メリナのルール
私は震える声でアデリーナ様に訴えます。
「どうやら邪神の術中に嵌められたようです。……私は邪神の顔面を殴れません」
「メリナさんが? それは一大事で御座いますね。世間体を気にしますので私も同様ですが、野獣メリナが殴打できないとは異常事態で御座います」
「はい、辛いです……。でも、野獣って何ですか? 昔に呼ばれていた狂犬より、何だか知能が悪化しているみたいに思うのですが」
「ほぼ同等で御座いましょう。メリナさん、そんな些末な事を気にしている場合では御座いませんよ」
……腸が煮えくり返りそうなのですが。
「めりゅなー、やじゅー、やじゅー。きゃっ、きゃっ」
クソォ!! 邪神が本来の人面竜の姿であれば、身体中に大穴を開けてやるところなのに!
「精神魔法の系統かもしれませんね。ふーみゃんに大変に申し訳ないで御座いますが、毛を貰いにいきましょう」
はい。あれは大変に有用です。巫女長の精神魔法でさえ防げるのですから。
私達は外へと出て、ネオ神聖メリナ王国の方々が集まる場所へと戻ります。ふーみゃんもここにいるからです。
戦場となってしまったこの地ですが、健気にも、地味な服に身を包む人々が簡易の小屋やテントを立てて、再び集落を作ろうとしていました。
そんな忙しそうな彼らですが、私を見ると平伏してしまい、大変に心地が悪いです。
お仕事を続けるようにと言っても、頭をあげません。
しばらく進むと、何人かで固まり立ったまま熱心に議論する連中がいました。衣装も民とは違い、宗教っぽい豪華さを含んでおります。
メリナ王国の国民には大まかに2種類のタイプがいると思われます。1つは先程の善良そうで勤勉な方々。家族連れが多く、様々な作業を楽しそうに分担して行っています。私の故郷の村を思い出しそうなくらい、人々の雰囲気が似ていました。
もう1つは華奢な服を着ている者も一部いる聖職者達。議論している彼らはイルゼさんに従った元マイア教の僧なのでしょう。宗教都市デュランでは僧の地位が高く、皆が皆という訳ではありませんでしたが、民衆に対して驕りを隠さない者もいたのを思い出します。
そして、私は覚えています。
昨日の戦乱において聖職者の多くは後方に控え、民を敵前衛に対する壁としていたことを。
それは民が自ら望んで、宗教上自分達よりも命の重い聖職者を守ったのかもしれません。
しかし、それは許されることではありません。何故なら、偉そうに喋っているだけのこいつらが崇める対象は私。その私が彼らの卑怯と臆病を認めるはずがないからです。
最近まで彼らが信仰していたデュランの聖女は他者の手に負えない魔物と戦い、また、王都や他都市との政争の舵取りをする役目。聖女は信者を守り、信者は聖女を盛り立てる。
悪く言えば、デュランの僧は聖女を崇めているが、一方、利用することにも慣れている。
対して、シャールの聖竜様は基本的に人間の問題に干渉しない。だから、竜の巫女は聖竜様に頼ることはできず、竜神殿を維持するには自身を高め、聖竜様の代わりに民の尊敬を得る必要があった。
なので、巫女たちの自立心は非常に強いのです。
どちらが精神的に優れているかは論じる必要もなくて、竜の巫女は気高い。そんな風に巫女を成長させる聖竜様はやっぱり凄いなと思いました。
さて、民と同様に、私に気付いた途端に平伏して動かない聖職者達。私は足を止めます。
「メリナさん、どうしましたか?」
「めりゅなー、ねこー、たのちみー」
「こいつらを助けた意味はあるのかなと思いまして」
私は知っています。
昨日、イルゼさんは私達に助けを求めて宿に転移して来ましたが、それまでに少なくない死傷者が出ていたことを。彼らの大半は僧ではなかったでしょう。
負傷者は私が魔法で救いました。でも、死者が復活することなんて物語の中の話です。
「さぁ、どうで御座いましょう。一昔前の私なら『どの愚民が死のうが生きようが大差は御座いませんよ。石ころが蹴られるのを見て、思い悩むのですか?』と答えたと思いますが」
「今は?」
「国を治める者として、誰であろうと一人でも助かったことに感謝致します」
「暴君アデリーナも成長するんですね」
「今まで暴君なんて呼ばれたことは御座いませんよ」
「ぎょくあきゅぼーくんあじぇりゅーにゃ、きゃは」
無邪気な笑顔をしながら、邪神が片手をあげて私を見上げます。邪神なのに無邪気とはこれ如何にと思わなくもないですが、私は「よくやった」との気持ちを込めて、軽く手を合わせます。
「たった今、極悪暴君と呼ばれましたね」
「そいつは邪神で御座いますよ。清き者を罵らざるを得ない習性なのでしょう。哀れな存在で御座います。あぁ、メリナさんも哀れな一員で御座いますからね」
さて、少し先の小さな斜面の上にちょっとだけ豪華な小屋が見えました。窓に色付きガラスとか使ってます。アデリーナ様曰く、イルゼさん用の休憩小屋だそうです。それを昨日からアデリーナ様が借りているらしい。
では、あの小屋に愛しの黒猫ふーみゃんがいるのですね。
近付くにつれ、小屋近くにソニアちゃんと剣王が立っているのが見えました。
どうも私達を待っていた様子ですね。私を確認したソニアちゃんも寄ってきました。
「メリナ、話し合いは終わったの?」
「えぇ。ソニアちゃんは私に用があったのかな?」
「……別に」
ソニアちゃんは顔を反らしながら気のない返事をします。素直じゃないなぁ。
困った私が剣王を見ると、彼は素っ気なくソニアちゃんの目的を口にします。
「お前がミミを殺すんじゃないかって心配してたんだぜ、ソニアのヤツ」
あー、ミミちゃんの中に邪神がいるって知った瞬間、知らずに殺意を表に出してしまったかな。そんなつもりはなかったけど気を付けなくちゃ。
「ゾル、それは言わない約束」
「知ったことかよ。ガキは考えなしの方が可愛げがあるんだぜ」
「あはは、ソニアちゃん、いくら私でもこんな小さな子を問答無用で殺さないよ」
「メリナはめちゃくちゃ。ミミにも修行って言って、ボコボコにする」
「しないよー。だって、私のお母さんも修行は6歳からって決めてたもん」
懐かしいなぁ。幼馴染みのレオン君もそれくらいから殴られたりしてましたね。
そう言えば、レオン君もそろそろ12歳か。村を出ても良い頃のお歳ですね。シャールに来るなら、家とかの用意を手伝ってあげようかな。
「ソニア、何歳だ?」
「ギリギリ6歳」
お前、本当に6歳か? 下手したら私より落ち着いてるんですけど。
「メリナさん、試してみましょうか。ほら、じゃしーん、変身して7歳くらいになってご覧なさい」
「いりゃなーい。おおききゅなっちゃっら、こまりゅー。めりゅな、わちゃしをなぐりゅー」
「なるほど。メリナさん親子の習性で御座いましたか」
「何がですか?」
「5歳の子供までは手を出さない」
「はぁ。あー、そうかも。人間限定ですけど」
うん、精神魔法を仕掛けられた訳ではなさそうです。良かった。アデリーナ様が言うなら信じられます。
「おい、あんなモン、成人でも耐えきれんぞ。年齢制限に意味ねーだろ」
うるせーヤツです。うちの村の伝統なんですから、黙ってなさい。
「しゃんぽ、おわりゅー。つかれちゃ」
「じゃあ、中で休みますか。ふーみゃんに会えるの、私、凄く楽しみです」
「えぇ、そうで御座いますね」
アデリーナ様も珍しく自然な笑顔をしています。鬼にこんな表情をさせるふーみゃんは、本物の天使よりも天使です。
「ふーみゃん? 知ってる、ゾル?」
「あぁ。女王が飼っている黒い猫だ」
剣王よ、なんと味気ない返答でしよう。お前にはふーみゃんの至高の可愛さが分からないみたいですね。
しかし、入る前から理解していました。
ふーみゃんはもういません。魔力感知で判明しております。
ノブに手を掛け、中に入る。
ほら、フロンに戻っていました。極めて残念。
「アディちゃん、待ってたわ。ここが新しい私達の愛の巣ね。準備万端よ」
まさか全裸で出迎えとは想像しておらず、即座に氷の槍を放ってから、激しく扉を閉めました。




