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第百五十一話 リーシャの戦い




 ときはアークスがミリアと接触する少し前に(さかのぼ)る。


 アークスが邪魔立てするミリアに事情を訊ね、ひいては説得を試みようとしていた時分であり、地下ではクローディアがジエーロにその真意を問いただしていたときでもあった。


 第一訓練場の面々は一通りの仕事にカタが付いて、しばしの休息に入っていた折でもある。



 リーシャ、ルシエル、シャーロットが雑談し、さらにそこへケインが合流して、今回の役回りで大きく貢献した二人の仲間(ミリアとセツラ)がどうしているかという話に差し掛かったそのときだ。



 ――リーシャ・レイセフトが肉塊の対処に追われることになったのは。



 ふいに現れたのは、アークスやスウが遭遇したものと同じ異変だった。

 粘膜の桃色を再現した肉の塊が、校舎側から染み出すように、うぞうぞ、うぞうぞと這い出てくる。

 どんよりとした曇り空に、真夏には珍しい生ぬるい風。

 そこにそんな光景が舞い降りたのだ。誰も自分の目を疑うのは無理からぬこと。

 目の前の光景があまりに常識からかけ離れすぎていたため、みな一瞬では理解できなかった。しばらく呆けて肉塊の動くままにしていたものの、やがて徐々に事実が脳みそに浸透していき、驚きの声が上がり始める。



「なんなんだあれ……」


「明日の催し物……ではないだろうね」


「ずいぶんと気色悪いわ」



 声を上げたのは、ルシエル、ケイン、シャーロットだ。

 ルシエルはいまだ驚きから回帰できず、ケインは驚きを軽口で抑え込み、シャーロットに至っては生理的な気持ち悪さからか口元に手を持ってくるほど。

 少なくとも、あれが好意的な感情で生み出されたものではないことは確実だろう。



 見た目からして、そんな風には思えない不気味さが、ひしひしと感じられる。



「何かはわからないけど……ケインくん。あなたああいうのは見たことあって?」


「いえ、僕もこういった物と出くわすのは初めてです。この場合、初めての出会いに感謝した方がいいのでしょうか?」


「出会いには善し悪しもあるから、喜ぶのはもう少し待ってからの方がいいわね」


「そうですね。少なくともあんなもので喜ぶにはもっと修行が必要かもしれません」



 シャーロットと冗談を言い合っているケインに、ルシエルが苦言を放つ。



「……おいケイン、よくそんなこと言ってられるなお前」


「ははは、ごめんごめん。僕もこんな意味の分からないことに出会ったことなんてないからさ。どんな反応をすればいいかわからなくて」


「で? そんな軽口を叩いたと。ダメだ俺は一般人過ぎてそういうの無理だわ。こうして話をしてるだけで精一杯」


「僕だって急すぎるよ。意味が解らな過ぎてだいぶ混乱しているのかも」



 表には出していないが、やはりケインも焦っている様子。いや、当たり前だ。あんな不気味なものを目の当たりにして焦らない者などそうそういない。いろいろなことを経験しているあの人だって、これを見れば驚くだろう。



「二人とも。あれがいい物か悪い物か、その判断はついていて?」


「あれだけ気持ち悪い物がいい物だとは思えませんね」


「いいものだと思う奴なんていたら、そいつの感性を疑いますよ。絶対友達にはしたくないです」



 シャーロットの訊ねに、ケインは丁寧に返答し、ルシエルに至っては目の前のものに対する悪態も交じっている。

 シャーロットがこちらを向いた。



「リーシャはどう思う?」


「私もあれは気持ち悪いですし、兄様なら……」


「アークスくんなら?」



 さて、あの人ならアレを見たらどんな対応をするだろうか。

 少なくとも、悠長にはしていないはずだ。



「……すぐにおかしな物と判断すると思います。そして、排除しようとするかと」


「そうね。放置してはおけないわね。どうやらどんどん増えていってるみたいだし」


「おいおい校舎内は大丈夫かよ?」


「中の人間が対処しているか、逃げているとは思うけど……」


「でも、だからってどうするかって話だよな。攻性魔法でも撃ってみるか?」


「下手に手を出していいものなのかわからないわね。あの量だし、近付いて逆に迫ってこられたらひとたまりもないし」


「土砂や岩を操る魔法を使って一気に圧し潰す……ああいう風に増えているところを見ると、効果があるとは思えませんね」



 やはり、どう手を出せばいいか迷っているらしい。目の前のものをどうにかしないといけないという考えは一致しているのだが、どう対処すればいいのか、その解答が出ていないのだ。



 改めてよく観察しても、気味が悪い存在だ。

 あの肉塊が距離を縮めるごとに、ぬちゃりとした水気のある音が聞こえてきそうなほど。まるで大地を舗装するかのように、隈なく地面に広がっている。



 そこで、軽く後ろを見返った。

 無論、後ろに何が見えるはずもない。



「……あなたにはアレが何かわかりますか?」


『そうやってなんでもかんでも訊くのはよくないんじゃないかな? その辺り、君のためにならないよ?』


「……あなたはことあるごとに話しかけてくるのに、私の訊ねは拒絶するのですか? いいご身分ですね」



 言葉に嫌みという名のあからさまなトゲを含ませると、悪魔は笑って(なだ)めにかかる。



『ごめんごめん怒らないでよ。まあ、悪い物には違いないから排除しちゃえば?』


「質問の答えになってないですね。ダメです」


『はいはい減点対象減点対象』



 悪魔はいつもの如く、肝心なことや詳しいことは答えてくれない。あれが何か知っているような口ぶりではあるのだが、いつものようにこちらを翻弄してくる。



 だが、待ったを掛けないということは、排除に動くのが最善手なのだろう。

 シャーロットたちに声を掛ける。



「みなさん、こういうのは私向きです。ここは任せてください」



 ケインとルシエルの二人は土や岩、物質操作系の魔法を得意とするため、この手のものには相性がよくないだろう。先ほどケインが危惧したように、土砂や岩で圧し潰したとしても、隙間から飛び出た肉塊が増殖し、いたちごっこになってしまう恐れがある。それでは消費した魔力分だけ損だ。



 ならばここは、焼き尽くすことのできる炎の魔法に頼るべきだろう。



《――炎の洗礼。大火なるものの根源。巻かれし炎が解けるとき、我が立つ地平にその苛烈なる道理を敷け。その上に足をつける者どもよ、いま銀火なるものの所以を見るがいい》



 前に歩み出て、すぐさま呪文を唱えると、足下に赤と銀が混在した魔法陣が展開する。

 燃え上がるように立ち昇る赤い光、そして銀の輝き。それらは周囲に咲き誇るように広がると、やがて自分の前に炎が生み出され、横一線に広がった。



 銀の輝きが散りばめられた炎が地面を舐める。一気に、広範囲に敷き詰められていくその様は、さながら巻いた絨毯を転がしながら広げるかのよう。



 肉塊はそれに呑み込まれると、敢えなく炎の餌食となった。

 肉が炎の食い物にされていく。それは、有機物にとって逃れられない宿命だろう。

 炎の中で(あぶ)られ、悶えるように動く肉塊。形が残っているものも、焦げた部分から徐々に徐々に焼かれていき、最後には消し炭となって地に残る。それは黒炭のカスになって散らばるか、灰になって吹き飛ぶかの違いでしかない。



 魔法行使の一部始終を見ていたケインが、感嘆の声を漏らした。



「リーシャさん。さすがだね」


「ありがとうございます。と言っても、今回は相性が良かっただけとしか言えません」


「そうかな? 突然の事態でも適切な魔法を選択して詠唱も完璧にこなすなんて、そうそうできることじゃないと思うけど?」


「それができるように父様から訓練を受けています」


「はは、そうか。正直なところこうして(おく)せず戦えるのは意外だった」


「そうですね。普段は貴族の令嬢としての振る舞いを大切にしていますから」



 そう言ってから、独り言のように呟く。



「私も、いつまでも守られる側でいるわけにはいきませんので」


「……?」



 そう言ってケインににこりと微笑み返すと、彼は不思議そうな顔を見せる。

 そこに、ここぞとばかりに不躾な声が割って入った。



『それってお兄ちゃんのことかい? リーシャちゃんは相変わらずお兄ちゃんのことばっかりだね』


「……うるさいです」



 つい反射的に見返って悪態をついたのは、後ろの悪魔の指摘があまりに真っ当だったためだ。どうしてこんなときにだけ、こうして口を挟むのか。いや、こういうときだからこそ、この悪魔は口を挟むのだ。自分をおちょくりがいのある相手として見ているから。



『さすがだね。こういう手合いには本当に強い』


「レイセフト家は炎の魔法を扱う家系ですから。たまたま相手と場所が良かっただけです」



 後ろの悪魔に素気無く吐き捨てながら、炎の魔法を行使し続け、訓練場に広がろうとしていた肉塊を燃やしていく。校舎内であれば気を遣って炎の魔法は使えないが、外であれば気兼ねすることもない。掃除でもするかのように粛々と、淡々と。



 そんな風に、この調子ですべて焼き尽くしてしまおうと考えていた折のことだ。



 追い打ちのように、さらなる異変が起こったのは。



 ふいに感じられる微細な震動。「これは……?」「地震?」そんなことを言い合いながら、地揺るぎのようなそれを不審に思い、一同顔を見合わせる。

 その直後、訓練場の地面がさながら火山の噴火の如く吹き飛んだ。



「うわっ!? 今度はなんだよ! 次から次とおかしいだろ!?」


「っ、一体何が!?」


「これは……」



 ルシエルの叫び声に続いて、ケインやシャーロットも声を上げる。

 身を伏せる間もないほど突然で、大きな衝撃だった。巨大な音と震動が、地面を通して身体に伝わり、その場に立っていられなくなる。さらに土煙も舞い上がり、視界が一気に利かなくなった。



 にわかに周囲に広がった土煙に口元を押さえ、それでも何が起こったかを把握しようと薄目を開ける。



(一体何が……いえ、そうではありません……!)



 ここで受け手に回ることを良しとするのは、最善ではない。

 ならばまずはこの場から土煙を払うべく、呪文を唱えるのが肝要だろう。



 そんな思いつきを結論として、呪文詠唱に取り掛かる。

 冷ややかにそして静かに、集中だけを尊んで、詠唱不全を起こさぬよう腐心して、土煙を吸い込んで咽ないように気を払いながら。



 以前なら、こんな事態に遭遇すれば混乱してすぐには動けなかったはずだ。

 しかし、レイセフト領内にある洞窟の探索などの経験を積み重ねているため、すぐに思い立って行動に移すことができた。


 やはりこれも、ずっとあの人のことを見てきた影響だろう。あの人はいつも冷静で、いろいろな事態にも対応できる。

 あの人ならこんなとき、まずどうするだろうか。まずなにをするだろうか。

 そんなことを考えていると、自然に答えが導き出されてくるのだ。

 なにより、いまは自分の後ろに悪魔がいる。無様な行動を取ればせっつかれるし、嘲笑の対象になることは火を見るよりも明らかだ。

 新たなケンカの火種にもなり得るだろう。



《――風よ吹け。穏やかなるそよぎの調べ。霞も靄も、霧も煙も吹き飛ばしては散り散りに。そよ風よ霧を払え》



 これは、以前にクローディアがあの人との決闘で使用した魔法だ。風を起こして視界を遮る霧や霞を吹き飛ばす【霧払之風(フォグスラッシュ)】である。



 地面に緑色の魔法陣が展開すると、風がそれに呼応するように一方向へ吹いていく。

 土煙は爽やかな横風にさらわれて、吹き飛んでいった。



『おー、さすがさすが。対応が早いね』



 素早い対応を見ていた後ろの悪魔はそんな称賛を口にするが、どうにも小馬鹿にしたような含みが拭えない。単にこちらが彼の言動に過敏になっているだけか。いや、やはり後ろの悪魔が一言も二言も多いのは間違いない。



「リーシャ、ありがとう。さすがね」


「いえ、シャーロット様。それよりも前を」


「ええ」


「一体なんなんだよこれは……」


「わからないけど、気を付けよう。これは尋常じゃない事態だ」



 周囲に緊張を促す言葉を聞いて、みな気を引き締める。

 やがて異変の全容があらわになった。

 先ほどの巨大な音と震動の原因なのか、訓練場の中心には大穴が開いており、土くれや瓦礫がその周辺に積み上がっている。



 ということは、これは下からのものか。規模の大きい土の魔法が使われたのか、それとも別の要因なのか。周辺に大量の魔力が漂っているのでおそらくは魔法に関連するものだとは思われるが、明確な答えは出てこない。



 答えを出せないままさらに奥に目を向けると、大穴の前に一人の男が膝を突いていたのが見えた。

 すぐにその男は立ち上がり、顔を上げる。

 服装は王国民が好んで着るような一般的なもので、特段身の回りについて言及するほどではない。多少土で汚れている感はあるものの、土煙にまみれた程度のもの。



 だがその人相は――随分といかめしい。日の当たらない場所で後ろ暗いことをしてきた者たちによくいるような顔つきとでも言えばいいか。しかも、男自身が身にまとう不気味な気配のせいで、さらに禍々しく見えてしまう。


 目は血のように赤く光り、血管のような筋がどす黒く浮かび上がっている。

 そして、もっとも気になるのはその身に充溢(じゅういつ)させる途方もない力だ。

 魔力とも言い難い別種の力を身にまとい、それで周囲を圧迫している。

 地面には男の影が不気味に揺らめき、一見して尋常ではないことが窺えた。



「おいおい、ホントなんなんだよ……もういい加減にしてくれよ……」



 ルシエルが引きつったような声を上げ、後退りをする。だが、こうして身を引いてしまうのも無理はない。いまもあの男の身体からは、途方もない力が発せられているのだ。正常な人間であれば本能的に身構えてしまう。

 謎の男は彼自身の身体に視線を落とし、何事かを確かめている様子。力の込め具合の確認だろうか、鷹揚(おうよう)に右手を握り、左手を握り。やがて満足が行ったのか機嫌を良くしたように笑みを浮かべる。



 不穏な笑みだ。ともすれば全身の毛が逆立つほどに、言い知れぬ不気味さが感じられる。

 男が周囲を見回す。



「――ふむ。魔法院の敷地内にいるとは思っていたが、こんなところに出るのか。やはり地下は常識では計り切れない法則でできているようだ。アスティアめ」



 男は何かに対して悪態をついている様子。

 そのせいなのか、周囲にかけられていた圧力が一旦落ち着く。

 これを機とばかりに、ケインが叫んだ。



「っ、お前は何者だ! 一体何をした!」



 それに気付いた男は、咎めの声にさして気にした様子もなく、事も無げに答える。



「何をしただって? 私が何をしたのか、君にはわからないのかね?」


「わからないから訊いているんだ!」


「そんなもの、見た通りだよ。ここの地下から飛び出してきたのだ。この力と共にね」


「力? 魔法院の地下? そんなものあるなんて聞いたこと……」


「それらを君に説明する義理はないよ――さて、突然のことに困惑しているところ申し訳ないのだが、君たちには私の力の実験台になってもらおう」



 男はそう言うと、無造作に腕を振り抜いた。

 それだけで強烈な衝撃波が訓練場を駆け抜け、身体を強かに打った。



「うぐっ!?」


「くっ!?」


「きゃっ!?」



 あまりの衝撃の強さに、堪えることもできず吹き飛ばされてしまう。ある程度の距離があったため昏倒するまでには至らなかったが、それでも肌にビリビリとした感覚が付きまとうのは、その威力の高さゆえか。



 それを見た男は気をよくしたのか、(たかぶ)った笑声を上げた。



「くくくくく、くははははははは! なんとういう力だ! 腕を軽く振っただけでこれとは! これならば魔法すら必要ない!」



 実験台とはうそぶいたものの、そもそも男はこちらのことは眼中にないようだ。

 いまは自分の力に酔いしれて、注意が散漫になっているらしい。

 折角の状況にもかかわらず追撃はおろか、こちらに気を向けることさえしていない。

 こちらのことを、ただの学生としか考えていないようだ。

 そんな中、いまだ校舎側に残留していた肉塊が動き出す。

 男を標的にしたのか、そちらへ向かって膨れ上がりながら迫って行った。



「いや、これも案外邪魔くさいものだな」



 男は肉塊を一瞥し、さもつまらなさそうにそう言うと、自分たちにしたように肉塊にも腕を振りかざした。

 衝撃と豪風が巻き起こり、その渦のような力に肉塊が呑まれていく。

 それだけで肉塊は散り散りに吹き飛び、塵芥の如く粉微塵にされ消滅した。



「なんて力……魔法も使わずにこんなことができるなんて」


「無茶苦茶だろ……どうしてこんな奴が王都にいるんだよ」



 男の力に驚愕する中、ふいに見境なく広がろうとしていた肉塊が進行方向を変え、校舎の方へと戻って行くような素振りを見せる。どの部分も一目散に、だ。まるで男に恐れをなしたように、男の視界からなるべく早く遠ざかろうとするべく、我先にと動いている。



 やはり男はその様子を見て、つまらなさそうに鼻を鳴らすだけだ。

 その仕種はまるで、肉塊の存在を心底軽蔑しているかのようにも見える。



「あいつは一体……」


「少なくとも、害意しかなんじゃないかしら。まったく嫌な予感が当たりすぎて困ってしまうわね」


「シャーロット様、いかがしますか?」


「魔法院の生徒に危害を加えたんだもの。取り押さえるに決まってるわ」


「お、俺たちだけでですか!? あんな奴を!?」


「そうよ。講師陣は出払ってるし、アークス君もスウシーア様もいないんだもの、私たちしかいないわ」


「マジっすか……」


「リーシャもいい?」


「……はい」



 同意すると、ルシエルが声を掛けてくる。



「リーシャ、君は厳しかったら下がっててもいいんだぜ?」


「大丈夫です。私も軍家の跡取りとして教育を受けていますので」


「そ、それならいいけどさ……」


「ルシエルさんは大丈夫ですか?」


「……正直な話をするとさ、滅茶苦茶怖いよ。君がどうしてそんな風に平気でいられるのか訊きたいくらいだ。ほら、足だって震えてるしさ」


「いえ、私も脅威を感じています」


「ほんとか……?」



 ルシエルが怪訝な表情を向けてくるが、脅威と思っているのは確かなことだ。

 これまでにない胸のざわめきをひしひしと感じているし、目の前の存在に対する不安もある。ともすれば、ここで自分は倒れてしまうのではないかと縁起でもないことを考えてしまうほどに。

 だが、やはり気になるのは、だ。



「それにしても、あの魔力とも違う力はなんなのでしょう?」


「何かはわからないけど、ああして即座に攻撃に転化できるのは脅威だね」


「おかしな効力がないだけマシ……でしょうか」


「いまはそうだとも断定できないけど、そんな風にも見えるわね」



 シャーロットも同意見か。いまのところその力を衝撃波くらいにしか使っていない点では、こちらもやりようも見いだせる。あとは男の攻撃の速さだけか。



『…………へぇ。これは面白いことになってるじゃん』



 ふいに、後ろの悪魔が嘲笑う。

 これまで声を発さず黙っていたのは、目の前の男のことを探っていたためか。

 そして、いま声を上げたのは、その答えが出たためか。



「面白い、とはどういうことです? あなたはあの男が何者かわかったのですか?」


『さてね。聞くだけじゃなくて、たまには自分で一から考えてみたら?』


「あなたは先ほどから本当に……こういうときくらいは素直に教えてくれても良いでしょう」


『リーシャちゃん、そんなこと言ってる場合じゃないよ』


「このっ……」



 おちょくるような物言いに腹も立つが、しかし悪魔の言う通りだ。

 いまは目の前の脅威から目を離している場合ではない。



「さて、何やら相談でもしていたようだが、終わったかね?」


「私たちのことを待っていた、ということかしら?」


「それくらいの余裕はある。ま、私としても相手が学生というのは少々不服なのだがね。仕方あるまいよ」


「学生だからと……舐めてくれるわね」


「ほう? では違うと? 見たところそんな風にしか見えないが」


「試してみる?」



 シャーロットの挑発的な物言いに対しても、男は涼しい顔だ。いまだ少女であるシャーロットの言葉では、心に響かせることはできないらしい



 そんな中、ふいに男がシャーロットから視線を外す。



「――おっと、そんなことを話していたら、だ」



 男が向いた方に視線を向けると、複数の足音と共に魔法院の講師たちが現れる。

 院内にいた者たちか、もしくは出払っていた者たちが戻ってきたかはわからないが、援軍だ。

 息を切らせているのは、急いで戻ってきたためだろう。

 男が一目で尋常ではないことを察し、敵意を向ける。



「貴様! 一体何者だ! ここで何をしている!?」


「訓練場をこんな風にしたのはお前か!?」



 そんな叫び声に、男は至って安穏としたまま。



「ふむ。それに答える必要はないな」


「ならば捕まえてから聞き出すまでだ!」


「ほう? 私を捕まえる、と? やれるものならやってみるがいい」


「ほざいたな! 魔法院の講師を敵に回したことを牢の中で悔やむがいい!」



 講師の一人は勇ましくもそう言うと、拘束の呪文を唱える。

 彼の正面に鎖色の魔法陣が展開。そこから複数の綱が伸び、蛇のように地面を這って男のもとへと向かって行った。

 捉えられる。おそらく講師はそんな想像をしただろう。男は動かず、そのうえ魔法も使わない。ならば、講師たちはほくそ笑んだに違いない。



 しかし、結果は講師の思惑通りにはいかなかった。



「効かんよ」



 男は素っ気ない一言と共に、先ほど見せたように腕を振るう。そんな邪魔くさい羽虫を振り払うような何の気ない仕草をしただけで、講師たちは発動した魔法ごと吹き飛ばされてしまった。

 砂埃が上がる。だが、そこまで大きな痛手ではなかったのか、講師たちは意識を失わぬまま。しかし、その表情は驚きに染まっていた。



「ば、バカな……」


「一体なんだこいつは……?」


「構うな! 魔法を撃ち続けろ!」


「やれやれ。凡夫というものは本当に愚かだよ」



 講師たちが使う魔法が、攻性魔法へと変わる。

 炎、風、水、岩や土砂。さらには他の物理的な魔法まで。属性は多種多様だが、しかしそれも火力が足りないのか成果を上げられない。男は数々の魔法に晒されるも傷を負うことはなく、先ほどの衝撃波を放って講師たちを追い詰めていく。



「皆さん! 下がってください!」



 一方でジョアンナ講師が自分たちを含む訓練場に残っていた生徒に一生懸命避難を呼びかけている。

 だが、それに反して前に出る者が一人いた。

 それは細剣を抜き放ったシャーロットだ。



「――魔法には強いみたいだけど、こちらはどうかしらね?」



 彼女は攻性魔法で舞い上がった砂塵を隠れ蓑にして、男へと迫る。

 気配を薄く、身を低くして真横まで迫ると、男に対し刺突を繰り出した。

 それは蜂が繰り出すような鋭い一刺し。



 一方で男には身を守る盾も鎧もない。串刺しにされるのは必定だ。

 しかし、そんな予想に反し、男はそれを受け止めた。



 ()()()()()()()()()



「なっ!?」


「ほう? まだ子供のくせに随分と剣呑な技を使う。だが相手が悪かったな」


「腕で止めたですって……? いえ、刃物が突き刺さることもないなんて……」


「これくらいなんてことはない、ということだ。いまの私にはね」


「っ、ならこれはどう!?」



 シャーロットは一度身を引くと距離を取り、男の間合いから離脱。そしてすぐさま翻弄するようなステップを挟み、再度男へと肉薄する。



 男はその場に突っ立ったままだ。

 シャーロットの細剣をかわそうとする素振りもない。

 それだけ自分の防御力に信頼を置いているのだろうとは思われるが、同じような手を二度使う彼女ではない。



 肉薄する勢いをもって繰り出すのは、全身の力を剣先に集中する渾身の一撃だ。

 火一閃(バーンスラスト)。細剣術の技の一つであり、シャーロットが最も得意とする技でもある。

 切っ先は男の胸へと吸い込まれ、突き立てられた。



「むっ……」



 しかし、刃は男のその身に入って行かない。まるで胸に鉄板でも仕込んでいるかの如く、切っ先が肉に沈みこまずに止まっている。

 本来ならば、火傷のあとのようなヒリつく感覚を覚えるというのだが。



「なるほど、これなら確かにあんな大口も叩けるか」


「効かない……?」


「いやいや、意外と効いているよ。痛い、と素直に思えたからね。だが――これならば私も相応しい対応ができるというものだ」



 男はそう言うと、身体に力を充溢させる。それを身体の表面に這わせると、その力は鎧と変じ、手には一振りの剣が握られる。

 どす黒い鎧。どす黒い剣。どす黒い盾。まるでおとぎ話に語られる、首なしの黒い騎士を思わせる()で立ちだ。周りには常に男が発する不気味な力が漂っており、生来的な危機感、忌避感、嫌悪感を抱かせる。



「さて、こんなものかね?」


「それは……」


「まさか私の力が、ただ無造作に力を放出するだけのものだと思っていたのかね? いやいやそれは見当違いというものだ。この力は、自在の力。その意思により、思い描いた通りに力が発揮される。こんな風に剣や鎧、盾を作ることもなんら難しいことではない」



 男はそう言って力の正体を得意げに披露する。

 その力の根源がなんなのかはわからないが、口ぶりから察するに、その力さえあればなんでもできるということだ。

 やがて始まる、剣撃の応酬。剣術はシャーロットが一枚上手なものの、男には鎧がある。

 隙を突いて攻めても、防がれるだけだ。もともと生身に繰り出しても、痛み以上の成果を上げられなかったのだ。それも(もっと)もというところ。



「刃が通用しないなんてどうなってるの……」


「ははは、それだけ人間(きみたち)と私には隔絶された差があるということだ」



 男は、剣での戦いに合わせている。本来ならばそんなことはしなくてもいいにも、かかわらずだ。遊んでいる。本当に自分たちを(てい)のいい実験相手にしているらしい。



 だがそんなものに甘んじているシャーロットではない。

 そう、あそこで立ち回りをしているのは、王国細剣術宗家の娘だ。


 枝葉刺し。


 火一閃。


 曲水。


 地天揚。


 風連捷。



 シャーロットが次々技を繰り出していく。

 さすがの男も繰り出される技の数々は手に余るのか、盾での防御が間に合わなくなっていく。



「ちぃ――」



 ふいに、男の顔色が変わる。

 どうやら貼り付いて離れないシャーロットが鬱陶しいらしい。刃では傷をつけられないはずなのに、なぜか回避に腐心している。



 これは、どういうことなのか。



『ははあ。そういうこと』


「……どうしたのです?」


『あの子、目を狙っているんだよ。だからあいつ、あんなに嫌がっているんだ』


「目を? では目は他とは違って攻撃が効くと?」


『効くかどうかはわからないけどさ。少なくとも目にあんな鋭い先端が向けられると、反射的に避けたくなるものじゃない? 自分の目に何かものが迫って来るときのことを考えてみたらいい』


「あ……」


『だろ? シャーロットちゃん、だっけ? 戦い方がわかってるねー』



 確かにそうだ。先ほどからシャーロットの剣撃は効いていない。しかし、人間は目に何かが近付くのを本能的に避ける生き物だ。目に鋭い先端が迫ってくれば、ああして身をよじるのにも納得がいく。頭では効かないとわかっていても、実際に受けるとなると話は別なのだ。



 シャーロットにもそれがわかっているからこそ、戦法を切り替えたのだろう。



 ……攻撃は通じない。しかし、男がシャーロットを圧倒出来ていないのも確かなところ。あるいはこうして剣士が常に張り付いていることこそが、この場での最適解なのかもしれない。



 だがそれでも、常に前に立ちはだかっているわけにもいかない。

 呼吸を入れる頃合いというのも必要だ。



 それを見計らったのか、ケインも前に出る。



「シャーロット様! 援護します!」



 そして口ずさまれる詠唱。



《――足元を脅かす剣の審判。これ敵を引き裂き貫く苛烈なり。いま眼前を啓くために、我らが大地に願いよ届け》



 南部の魔導師がよく使う魔法、【石鋭剣(リアースザッパー)】だ。地面から巨大な剣が勢いよく伸び、対象を貫く――いや、引き裂くものだ。



 シャーロットが距離を取ったタイミングをうまく見極めての一撃。

 下手に地面を操作する魔法を使えば、シャーロットが巻き込まれる可能性もある。

 その辺り、ケインは使い方が巧みだった。

 シャーロットがすかさず離脱した折、男の真下に魔法陣が展開し、そこから石を削り出して作ったような大剣が伸びあがる――



「……私がその魔法を知らないとでも思ったのかね?」



 だが、男に【石鋭剣(リアースザッパー)】は知られていた。その対応策とでも言うように、石鋭剣(リアースザッパー)の先端に剣を叩きつける。破片が身体に当たっても、なんら傷を負うことはない。



「その魔法、王国の南部では特に有名なものだ。常識だよ。使うならばもっと強力なものでないと」


「っ……」


「あら、でも私が立て直す隙にはなったわ」


「そうだな。この中では特に君が厄介だ」


「私だけが厄介だと思っているのは間違いじゃなくて?」


「そうかね? にしては講師たちもあのていたらくだ。他に私の相手が出来そうな人間などここにはいないだろう?」


「そう思っていたいなら、そう思っていればいいんじゃないかしら?」


「言ってくれる。では、次はこうしよう」



 男がまた力を高める。今度は生み出した剣に、さらに力をまとわせるらしい。

 身体から放出された力が、どんどん剣に注ぎ込まれていく。どす黒い剣が、まるで脈動するようにどくんとひと跳ねした。



「これは先ほどのようにはいかないぞ?」



 それを見たシャーロットも、あからさまに表情を変える。それだけ危機感を募らせるものなのだろう。急いで離脱を試みるが、あの力の込め具合だ。先ほどの衝撃波から鑑みてもまだ距離のあるケインにまで到達することは疑うべくもない。



 そこで動いたのはルシエルだった。



「くっそ、俺は文官系の家系だぞ。うまくなんかできないんだからな……」



 泣き言のように口にするが、足は前に向いている。

 呪文を口ずさみながら駆け出し、シャーロットとケインの前に割り込んだ。



《――盾持ちの矜持。守護する誇り。防陣を張る者はただ一人。同胞(はらから)のために、石の守りよいまここに。――【守り手の矜持(ガーディアンプライド)】!》



 ルシエルの前方に土色の魔法陣が敷かれると、そこからすぐに分厚い石の壁が出現する。単純な防壁だが、下手に策を弄するよりも確実だ。南部の魔導師が「大きさや質量は正義」と言って憚らない気持ちもわかる。



 次いで、男が剣を振り抜く。力がまるで波濤のようになって三人に襲い掛かる。

 ルシエルはそれを堪え凌ぐように前方の石壁に手を突き、押しとどめるように魔力を込めた。

 しかし、硬質な岩盤で構成された障壁は切り裂かれ、そのうえ余波を一身に受けたルシエルは大きく吹き飛ばされる。



「うぐぁっ……! これはきっついって……」


「ルシエルくん!」


「ルシエル!」


「だ、大丈夫だ! ケインとシャーロット様は前の男を!」



 ルシエルがそう言うと、無事を確認したシャーロットが安堵した表情を見せる。



「あまり無茶をしてはいけないわ」


「へへ、みんな無茶してるんです。俺だって根性出さないといけませんよ」



 そして再び、男との攻防が始まる。

 シャーロットが前に貼り付き、ケインが援護する。だが、倒し切ることはできない。時間稼ぎが関の山か。



 そんな中、口を動かしたのは後ろの悪魔だった。



『それで? リーシャちゃんは動かないの?』


「私の魔法は周りへ与える影響が大きいのであの場には入っていけません」


『そんな規模の大きなものを使うのかい? 豪気だね』


「あれは生半(なまなか)な相手ではありません。様子見せず、大きな力を使って一気に叩き潰す。過剰なくらいがちょうどいいというのは、父様に習ったことですから」


『なるほど。いいんじゃない? でも、そんなことをするって宣言するわけにもいかないし、なら、うまく機を窺わないといけないゼ?』


「わかっています」



 後ろの悪魔の言い分もわかる。だが、ここはやはり大きな力をぶつけるべきだ。

 講師たちも攻性魔法を使っているが、いかんせん火力が足りないのか傷つけることはできない。おそらくは温存が念頭にあるため、全力には踏み切れないのだろう。もしくは、戦闘があまり得手ではない講師たちなのかもしれないが。



 ならば自分が、余力を考えずにいま出せる最大、最高の一撃を見舞うべきだ。



『じゃ、そろそろ動く?』


「はい」



 後ろの悪魔にそう言って、口を動かす。



《――大なるその身、火身とせしめて、士に変じよ。左に盾持て、右に剣取れ。身体に鎧うは天灼く真紅。四魔結殺。三障落命。相八式。皆その道理に埋没せよ。ならば太祖よ。後塵の炎王よ。我が背をとくと拝するべし》



 【後塵の炎王の繰り手(フラムブランドロード)】を使用する。



 背後に展開した魔法陣から巨大な炎の騎士の上半身が生まれ、その余剰で訓練場の一角が炎に包まれる。

 左手には炎の盾が具現化し、右手には炎な大剣が具現化。

 それを見ていた悪相の男が、感心したような声を上げる。



「ほう? 面白い魔法じゃないか。だが――」



 剣を振り回すような動きをすると、背後の上半身もそれに連動。その勢いで男に炎剣を叩きつける。強烈な衝撃に地面が吹き飛び、炎が舞い飛んだ。

 大地を両断せしめんような一撃に、しかし男は涼やかだった。



「残念ながら、私には効かないよ。どんな魔法だろうと、私の前では無意味だ」



 随分と得意げだが、そんな口上をいちいち聞くつもりもないし、それに応えるつもりもない。攻めるときは一気呵成に攻め続ける。これもレイセフト家の教えだ。魔法を撃ったあとにいちいち相手を観察して隙を作ってしまうよりも、過剰なほどに攻撃を加えてせん滅する。そうすれば、万が一ということもない。



 一方で男はこちらが答えないことに気分を損ねたのか、不機嫌そうに目を細める。

 そして、お決まりのように剣を振るう。

 衝撃波に炎王の盾をかざすと、思いのほか炎が散った。

 盾が剥がれれば防御は叶わない。その点は見極めが必要だ。

 男が連続で剣を振りかぶり、衝撃波を繰り出す。

 それに対しこちらは、盾を構えながら前進。

 同様に、炎剣を男へ幾度も叩きつける。しかし、その被害を受けるのは地面だけだ。炎に焼かれ、叩きつけられた炎剣にえぐられ、ただただ周囲の地形だけが変わっていくのみである。余剰で生まれる熱波のせいで、誰も彼も近付けない。



「す、すげぇ……」


「これがレイセフトの魔法か……」


「さすがリーシャね。これなら……」



 声が聞こえる中、飛び散る炎の合間に男の凶相が見える。



「ええい鬱陶しい……」



 炎のただ中にあって、男はそんな苛立ちの声を上げながら、足を動かす。先ほどまで黙って立っているだけだったのにもかかわらず、初めての回避だ。しかし、男に怪我はなく、衣服の方にも影響は出ていない。



 一体何を嫌がって動いたのか。



『にしても効かないね。相手、火傷もしてないみたいだしサ』


「わかっています。炎が効きにくいなら、違う魔法を使うまでです」



 悪魔の嫌みに応えるように、詠唱を開始する。一つの魔法に固執せず、すぐに違う手段に切り替えるのはあの人を見て覚えたことだ。



 あの人の柔軟な考えには、いつも脱帽する。




《――巻き起これ疾風。風よ剣の如く(したた)かなれ。風よ槍の如く鋭くなれ。風よ()の如く速くなれ。ならば敵を貫くために飛んでいけ》



 鋭い風の一撃を生み出し。




《――突き立つ者よ声を聞け。叩かれる者も音を聞け。眼前を開くため、この力で我が意志を示す。打ち崩せ。貫き通せ。頑迷なる者にその杭を突き立てよ》



 次いで魔法で生み出した鋼鉄の杭を打ち込む。



 男はかわそうともせず受け止めるも、やはりどれも効果がない。そもそもこの男には炎だけが効きにくいわけではないらしい。刃での攻撃はもとより、もしかすれば他の魔法、いや魔法の攻撃自体受け付けないのではないか。そんな危惧が頭の中にとり憑き始める。



 ならばここは、一度距離を作るべきか。



《――貪欲なる回収屋は物の卑賤を選ばない。落ちている物こそ彼らの宝。見境なくしまい込んだその左袖は、我が前の敵を払い除ける》



 ――【廃品鎧袖(スクラップドアーム)!】



「効かないよ」



 そんな言葉と共に、受け止められた。廃品の集合体である巨腕に片手を添えているようにしか見えないが、巨腕はそれ以上動かせず、男を弾き飛ばせない。

 で、あるならば、だ。



「鎧袖……一触!」


「ぬ――?」



 こちらも、【古代アーツ語】と共に巨腕を一閃する。

 巨腕が腕から離脱し、一つ一つがバラバラになって吹き飛び、男に圧力をかける。

 しかし思った以上に衝撃は少なかったらしい。いい位置まで後退させ切れなかった。

 やはり男は涼しい顔だ。この手の魔法はなんの痛痒にもなっていない。



「面白い魔法だ。だがこの場においては良い選択とは言えないな。それはもっと乱雑な場所で使うべき魔法だ。作った人間ならすぐに考え付くはずだが……君は教えられただけかね?」


「く……」



 言う通りだ。これはあの人に教わった魔法だ。そして、そう言ったこともあらかじめ聞いている。



「いや、使いどころとしては悪くないのだよ? いまみたいに拙速を必要とするとき。速攻で倒したいときならば有用だろう。だが、やはり君も相手が悪かった」


「…………」



 相手が悪かった。一側面では褒めているようにも聞こえるが、使ったその場で効果がないのであれば意味がない。



「さて、そろそろ面倒になってきたところだ。必要なことも知れたし、もう幕引きとしようじゃないか」



 男がそんなことを言ったそんな最中のこと。



「お待ちなさい!」



 男の背後から、遮るような言葉が叫ばれた。

 いま声を上げた人物。それは校舎内にいるはずのクローディアだった。

 一体どこから現れたのか、校舎側からではなくその反対側から姿を表した。

 しかも、制服のところどころが土で汚れている。目立った怪我はないものの、多少の消耗が窺えた。



 男は彼女のことを知っているのか。彼女の方を向き、眉を跳ね上げる。


「ほう? まさかあそこから這い出て来られたとは」


()()()()()()()()()()()()()()。その方は逃げろと言いましたが」


「なるほど。誰かは予想が付くが……言われた通り逃げなかったのは何故かね?」


「あなたを止めるのが私の使命ですわ!」


「威勢のいいことだ」



 二人がそんな話をしている一方、叫んだのはシャーロットだ。



「クローディア様、あの者のことを知っているのですか!?」


「詳しいことはあとで! ですが、この男は魔人の力を持っています!」


「魔人?」


「そうです! 魔人グロズウェルの力、自在の力です!」



 それを聞いた一同は、驚きの表情見せる。

 それは自分も同じだったが――果たして、魔人グロズウェル。それは悪魔から力を授かったと言われる人間勢力の裏切り者のことだ。



 だが、そうなると、だ。



「魔人……魔人の力は悪魔から授かったもの。つまり、あれはあなたの力ということですが?」


『え? いやー、正直な話、僕とは全然関係なくてさぁ』


「……あなたは本当に悪魔なのですか?」


『どうだろうね?』


「…………」



 この期に及んでまだはぐらかすのかこの何者かは。この大事な局面でも()()だとは。

 さすがに腹に据えかね、これまでにないくらい敵意をもって背後を睨みつけると、慌てたように謝罪する。



『ごめんごめんそんなに怒らないでよ。ま、つまりそういうことだからさ。いまはそれで勘弁してよ。ね?』


「……では、名前くらい教えてくれてもいいのではないですか?」


『え? どうして?』


「悪魔でないのなら、悪魔とは呼べないでしょう」


『リーシャちゃんはホント律儀だね。そういうとこ可愛いと思うよ』


「ふざけていないで答えてください」


『――クラウン。僕のことはこれからそう呼んでよ』


「あなたは本当に何者なのですか?」


『いいじゃんいいじゃんそんなことは。ほら、そこ追及しない代わりに、あいつのこと教えてあげるからサ』


「……! あなたはあの男のことを知っているのですか?」


『まあね。リーシャちゃんは聞きたい? って、訊ねるまでもないか』



 クラウンはそう言うと一転、真面目な声音を出す。



『さっきの話にあったように、あれは魔人グロズウェルに間違いないだろうね。グロズウェル。リーシャちゃんはあいつのこと知ってる?』


「馬鹿にしないでください。魔導師を目指す者が紀言書に書かれている話を知らないわけないでしょう」


『愚問だったか。勉強熱心だもんね』


「本当に、間違いないのですか?」


『話に聞いてる特徴と一致してるからね。ああして傷を与えにくいところとか、妙な力を操ってるところとかサ』


「それが何故、魔法院にいるのですか?」


『さあ? でもお話じゃ精霊たちとの戦いのあと、この地域に封印されていたはずだよ? ずっと守護者が守ってたって話だ。その辺りの話は僕もどこかで聞いたことあるかな』



 確かにクラウンの話には、部分部分ではあるが思い当たる節がある。


 三聖が最後にグロズウェルと戦ったのが大陸の南側だということ。


 三聖の一人である聖賢が守護者に守らせるようにしたということ。



 おそらくはその守護者の役目を担っていたのが、サイファイス家なのだろう。確かにサイファイス家は、王家がこちらに流れてくる前からこの地を治めていたと聞く。辻褄は合うし、おかしな部分はない。



「クラウン。魔人とはなんなのですか?」


『悪魔から力を分け与えられた人間のことサ』


「要するに、あなたとは違う存在ですね」


『まあそこはわかってたことなんじゃない? それで、悪魔っていうのは人間にとって災害みたいなものだ。精霊が倒すのに苦労したものを、人間がそう簡単に倒せるかって話だ』


「魔王を倒した勇者はどうです?」



 訊ねると、クラウンはしばし黙り込む。考え込んでいるのか。一言も発さず、息も漏らさず、静かにしたまま。いつもの妙な明るさと飄げた態度はどこへ行ったのかというほど。



 やがて考えが定まったのか口を開く。

 しかしてその声音は、さらに低音を帯びていた。

 思った以上に素を出してくれているらしい。



『……生身じゃ無理だね。そのとき使われた武器が必要になるだろう。他に可能性があるのは、宿り木の騎士とか、聖賢とか鈴鳴りとか、あの時代の連中だよ。それ以外の奴は蹂躙されるしかない』


「ですがそれは」


『そんなのいるわけないよねぇ。じゃ、ここでやられちゃう?』


「そんなわけにはいきません。何か方法はないのですか?」


『方法ね……おっと、後ろに飛んで飛んで』



 クラウンの言葉に従い、すぐに後ろに向かって跳ねる。

 一拍遅れで、先ほどまでいた場所に複数本の剣が突き刺さった。

 これも魔人の力――自在の力で生み出したものだろう。



「ほう。ぼうっとしているかと思えば、なかなかに機敏じゃないか」


「…………」



 いまだ男の目の前には、シャーロット、クローディア、ケインが立ちはだかっている。

 片手間でこっちをけん制したのだろうが、意識を向けているということは思いのほか脅威と見なされているらしい。光栄なことなのか。煩わしいことなのか。いや、後者だ。いまはクラウンとの話の途中なのだから。



「傷を与えにくい……確かおとぎ話でも、グロズウェルは決して傷を負うことはなかったと書かれていました」


『そうだね。紀言書の方にもそう書かれてるはずだ。だから聖賢も封印するしかなかったってことだったからね』


「ではどうすれば……」


『さーどうすればいいのかなぁ。僕もぱっとは思いつくけど、そんな魔法、君使える? そもそもそういうのって即興で作れるようなものじゃないし』



 では考えろということか。いや、この物言いでは自分には倒せないと言外に言われているようなものだ。そんな態度に腹も立つが、しかし思いつかないのもまた事実。効果がありそうな魔法のストックもない。



『それなら、ちょっとした助言をしてあげようか』


「助言、ですか?」


『そうそ。さっき炎の剣を何度も叩きつけたとき、あいつは嫌がった。どうしてかな?』



 はて、どういうことだろうか。



「嫌がる。普通は吸い込んだ息で気道に熱傷を負うはずです。ですがそんな様子もありませんから、そういうわけでもなく……」


『考え方は近いけど、やっぱちょっと難しいかな。どうする?』


「私に手段がないのなら、ありそうな人に頼むだけです」


『なるほど。確かに君のお兄ちゃんならいけるか。面白い魔法ばっかりだったし、もしかしたらなんとかできるかもね』



 クラウンのあの人に対する評価は(こと)の外いい。クローディアとの決闘では常に背後で褒めていたし、呪詛計(カースドメーター)魔導籠手(チャンバーガントレット)をお披露目したときは、『三つ揃った……』という意味深な言葉を呟いて唸っていたほどだ。



 また、男がこちらを向いた。

 やはり気分を害しているらしく、苛立ったように指を動かしている。



「君は先ほどからぶつぶつと……さっきから一体誰と話をしているのかね?」


「あなたには関係のないことです」


「なんだろうね、君の後ろに揺らめくものは。それが君の話し相手か? そう言った存在は紀言書には書かれていないはずだがね……」


「…………」



 この魔人は、クラウンの存在を見抜いているのか。

 そういえば先ほどもこちらの背後を気にかけていた。

 朧げながらにも、何かいるということは察知しているのかもしれない。

 いや、いまはそんなことよりも、だ。



(どうにかして呼ぶ……いえ)



 あの人ならば、異変を察知すれば駆けつけてくるだろう。

 致命打がない以上、やはり先ほどのように時間稼ぎに徹するべきなのかもしれない。




失格から始める成り上がり魔導師道! 第6巻が5月30日に発売されました!

今巻は発表パーティーと魔法院入学の部分が描かれております。

よろしくお願いします。

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