嵌められていたメリナさん
日が眩しくて私は目を覚ます。まだ眠いのを太陽にノックされるような感覚、久々です。
記憶喪失になった直後、シャールの街壁の外で寝ていた頃を思い出します。あの時はベッドがあったから、草の上の今よりは幸せだったのかもしれません。
いえ、そんなことはありません。
念願が叶い、私は竜になったのだから。
そう! 私は竜にジョブチェンジしたのです! 就職大成功です!
「おはようございます、メリナ様」
イルゼさんが晴れやかな表情で私の前に立っていました。機嫌が大変に良い私も挨拶を返しましたが、やはり喉が鳴るだけ。
早く聖竜様みたいに念話を身に付けないといけませんね。
「メリナ様の福音書、私めが確保し大切に保管しておりますのでご安心を」
私は両翼を上げてオッケーの合図をしました。分かるかな?
あっ、ソニアちゃんが私の腹でできた日陰から出てきました。そっか、私が寂しくないように傍にいてくれるって昨日言ってましたものね。健気です。そして、都合が良い。彼女はアデリーナ様提案の意思表示方法を知っておりますから。
「イルゼ、メリナは了解した」
望んだ通り、ソニアちゃんが私の意思をイルゼさんに伝えてくれました。
「感謝致します、メリナ様。竜の姿でいらっしゃる限りは、毎夜イルゼが福音書を記し、そして抱いて寝ます」
両翼を上げてから片翼を下ろす。
「書くのはオッケー。抱いて寝るのはキモい。ってか、紙がぐちゃぐちゃになるから止めろ」
おぉ、ソニアちゃん、優秀! 私の心の言葉を代弁してくれました。
よし、ソニアちゃん、貴女を金色竜メリナの巫女に任命しましょう。光栄にお思い下さい。
その内に、イルゼさんは儀式の準備があると去っていきました。巫女長が絶えず体を磨いてくれるのが気持ち良くて、私はまた寝てしまいます。
「おい、起きろよ」
前肢を乱暴に蹴られた。最悪の目覚めです。眠気からすると、そんなに時間が経ってない気がします。
声の主である剣王を私は睨みます。なお、目の位置が人間と違っていて、顔のサイドよりに位置しますので、睨み付けるには両眼を突き出た鼻側に寄らせる必要があります。それは人間で言うところの寄り目を維持するのと同じなので、疲れますね。聖竜様は器用です。
なので、顔を横に向けて片眼で剣王を見据えることにしました。
『グアアルルゥ!』
獣の鳴き声でしかないですが、2度と私を起こすなと警告と不快の意を伝えるだけなので十分です。
「お前、どういうつもりだ! あのババァに寝返ったんじゃネーだろうな!」
ババァとは偽フローレンスのことでしょうね。なんと愚かな考えでしょう。私があいつに味方する訳が御座いません。片翼をゆっくりと上げて否定します。
「ゾル、メリナはバカだけど悪い人じゃない。そんなことしない。もう人じゃないけど」
「ったく! クハトの野郎は取り逃がした。ババァと一緒に消えた。何処にいるのか分かったら、お前も戦えよ!」
はいはい、余裕ですよ。今の私ならブレスの一撃で全てを破壊できる予感がします。
「クソッタレが。お前が竜にならなければあいつらを捕らえられたはずだぞ。くそ。……豚の丸焼きを用意した。とりあえず食っておけ。昨日から食ってねーだろ、お前」
私は片翼を上げて拒否。お腹が空いてないので。
「っ! おかしい。メリナが食べないなんて。天変地異の予感」
「もう起きてるだろ。しかし、確かに違和感があるな。おいっ、食べねーなら、ミミにやるぞ」
おー、ミミちゃんは無事でしたか。獅子頭の魔族ですね。
良かった。大して思い入れはないですが、瓦礫に圧し潰れされて死んでいたら、少しだけ憐れむところでした。
さて、私は両翼の返事。つまり、オッケー、くれてやるってことです。
「ソニア、おかしいぞ」
「うん。詳しい人に訊く」
ソニアちゃんはまだ私の鱗を黙々と磨き続けている巫女長へと駆け寄りました。巫女長のいる私の尾っぽ近くの腹部まで行くのに何十歩も必要で、じれったく思った剣王がソニアちゃんを途中で抱えて走りました。
この時、私は目撃したのです。
片手で胸のところに抱かれたソニアちゃんが恋する乙女の眼をして剣王の顔を見詰めていたところを。
ソニアちゃん、確かまだ5、6歳ですよ。喋り方が気持ち悪いくらいに大人びているだけで、普通の人間だったら虫の足を捥いだり、蛇に石を投げつけて遊ぶくらいの年頃で、色恋沙汰なんて想いも付かない歳なのに、ほっぺを紅潮とかさせてました。これはひょっとしなくても、完全に雌の顔です。なんたるオマセさんなのでしょうか。
「おい、ババァ。メリナがおかしい。飯を食わないのだが、体調不良か?」
剣王は本当に愚か者です。ソニアちゃんの想いに気付かないだけでなく、その人をババァと貶しました。そこにいる巫女長は王国で最も敵に回してはいけない方なんですよ。
お前、死にますよ。ソニアちゃんの目前で無惨に殺されますよ。
「ゾルは失礼。ごめん。フローレンス巫女長、私はメリナの知り合いのソニア。メリナの食欲がなくて心配している。何か知らない?」
こいつ、本当に子供なのでしょうか。話力が高すぎる気がしてきた。
「あらあら、かわいらしいお子さまね。分かるわよ。メリナさんは絶好調よ」
ほら、私は何ともない。
「子供扱いしないで。でも、本当に大丈夫なの?」
「あらあら、ごめんなさいね、ソニアさん。はい、メリナさんの体は大丈夫。食べないのが普通なの」
あっ、竜ってご飯が要らないんだ。勉強になりました、巫女長。
「体の色が派手でしょ? キラキラしてるわね。これはね、遠くからでも見える色で番の相手を呼び込んでいるの。で、生物としてはそれでお仕舞い。無事に卵を産んだら、いえ、産めなくても成体になってすぐに寿命が来るタイプの竜なの。儚いわね。ほら、蛍のドラゴン版だと思えば良いのかしら」
…………ん?
「でも、この辺りの竜は私がーー正しくは、私の分身の1人が食べ尽くしたから、可哀想に相方は居ないわねぇ。ほらぁ、メリナさん、子孫を残せずにあと3日くらいで死なれるのよ」
えぇ!? 私、あと3日の命!?
「見てご覧なさい。メリナさんの魔力の大半は体を維持するのに使われてるのが分かる?」
「分かんない。でも、メリナは超強力なブレスを吐いてた。だから、信じられない」
で、ですよね!
「そうね。だから死期が早まったかしら」
巫女長! 優しい笑顔と口調で、とんでもない話をしないで!
「なるほどな。ソニア、良かったな」
「ゾル、何も良くない。メリナが死んじゃう」
「3日くらいあるんだろ。こいつなら自分で何とかするさ。元に戻る。んなことより、自分の心配をしろ。一睡もしてない上に、この悪臭だ。下手したら死ぬぞ」
「臭くてもメリナはメリナ! 私の大事な人!」
こらこら、臭い前提で物を申してはなりません。私の心が抉られます。
「分かったって。俺に任せろ。ソニアは休め」
「休まない」
「俺がお前を守るって言っただろ。休め。無理はいかんぞ」
そう言って、剣王はソニアちゃんの頭をポンポンと優しく叩きます。それでソニアちゃんは黙るのです。
剣王、お前、分かってやってます? 妹のサブリナに知れれば、ソニアちゃんが毒殺されかねませんよ。
2人が去った後、今度はアデリーナ様がやって来ました。来客が多過ぎます。
「メリナさん、お聞きしましたよ。余命3日だそうで、お悔やみ申し上げます」
『グガァッグガガァッ!!』
お前も道連れにしてやります!って叫んだのに、ちゃんとした声になりません。
「イルゼに聖竜様のところへ連れて行くように伝えたのですが、その巨体では途中でちょん切れてしまう恐れがあるそうです。首だけになったら笑えますね」
一切、面白くない。あと、唐突に鼻を摘まむな!
今まで我慢してたんなら、最後まで我慢しやがれってんです!
「む、メリナさん、アレですね。お口のお匂いもドラゴン級で御座いますよ」
は?
ならば喰らいなさい。
私は大きく口を開けて、息を深く吐きます。
「わっ! よしなさい! むわーって来る! 死ぬ! 臭くて死ぬ! ごめんなさい、メリナさん、これ強烈!」
死んどけ、死んどけ。看取ってやりますよ。
「まぁまぁ、メリナさん、それはよろしくないわね。ちょっと待ってて、ブラシを借りてくるから」
巫女長、飼育係してるなぁ。
咳き込むアデリーナ様を冷たい眼差しで私は観察します。
「さてと、邪魔物はようやく去りましたね」
まだ少し咳が残っているアデリーナ様でしたが、余裕のある顔で私を見上げます。
「これを装着なさい。そして、聖竜様の所に向かうのですよ。腕輪の危険性は承知しておりますが、これくらいしか解決策は思い付きませんでした」
転移の腕輪っ!
なるほど! イルゼさんの魔力では私の一部しか転移できませんが、私の魔力量なら可能!
「良かったです。ベタベタはしてないので御座いますね」
無許可で私の美しい鱗を触るアデリーナですが、転移の腕輪をイルゼさんから借りてきた功績に免じて許してやりましょう!
「ほら、さっさっとしなさい。フローレンス巫女長が戻ってきますよ。聖竜様を見て、また暴走すると面倒で御座います」
無論。
愛しの聖竜様に同族となった私を見て欲しい。そして、あわよくば色々と致しまして、私達の将来構想について延々と語り合いましょう!
私は転移しました。




