聖なる料理
最後にお玉をぐるりと回しまして、私の鍋料理は完成です。本来は沈む、いや、溶けるはずの岩塩が水面にまで見えますが、些細なことです。その小石大の薄桃色をした粒の間に見え隠れする、魚やカニも良いアクセントになっています。
何より、聖竜様のお体の一部だった鱗の粉末や欠片が入っているのです。世界で最も神聖な料理が目の前でグツグツと煮えております。
「一体何が起きているのかっ!? フローレンス、大剣の少女を襲い続ける! しかして、少女も負けていない! 退かない! 屈しない! 鉄板とも呼ぶべきその得物を振り回す!」
彼女らは戦い続けています。
ククク、ミーナちゃん、大活躍ですよ。
フローレンスは戦いに夢中で、メインディッシュは未だオーブンの中。真っ黒に焦げてしまうが良い。
「強いね、おばさん!」
ミーナちゃんのわくわくしている感情がよく出た発言です。そして、豪快な横からの一撃。料理人の素早くて最小限のバックステップで空振りに終わりましたが、戦闘狂は止まりません。
おぉ。
思わず、驚きの声が出てしまいました。
ミーナちゃんの剣が途中で逆方向に返り、更に踏み込みを深くしての突きに変化します。
完全に振り切ることになって背中を敵に見せてしまうなぁと私も思い込んでいましたが、あんな技を隠し持っていたのか。今まで見せなかったのは奥の手だったからでしょう。
あれだけの大剣です。それを振り回した勢いに逆らったのですから、体への負担は半端ないとは思います。
でも、その苦労は報われます。
「信じられません! フローレンスが剣で吹き飛ばされるっ! 自ら呼んだ助っ人に吹き飛ばされるっ! これは一体、どういった状況なんだ!? 料理はどうなっているのか!」
「まだ魔力の制御が甘いで御座いますね。フローレンスの硬い皮膚を斬れていません。私の方が強いでしょう」
「アデリーナ様、子供相手に何を言っておられるのです? あっと、フローレンス、立ち上がりましたね」
しぶとい。
「もぉ、困ったお子様ねぇ」
「ふふん。ミーナ、強いでしょ?」
「はいはい。強いわね。手に負えないくらい」
「降参する?」
「えぇ。そうね。負けでもよいかもね。だから、わたしを助けて欲しいの」
フローレンスが敗北を認めた!?
まさか料理対決の決着なしで、ヤツは消え去るのか!?
それはそれで良し!
「うん。おばさん、良いよ。ミーナ、頑張る」
でも、私の期待とは裏腹にフローレンスは魔力の粒子になることはありませんでした。口先だけの発言か。
服に付いた土を払い落としてから、微笑みも浮かべてミーナちゃんに言います。
「まぁ、助かるわ。それじゃあね、食材が足りないのよ。だから、あなたを食べさせてくれない? あなた、獣人でしょ? うん、私には分かるのよ」
そう来たか……。
さすが料理人フローレンス。ミーナちゃんの腕が大変に美味であることを一目で、しかも、カニの腕を実際に見なくても分かっていたとは……。
これぞ、真の強敵!!
ミーナちゃんが大変に当惑した目で私を見てきます。顔色も少し悪そう。
私は考えます。
料理人がミーナちゃんの腕を調理するとします。
今回の勝負は、作った料理を互いに食べ合い、敗けを認めれば終わります。
つまり、ミーナちゃんのカニ腕を美味しく頂戴できるチャンスが到来しているのです。
素晴らしい。美味しく味わった上で「不味い」と宣言すれば、私は負けない。
「メリナお姉ちゃん……」
呟くミーナちゃんに対して、私は首を横にしてウィンクを2回。早く剣を離せって意味です。
中々こちらの意図を理解して頂けないので、私はそれを何度も繰り返す羽目になります。ミーナちゃん、バカなのかな。ちゃんと打ち合わせで言ったじゃない。
「あらあら、腕だけで良いのだけど、狩りを続けるならそれでも良いのよ。次はちょっと本気で行くから、あなた、死んじゃうかも」
フローレンスがじりっと前に出ます。
「……本当に信じられません。あのフローレンス……さんがそんな発言をするなんて……。ハッ! もしや、今、オーブンで焼いているのも……」
「獣人の手足で御座いましょうね。シャールの冒険者が何人か行方不明になっております。また、獣の部位を切断された者もいまして、あの者に斬られたと証言を得ております」
もしやオズワルドさんが助けることになった片腕の女性冒険者も犠牲者なのでしょうか。
なんて猟奇的! って思いましたが、私もミーナちゃんの腕を食べようと思ったので同類か。
いや、でも、私はちゃんと回復魔法を掛けてミーナちゃんを元に戻すつもりでしたから、命を奪うことも辞さないフローレンスとは違います。
牧羊に例えるならば、私は毛を刈り取る程度でしかない。何回でも生えてくるのを利用させて貰っているのです。合理的です。
だから私は猟奇的ではありません。良かった。
「ガインさんもこれを知っていたんですね……。すみません、凄くショックで言葉が出てきません。デュランでは最大のタブーが獣人の肉を口に入れることでして……」
「王都でもそうで御座います。様々な理由が御座いますが、法にて厳しく禁じられております。シャールの方々においても強い不快感を抱いておられるでしょうね」
パットさんとアデリーナ様の会話が聞こえてきます。
あの料理人フローレンスは終わりです。
審査員判断まで行っても、誰もフローレンスの料理を擁護する者はいないし、この場を出た後も彼女の相手をする者はいないでしょう。
多数の竜の巫女達がこの会場にいます。彼女らは自分達のトップにあの料理人フローレンスを掲げることは勿論しない。
料理人フローレンスは完全に社会的に死んだと感じます。
「法とかタブーとか、細かい話なのよね。私は1人で生きていけるの。でね、食べたら分かるわ。魔力がねっとりして、本当に美味しいのよ」
フローレンスの伸ばした手を、ミーナちゃんは叩き斬ろうとしますが、これも当たらない。でも、次撃に備えて隙なく構えることで、敵との間合いを広げることには成功します。
「美味しくないもん! メリナお姉ちゃんが私の腕を料理したけど、ミーナ、美味しくなかったもん!!」
……あっ。公言しやがった。
今、私はフローレンスと同じ立場に落とされましたか……。社会的に死にましたか……?
会場が静かになります。
「……本当ですか、アデリーナ様」
「本物のカニ料理を食わせてやるってメリナさんは豪語しておりました」
「……実況なのに……絶句してしまいます。言葉がないとはこのことです!」
アデリーナ様、そこは否定で良かったのに……。
「うふふ、メリナさんは私と同じね」
フローレンスの微笑みは私に向けられます。
「誤解ですーー」
私の弁明は、しかし、突然に上空から落ちてきた物によって、皆の耳に入ることはありませんでした。
ルッカです。ルッカが墜落してきたのです。
「な、何でしょうか!?」
「彼女はメリナさんの料理を食べておられましたね。腹でも壊したんじゃないですか。手も洗わずに料理していましたから。トイレに行っても手を洗ってるのかしら、メリナさん」
アデリーナッ!! お前、まさか、フローレンスだけでなく私も嵌めようとしているのか!?
何が「あれは悪で御座います」です!
お前も悪ですよ!
ここはルッカさんを助けるところを見せて、皆さんの私への印象を少しは良い感じにしましょう!
「ルッカさん、大丈夫ですか!? 決して、私の料理に毒が入っていた訳ではありません! フローレンスを暗殺するためにアデリーナ様が用意した毒を入れた訳ではないのですよ!」
まずはアデリーナの策を潰す。
「か、体が痺れて……息も……うっ……しにくいの……よ」
お前、魔族なのに毒が効くのか? 体内に内臓はなくて、魔力しか詰まってないでしょ。
いや、そこに疑問を持つのは後回しです!
「安心してください! すぐに回復魔法を唱えますから! ミーナちゃんの腕はパウスさんが斬ったのを拾っただけで、私が切り落として強引に奪った訳ではなく、しかもミーナちゃんも合意の下での調理だったので安心安全のメリナが、すぐに治してあげますから!」
「な……なんで……もっ……いいから……うぅ……ハリーアッ……プッ」
良し! 言いたいことは全部言えた。
回復魔法を発動。
「巫女さん、サンキュー。ふう、ビックリしたわ。何? ポイズン?」
それ以上、喋らせない。事態が悪化する恐れが有ります。
「私の料理には聖竜様の聖なるパウダーが入っていましたからね! ルッカさんの穢れた体には合わなかったのでしょう! きっと、そうです! そう意味ではポイズンなのかも」
「まぁ、そうなの! メリナさん、それ、本当なの!?」
反応したのはフローレンス。
竜好きの彼女です。ビーチャが予想した通り、竜料理に非常な興味を引いたのでしょう。
「えぇ、聖竜様の鱗が入っています」
「まあ! 素敵よ、メリナさん!」
ここでラッパが4回鳴りました。
調理時間が終了した合図でして、ミーナちゃんやルッカさんは係の人に連れられて場外へと向かいます。
テーブルが用意され、私の岩塩スープとミックスジュースはフローレンスの前にそれぞれ皿とグラスに入れられて並んでいます。
相手の料理も私の前に置かれていますが、憐れな誰かの体が調理された肉料理は、さすがに私も口にすることはないでしょう。
ここで食べたら、明日から誰も近寄ってこない気がしますので。あと、マジでこれ、人間の指が付いてます。幾多の修羅場を廻ってきた私でも、これは本当にヤバいと思いました。本当に思いました。嘘ではないです。
「それではご賞味ください……」
明らかに意気消沈しているパットさんの声に従い、フローレンスはスプーンを手にします。
そして、私の作ったスープを一心不乱に口に放り込みます。岩塩が彼女の歯によってガリガリと砕かれる音が響きます。丸い魚やカニも臆することなく口に入れていますね。
「これが聖竜様の味なのね! すっごく塩味なのね!」
……それ、塩ですね。
「あー、魔力を感じるわ! 確かに聖竜様の魔力! 全然美味しくないけど、これは聖竜様! あの時に見えた竜と同じ! あー!! 私の念願が叶うなんて! でも、本当に不味いわ! 塩辛さを通り越して、苦いのっ!! でも、聖竜様なのね! あー、不味いけど止まらない! これって美味しいのかも!」
興奮状態ですが、お代わりを繰り返す内に、彼女の手足が震え始めたのを私は見逃しませんでした。




