戦乱
ロビーは人がいない代わりに黒猫ふーみゃんが寝そべっていました。アデリーナ様が持ってきていたのでしょう。
体を弛緩させてのんびりしている姿は私の心を穏やかにします。
あんなに可愛いのに人の姿になってしまうと、フロンなんですよね。生きていくのに大変に辛いハンディキャップを持っているふーみゃん、とても憐れです。
「にゃー」
アデリーナ様が大切そうに抱き上げますと、小さい声で鳴きました。かわいい。
「私も抱きたいです」
「ふーみゃんも嫌でちゅよねぇ。いつも殴られていじめられていまちゅもんねぇ」
「アデリーナ様も体に大穴開けたりしてますよ。私の方がフロンに優しいくらいです。あっ、魚とか食べるかな。私、貰ってきます」
私は食堂へと戻り、それからキッチンにいた女中さんに小魚を頂きます。
それを手にした時、奥の勝手口が見えまして、「あぁ、今が逃亡のチャンス」と思ったのです。幸い、ここにいたショーメ先生も忙しい振りをしていて、私がこっそりと外に出ることを見逃してくれるみたいです。
ノブに手を触れた時でした。
「緊急事態です!!」
イルゼさんの大声がロビーから聞こえてきました。
私はメイド服姿のショーメ先生を見ます。今の叫びにも忙しい振りをして聞こえなかった風を装っていました。良い根性してますね。
「ショーメ先生、お呼びですよ」
なので、面倒事を先生に押し付けようとしたのです。
「アデリーナ様、早くしないとメリナさんが外に逃げますよ! わー、私をひどく睨んできますー! 助けてー」
こいつ、本当に良い根性してやがる。
私の意図を察して、反撃してきやがりました。
「フェリス! メリナさんを連れて、こちらに来なさい! 至急!」
むむむ、ショーメめ。
戦闘も辞さないつもりでしたが、イルゼさんの魔力が変動しているのが気になって、私はロビーへと戻りました。
最初に目に入った光景は、血塗れの床。その上にイルゼさんが座っています。かろうじて意識はありそう。
慌てて私は聖女に回復魔法を唱えます。が、イルゼさんが押さえる首横からは、血が止まらずに吹き出して来るままでした。
なんだ? あっ、魔剣の傷か。
私は近付きながらそう判断します。魔剣で斬られると傷の表面に魔力の膜が張られて回復魔法を邪魔するんですよね。
なるほど。ふむ、イルゼさんが生き絶えないのが不思議なくらいの失血です。
あら? 誰かが回復魔法をーーあっ、巫女長ですか。巫女長が無詠唱で回復魔法を掛け続けて延命させていたんですね。
それでも、死は近付いているか。
上半身だけを起こしている小刻みに震えるイルゼさんが、私を見詰めながら口を開きます。彼女の真っ白い聖女の服も真っ赤です。
「メ、メリナ様。最期にお目にでき……」
はいはい、黙らないと死にますよ。
造血魔法を優先。
それから、傷口を遮るイルゼさんの手を取り、しっかりと見ます。
いつもより粘着性の高い膜でしたが、難なく排除。次いで、巫女長の回復魔法が皮膚を繋ぎました。
一安心ですね。
ぐったりしたままのイルゼさんが意識を取り戻すまで、私はふーみゃんにお魚を差し上げながら待ちます。
「イルゼ、何がありました? 場所はメリナ王国?」
まだ足を折って床に座り込む聖女にアデリーナ様が鋭く質問します。
「はい……。ネオ神聖メリナ王国が帝国の侵攻を受けました。前方からの軍は天使様と聖獣様が凌いでくださっていたのですが、バンディール側の関所より奇襲を受けました。御子様をお助けしなければ」
イルゼさんの説明の中に出た固有名詞に疑問を持ちましたが、天使は剣王で、聖獣がオロ部長、御子はソニアちゃんかな。
「すぐに連れて行きなさい」
「はい。しかし、敵には魔族が複数おります。転移先を読まれる恐れがあるため、御所から離れた地点に出ます」
「分かりましたから、早くなさい」
「あっ、待ってください。私、巫女服に着替えてきます。あれ、丈夫だから戦闘向きなんですよ」
急ぎ着替えて、それからロビーに舞い戻ります。
私の腕をイルゼさんが掴むと、すぐに転移の腕輪が作動。
移動メンバーはロビーにいた全員。私とアデリーナ様、巫女長、ふーみゃん、それからショーメ先生です。ショーメ先生は我関せずって感じで離れていたので、私が強引に腕を伸ばして付いて来させました。
現れた先は草原の上で、後ろには大きなメリナ像がありました。周囲では信者達が両手を重ねて、私の像へとお祈りをしています。
「メリナ様! メリナ様が顕現なされた!」
「あぁ! 神が我らを助けに来られたぞ!!」
「祈りが届いたぞォ!!」
興奮する方々ですが、正直、醜いですね。少し離れた所では戦闘の音が聞こえるのに、彼らは戦わずに神頼みとは……。
服も上等で、メリナ王国のシステムは知りませんが、どうせ神官とか僧侶とか上級な人達でしょう。
アデリーナ様もゴミを見るような目をしています。その表情を私やフロン以外に見せるのは久々ですね。
さて、私の出番。
「神であるメリナが命じます。全員突撃。死ぬまで戦え。負傷者は行かなくて良いです。頭を下げて黙れ」
静かになりました。
こうなると思っていましたよ。元はデュランの人々ですから、強い敵との戦いは聖女に任すクセもありますし。
それにしても、お前ら全員、見るからに無傷でしょうに。
彼らが這いつくばったことで視界が広がる。帝国の兵は黒い鎧で統一されていました。それが多数、川沿いにあるベリンダ姉さんの関所周りに群がっています。
あっ、オロ部長がジャンプしたのが見えた。土煙を上げて着地。襲われた敵兵達の悲鳴が聞こえます。
「イルゼ、クリスラを連れて来なさい。その後は、パウスとアシュリン。その他、貴女が戦力となると判断した者を集めなさい。戻って来る場所はここ。私が保守致します」
「はい!」
イルゼは消えます。
「フェリス、貴女は聖女の転移を邪魔する魔族が来たら排除なさい」
「畏まりました」
ショーメ先生、嬉しそうです。笑顔です。
この人、所属していた組織の恩人っぽい魔族を殺すときも笑顔だったんですよねぇ。穏和に見えて、絶対、戦闘狂だと思います。
「メリナさん、ソニアさんはあの建物の中?」
「恐らく」
「では、門の前の敵を排除して中に向かいなさい」
「はい!」
アデリーナ様の指示は頼りになりますねぇ。何だか簡単に片付くのではと思ってしまいます。
私は頭の上で手を組んで伸びをしました。それから、左右に体を倒して柔軟体操。
うん。準備完了。突撃しましょうかね。
そう思った時です。
空中の一点で魔力の変動。転移魔法でしょう。
「新しい獲物、見っけ! 強そうじゃん。遊んでーー」
青色の肌をした強面な魔族でした。しかし、喋っている最中にアデリーナ様に頭を射られて墜落します。
落下地点にいた神官達が慌てて逃げるのを、私はのんびりと見ます。
殺ったかな?
しかし、魔族です。結構な高さから落ちたのに、貫かれた頭部を修復しながら立ち上がります。
「いてーな。いきなりーー」
「アデリーナさん、魔族はこうやって倒すのよ。見ていて」
そう言ったのは、巫女長。味方を考慮することなく発動される大威力攻撃の様子から、王国の最終兵器とも呼ばれていた人です。
真っ直ぐに極太の魔力光線が高速で放たれる。
しかも長距離砲だったみたいで遠くで蠢く帝国の軍団も巻き添えです。
もちろん、味方側というか先程まで私の像に祈っていた方々も含まれまして、光線の進路にいた者達は巫女長の魔法を喰らっております。
一瞬で大惨事になりました。泣き喚く人々、その嗚咽は天を衝きます。巫女長が得意とする精神魔法、それは告解と呼ばれています。特別に特徴的な魔法は、固有名詞で呼ばれるんです。
巫女長の魔法は魔族にさえ有効だったようで、自責の念で、激しくのたうち回っています。1年前、アデリーナ様をも涙させた威力ですから、魔族如きでは耐えきれないのでしょう。
「ほらほら今よ。転移できなくなってるから」
巫女長は仰ります。
呆気に取られている私はアデリーナ様を見ます。
「ふーみゃん、ごめんなちゃい!!」
突然、そう叫んだアデリーナ様は巫女長の魔法を知らずに受けていたのでしょうか。いえ、違います。ふーみゃんの毛を拳で握り、一気呵成に毟り取ったのです。
その蛮行に「ふみゃー!」と甲高い悲鳴を上げるふーみゃんです。かわいそう。背中の一部がハゲてしまいました。
「メリナさん、持っていきなさい」
「はい」
分かっています。巫女長の精神魔法を防ぐためですね。ふーみゃんには悪いですが、絶対に必要なものです。ショーメ先生も受け取っていました。
「あの魔族はフェリスが仕留めます。メリナさんはソニアさんの救出を。私はここに留まり、後に来る者達にふーみゃんの毛を与えます」
「戦ってくださいよ」
「メリナさんが動かなくなったらそう致します」
「背中くらいは守ってくださいよ。今回は」
「メリナさんを守らなかったことが御座いましたか?」
ちぇ。まぁ、良いです。
トントンと飛び跳ねて、あらためて体の調子を整える。
良しっ! 気合いは十分!!
敵陣に向けて猛ダッシュ!
メリナ王国の人達が粗末な武具で立ち向かっているところを大ジャンプで飛び越えます。着地する前に槍を構えていた敵兵を蹴り飛ばし、その勢いで数人を地に叩き付ける。
周囲は敵も味方も倒れている人達がいっぱいいました。少し悩みましたが、全員に回復魔法。
「死にたくない人は下がりなさい! あなた方は十分に戦いました! それでも、私と共に砦に向かう者は付いて来なさい! 楯突くヤツはぶっ殺す!!」
これで相手の戦意が落ちれば良いのですが……。
「メリナ様! メリナ様だ!」
「大司教ヨゼフ様の言う通りに、メリナ様がご降臨なされた!」
それらの叫びはやがて歓声となります。
明らかに敵が怖じ気づくのが分かりました。
私は近くにいる何人かをぶん殴り、それから、後ろに控えていた騎馬に乗った偉そうな敵兵に氷の槍を刺し込みます。
鮮血が飛び散りながら、音を立てて騎兵が地面に墜ちる。それを見て動きを止める雑兵に鋭い目付きで威嚇。
氷の槍を地面に何本も突き立てると、彼らは背を見せて逃げていくのでした。




