて、別に何とも思わないですよ。
『Byカトリーヌ・アンディオロ』
「グハッ!!」
マジかっ!?
振り向いて、私はオロ部長の顔を見ます。
部長は「がんばれ」って意味で腕を曲げて力こぶを示してくれました。
その見せ掛けと判明した優しさが、私の心を抉ります。
「そんなの嘘です!!」
耐えきれずに私は叫ぶ。足が震える。
「くっ! あの拳王が苦戦だと……」
「メリナっ! 自分を信じろっ!」
「メリナさん、私の手、赤く腫れたので御座いますが? 謝罪を要求致します」
『ククク、もう少しで堕ちそうであるな』
くぅ……油断していました。
しかし、よくよく考えたら、こいつの発言が本当だという証拠は全くなく、私が狼狽える必要もないのでした。アデリーナ様のインパクトが強すぎて、少々パニックになっていたようですね。
『ある者はお前をこう思っている。≪竜の巫女として不適――』
無駄です。やめなさい。
『最後まで聞きたくないのは効いている証であろう、ククク』
よりにもよって、誰よりも聖竜様を慕っている私が竜の巫女に不適格なんてことはないのです、と反論が頭に浮かんだ時です。巫女長の呟きが耳に入ります。
『――御霊は聖竜とともに有り。我は願う。黄昏の海に堕ちし赤烏の囀りは闇夜を誘う。月映えする鱗――』
えっ! これ、巫女長の精神魔法≪告解≫の詠唱!!
「マジでやめて下さい!!」
「メリナさん、今、お助けしますからね」
「ふざけんなっ!」
最高速度での振り向き、しかし、既に時遅く巫女長の術は完成していて、暴虐や殺意という概念を現実にしたかのような荒々しい魔力が渦を巻きながら私を貫こうと飛んできていたのでした。
避けられない!!
私の行動は思考より速く反応して、体内にあった精霊ベーデネールの魔力を掻き集めて放出、巫女長の魔法にぶつけての相殺を狙っていました。
それらがぶつかると同時に、凄まじい光が部屋を埋めます。爆風みたいな衝撃も響きます。
「ハァハァハァ……」
光が消え、私の緊張の糸も切れる。
息切れが激しい。でも、私は生きている。凌ぎきったか……。
「メリナさん……無事のようで何より。さあ、謝罪を」
「まだだっ! 巫女長の中に入ったぞ!」
何っ!?
アシュリンさんの警告に戦慄します。
オロ部長も場所を移動して、巫女長の動きを警戒します。
顔を歪ませる巫女長。いつも飄々として、見た目は穏やかな巫女長が初めて見せる様な苦しみです。
「どんな攻撃だ!? 教えろ!!」
剣王が必死な形相で私に訊いてきました。
「精神破壊! 強烈です!! 記憶喪失になりたいくらいの!」
「メリナさんがそう表現するなら、よっぽどなので御座いましょう。気を引き締めて行きますよ! ところで、あー、手が痛い」
ベーデネールの偽りだとは思いますが、ほぼほぼ、お前のキモさのせいです。
しかし、本当に腕が腫れていたので回復魔法を唱えて差し上げます。貴重な戦力ですので。
巫女長がガクリと倒れ、地面の上に膝立ちで項垂れます。相当な精神攻撃を受けているのだと察します。恐ろしい。あのタフな巫女長がそこまで打ち拉がれるとは……。
「ま、まさか……アシュリンさんが私を『いつも仕事をサボってやがるクズ。上司にしたくない奴ナンバーワン』だなんて思っているなんて……」
……えっ、そうなんですか……?
私はアシュリンさんの表情を確認します。
「メリナ、なんだっ!? 私の顔に何か付いているのか!? 敵から眼を外すな!!」
……いつも通りの態度ですね。
う、うん、虚言でしょう。
「そんな、嘘よ! メリナさんが私を『王国の最終兵器。できれば近寄りたくないし、確実に惨事を招くから聖竜様に会わせたくない』なんて酷い事を思ってるなんて!!」
うわっ! マジか!? それは真実、私の心の内じゃないですか!!
「思う訳ないですよ、巫女長! 敵の術中に嵌まってはなりません!」
これは応援と言うよりも保身からの発言です。
「うぅ……幼い頃からお世話していたアデリーナさんが私に『策士。女狐。生きる災厄。心を許してはならぬ者』なんて思っているはずがないわ……。そうよ、おかしいわ」
それ全部、言ってた。
「アデリーナ様……?」
「メリナさん、動揺してはなりません」
そうです。まだ戦闘中。
しかし、精神魔法のスペシャリストのクセに意外に巫女長は心が脆いのか。
「えっ!! オロ部長が『役に立ってんのかな、アレ。私の部長職くらいお飾りじゃないかな。人間なんだから、もう少し仕事しようよ。あと、若い頃に仲間を食べてごめん』って告白したかっただなんて……。気にしてないのに……。でも、『アレ』呼ばわりだったのはショック!!」
オロ部長の舌を出すスピードが上がって、それは焦りの表れなんだなと私は感じました。
「お前ら、本当に思ってそうだな……」
「貴様っ! 言うに事欠いて、なんたる暴言!! パウスの弟子だろうと、言葉に気を付けねば命はないと思えっ!!」
あー、アシュリンさんも平常心を乱されてますね。少し額に汗が浮き出てましたよ。
お前も秘めたる想いをバラされていたのか。
いや、そうなると、先に聞いたベーデネールの発言も真実になって、本気でアデリーナ様がキモい存在になりますね……。
「もう退治するわ! こうよ、こう!!」
誰を退治するつもりですか、巫女長!!
私じゃないですよね!!
巫女長の魔力が膨れ上がり、一気に緊迫した空気に変わる!
しかし、何発もの彼女の術が貫いたのは自分自身。錯乱ではなく、体内のベーデネールを殺そうとする行動なのでしょう。
精霊ベーデネールの魔力の粒子が外に出ます。ふわりふわりと漂いながら、やがて消える。
「……やりましたか?」
「さぁ、どうでしょう。それよりも、巫女長、敵の虚言に負けず、よくぞ持ちこたえましたね。私、アデリーナは貴女を信じておりました」
「さすがは我らの長、巫女長殿であったなっ! メリナっ、お前も見習うんだぞっ!」
……お前ら、絶対に機嫌取りに走ってるだろ。
踞っていた巫女長が手で体を支えながら立ち上がります。顔が真っ白です。
「悪魔よ! あの精霊は悪魔よ! あぁ、恐ろしい! 皆が私をあんなに悪く言うなんて嘘を吐いて!」
皆は静かになります。
巫女長のお茶目な演技かもしれないと思ったのです。そう考える程に、あの最恐と言われた巫女長の狼狽ぶりに皆が驚いています。
「……はい! 悪魔です! また出てきたらぶっ殺してやりましょう!!」
意を決して、私が最初に発言します。
「そうよね! うん、メリナさんが私を裏切る訳ないものね! 聖竜様にお会いさせないなんて意地悪しないものね!」
「はい! 心に誓って!!」
「メリナさんが裏切ったら、私、メリナさんを死ぬほど恨んじゃうものね! アデリーナさんもオロ部長もアシュリンさんも!」
「はい! 絶対にぶっ殺してやりましょう!」
絶対にです!! 決意しました。
また巫女長に入り込まれた日には、更に悪どい密告をされて、巫女長に呪い殺されるかもしれませんから!
「あの精霊、まだ生きてるのか?」
多少の落ち着きを戻した巫女長に剣王が果敢に質問しました。
「えぇ。ゾル君だったかしら、あの悪魔はまだ生きているの。そして、力を復活させてここに来る。私には分かるわ。悪魔の考えが分かるの」
巫女長がわなわなと震えています。そこまでショックだったのでしょうか。理解し難い点もありますが、私は討伐を心に誓います。生命の危機ですから。
「精霊は不死かもしれません。メリナさん、何か対策は御座いませんか?」
こいつ、私を大切な人とか想ってんだろ。ちょっと怖いなぁ。
「そ、そういうの考えるのはアデリーナ様のお役目ですよ」
「そーいや、ルーさんが森の神様とか言う精霊を魔剣で刻んだのを見たことがあるな。めちゃくちゃ細かくしたら精霊も消えるみたいだったぞ」
「……魔剣? 魔力を以て魔力を切る。有り得るのか……」
「分からんが殴るだけだろっ! 私の全力の魔力をぶつけてやろう! 敵に怯えるのは愚策であろうっ!」
アシュリンさんが気合いを見せ、その体が輝き始めます。闘気なる熟練の戦士の証でして、体内の魔力が迸っているのです。敵ではなく味方の巫女長に怯えるのは愚策ではないのでしょうか。
また、アシュリンさんと同様にオロ部長の体からも雷のように赤黒い魔力がチラリチラリと漏れ出ていました。部長も早く決着を付けたいと願っているのが分かります。
皆、本気の本気になってしまったみたいです。無論、私も。
その後、ベーデネールは5回程、私どもの待機する部屋に出現し、その度に飢えた獣よりも激しく襲い掛かる竜の巫女達によって瞬殺されました。
霧のような魔力になっても誰も攻撃を止めることはなく、文字通り霧散させます。最終的には土壁を抉りすぎて、お母さんやマイアさんが担当する部屋に繋がるくらいでした。




