今と過去の聖女
☆デンジャラス・クリスラ視点
久々に見たイルゼの顔は晴れやかだった。
彼女が自ら創設した邪教に堕ちていく姿は醜悪で、そして哀れで、しかし、私にもそうさせてしまった自責の念があってどうしようもなく、「早く死んでくれないかな」と思ってしまうことがあるのは秘密である。
加えて、聖女の正装である聖白の衣を血で汚しまくっているのに、気に止めることもなく私の前に出現して満足げな表情とは全くもって許しがたいものがある。
「どうしましたか、聖女イルゼ?」
舗装されていない道を歩く足を止めて、突然に現れた彼女へ先に喋りかける。
「クリスラ様、ご無沙汰しておりましたこと、心よりお詫び申し上げます」
1人前の聖女になることを諦めて邪教の創設に走った未熟者が最初に発した自省の言葉が、それか。私と会わなかったことは罪ではない。それさえも分からないのか。
「イルゼ、用件を早くなさい。愚かしいお前には重要性が理解できないことでしょうが、私は今からマイア様とリンシャル様のお教えを民に説くところなのですよ」
竜の巫女メリナさんより譲り受けたシャールの貧民窟の管理。謂わば、王都に代わる首都となろうとしている一大都市シャールの治外法権地区の支配権。私はここを新たなマイア教の聖地とすべく、毎日を忙しくしている。
「アデリーナ陛下のご命令です。ネオ神聖メリナ王国の危機を救って頂きたく、クリスラ様のお力添えを頂きたく存じます。アデリーナ様のご命令なんですから、クリスラ様も私に協力してくれますよね」
……予想外。前よりも愚かさに磨きがかかっているとは……。子供が瞬時に思い付いたような国名を自慢げに言うんじゃない。
あと、お前、アデリーナさんが私との関係を取り持ってくれたと勘違いしているでしょ。
そんな淡い期待は破壊してやる。冒険者仲間からデストロイヤーデンジャラスとの異名を頂く程になった私が。
「聞けませんね。メリナさんも迷惑しているでしょうに。そんな王国は滅びなさい」
貴女と一緒に。
「……クリスラ様……」
私の厳しい言葉にイルゼは微笑を消し、一転して涙を浮かべた。
情けない。聖女の地位にあるということは、自分を捨てて民のために生きるということである。反抗する私を懲らしめ力を示して、他者を引っ張るくらいの気概が欲しい。それが聖女。
「姉御よぉ、あんま苛めてやんなよ」
「ガルディス。事情も知らずに横から口を挟むのは止しなさい」
この男は見た目通りに粗暴な男である。しかし、メリナが傍に置いていた理由は分かる。ごくたまに耳を傾ける価値のある発言を無自覚にする。
「いいや、姉御。『愛多ければ憎しみ至る』って姉御の信じる狐が言ってるらしいじゃねーか」
教典の一部だ。この男がよく覚えていたと感心した。
「それがどうしました?」
「この姉ちゃんが憎いのは愛し過ぎているからなんだろ? 俺、そういう恋愛もアリだと思うぜ」
……いや、違うでしょ。私は聖女の伝統とマイア教を愛していて、それを穢したイルゼを許せないだけです。
ガルディスは続ける。
「狐ヤローは『人は愛している限り許す』とも言ってるらしいじゃねーか。だったら、憎んでいるからこそ許してやるのが道理ってモンだ」
「ガルディス、その法理展開はーー」
「誤ってねーぜ。『救いを求める者を救わざれば法悦に達せず。救われることを信じる者を救わざれば悟性を失う』。いー言葉じゃねーか。困ってる姉ちゃんを救ってやるのが俺達、マイア教の信者だし、使命だろ?」
……。
「姉御、もう一つ理由があるぜ。ボスは決して真の名を口にさせなかった。そのボスの名が付けられた国なんざ、絶対にボスは許さねー。姉御以上に許さねー。だったら、俺達がその国を救って乗っ取ってやろーぜ。国名は大マイア聖国なんてどーだい?」
ふむ。素晴らしい。
「その条件でよろしいか、イルゼ?」
「ネオ神聖メリナ王国はアデリーナ陛下の認可を受けての立国です。そのようなーー」
「姉ちゃん、んじゃな、その一部の土地を俺らにくれよ。そんくらいいーだろ?」
イルゼはしばらく沈黙し、そして私を見て言う。
「それがクリスラ様との和解に繋がるなら、是非とも……」
「おうよ! ガハハ、姉御、決まったな!」
常に半裸のガルディスは丸く突き出た腹を揺さぶりながら笑った。
「イルゼ、連れていきなさい。貴女の期待に最低限は応えましょう」
私の返答にイルゼは深く礼をする。まったく、まだ律儀に私を敬うのか。
「ありがとうございます。では、ネオ神聖メリナ王国へ。敵は帝国軍でして、魔族さえ引き連れております」
イルゼはそう言った後、私の腕を取って共に転移した。
景色が変わる。
しかし、目で理解する前に臭いで分かった。
ここは戦場。人の肉が焼けている。
「それではクリスラ様、私は次の方を呼びに行きますので。ごきげんよう」
陽気な口振りに戻っていたイルゼは即座に消える。不自然な切り替えの早さが少し心配ではあるが、まだ大事には至らないかな。
「クリスラ、お久しぶりで御座いますね」
イルゼに代わるように現れたのは現国王アデリーナ・ブラナン。竜の巫女としての黒衣に身を包みながらも、その鋭利な美貌は王者の風格を漂わせる。
「すみません。デンジャラスの名でお呼びください」
「おお! 裏ボスじゃねーか! くぅ、再会できるタァ嬉しい限りだぜ!」
っ! ガルディス! お前も付いてきていたのか。
「……ガルディスでしたか。貴方もお久しぶりですね」
「おうよ。お前もな。ガハハ」
豪快に笑うガルディス。こいつは自分と目の前の女性との地位が天と地ほども違うことを全く認識していない。女王が快い豪放さと受け取ってくれれば良いが。
「戦況を説明致します。ご覧の通り、前面の敵兵はメリナさんが焼きました」
まだ燃えている。立ち上る熱気がここまで届くくらいに。
もう炎の中に動く者は見えない。
私がこれを見るのは2回目。
1年前に王国対諸国連邦の大規模な会戦があった。何とか模擬戦という形に収めて、死者は出なかったのだが、その終結後、酒に酔ったメリナさんによって諸国連邦軍が焼かれた。
騙し打ちによる全面戦争が計画されていたのかと焦ったが、その炎で焼かれた者も誰一人死ななかった。
肌の一部だけを焼いて苦しみと恐怖を与え、その場で気絶させる魔法。戦場にいた回復術士をフル動員することで翌日には全員が撤収できた。
その出来事が有ったからこそ、アデリーナ女王は諸国連邦とデュランが王国に逆らった罪を不問にしやすくなった。
「しかし、雑兵はまだ数多く残っております」
「戦意も高いように見えますね」
炎の海の先に砦が見える。そこを陥落させようと攻め寄せる敵軍に対して、竜の巫女の一員であるらしい白い大蛇が孤軍奮闘している。
「はい。何らかの魔法が戦場中に漂っております。メリナさんの炎で一旦退いた敵も戻ってきました」
更に喋ろうとするアデリーナ女王を私は制止する。
そして、額を飾るヘッドティカを外して、ガルディスに手渡す。
「姉御、どうしたんでい?」
素直に受けとりながら訊いてくるガルディスを無視して、私は第三の眼を静かに開ける。
邪神の肉を喰らいて得た眼。私が聖女であった時、リンシャル様に認められた聖女である証として自負していたもの。聖女を退いた後も、私の中では失ったことが心残りだったのだろう。その願望を邪神に読み取られ、植え付けられた。
邪神からの贈り物。聖女の証とは全くの別物。
しかし、この眼はやはり得難きものと感じる私がいる。
私個人にとっては、あの邪神は邪神でなかった。そう思ってしまう。
周囲の人間がざわめく。中にはデュランの聖宮で共に仕事をした仲間、いや裏切り者もいた。
「この私の第三の眼を見て、思い出して欲しい。お前達を救うのは偽りの宗教メリナ正教会ではなく、リンシャル様の加護を受けるマイア教であることを」
「お、おぉ……何たる慈悲……」
「嘆かわしき我等にまだ救いを……」
彼らは平伏す。少しは正気を戻してくれただろうか。そうであれば、聖職でもないのにリンシャル様の名を利用した私の罪も軽くなるだろう。
さて、広域で魔力を探知する。
真っ先に感じたのは、ここから100歩ほど離れた所に位置するフローレンスさんの魔力。噂では体が分かれる怪異に見舞われたとのことだが、それを乗り越えることで、あの高齢で更なる成長をしているのかもしれない。
彼女が空に向かって何発も強大な魔法を放っている。
離れているのは彼女の尋常じゃない魔法から避難するためにアデリーナ女王達が移動したからかもと感じた。
それから、次に感じ取ったのはメリナさん。さっきも見えた遠くの砦の中。彼女の付近に魔族3匹がいて、そこへ向かっているようだ。あぁ、冒険者としても顔見知りの剣王もいるか。
ヨゼフやレイラもその砦の中か。愚か者どもめ。撃って出る気概があれば、私の怒りも多少は収まると言うのに。
敵の中に魔族が多い。メリナさんが対応しようとしている3体の他に、野外の軍勢の中央に2体、上空に散らばって3体。それから敵方の最後方に5体。
フェリスもいた。彼女は気配を隠蔽していて気付き難かったが、進路からすると敵を迂回して、後方に控える5体を討とうとしているのか。実力者とはいえ自信過剰に思えなくもない。
「魔族が群れるとは珍しいですね」
それが私の感想。
「えぇ。フェリスも察知して様子を伺いに向かっております」
私は手に拳鍔を嵌める。これを使い始めてもう1年になるか。鈍い鉛色をしたそれの冷たい感触が私の戦意を高める。
「ガルディス、貴方は近付く敵兵から皆を守りなさい」
隣に立つ半裸の巨漢に命じる。
「おう。裏ボスを護衛するぜ」
アデリーナ女王には必要ないでしょうね。貴方より遥かに強いから。
さて、行きますか。
気合いを入れるため、両拳を勢いよくぶつける。心地よい金属音とともに小さな火花も飛び散った。
「デンジャラス、戦いが終わったらお願いしたい事があります。死なないように」
「今でもよろしいのですが?」
進むべきルートを決めるため敵勢を眺めながら、私は答える。
「聖獣リンシャルとコンタクトは取れますか? もし可能であれば、彼に聞きたい事があります」
「了解致しました」
マイア教を捨てた者どもが私に祈りを捧げる中、炎の横を疾走。ついで、まだ無事な敵勢の中へと突っ込む。
槍や剣が伸びてくるのを躱し続けて、中央の魔族を一直線に目指す。一直線と決めたから、邪魔になる者はぶっ倒す!
陣を切り裂いて進む私に、大きな火球が襲う。人よりも3倍は大きな魔族が見えた。
火を拳で打ち払い、ターゲットへと加速して突進。頭に闘牛のような角を持ち、私の背丈では腰の部分にも届かないくらいの巨体。周りの兵士達よりも大きな斧を持ち、接近する私へ狂暴な刃を落とす。
頭上寸前で避けて、大きくジャンプ。斧が草原に突き刺ささったのが轟音で分かった。
斧の衝撃で生じた風圧に負けぬよう、バランスを取る。空中で足を前後に開き、拳を後ろへ大きく振りかぶる。大きく吸った息が、気合いとして鼻から漏れる。
見える。魔族の弱点が光ってよく見える。
敵の胸の奥。そこを見据える。
「デンジャラース! ナックルゥウ!!」
フェリスにはみっともないので止めて欲しいと言われた、技名を叫びながらの攻撃。しかし、何て言うか、叫ばないとしまらない。
私の拳は魔族の弱点を突き破る。
そして、その一点に魔法を押し込むイメージで魔法を放つ。
そうすることにより、魔族の体内を循環する魔力が乱れ続け、やがて体を維持することもできなくなり、膨れ上がって滅ぶ。
実戦で披露するのは初めて。でも、完璧な予感。フェリスの秘技をようやく身に付けることができた。
私は結果を見ることなく、傍にいた次の魔族と対峙する。
楽しい。そんな感情が溢れてくる。
聖女であった頃は粛々と敵を倒すだけだったが、地位を捨てた今となっては、マイア様やリンシャル様の名誉を穢すことを恐れずに、ありのままの自分で戦うことができる。
「退かねば、このデンジャラス、お前も滅ぼそうぞ」
楽しい。雰囲気作りも楽しい。
イルゼ、貴女も早く引退して私側に来なさい。




