真面目に料理
まだ開始の合図はありません。
料理人フローレンスももう一つの調理台の前へと進みました。
離れてはいますが視線が合い、にこりと会釈をされたので、私も礼儀として返します。
「メリナさん、お久しぶりね」
料理人は呑気に私へ話し掛けてきました。
アデリーナ様の「あいつは悪」という言葉が警告みたいに思い出され、私の気持ちを引き締めます。
「えぇ。料理人さんもお元気そうで」
「あらあら、あなたね、私の背中を魔法で貫いたことをお忘れなのかしら? まだ痛むのよ」
「……覚えてないです、すみません」
「まぁ。そうなの? メリナさんはおバカだから仕方ないわね。また私が記憶を戻してあげようかしら」
……精神魔法を使えるのか?
元巫女長だから当然か……。
「いえ結構ですよ。今、思い出しました。私、先勝しているのですね。本日もお料理で貴女を負かしたいと思っています」
「あらあら。貧民街では私が勝ったのもお忘れなの? メリナさん、あなた、重症よ。重症のバカ。手遅れかも」
……チッ。こいつ、私の知っている巫女長とは確かに違いますね。
あの人は滅茶苦茶だけど、もっと私に優しかったですもの。
「お互いに負けまいとギラギラと視線をぶつける両者! 勝負の行方はどうなるのか!? 天で見守るマイア様は天秤をどちらに傾けるのか!? そして、どんなドラマが目の当たりにできるのか!? 大変に楽しみです。さて、今回のルールをお集まりの皆さんに説明します」
実況のパットさんの声が響きます。
「お料理対決ですので、当然、出来上がった料理の味で競います。互いの料理を食べ合い、負けを認めれば終わり。しかし、両者とも勝ちを譲らない場合は、観衆の方々から抽選された審査員が彼女ら特製の美味しい料理を味わい、評価して決着します! 解説のアデリーナ様、これは是非、我々も審査員に選ばれて口にしたいところですね」
私のは猛毒入りですけどね。
「えぇ。楽しみにしております。しかし、もしも私が選ばれたらパットに譲りましょう。普段から口が肥えているものですから」
「いやはや、有難い申し出です。遠慮なく食べさせて頂きますよ。さて、実は私、今回の対決者達とは少なからず因縁が御座いまして、大変に失礼ながら敬称は略させて頂きますが、メリナとは馬車の旅を一緒にしたこともありましたし、フローレンスとは若かりし頃、もう30年程前になるでしょうか、同じ冒険者パーティーに所属しておりました。今、目の前にいるフローレンスはその頃の彼女の姿に戻っておりますね。いやー、懐かしい!」
「そうなので御座いますね。当時の巫女長はどんな感じでしたでしょうか?」
「彼女は冒険者でありながら、当時既に竜の巫女としても活躍されておりました。のほほんとしながらも強烈にして苛烈な一撃で魔物を打ち倒す。どんな危険が待ち構えようが、山も川も迷宮もズンズンと進む! 正に冒険者の中の冒険者でした! 感謝はあれど恨みは無し! 私、実況を担当しながらもフローレンスを贔屓目に見てしまうかもしれませんが、その点はご容赦願いたく存じます」
「そうですか。老いぼれてボケた巫女長の姿しか知りませんので、大変に勉強になりました」
アデリーナ様、トゲのある言い方をしましたね。いや、いつも通りか。でも、私以外の人間に対しては珍しい気がします。
なんてことを考えていたら、数回の鐘が鳴らされます。試合開始なのでしょう。
「メリナさん、お互いに頑張りましょうね」
「ええ。頑張って叩き潰します」
表面上は友好的です。殴り合いではないのですから当然ではあります。
「両者、健闘を誓って試合開始です!」
私は調理台に目を戻す。
横に長くて、本来は3人くらいで使用するプロ仕様。しかも、何かのスイッチがいっぱいあって魔導式の高級品でしょう。
私の実家の台所は土間にあって、食材を切る机、薪を利用した竈、水を満たした甕っていう昔ながらのものだったので、使い方から調べないと。
まな板や食材を置く場所は何となく分かります。今も魚やカニを置いていますし。
その隣は窪んだスペースになっていまして、レバーを下げると水が出てきました。内蔵された樽から魔法で汲み出しているみたいですね。
色々と触ったり、ボタン横の文字を読んだりとかして、天板で加熱や冷却ができることも分かりました。
ふむ。凄い。魔法を使用できない前提ですが、家にあると便利そう。
もしかしたら、オズワルドさんの宿にも設置されているのかな。
「メリナは、まず道具を確認していますね。鋭い目付きで、高貴な自分に果たして相応しい物なのか吟味しているのでしょう」
「あれは大変に高価な代物でして、今回の為に特別に用意させたもので御座います。なので、正直、メリナさんには勿体無いと感じます」
ふーん、破壊してやろうかな。
「フローレンスは既に料理に入りましたね。手にしているのは、葉野菜。レタスでしょうか」
「前菜のサラダでしょうね」
「何たる手際! 草原で花を摘む少女のように、次々と皿へ葉が盛られて行きます」
「なるほど。先にサラダを作ると萎れると思ったのですが、冷却機能を使って冷やすので御座いますね。シャキシャキした歯応えになるでしょう」
おっと、私も始めましょう。
調理器具コーナーに向かいます。様々な大きさの鍋やフライパンが置いてありまして、好きなものを選んで良いみたいです。
オーソドックスに寸胴鍋と包丁、まな板を手にして戻ります。
そして、お魚さんをまな板に並べて頭から輪切り。ガシャガシャと切って鍋に放り込みます。
「メリナ、骨も内臓も抜かずにぶつ切り! 鬼神が罪人を拷問に掛けているのか!? そんな雰囲気を醸し出しております!」
無視です。誹謗に反応するよりも作業を優先です。
結構、歯が尖ってるなぁ。
可愛い顔をしてるのに肉食ですね、この魚。
「メリナは自前の食材を調理していますね。何だか分かりますか、アデリーナ様?」
「あの魚についてですが、私は見たことありません。ですので王国では捕れない種類でしょう。メリナは諸国連邦にも知人が多いですので、その伝で入手したのではないでしょうか」
お前がサブリナに頼んだ有毒生物でしょうに。
「なるほど! それは楽しみです。メリナ、全ての魚だった肉片を鍋に入れました! どんな料理に仕上がるのか、期待と不安が高まります!」
丹念に手に付いた血を洗います。何せ猛毒ですからね。肌から入り込んだりしないか、大変に心配です。
次いで、鍋に水を入れて、適当に塩を混ぜて、うーん、大根とか人参とかも入れましょう。
砂糖も用意してありましたが、既に塩を投入したから、味が喧嘩しますよね。
シンプルイズベスト。
このまま煮込みましょう。
蓋をして加熱ボタンを強で設定して、コトコト煮ます。
はい、もう少ししたら謎魚の身入りスープの出来上がり。
「地獄の釜が開くのか!? メリナが加熱に入ります!」
「予想通り、メリナさんの料理は原始的で御座います」
「野性的な味が期待できるのですね! あーと、ここでフローレンスに動きがあります。鍋の中でニンニクをバターで炒めていました。ここにまで大変に食欲をそそる、香ばしい匂いが届きましたね。そこに鶏肉を追加し、更に牛乳や千切ったチーズでしょうか、それを鍋に投入。白に白を重ねる食材達! まるで雪降る湖の鍋。しかして、中身は濃厚!」
「さすがは料理人と言ったところですね。私も参考になります。実は私、女王でありながら料理もするのですよ」
「さすがは希代の名君と名高い方!」
「えぇ。つい最近も貧しい方々に手料理を振る舞ったものです。恥ずかしながら特技で御座います」
「素晴らしい逸話として後代に語り継がれること間違いないでしょう! さて、対して、メリナは不動。獲物を虎視眈々と待ち続ける、川の中の白鷺でしょうか! 持ってきた樽の中を見詰め続けています!」
「彼女は本物のカニ料理を見せてやると豪語しておりました。どんな物になるか楽しみです」
うるさい。
ハサミに挟まれたら毒で死ぬんじゃないかとビビってるんですよ。
うわー、触りたくないなぁ。背中を持ったら大丈夫だと思うけどなぁ。
茹でるか……。いや、サブリナは脚と腹に分けたら良いと言っていました。
別の鍋に移して焼き殺してから触りましょうかね。
躊躇していると、突然にラッパの音が鳴り響き、大変に驚きました。顔を上げて何が起こるのか周囲を見渡します。
「味見タイムですね」
っ!? 聞いてない!! 私が口にしないといけないのかっ!?
「さぁ、この至高の料理を口にすることのできる幸運な観客は誰なのか!?」
観客? 私じゃないのか、良かった……。
しかし、誰かに死刑宣告しないとならないのですね。中々のプレッシャーです。
「と申しましたが、一応確認です。本人の味見ではないのですね、アデリーナ様?」
一番死んでも良い人、誰かな。
私は観客を見渡します。
「えぇ。皆さんも見ているだけでは退屈でしょうから。あっ、そうで御座います。メリナさんの料理は素晴らし過ぎてショック死するかもしれませんから、魔族に食べてもらうのが良いかもで御座いますね」
おぉ、なるほど!
有毒であっても魔族であれば何とかなるって魂胆ですね!
アデリーナ様、アドバイスありがとうございます!!
「ハハハ! それ程までに美味しいと仰るのですね!」
何事も知らないパットさんは陽気です。
「さぁ、誰を指名するのか!」
魔族と言えば、ルッカさんかフロンですね。
私は集中して魔力感知の範囲を最大限に広げ、索敵。
いた!
氷の杭を足下に出し、天へと伸びるそれに乗って上空に向かいます。そして、今日も空にいたルッカさんと対峙します。
体が頑丈な実績が豊富だから、フロンではなくこちらを選びました。
「あら、巫女さん? 気付いたの?」
「えぇ。今から味見の時間です」
「何よ、それ。クレイジー」
問答無用に彼女の手を引っ張って地上へ。
「おおっと! 逃亡したのかとも疑われたメリナが連れてきたのは、妖しげな青髪の謎の女! 敵なのか味方なのか!? アデリーナ様はご存じですか?」
「自称天使の魔族ルッカで御座います。味方であろうと信じております」
「天使ですか……そのイメージを覆す妖艶な色気を持った女性ですね。その実力は如何に!?」
私はお玉でスープを掬いまして、小皿に取ります。そして、ルッカさんに「はい、どうぞ」と渡しました。
彼女に警戒心を抱かせぬ為、笑顔も忘れません。
「もぉ、何? 私じゃなくても他にもいっぱいいるじゃない」
「一番手っ取り早かったですので」
言いながら、グイッとお皿を彼女の口に近付けます。
「仕方ないわね。巫女さんの料理ねぇ。お腹をデストロイされたら謝ってよね」
……大丈夫かな?
いきなり倒れられたら、どうやって誤魔化そうかしら。
ルッカさんがスープを口を含み、その後もしっかり嚥下したことを確認します。
「さっぱりとしたスープね。もう少しパンチが欲しいわ。鶏ガラも一緒に煮込んだら?」
……体調に変わった様子はないですね。
「ありがとうございます!」
「えぇ。巫女さん、頑張ってね。あれ、私じゃ手に負えなかったのよ」
料理人フローレンスを一瞥してから、ルッカさんは飛び立ちました。
「手に負えない」って話は、貧民街に料理人フローレンスを運んだ件でしょう。
あの時は喧嘩屋と料理人が帝国で大暴れしていたんだっけな。
「謎の女が天へと飛び去った! 本当に天使なのか!? 舞い散る羽が見えそうです!」
そんな訳あるかっつーのですよ。
「さて、フローレンスの味見役は可愛らしい女性ですね。その可憐な容姿は男子学生の煩悩を一身に受け止めているに違いない!」
「諸国連邦で見ましたね。学生で御座います。先程まで太鼓を叩いていたのがフローレンスの目に止まったのでしょう」
誰だ?
あっ、エナリース先輩。
学校の時とは違って、フリフリがいっぱいのピンク色の派手な服を来た彼女が、警戒することなく料理人のスープを頂いていました。
「美味しい! 美味しすぎて思わず飛び跳ねちゃうわ」
なんて言った後、ワンテンポ遅れて、本当にジャンプしました。この辺がエナリース先輩らしさですね。わざとらしいけど、天然の可愛らしさを見せて来ます。
「お味はどう?」
「おばさん、本当に美味しかったわ。こんなにコクがあるスープ、私は食べたことがなくてホッペが落ちそうなの」
「あらあら、本当に落ちたら大変ね」
「あはは。親友のアンリファにも食べさせてあげたいよ」
礼儀正しく頭を下げたエナリース先輩はそのまま観客席に戻るのかと思いきや、私の方へと駆け寄ってきて、両手を開いて飛び込んできました。
「メリナ、お久しぶり! もぉ、1度も顔を見せないんだから心配したわよ」
「すみません。先輩がお元気そうで良かったです」
「お詫びにメリナの料理も食べさせて欲しいな」
……いいのか?
ルッカさんは平気でしたが、エナリース先輩は完全なる一般人。即死する可能性が有ります。
「まだ味が整っていませんので、大切な先輩の口に入れる訳はいきませんので」
「そうなの? 残念だわ。でも、いい? またナーシェルでダンスパーティーをしましょうね。皆、待ってるからね」
「はい。是非お願いします」
キョロキョロと出口を探してから門へと走っていった先輩は小動物みたいで可愛らしかったです。
そして、誰かの誕生日パーティーに出席した記憶はあるけど、あれがダンスパーティーのことだったのかなと疑問を覚えます。
今、冷静に考えると、狂った様に魔物の踊りを真似ていただけですよね。
さて、再び料理に戻った私はルッカさんのアドバイスに従い、スープにパンチを与えようと思います。
鶏ガラって骨なんですよね。あんまり美味しくないので、サブリナから頂いたカニを投入します。
うふふ、さっきまで元気に蠢いていたのに、沸騰する湯に浸かれば一撃です。
これは加虐的な悦びなのか、ちょっと楽しくなってきますね。
ほら、次はあなたですよ、あなた。
私は甲羅を掴んで鍋へと一匹ずつ落としていきます。激しく動くハサミや脚が、言葉の代わりに「助けて」と懇願しているかのよう。
「な、何でしょう!? メリナは不敵に笑っている!? 勝利を確信したのか!?」
「怖いで御座いますよね。あれはカニを殺すことを楽しんでいるのです。料理の一面として命を奪う行為は必然でしょうが、笑顔はよろしくありませんね。圧倒的暴力を誇るメリナさんだけに本当に怖いで御座います。いつ人類にその感情を向けるのかと思うと、鳥肌が立ちました」
アデリーナ様、次の味見役に指名致しましょうか?
しかし、パンチの効いた味か……。
薄味だったのかな。だから、ここは塩を追加!
もうルッカさんに不満は言わせません!
濃厚な味にしてやりましょう。
「メリナ! 薄桃色の板を持ちましたね。何でしょうか」
「岩塩の板ですね。陽都リースの特産品で御座います」
「砕く! 砕く! 拳王の名は伊達じゃない! 拳で粉々に粉砕です! そして、鍋に放り込む。その姿は一転して、厳かであります。幻の聖女が信者に洗礼を与えているのか。私の願望がそんな想いを抱かせます」
慎重に塩を入れていただけなのですが、うふふ、そんなに良い感じですか。
調子に乗った私が気付いた時には、岩塩を鍋いっぱいに放り込んだ後でした。
すぐには溶けなくて、いえ、どんなに煮ても岩塩は溶けなくて、メインの具材が塩になりました。岩塩のスープ塩味、隠し味は毒が出来上がったのです。
もう後戻りはできません。




