観られる日記
オズワルドさんの宿屋に戻って、一夜が過ぎました。
昨日はちょっと精神的に疲れたんですよね。
大丈夫かな? 罪なき人々が大量に死んでないかな? 歴史に残る大虐殺事件になってないかな? って、心配だったんです。
ガランガドーさん、これ、本当にヤッバイですよ。私はお前を死を運ぶ者として認めますので、大人しくお縄につきなさい。
『主よ、我は主の命に応じただけ』
は? 狙いが外れたって明言してましたよね。責任を押し付けるんじゃありません。
扉が丁寧にノックされます。
「メリナ様、お帰りなさいませ。朝食の準備ができました」
ショーメ先生の朗らかな声でした。何も知らないような響きは少し私に安心感を与えます。昨日の記憶は偽りで、ただの悪夢だったのかもしれません。
「ありがとうございます。今行きます」
お着替えをして、食堂へと向かいます。ベセリン爺が迎えてくれ、いつものテーブルに座ります。
この時間にはソニアちゃん親子が窓際にいるのが恒例でしたが、今日からは寂しいものですね。と思う間もなく、私は緊張します。
「おはようございます、メリナさん。帝国では想像を絶する大暴れで、それはそれは楽しかったのでしょうね」
アデリーナ様です。まだ食べてないのに、飯が不味くなりました。
「えぇ、アデリーナ様のご期待通りですよ。いえ、ご命令通りと申しましょうか」
ベセリン爺が運んできた焼き立てパンと目玉焼きを同時に口へ放り込みます。
アデリーナ様がここに来た理由は分かっています。
私の日記の確認です。
ほら、不躾で無礼なショーメのヤツが私の日記帳を持って食堂に入ってきました。そして、献上するが如く恭しくアデリーナ様に渡すのです。
「アデリーナ様はお暇ですね」
「後でゆっくりお話し致しますが、そうでもないので御座いますよ」
「ふーん」
お茶を口に入れて、雑多な味や油を洗い流します。鼻を通る芳香が大変に気持ち良い。
「始めさせて頂きます」
徐に開かれた観察日記。
記憶では何も恥じ入る記載はなかったので、私は堂々と受けて立ちました。
○メリナ観察日記1(ベセリン)
お嬢様は人徳に秀でた方で御座います。
私は長年様々な方にお使いしてきましたが、ここまで心の広く、また、他人を赦す方を見たことがありません。
気高く、優美で、ユーモアも持ち合わせる稀有な方。
ご友人に恵まれるのもよく分かります。
諸国連邦でのご活躍はもはや書く必要もないくらいに、当地では伝説となっておりますが、この街でも貧しい人々のために自ら労苦を買って出て、施しをしていることを人伝てに耳にしました。
爺は影から表からこの優れた人物の助けになるべく、ここに命を賭けて誓います。
「これは読みましたね」
「素晴らしい名文です。ベセリンと私の気品が煌びやかに漂って来ますね」
「まぁ、メリナさん。貴女からは死臭が立ち上っていると思いますよ」
「何ですか、それ? 嫉妬は止してください」
◯メリナ観察日記2(竜を愛する料理人フローレンス)
食材を余るところなく利用するのは、大変に良いと思ったわよ。もったいないし、食べようと思えば何でも食べられるものよね。素敵よ。
それに、世の中には気付かれていない美味があるの。メリナさんもお気付きかしら。もし、まだなら私と共に食を追求しない?
そうそう、精霊って美味しいのよ。ほら、覚えてる? あの地下迷宮の奥にいた獣型の精霊。メリナさんにも食べて欲しかったと思ってるのよ。
ところで、聖竜様の所にはいつ連れて行ってくださるのかしら? 私、早くお会いして調理したいのだけど。
「いやー、衝撃的でしたね、これを初めて読んだ時は」
「聖竜様を調理で御座いますか……。その願いを叶えるべきかどうか……」
「叶えて良い訳などありません。聖竜様も今のお言葉を聞けば唖然とされるでしょう」
「ふむぅ、そうで御座いますね。しかし、困りました」
何が困るのかは聞きません。
聖竜様を傷付けようなんて、本当に不逞なヤツですよ、こいつは。
◯メリナ観察日記3(アシュリン・サラン・パウサニアス)
メリナ・デル・ノノニル・ラッセン・バロは有能な戦士である。
突出した戦闘意欲、戦況に合わせた判断能力、万物を捩じ伏せようとする殺意。体技や魔法能力に優れている者はいても、これらを併せ持つ者は少ない。
しかし、今日もであるが、私とフェリス・ショーメなる女中が戦うとなったのであるなら、戦士であるメリナも参加するべきであったのだ。戦闘を愛する気持ちが足りない!
常に目をギラギラさせ、戦闘と聞けば涎を垂らす! そうすることで、他者はメリナを畏れ、そして、意見する者もいなくなるであろう。
最後にメリナよ。近々、私は神殿を退職する。指導する者がいなくなるが、自らを律して立派な戦士となるが良い。
なお、淑女を目指すのは辞めたのか? 賢い選択だ。それで良い。私達には辛い道だ。
「ほら、メリナさん、アシュリンの有り難い言葉が書かれてますよ」
「どこです? わたしの目には誹謗中傷しか見えないです」
「涎と淑女の箇所が特に、で御座いましょうか」
「はん。アシュリンのバカが勘違いしているだけです。私は既に淑女一歩手前です」
「ふーん。あれだけの大爆発をさせておきながら、図々しくも淑女ねぇ。帝国、大惨事ではありませんか?」
「…………」
「ねぇ、メリナさん」
「…………何のことやら……さっぱり……」
「そうで御座いましたか。やはり、昨日のはメリナさんの仕業だったので御座いますね」
○メリナ観察日記4(ソニアちゃん)
メリナはバカで鬼。それが第一印象。
料理対決で仲良く会話していた料理人をも、敵と分かったら躊躇わずに殺している。
極めて野蛮だし危険。
でも、よく笑う。優しく笑う。
見知らぬ私を助けてくれた。深く感謝。
だから、今日、私の命が守れなくても悔やまないで。
「ふぅ、ソニアちゃんは救いですよ。荒んだ心を洗ってくれます。ね、アデリーナ様」
「鬼とか野蛮とか危険とか書かれておられますね」
「そこじゃないです。ソニアちゃんはひねくれているんです。それだけに『優しく笑う』って所が強調されるんですよ」
「メリナさん、残念ですが、私だって優しく笑えますよ。ほら」
「えーと……優しく笑う? 不気味さしか感じませんが……」
「よくご覧なさい。ニコッとしておりますから。ほら」
「いや、アデリーナ様、鬼が笑っても怖いだけですので勘弁して下さい。私を呪う気ですか?」
○メリナ観察日記5(ソニアちゃん)
寝坊した。だから、帝国への門が閉まってしまった。明日はちゃんと起きたい。
メリナと一緒に街を廻った。真面目な顔をするメリナは初めて見た。ちょっとカッコいいと思った。
「寝坊で御座いますか?」
「たまには失敗します。人間ですから」
「ふーん」
○メリナ観察日記6(ソニアちゃん)
今日も寝坊した。信じられない。
メリナも私もぐうたらなのだろうか。
こうしている間にも同胞は虐げられているというのに。
遅い朝食の時、メリナは窓の外を鋭く見詰めていた。私は声を掛けることを躊躇った。きっとメリナは自分の不甲斐なさを後悔していたのだろう。明日こそは門をくぐり、メリナの気持ちに応えたい。
「2日目で御座いますね」
「窓の外を見て反省してますから」
「いや、無意味で御座いましょう。寝坊したメリナさんが外を睨んでるって、太陽を逆恨みしているので御座いましょうよ」
○メリナ観察日記7(ソニアちゃん)
昨日からメリナは私の武芸教師となってくれた。
メリナは強い。手も足も出ない。
容赦なく、まだ子供の私を殴ってくる。
でも、分かっている。メリナも我慢している。
全ては私の復讐の為。
メリナは私の愚かな考えのために耐えてくれているのだ。
子供に血反吐を吐かすなど、良心の呵責に苛まれているだろう。彼女の心の痛みは、私の痛みなんかよりも辛い。だから、私は立ち上がる。泣かない。
「何をやっておられるのですか……?」
「修行ですよ」
「年端も行かない子供が血反吐を吐かされてるって告発してますよ」
「ん? 修行だから血を吐くんですよ? まぁ、確かに力加減が難しくて我慢していましたが、ソニアちゃんに気付かれてましたね。凄いなぁ」
「それ、子供を撲るメリナさんが心の痛みに耐えているって意味で御座います」
「そんな訳ないです。だって修行ですもん。血を垂れ流して人は成長するのです」
「……ルーフィリアさんの流儀で御座いますか……。歪んでおりますねぇ」
「私のお母さん? はい。お母さんの教えのままですので真っ直ぐだと思うんですけど……」
◯メリナ観察日記8(ベリンダ・バーヌス)
今日はメリナ閣下に拝謁した大変な嘉日でありました。帝国にも轟く英雄の名以上に、優れた方であることが初めてお姿を認めた瞬間から分かりました。内に秘めた気品が溢れ出していたのです。
過去の両国には敵対関係となる不幸な歴史も御座いましたが、見識豊かなメリナ閣下が和平条約を取り纏め、更にはそれと深く関連した不法出国者の処罰の対応について我々の意向に沿って善処されることを信じております。
帝国はメリナ閣下とともに歩むことを希望致します。
「あー、この辺りはイルゼより詳細を聞いておりますので、省略致します」
「折角、書いて貰ったのにベリンダ姉さんに申し訳ないです」
「姉さん……? もしやメリナさんに生き別れの姉妹がいたのですか?」
「いえ。ノリで姉さんって呼んでます」
「ふぅ、そうで御座いますか。帝国もメリナさんみたいな秘密戦略兵器を持っていたのかと驚愕するところで御座いました」
◯メリナ観察日記16(ベリンダ・バーヌス)
時勢からして今だと考えました。帝国内では、狂暴な大蛇の出現、散発的に起こる何者かの軍への襲撃、神による天地創造の一環である山岳の破壊など、各地で混乱が生じております。機に乗じて、私は帝国からの独立宣言をしました。
もちろん、国主は神の子であるソニア様です。私が猊下とともに説得することにより、多くの者がメリナ正教会に入信しました。
もうすぐ、この世の楽園が誕生するのです。
「これ、どうします? ネオ神聖メリナ王国って名乗ってますから、アデリーナ様の仕業って誤解されますよ」
「最早、帝国内の混乱はそこではなくなっておりますのでご安心ください」
「そうですか……? なら良いのですが」
「イルゼはデュランのメリナ正教会の人間をこの拠点に移動させております。楽園を作ると張り切っておられましたね」
「大丈夫なんですか?」
「宗教を禁じても信者は影に隠れるだけで御座いますから。なので、いっそ新天地で伸び伸びとして頂けると助かります」
「本音は?」
「帝国への橋頭堡として利用できればラッキー。帝国の反撃で滅ぼされたとしても、狂信者どもが一掃されて好都合」
「悪っ」
「それにしても、イルゼの魔力体質と転移の腕輪の相性が良いで御座います」
「イルゼさんの魔力体質? あぁ、体内の魔力が今以上に蓄積しないんでしたっけ?」
「そうで御座います。マイア曰く、転移の腕輪は発動する度に、使用者の魔力を吸い取り、瞬時に回復させる。そうすることにより、使用者の魔力キャパを増やしている」
「使う度に強くなって良いですね」
「そう単純ではないので御座います。最終的には、魔力が高まり過ぎて体が魔力崩壊で消滅、または、メリナさんがそうだったように精霊の顕現が起きます。どちらにしろ使用者は死ぬ。少なくない聖女がそうやって死にました」
「……初耳ですけど?」
「メリナさんには何回も忠告しておりました。これもマイア曰くですが、腕輪の製作者はフォビ」
「2000年前に聖竜様に乗っていた無礼者ですね」
「えぇ。伝説の竜騎士にして大魔王殺しの英雄。そのフォビが何故そんな死に繋がる仕掛けを組み込んだのは謎だとマイアは言いますが、私は使用回数に制限を設けたと考えます。転移の腕輪は大変に便利な道具ですが、便利過ぎて危険で御座いますので」
「へぇ。でも、どうしてそんな話を急に?」
「回数制限のないイルゼは、たった3日でデュランから1万人以上の民を移住させました」
「ベリンダ姉さんが我に返らないことを祈ります」
◯メリナ観察日記17(ソニアちゃん)
ばしゃ、いどう、おしり、いたい。ねむい。
「まぁ、可哀想」
「アデリーナ様の馬車なんて、この比じゃなかったですからね。猛スピードで走るから、常に私のお尻は浮き上がっていましたよ。顔にバッタが直撃するし」
「久々に走りたくなってきました。一緒に風になりませんか?」
「お一人でお願いします」
「自然と一体になれますよ?」
「確かに。事故ったら地面と頭が合体する感じになりそうです」
◯メリナ観察日記18(ソニアちゃん)
メリナの精霊は冥界の支配者ガランガドーと邪神って知った。
ヤバい。メリナ、ヤバい。メリナも邪悪な存在としか思えない。
そんなメリナと仲良くする竜の巫女達とゾルもヤバい。
王国の民はタフ。私も見習う。
「邪神……そんなのも居ましたね。私の敵では御座いませんでしたが」
「はい。よく覚えております。邪神との戦闘後、アデリーナ様が気持ち悪いくらいに握った私の手を離さなかったのです」
「は?」
「すみません。言い間違えました。アデリーナ様が握った手を離さないので気持ち悪かったです」
「屈辱で御座います。次はメリナさんの腕を斬り落とすだけの力は残しておきましょう」
◯メリナ観察日記19(カトリーヌ・アンディオロ部長)
もう死ぬんだなと私は思ってましたが、メリナさんに助けられました。王都にて、前王に憑依されたルッカさんに両断されて以来の二度目の救済ですね。
ありがとうございます。
今、決めました。私は修行の旅に出たいと思います。なので、巫女は退職します。後任はアシュリンに託しますね。
あっ、そうそう。アデリーナさんもこの日記を確認されますよね。寂しがらないで。定期的に顔を見せに来ますのでご安心を。また美味しくて楽しいお酒を楽しみましょう。私のは樽で用意しておいてね。
「カトリーヌさん……そうですか」
「安心してください。帝国とソニアちゃんの街の決着が付くまでは巫女を辞めないって仰っておられました。ただ、部長の地位はアシュリンに譲りたいとは聞いております」
「しかし、アシュリンも辞職願いが出ておりますからね。となると――」
「安心してください。甚だ未熟者で御座いますが、私、メリナが慎んでお受け致します」
「甚だしき事態になるでしょ。そういった冗談は好きません」
「アデリーナ様に決める権利はありませんよ。アデリーナ様は俗世では女王様ですが、神殿では総務の新人係に過ぎませんもん」
「ご家族には申し訳ありませんが、アシュリンに無理を言って退職を延期してもらうしか御座いませんね」
「安心してください。不束者では御座いますが、メリナ、精一杯に部長を務めさせて頂きます」
「ふぅ。フロンは論外だとしたらルッカかぁ。うーん、拒否するのが見えてるなぁ。悩みが増えました」
「安心してください。不肖メリナ、最初は拙いかもしれませんが、色々と勉強させて頂き、更なる成長と組織の繁栄を約束致します」
「残るのがこいつとは最悪で御座いますね。しかも、明らかに不埒極まる想いを抱いている様子で御座いますし」
「えっ! 私が残ってます?」
「最悪の状況で御座いますね」
◯メリナ観察日記20(剣王ゾルザック・マーズ)
諸国連邦とブラナン王国の決戦は死者が出ないという奇跡の結果に終わった。
真の強者は殺さずとも他者を圧倒的できる。
その高みに至れていない俺は今後も人を殺し屍を踏みつけて進むだろう。
だが、いずれ俺はメリナ、お前を越える。
帝国との戦いが終われば、また稽古を願うからな。
「まさか、これを書いた日に歴史に残る大量虐殺を仕出かすとは思いませんよね」
「は? 何の事か分かりませんね」
「数人では人殺しだけれども、数万人だと英雄と言うではないですか?」
「それ、指揮者だけで、実際に手を汚した立場の人には当てはまらないですよ。私は関係ないですけど」
アデリーナ様のジャブに私が軽く返していますと、ベセリン爺が静かに寄って来ました。
「お嬢様、ルッカ様と申す客が参っております」
「っ!? 通してください」
「あら、インテリアも結構良いのね。巫女さん、ナイスな宿を選んでるじゃない」
速っ! しかし、それは免じてやりましょう。私は急いているのです。
「友人の選択です。で、ルッカさん、あの爆発がどうなっていたか教えてください。あっ、でも、言い難いようでしたら、墓場まで秘密にしておいてください」
「巫女さん、ラッキーだったね。ノープロブレムだったわ。帝都の手前、岩砂漠に着弾してた」
ふぅ。肩の荷が下りました。
それにしても岩砂漠……あぁ、剣王が通過するのに1ヶ月とか何とか言ってましたね。
「人、死んでないですよね?」
「アンノーンだけど、数千人ってことはないんじゃない?」
「ふぅ、誰も死んでないなら良かったです」
「旅人とかはいたかもよ。あと、小集落とかあったかも」
「ふぅ、誰も死んでないなら良かったです」
「待ちなさい、ルッカ。シャールの高台からもあの爆発は見えたのです。なのに、帝都の中部地域での出来事なので御座いますか? 相当な距離ですよ」
「そうなのよ、アデリーナさん。信じられないでしょ。大爆発。岩砂漠のほぼ全域が高熱でガラス化してたのよ。アンビリーバボーよ」
ガランガドーさん、聞こえてますか?
良かったですね。ガランガドーさんが重犯罪者にならなくて良かったですよ。
数万人殺しても竜であるガランガドーさんは英雄にはなれなくて、最悪、王国の人からも害獣と見なされて駆除対象だったと思いますよ。
『主も共犯である』
分かってます。だから、本当に反省してるんです!
……もしも被害者の方が居ましたら来世で償います。




