天使について
部署の小屋に行きまして、そこに置いておいた新品の巫女服を身に付けました。
今日は聖竜様とお会いするので、ちゃんとした格好にしないといけませんからね。
不幸な事故で燃え尽きた新人寮は建て直しの工事が始まりだした状況で、未だアデリーナ様の仮設事務所は魔物駆除殲滅部の隣にあります。
魔力感知で留守だとは分かっていますが、念のためにノックまでして確かめた結果、アデリーナ様はまだ来ていない。
全く……まだ家で寝ているのかしら。無能の極みですよ。
「メリナさん、お疲れ様」
来たか。
分かっておりました。先程の魔力感知で気配を察しておりましたので。
それでも、背後から声を掛けられた私は緊張します。
飼育係フローレンスが後ろに立っているのです!
「お疲れ様です、巫女長」
一気に汗が吹き出た感じもしますが、努めて平静を保ちます。
「料理人を倒してくれたみたいね。私、分かるわ。ありがとう、メリナさん」
「うーん、残念ながら仕留めきれませんでした。最後、転移魔法で逃げたんですよね。すみません」
「そうなのかしら? 何となくだけで、安心するというか、もう居なくなった気がするのよ」
毒気のない笑顔で、飼育係はそんなことを言いました。
「そうだと良いですね」
「えぇ。だから、メリナさん。ガランガドーさんに『もう安全だから戻って来られても良いのよ』と伝えてくれないかしら?」
「はい。お任せください、巫女長」
そう言ってから飼育係は去ります。
「飼育係は御しやすい」とアデリーナ様は不遜に申しておりましたが、確かにその通りです。素直で良いお婆さんに思えます。
分裂した4体の中では最も元の巫女長の雰囲気に近いですし。
しかし、飼育係の記憶とか意識とか、どうなってるんだろう。他の分裂体も過去の記憶が残っている感じでしたが、性格や行動は元の巫女長とはそれぞれ全く違っていて別人になっていました。
先程の飼育係も元の巫女長とはきっと違っていて、私がお慕いすることもあった巫女長はもうこの世に居ないのかもしれません。
恐ろしい話です。単純に分裂したって言うより、意識を殺されて体を乗っ取られたみたいですもの。
……私も記憶を失っていました。今は戻っていますが、あの時の私は私でありながら、やはり殺されていたのと同じ状態だったのかもしれません。
そう考えると、やはり犯人くさいルッカのヤローは許せないですね。憎みきれないのは私の優しさでしょうか。
「あら、メリナさん。お早いで御座いますね」
アデリーナ様が朝露に濡れた草の上を踏みしめながら、やって来ました。
「はい。今日は聖竜様とお会いするのですから、粗相のないように早起きしました」
「他に気にする粗相が御座いましょうに、とは申しませんがーー」
申してる、申してる!
「本日はよろしくお願い致します。さて、ルッカを呼んで貰えますか?」
「ルッカさん? あっ、また空にいるんですね」
アデリーナ様の意を汲んだ私は氷魔法を上空に鋭く連発して、空を翔んでいるあろう魔族に合図を出します。
中々降りてこないので、派手に爆炎魔法もお見舞いしてやりました。
「ちょっ! 巫女さん! デンジャラスよ! 私を殺す気なの? アンビリーバボーよ!」
顔に煤を付けた魔族が怒りながら降ってきました。
「ルッカさんを殺すなんて不可能ーーいや、毒でイチコロでしたね」
「怖いわね。トライしないでよ」
「その時が来なかったら、ですね」
「なんで満面のスマイルなのよ!」
剣呑な会話ではありますが、私としては良い気分です。だって、ルッカさんの弱みというか生物的な弱点を発見できたのですから。
どんな状態からでも肉体を再構築可能でして、最終的に立っている者が勝ちだとすると、最強の者だったんです。
私達が会話している間、アデリーナ様がルッカの表情をジッと観察しておりまして、ちょっと、それは気になりました。
「お二人とも無駄話は後になさい。聖竜様の下へ急ぎたいと思います。ルッカ、準備は出来ていますか?」
「へ? 私? あの聖女の子は?」
「聖竜様と貴女に、天使の件についてお聞きしたいと存じております。秘密の話もあるやもしれません。なので、イルゼではなくルッカに依頼します」
「……あまり、それを知らしめたくないのは事実よ。分かったわ」
そう言ってから、ルッカさんは転移魔法を発動させます。
そして、次の瞬間、私達は聖竜様の前に立っているのでした。
聖竜様と目が合いまして、私はペコリとご挨拶。それから、一回転して新品の巫女服をアピールします。
『我が眠りを邪魔立てするのは感心せぬな』
聖竜様は少しお怒りのようでした。そのお姿も素敵です。
「聖竜様、私の事を巫女さんに伝えたんだって? それ、シークレットだったはずよ」
口火を切ったのはルッカさんでした。
『ふむ……。何の事であろうか?』
「私が天使だってこと」
『ん? うん? えっ、言ったかな』
聖竜様が上を向いたり目を瞑ったりして考えておりました。
そこで、すかさず私は口を開きます。
「はい。聖竜様が『ルッカさんは天使だ』って言いました」
嘘です。
『えっ、えぇ……。全然、記憶にないんだけど……。それ、本当?』
「えぇ。メリナさんと共に私もお聞きしております」
アデリーナ様からも追い討ちをして頂き、私達は嘘を既成事実化しようと試みます。
『えー、覚えてないよ。でも、そっか、寝惚けてたんだろうな。ルッカ、ごめんね。勝手に口にしちゃって』
どうも企みは成功したみたいです。
「ほら! 聖竜様、どういうつもりなの? ……もしかして、巫女さんも?」
おっ。
ルッカさんの発した言葉に私は反応します。
「巫女さんも?」というからには、私も天使なのでしょうか?
天使が何なのか分かりませんが、恐らくはこの世で一番偉大な聖竜様に使える者の事なのでしょう。
天使となると、竜の巫女よりも聖竜様にお近付きできそうで、今すぐに天使に転職したいと思いました。
ルッカさんが妙に聖竜様と親しいのは、そういった事情があったのでしょう。何てずるい。こんな大切なことを黙っていたなんて、大変な重罪です。
『う、うーん。そうだったのかなぁ。全く記憶になくて。うん、でも、たぶんそうなんだろうね。誘おうとしたのかなぁ。ごほん。メリナよ、天使となる覚悟はあろうか?』
天使とは自ら志願してなるものなのですね!
ならば、答えは一つ!
「勿論です! 天使どころか夫婦になる覚悟です!」
うふふ、聖竜様に何回目かのプロポーズですね。
『夫婦……? その辺りは追々考えるが良い。ルッカよ、良かろうか?』
「巫女さんがなるって言うのなら仕方ないわね。ストロングだから誰も止めれないもの。でも、人間だからアンイージーかな」
……人間は天使になれない?
『ふむ。寿命の問題であるな。その場合はメリナには悪いが、諦めてもらうしかなかろう』
「諦めませんよ。何なら長寿な魔族になりますから」
私は朗らかに宣言します。
『えっ。いや、メリナよ、それには及ばぬ。メリナが朽ちるまでに、我が主も訪れようぞ』
っ!?
スードワット様が主と呼ぶヤツがいる!?
私の体が震えます。これは怒りです。
偉大なる聖竜様に主と呼ばせる不逞な輩がこの世界に存在するのです。絶対悪です!
「主とは? 二千年もの太古の昔に背中に乗せていた者でしょうか?」
言葉を発することも難しい私に代わり、アデリーナ様が静かに尋ねてくれました。
「……どうする、聖竜様? 私はちょっと話し過ぎだと思うけど」
『2人とも命短し人の身である。構わぬであろう。いかにも我が背中を託した勇士である。我が主の名はスーサフォビット様。この世界の神である』
ならば、その神は私が滅しましょう。そして、聖竜スードワット様が神となるのです。
「神……。なるほど」
アデリーナ様が不敵に唇を少しだけ上げて笑います。
こいつも神を称する愚か者に不快感を抱いたのだと感じました。大変に心強い。
なので、私も薄く笑ってやります。
「なんでそんな笑い方なのよ……。クレイジー」
「秘密です」
殺意は隠していませんが、そんな返答を私はしました。
「それで天使の役目とは何で御座いますか? その神とやらの代理で人を導こうとでも言うのでしょうか?」
アデリーナ様は私が訊きたいことをドンドン尋ねてくれます。
「そんな大それたものじゃないわよ、アデリーナさん。世界に危険そうなものを見張って、場合によっては排除するのよ。とってもイージー」
「……その理由で私を空から見てたとか、喧嘩を売られてる気分なのですが……」
正直な気持ちです。
「ソーリーよ。天使になったら同僚ね。よろしく、巫女さん」
「はぁ」
仕事内容も危険なヤツの排除とか、あまり仕事してないけど魔物駆除殲滅部みたいで気乗りしないです。聖竜様関連じゃなきゃお断りでしたよ。
「その神とやらはいつ来るのです?」
『分からぬ。直近では数十年前であったと記憶しておる。メリナが亡くなるまでには来られるであろう』
「だから、魔族や古竜と比べて命の短い人間で大丈夫か、とルッカは問うた訳で御座いますね」
「そういうこと。あと、その神様は私のファザーらしいのよ」
……お前、父親が神で、本人は聖女経験がある魔族かつ天使で、息子は王様とか、色んなもんを盛り過ぎでしょ。
「……となると、私は神の曾孫に当たるので御座いますね……」
うわっ!
アデリーナ様、マジですか!?
すごく高貴な人に見えてきました!
でも、その神は聖竜様を騙しているクソ野郎ですよ!! そんなヤツの血筋なんて絶やすべきです!
あっ、アデリーナ様はご結婚できそうにないから、この代で絶えますね。良かった。




