帝国の片隅で
⭐️剣王ゾルザック視点
長い黒髪の女が黒竜に乗って去るのを見送っていた。感情を圧し殺して生きているソニアだが、今ばかりは無邪気に手を振るのが横目に入った。
1年前の諸国連邦の内乱でヤツと見え、俺は生まれて初めて他者に負けた。その後、何人もの強者を知ったが、俺の最終目標はあの女よりも強くなること。
拳王メリナ。
毒々しい瘴気に満ちた深い森で育った娘。世の汚れを知らないような清楚な顔立ちとは真逆に、血に飢えた獣の様な肉弾戦を好み、全てに打ち勝ってきた剛の者。
様々な功勲はやがて歴史書に載り、その更に後代に至っては伝説の英雄として語り草になるであろう娘。そんなヤツが竜に騎乗しているのだから、腹が立つほどに絵になっている。
「ゾル……メリナは何してる?」
ソニアが空を見上げながら、俺に聞いてきた。かなり上空に移動していて、黒い粒にしか見えないが、そこで動かない。ただ、魔力が高まっていることは分かった。
「盛大に1発魔法をかまして、俺たちに気合いを入れてくれるんだろ」
前祝いの号砲だな。たまには気の利くことをやってくれるじゃねーか。
「私もメリナみたいに成りたい」
「あぁ、勝手にしろよ。だが、バカなところは見習うなよ」
「メリナはバカ。でも、私はバカなメリナが好き」
「そーかい」
そんな取り留めもない会話の最中にも上空の魔力は高まり続ける。余りにも多くの魔力が集まっているのか、地上にまでその影響が出て、空気が震えだした。
「とんでもねーな」
「凄い」
メリナとは何回か戦った。一番最初の戦闘が最も俺が勝利に近付いた時だった。あいつは油断していたんだろうな。
その後は剣を当てることもできていない。
俺も強くなっているはずだが、メリナの成長の方が速くて、その背中は遠くなるばかりだ。
光の筋が放たれた。
それは俺達にとっては勝利への希望。
真っ直ぐに青い空を裂いて、突き進む。
「きれい」
「騙されんなよ。スゲー威力の魔法だぜ」
「知ってる。メリナは山を貫いた」
呑気に喋っていると、やがて視界の全てが光に包まれる。
視野が戻った時には見たことのない黒くて縦に長くて傘のある雲が遠くに見えた。
大きい。なのに、まるで星の世界にまで貫こうとしているのかと思うほどの勢いでまだ上へと成長している。
「何?」
「さぁな」
祝砲だと思った俺の勘は正しかったらしく、竜はシャールの方角へ去って行った。
ん? メリナの知り合いである魔族は逆方向?
これまで大人しくしていた腕の生えた蛇の化け物が石を投げて、空を翔ぶ魔族の気を惹く。
それを軽く避けた魔族へ俺も大声で呼び寄せた。
青い髪をしたグラマラスな魔族は聞き入れてくれたのだろう。音もなく降りてきて、土に足を付ける。
「部長さん、デンジャラスよ」
赤く染めた棟髪刈りの元聖女の名前を何故に出したのかと、少し混乱した。
が、普通に危ないってことだな。
蛇の化け物が指で俺を差す。代わりに喋れってことだよな?
「何? 急いでるのよ」
「すまねーが、何が起きたか教えて欲しい」
「こっちが知りたいくらいよ。巫女さん、やり過ぎよ! クレイジーにも程があるわ」
「今から見に行くんだろ? 後で構わねーから、分かったことを教えてくれ。俺たちは今から王国国境前の砦に向かう。時間があれば帰りに寄って欲しい」
「オッケーよ。じゃあね」
簡単に承諾して、魔族は再び空を駆ける。
急いでいるって言葉は本当だったみたいで、鳥よりも速く空の彼方に消えていった。
俺達は街の者を率いて、ベリンダの国境砦に向かう。ソニアには悪いが、外壁を壊されたマールテンの街では帝国軍を凌げないと判断した。
無論、怪我や病気など体力的に移動が無理な者はいる。魔物避けの最低限の兵は残した。
「ゾル、シュトルンの街を攻めないの?」
「あそこにゃ冒険者が多かったろ? 敵に回すのは得策じゃねぇ」
「喧嘩屋が壊滅させた帝国の軍団、私達のせいだと恨まれてる」
「誤解は解きゃいいさ。こちらからは手を出さず、向かって来るヤツだけを叩く」
「ベリンダと組んだ時点で、私達は国の反逆者。極悪人」
「そーだが、それは帝国の皆がそー思う訳じゃねぇ。何回か勝てば勝ち馬に乗りたいヤツ、帝国に不満を持ってたヤツなんてのが出てくるさ。そーなってから攻勢を掛けたい」
「任せる」
「あぁ。任せろ」
ベリンダの砦は人で溢れ返っていた。砦の周囲にさえ人集りができていて、砦には俺達を収容する余裕はなかった。
偶然、そこに聖女がいたので、事情を訊く。
デュランからの移住者達だった。
小屋を建て、教会も建築する予定とのこと。ここがメリナ正教会の国となったのだから当然だと、正気な顔で狂気を言い放った。
狂信者どものことはどうでも良いが、まずい事態になった。
砦に籠城して兵を守りながら、俺と蛇の化け物で敵を撃退するつもりだった。
しかし、これは砦内部もぎっしりと人で満ちているだろう。
まだ千人にも満たない状態で帝国軍との野戦は勝ち目がない。俺や蛇の化け物がいくら局地的に奮闘しても、全体は数の暴力で押し込まれてしまう。
仕方ない。次善の策としてはマールテンに戻るか? シュトルンを襲うか?
苛立ちながら考えを纏めようとしている俺の前に、青髪の魔族が舞い降りた。
「ちょっと来て!」
「は? なんだ?」
「巫女さんが焼き払ったところに街が有ったのか知りたいのよ!」
さっきの閃光魔法か?
俺はソニアと蛇の化け物に行く先を告げてから、魔族の腕に抱かれて空を翔ぶ。1年前なら背中に当たる豊かな胸が愉快だっただろうが、再び剣のみに生きることを決意した今は邪念を呼び起こす障害物でしかない。
何個かの街と森を越え、眼下には土の色が剥き出しの大地が広がる。凸凹もなく平坦で、俺の記憶ではこんな場所はなかった。
「ここから先、全部、セイム。巫女さん、焼き尽くしたのよ」
「こっちの方角は帝都方面だが、帝都も焼いたのか?」
スゲーな……。あいつが1人いれば軍なんて要らねーじゃねーか。
魔族は黙って高度を上げる。水平方向に雲が見えるくらいの高さまで上がる。魔力の膜が俺達を収容する様に覆っているみたいだが、俺はそれよりも、更に広範囲が含まれた眼下の光景に唾を飲んだ。
きれいな茶色い真円が帝国の国土に刻まれていた。
状況からしてメリナの魔法の結果。
「諸国連邦の半分が入るくらいのエリア。どう? 街は何個あったか分かる?」
魔族が訊いてきた。街の数?
メリナが殺した人数を知りたいのか?
「あー、こりゃ、数万人じゃ利かねーな」
嘘だが、この魔族はどう反応する?
「そう……」
特に魔力の変動はないが、感情を圧し殺した返答だ。そうさせているのが、怒りなのか悲しみなのかは分からない。
「冗談だ。街はゼロだな。あそこは岩砂漠だった。盗賊のアジトもねーんじゃないか。巨大な竜2匹がよく暴れたし、気温も高かったから普通の人間はいなかったぜ」
「リアリー? もぉ、本当に心配したわよ! 巫女さん、くそビッチよ! でも、2度としないように脅してやるんだから!」
「真ん中のとことか光ってるな、何だあれ?」
「高熱で砂や岩がまだ溶けてるのよ。あっちは冷えてガラスになってる」
「もう少し帝都に近寄って貰えるか?」
「いいわよ」
帝国軍が岩砂漠から遠ざかるように移動しているのが確認できた。ベリンダ討伐の為に出動したものの、異常事態で作戦中断となったのであろう。
砦に戻った俺はソニアに迎えられる。青髪の魔族はもう一度焦土を見に行くと行って去った。
「ゾル、何を見たの?」
「あ? あぁ、なんだ、メリナの置き土産だな。しばらく帝国は動けない」
「天使様、私めにもお教えください」
白い服に身を包んだ聖女だ。清らかに見えるが、誰よりも狂った女。
「先ほどの光は、やはり神の奇跡で御座いましたか?」
神は神でも悪神の仕業に近いがな。
そう思いながら、俺は見たままのことを伝える。
「うふふ、神の鉄槌でしょうか。それとも、我らへの祝福の光としましょうか。レイラとどう聖書に書くか相談しなければ。至福で御座います。帝国の民にも神の偉大さを伝道致します。それをもって、天使様への深い感謝を表します」
蛇の化け物がチロチロと舌を出しているのが聖女の背後に見えた。その雰囲気はネズミを捕らえようとする蛇そのもので、聖女イルゼを喰らおうとしているのかと感じたが、気付いた時には蛇の魔物は姿を消していた。
考え直して、聖女を生かすことを選択したのだろう。
「ゾル。行く。ベリンダが部屋を用意してくれた」
「待て。兵の半分は砦に入れときたい。お前の護衛用だ」
数日、たぶん、それくらいで岩砂漠の惨状について行商人や冒険者達の間で噂になるはず。
あれを知った上で、正面からブラナン王国や俺達と対峙しようってヤツはいないだろう。
暗殺にだけ気を付ければ良いか。
ふぅ、しかし、溜め時間無しであんな破壊力の魔法をぶっ放す、イカれたヤツを、自分の目標に定めて良いのか。あれは届かんだろ。
神にでもならないと無理なんじゃないか。




