第百五十六話 戦い終わって
波乱は、どこへともなく去って行った。
一つの戦いが終わった訓練場はしばしの間騒然としていたものの、いまは平静を取り戻している。戦いの影響でいくつも大穴が開き、焼け焦げ、凹み、凍り付いているのを無視すれば、だが。
講師たちは校舎内に残った生徒の安否確認や、状況把握のためすでに解散。生徒たちも講師たちの指示に従い、第二訓練場の方へ引き上げている。
そのうち王都の衛士たちや憲兵たち、そして魔導師ギルドの人間が魔法院に入り、検分に当たることだろう。
訓練場にはいまだアークスたちだけが残っている。
それは当然、他の者たちがここにいてはできない話もあるためだ。
講師たちに指示を出し終えたメルクリーアが、こちらに戻ってくる。
「院長閣下。ただいま戻ったです」
「ご苦労だった。ストリング講師」
「はいです。あと、地下の者たちについては一部の講師たちに任せたです。追って報告があがるはずです」
「承知した。そちらの対処もせねばな……」
地下の者たちというのは、おそらくドネアスの間者のことだろう。生き残った者はすでにエグバードが捕縛しているという話であったため、講師を送り込んだというわけだ。
……エグバードは目を細めて天を仰ぐ。だが、思いのほか余裕があるようにも見えた。
それは地下に封じられていた魔人の影という憂慮が取り払われたからだろう。
メルクリーアが身を翻す。
「ルシエル生徒とオーレル生徒ちょっといいですか?」
「はい」
「なんでしょうか?」
「二人にも後片付けを頼むです。校舎内も、あの気持ち悪いののせいでひどいことになっているです。よろしくですよ」
「え? 俺たちもですか?」
「いま校舎内にいる者たちだけでは手が足りないです。やるです」
ルシエルが指示を聞いて戸惑っていると、オーレルが彼の肩を掴んだ。
「同志ルシエル。メルクリーア講師の指示だ。謹んでお受けするぞ」
「俺は構わないですけど……」
ルシエルはちらり、ちらりとこちらを見ている。彼も事情が気になっているのだろう。あとで差し障りない程度でどういう話をしたか教えるべきか。
「オーレル生徒は物分かりが良くて助かるです。それと、ケイン生徒。あなたも頼むです」
「ぼ、僕もですか?」
「当たり前です。ほら、行ってくるですよ」
メルクリーアは杖を校舎に向ける。もう少しあからさまな動きであれば、邪魔者を追い出したいという意図が透けて見えたことだろう。
ケイン、ルシエル、オーレルの三人はそんな雑な指示を受け、訓練場から出て行った。
そんなわけで、場に残ったのは、アークス、スウ、リーシャ、シャーロット、ノア、カズィ、メルクリーア、あとはクローディアと彼女の祖父のエグバードだ。
これならば、できない話もできるだろう。
そんなことを考えた矢先、スウが思い出したように手を叩いた。
「そういえばアークス、さっきミリアとの話で、ドネアスがどうとかって言ってたけど……」
「いや、俺も詳しくはわからないんだ。魔法院に侵入したのがドネアスの間者って聞いただけだし……」
「そうなの?」
「そうだが……」
と言って、思い出す。
そういえば、その話を聞いた人間と校舎で別れたきり、姿を見ていない。
すぐに隣に控えていたノアに訊ねる。
(……ノア、装備を届けに来てくれって話を伝えに行った奴はどうした?)
(……あの少女のことですか? 屋敷を訪れたあと、すぐにどこかへ行ってしまったようで、それ以降は見ていません)
(……あいつ何してんだ?)
こんな大変な状況の中、セツラは一体どこへ行ったのか。いや、おそらくはヒオウガ族のために情報収集しているのだろう。そしていまも姿を見せないということは、それが継続中だということだ。それか、単にこの混乱の中での正体の露見を防ぐため、ほとぼりが冷めるまで身を隠しているということもあり得る。
それはそうと、スウの喋り方が急に変わったので、違和感がひどい。チラチラ気になっているということを視線で訴えかけても、笑顔を返されるのみ。相変わらず面の皮が厚いというか、いつもかぶっている猫三兄弟の性能がすさまじいのか。
ふいに、スウが空を見上げた。
上空のある一点、そこには未だに黒い穴が穿たれている。
「にしても、あの魔法に都市を壊滅させるまでの威力があるとはねー」
「一応、それくらいはあるかもって話だ」
「それ、なんかはっきりしないけど、どういうこと?」
そんなことをスウに訊ねられ、大仰に肩を竦めた。
「はったりだよ。さすがにどうなるかわからないからな」
「アークスぅ……」
スウから、ジト目が向けられる。責めるような視線だ。
しかも、ぐいぐい近づいて詰め寄ってくる。
「そ、そんな詰めてくるなって。誇張やブラフは必要なことだろ?」
「それはそうだけどね……なんか納得いかないなぁ」
スウは何故かご不満な様子。いまの会話のどこに機嫌を損ねるような部分があったのか。
そんな彼女を尻目に、こちらは魔法を消しにかかる。『黒点を穿つ』に対する呪文を唱えて、逆魔法を発動。【魔法文字】が宙へと浮かび上がり、吸い込まれるように黒い点の中に。やがて黒い点は徐々に徐々に小さくなっていき、しばらくしたのち消滅した。
「これで終わりだ。おしまい」
「ですわね。まさかこのような大魔法が使えるとは思いませんでしたわ」
クローディアはそう言うと、とある一点に視線を向けてくる。
その先はもちろん、自信の左腕に装着されているモノに対してだ。
「その籠手が、あなたが大魔法行使できた絡繰りですの?」
「えー、いえ、まあ、その、えーっとですね」
「はっきりしませんわね。もうみんなに知られているのですから、話してもいいでのは?」
「それがそういうわけにもいかなくて……」
魔導籠手については、今後発表する予定はないし、そもそもまだ魔導師ギルドや国王シンルの判断も仰いでいないのだ。まだそう簡単に話すわけにもいかないのが実情である。
この話題にはメルクリーアも食いついてくる。
「それが、この前ちらっと話していた新発明ですね?」
「ええ、まあ……」
「メルクリーア様も知っているではないですか。この分ではわたくし以外の方はみんな知っているのでしょう?」
「全部が全部というわけでは……」
こちらが返答に詰まりあたふたしていると、エグバードが助け舟を出して来る。
「クローディア。聖賢様が困っておられるぞ。そのくらいにしておきなさい」
「お、おじい様? いえそれよりも聖賢というのは……」
「お前も先ほどの話を聞いていたであろう? あれを聞けば、疑うべくもあるまい?」
「そ、それはそうなのですが……」
クローディアも随分と複雑そうだが、エグバードは完全に自身のことを聖賢と認定しているらしい。先ほどのグロズウェルとの話を聞いて、確信に至ったのだろう。だが、その件については、こちらもまだわからないことだらけなので、見て見ぬふり圧しておいた。
……もちろん、それについては、すぐに指摘が入るのだが。
その先兵は、誰あろうシャーロットだった。
「アークス君。あなたなに他人のふりをしているのかしら?」
「いやー、どこのアークスさんですかね? 俺以外にもアークスって名前の人間いましたっけ?」
「そんなわけないでしょ……相変わらずアークス君は往生際が悪いわね」
「いやぁ……でもさ」
「兄様。もう諦めた方がよろしいのではないでしょうか……」
笑って誤魔化そうとしても、リーシャが後詰に控えていた。いつも助けてくれる二人も、今度ばかりは敵方だ。潔くない態度に、半ば呆れている様子。
エグバードがとどめとばかりに、頭を垂れた。
「聖賢様」
「いえ院長閣下! そもそもどうして俺のことを聖賢様などと呼ぶんですか!?」
そうだ。いくら聖賢を重要視しているのだとしても、自分をそう呼ぶ必要はない。
「それは先ほど聖賢様がおっしゃられた通り、我らサイファイス家の者たちが、聖賢様にこの地を任せられたからでございます。我らサイファイス家は王家の臣であると共に、聖賢様の臣でもあるのです」
「いやそうだとしても俺は別に聖賢本人ではなくてですね!」
「では生まれ変わりということでしょう」
「いえいえいえ! 生まれ変わりなんてそんな非常識なこと……」
そこで言葉が継げなくなったのは、それに近い非常識をしているからだ。
自分がそれを言うのは、やはりお門違いなのではないかと思ってしまったがために、否定の言葉が喉の奥に引っかかる。
やっと絞り出せたのは、あまりに苦し紛れの誤魔化しだった。
「え、えーっとですね……これは誤解! そう! 誤解です! 誤解なんです!」
その発言には、クローディアが首を横に振る。
「そんなことを言いますが、あなたはグロズウェルの詳しい話も、そしてわたくしたちも知らないことも知っていました。それはどう説明するのです?」
「あれは本に書いてあったことを言ったんです! 俺の屋敷の本棚にあったやつで…………そうだよな、ノア! なっ? なっ?」
ノアの手を物凄い勢いで引いたり押したりする。だが、ノアは身体も心も微動だにしない。
「何度も言いますがそのような本は屋敷にはありませんよ。あの本は全ページ真っ白で、アークスさまはずっとそれを、アスティアとグロズウェルの本だと言い張っているのですから」
「キヒヒッ。少なくとも、まったく関係ないってことはないだろ? どう考えてもいろんなことが一致しすぎてるぜ?」
「俺は導士本人じゃないぞ! 俺にはそんな記憶はない!」
騒ぎ立てるように否定するが、それを聞いてくれる人間は一人もいない。
そんな中、スウがこれ見よがしに手を叩いた。
「あ! そうそう、あれだよね! どこかから飛んできたおかしな想念と同調してるとかそういうの」
「やめい! 俺は毒電波なんぞ受信してないわい!」
「でも双精霊に言われたっていうのは詳しく聞かなきゃいけない話だと思うんだけどな」
「うぐっ……」
「それでアークス。その話はほんとのことなの?」
そう言えばそうだ。アリュアスに言われたその件を否定していなかった。
どうするべきか。言うべきか。そもそもこれは言ってしまっていいことなのか。
視線が自分の顔に集中する。頬がやたらと痒くなった。
「あー、それは、そのだな。前にチェインに夢枕に立たれたっていうか……」
それももう随分前のことなので、とても言い出しにくい。目が明後日の方向に水泳をし始めたのが自分でもよくわかる。
驚き半分、呆れ半分の表情を向けてきたのはノアだった。
「…………アークスさま。それはものすごく重要なことなのでは?」
「おいおい。一体いつそんなことがあったんだよ」
「いつって、いつだったか……えっと、俺がナダール事変のあと、天幕でずっと寝てたとき?」
当然そんなことを聞けば、スウもエキサイトするわけで。
「アークス! そういう大事なことは言わないといけないっていつもいってるでしょ! どうなってるの!」
「だってそれは俺の脳みそが勝手に見せたものかもしれないじゃないか!? 妄想を事実みたいに口にするって恥ずかしくないか?」
「…………え?」
スウが見せたのは、まるで鳩が豆鉄砲を食らったかのようなキョトン顔だった。何を言っているんだコイツと暗に言われたような態度が、何故か胸にすごく突き刺さった。
「アークスさま、いまさらそんなことをおっしゃるので?」
「キヒヒッ! こりゃあケッサクだな! さっきまで自信満々でいろんな話をしてたのにそんなこと言い出すのかよ! やべえ腹痛ぇぞこれ!」
カズィはツボに入ったのか、一人勝手に悶絶している。不穏当な笑いがいつも以上に大きく聞こえるのは、それだけ可笑しかったからか。
これにはシャーロットも呆れている。
「アークス君。あなた、さっき話してたのはどう説明するつもりなの?」
「だからさっきのは本に書いてあったことを話しただけで!」
「アークス・レイセフト。あなたはまだそんなことを言っているのですか? あなたの従者もそんな本は存在しないと言っているではないですか?」
「クローディア。聖賢様に対してあまり礼を失した態度を取るのはいかがなことかと思うぞ」
「お、おじい様。それはそうですが……」
クローディアは敬愛する祖父に諭されて、わずかにたじろぐ。
「この話は保留で! 俺が聖賢というのも全部保留で!」
どうすればいいのかわからないので、もう棚上げしておくことにした。これ以上は手に負えないし、そもそも実際にそうだという確実な証拠もないのだ。証拠があったところで、絶対に面倒な話になるから言わないのだが。
しかし、そこで待ったを掛けたのは誰あろうリーシャだった。
「兄様。それはダメです」
「うぐっ……」
今度はリーシャが問い質してくる。
顔は大真面目で、なんとは言って表せない迫力があった。
「兄様。精霊様に言われたというのは本当の話なのですか?」
「いや、それは、その……」
「兄様」
「ええっと、その、だな、なんだ」
リーシャの圧力が殊の外強い。はて義妹はいつの間にこんなに強くなったのだろうかと頭の片隅で考えつつ、一方で答えに関してはどうすればいいのか判断できず、言葉に詰まった。
その後ろではスウが「いいよリーシャ! やれやれー!」とノリノリでエールを送っていた。味方はどこにもいないらしい。
「せ、聖賢とは言われてないぞ! 俺は導士って言われただけだ!」
「それは、屁理屈というものですわ。三聖は宿木の騎士、聖賢の導士、鈴鳴りの巫覡。導士と言われれば誰でも聖賢を想像するものでしょう?」
そこで「他にも自分のことを『どうし』という人間がいるぞ」と言いたかったが、茶化すなと言われるだけなので、口に出せない。
「兄様」
「アークス君? いまのあなたの話は論理が破綻しているわ。あなたらしくないわよ?」
「うぐぐ……」
どんどんどんどん、逃げ場を封じられていく。どうやっても有耶無耶にもできない。
だが、結局のところこれは自分でもよくわからないことなのだ。
諦めて、かいつまんで白状する。
「……俺はチェインに夢枕に立たれて、導士って言われただけだ。それ以上のことはわからない」
「つまり、お認めになるということですね?」
「あくまで夢の話です。それは覚えておいてください」
「承知いたしました。では改めて臣下の礼を……」
「ちょっと話聞いてましたかぁ!? 夢です! 夢の話ですからね!?」
夢の話と言っているのに、どうして聞き入れてくれないのかこの人たちは。
そんな風に思いながら、先走り過ぎるエグバードを必死で制していると、スウが口を開いた。
「アークス、気持ちはわかるけど、説明はきちんと考えていた方がいいと思うよ?」
「なんでだよ!? もうこれ以上説明のしようがないぞ!?」
「でも、この大騒ぎの説明を偉い人たちにしなくちゃいけないし、それをするってなると、結局その説明も必要になると思うよ?」
「騒ぎの説明って、それは俺の仕事なのか?」
「そうだよ。ほら」
スウはそう言って、視線を自身の背後に向ける。どうしたのか。そこに何かあるのか。周りを見回せば、リーシャたちが緊張したように硬直していた。
訳も分からず視線を追うようにして振り向いた。
「――あ」
背後を見上げると、裏社会の人間も裸足で逃げ出す怖い顔がそこにあった。
魔導師ギルドギルド長、ゴッドワルド・ジルヴェスターだ。
「――そういうことだ。アークス・レイセフト。大人しく付いて来い」
「て、敵襲ー! てきしゅ……あ、あれ?」
「誰が敵だ。誰が」
「い、いえ、いまのは誤解です! ちょっと血迷っただけです!」
いまの失言は、突然もの凄く怖い顔が出てきたので、出てきてしまったものだ。
メルクリーアが顔を手で隠している。ギルド長がいるためだ。心の準備が整うまでは、当分あのままだろう。
「ど、どうしてギルド長がここに!?」
「どうしてもなにもここはどこだ? 魔法院の敷地は魔導師ギルドと隣接しているのだぞ」
「あ、そういえばさっきスウが呼んでたんだっけ」
スウは魔人との戦いの最中に、そんな指示を出していた。ギルド長はそれを聞きつけてここに来たのだろう。にしてはタイミングが妙な気がしないでもないのだが。
ゴッドワルドがため息のように吐き出したのは、倦み疲れたたような呆れ声だった。
「まったくこんなところで事件が起こっただけでも頭が痛いのに、しかも騒ぎの中心にいるのはお前ときた。どうしてこうレイセフト家から廃嫡された人間はどいつもこいつも騒ぎの中心にいたがるのか」
「別に、そういうところにいたいわけではありませんし、そもそも俺のせいではありません! あとその愚痴の大半は伯父上の話でしょう!」
ゴッドワルドの言葉には、他の人間の不始末に対する愚痴が、大半を占めている。
それを必死に訴えると、ゴッドワルドの視線がスウの方に動いた。
途端、スウの表情が澄ましたような笑みに変わった。この夏場にそぐわない寒気が生まれ、一瞬で鳥肌が立つ。
「あら? 金剛の魔導師殿。どうかなさいましたか? そんなにじっと見つめられるので、私の顔に何かついているのかと思いましたが?」
「い、いえ、オホン。失礼いたしました。なんでもありません」
「ならよかった」
「…………」
この数秒の間に、ひどく一方的で恐ろしい暗闘があったように思う。もちろんやり込められたのはギルド長だが。
この場にいる全員がそんな事実に気付いているため、何も言えない。男の世界では、君子危うきに近寄らず。雉も鳴かずば撃たれまい。こちらでは荒天の海は見に行くな。である。
ゴッドワルドが喉の調子を確かめるように声を出す。話を切り替えにかかったのだ。
「う、うむ! ……それで、アークス・レイセフト。大まかに何があったかはわかるが、詳しいことが聞きたい。説明してもらえるか?」
そう言われれば従わざるを得ない。まずは取り急ぎ説明をする。
やがてアークスが説明を終えると、ゴッドワルドはエグバードに確認するように訊ねた。
「つまり、先生。これで魔法院の地下の憂慮は取り払われたと」
「うむ。姫様と聖賢様のご尽力によってな」
「先生。聖賢様とは?」
「そこにいらっしゃるのが聖賢様だ」
エグバードは穏やかな笑顔で、こちらを向いた。
「いや、あのですからそれは、保留ということで決着したはずですが……」
「アークスー。勝手に決着したことにするのはよくないと思うよー?」
スウに白い目で見られるが、そんなものはもう無視だった。これ以上この話に拘うと、泥沼にはまって二度と抜け出せなくなる恐れがある。
ゴッドワルドがこちらを向く。
「ともかく、ここに居続けてもどうしようもない。これから王城に行くことになるのだ」
「え? 誰がですか?」
「お前がだ。お前が」
「どうして俺なんですか!?」
「お前が一番詳しい事情を知っていそうだし、話を聞くには一番の当事者が必要だろう?」
王城。そんな話を聞いて、腰が引ける。
「の、ノア? 代わりを頼んでもいいかな? 俺、ちょっと胃の調子が悪くなってきてさ……」
「アークスさま。責任者が不在というのは責任の放棄でしょう。お咎めの対象になりますよ?」
「責任者って……もっと取ってくれそうな人が他にいるだろ」
メルクリーアの方に視線を彷徨わせると、ぷいっと顔を背けた。
「いないです。そもそも私はアークス・レイセフトの事情も詳しく知らないです」
「俺だってよく知らないんですよ!」
「私には後始末があるです! それを終わらせて調査に加わって、やっと自由に動けるです! あなたはそれ以上に私に仕事をしろと言うのですか!? もう嫌です! お休みくださいです!」
メルクリーアはまた帽子を目深にかぶって小さくなった。彼女は頼れないらしい。
やはり、ここで頼みにできるのは上級貴族かと、スウに助けを求めようとすると。
「私はー、いち学生だしー」
「おい、さっきまでバリバリ指揮を執っていたのは誰だったんだよ!」
「あ、あれは緊急措置! 緊急措置だよ! 仕方なかったの!」
「あんなに勇ましくしててか! 荒事慣れ過ぎてただろ!」
「だってみんな弱気になってたし、あのときはああするしかなかったでしょ!?」
いつものようにスウとぎゃあぎゃあ。
本人は我関せずにしたいようだが、そういうわけにもいかない。
「いや、どうせスウも行かなきゃならないだろ!」
「そ、そんなことはないよ!? わ、私はー、後始末のお手伝いでもしてよっかなー……」
スウが視線をどこか遠くに泳がせていると、それを許さない者たちが、行き場を封鎖しにかかった。
ゴッドワルドとエグバードだった。
「姫様、どうかよろしくお願いいたします」
「そうですね。姫様にもお願いしたく存じます。ご一緒いただけますな?」
「う、うう……」
同調する大人勢に、スウも嫌とは言えない。根が真面目なスウがサボれないことをわかっているから言える言葉だ。小さな声で「大人ってズルい……」というボヤきが聞こえてくる。
そんなスウに訊ねる。
「……はあ、俺、怒られんのかな?」
「怒られるわけないじゃない。魔法院の危機を取り除いた人間なんだよ?」
「そうだな。怒られることはないだろう。なにせ何もしなかった連中もいるんだからな」
ギルド長はそう言うと、ふいにどこぞを向いた。
「え? ギルド長?」
「若者の成長がどうだとか言って、あえて見ていた奴らもいるということだ」
「は?」
「あ!? あぁあああああああああああああ!!」
こちらはよく意図が呑み込めず、不思議そうな声を上げる一方、スウが絶叫して勢いよくギルド長の見ていた方に視線を向けた。
追ってアークスも振り向くものの、そこには誰もいない。しかし、スウは何かに気付いたのか、してやられたというように額に手を当てて唸った。
「これは……なんかすごくしてやられた気分」
「スウ、もしかして……」
「そうだよ――ギルド長。陛下とアーベント卿、エインファスト卿がいらっしゃいましたね? あそこの屋根の上に」
「そ、それは……」
「そうだよねぇ……王都にいるのにあの人たちが顔出さないなんておかしいもん。ずっと近くで見てたんだ。ねえ? ギルド長? ギルド長もそうだったのでしょう?」
「も、申し訳ございません。ギルド内や魔法院の外縁に精鋭部隊を集めたあと、突入しようとしていたのですが、陛下が本当に危なくなった場合に限り、手助けに入れと仰せになられまして……」
「わかってます。ギルド長に責任はありません」
先ほどの会話を聞くに、国王、シンル・クロセルロード。伯父であるクレイブ・アーベント、国定魔導師第五席、ルノー・エインファストのことだ。クレイブ曰く、幼馴染みの三人である。
しかし突入しようとしていたところをわざわざ止めるとは、後進の育成とはいえ、かなり無茶な話なのではないだろうか。というか、まだこちらは学生なのだ。もっと手加減して惜しい。
むしろこれにはメルクリーアの方が騒ぎ出した。
「ひ、ひどいです! あんな危機的な状況を放っておいて、黙って見ていたですか!?」
「メルクリーア。これから次代を担うのは、お前もそうだからな」
「ですがみんなまだまだ現役ではないですか! そうでなくても姫様に何かあれば……!」
「メルクリーア!!」
「ひぃ!? 怖いです!? 殺さないでです!?」
突然怒号を上げたギルド長に、メルクリーアは怯えてさらに小さくなった。彼女の文句がそれほど気に障ったのかどうかはわからないが、
「ということは、どうにかできる自信があった。そういうことですよね、金剛の魔導師殿」
「はい……陛下は最悪、クレイブの魔法で固めて黒鉄の中に封印してしまえばいいだろ……とおっしゃいました」
「さっきアークスが言ってたのとおんなじ考えだね……」
倒せないなら、無理に倒す必要はない。身動きを取れなくさせるのが一番手っ取り早い無力化の仕方だ。いくら強くとも、大質量の中に封じ込めてしまえばどうにもならないだろう。
無論、魔法院は移転を余儀なくされるだろうが、
「差し当ってアークス・レイセフト、クローディア嬢には、早急に登城してもらうことになるだろう。姫様、それでよろしいですね?」
「……ギルド長、どうして私に訊くのですか? 私に訊かずともよいと思うのですが?」
「そ、そうでしたね。申し訳ございません」
やはりパワーバランスがよくわからない。アルグシア家とはそれほど権力を持っているのか。にしてはスウ個人に対してだいぶ腰が低いように思うのだが。
「説明に関しては、せんせ……ごほん。院長閣下が助けてくれるだろう――そう考えてよろしいですな?」
「うむ」
助けになってくれそうに人に、頭を下げる。
「院長閣下。よろしくお願いします」
「畏まりました。聖賢様」
「…………」
やはり聖賢呼びは頑なに変えないらしい。顔が渋くなるのが自分でもわかる。
ともあれこれから王城だ。これから気苦労に想いを馳せると、いまから胃がだいぶ痛かった。
「うう、大変そうだ」
「仕方ありません。偉くなるというアークスさまの野望を叶えるのは、こういうことは避けられない事柄ですよ」
「それはそうなんだけどさ。そうなんだけどさ……」
いつものことだが、心の準備ができないのが一番厳しい。
そんな中、カズィが一人帰ろうとする。
「さーて、俺は家に戻って、部屋の掃除でもしとくかな」
「おいカズィお前一人だけ逃げようとすんな! 今日はお前にも来てもらうぞ!」
「いや俺はそういう場所得意じゃねえしさ」
「ダメだ! そんなこと言っていつも来ないじゃないか。いまのうちに慣れておく必要がある!」
それに同調してくれたのはメルクリーアだった。
「そうですね。禁鎖も大掛かりな魔法を使ったです。念のための報告は必要でしょう」
「マジかよ……」
「お前も胃を痛めればいいんだ。絶対に逃がさないからな……」
「お前私怨入れ過ぎじゃねえかよ……」
そんな風にドン引きされる中、ふと手の中に目を落とす。
すると、ノアとカズィも覗き込んできた。
「アークスさま、それはなんでしょう?」
「そういやさっき、魔人がいたところでなんか拾ってたな?」
そう、これは魔人が塩と変わった場所に落ちていたものだ。革のベルトが取り付けられた円盤状の装飾品。どういう理由かはわからないが、あの高重力下の中にあっても破損せずに、二つの針を休みなく動かしている。
「これか? これはまあ、便利なものさ」
アークスはそう言って、スウたちと王城に行く準備をし始めたのだった。




