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第百四十六話 演習前日



 演習準備のお手伝い開始からはや数日経った。



 アークスやスウは書類仕事に忙殺され、他の面々は校舎内の設置物の撤去や、訓練場の整備などに追われるなど、この数日間はたまり場の面々は忙しなく動いていた。

 それでも、クローディアの尽力の賜物か、演習の準備はいつの間にか魔法院に通う生徒たちの総力を挙げてということになり、その影響で期間中はほぼ講義はなし。みな気兼ねなく準備に取り組めることとなった。



 しかして、演習予定日の前日。

 この日、リーシャとシャーロット、ルシエルは訓練場の準備の方に駆り出されていた。

 これまでは第二訓練場が講義で使われていたのだが、今回の変更でそれが逆になったのは周知のこと。第二訓練場の整備や縄張りを決める作業を行い、反対に第一訓練場を講義に使うため、いまはその撤去作業が行われている。



 すでに第二訓練場の整備は終わっているので、いまは後回しにされていた第一訓練場の方にいる。



 リーシャとルシエルは第二訓練場の端で休憩中。

 服装は、作業着や体操着という概念がないため、いつもの制服のままだ。

 そのため、作業中の怪我や汚れには、手袋を付ける。腕まくりをする。髪を結ぶ。などをして対処している。



 スツールに座ったルシエルが、なんとも言えない声を出す。



「まさかこんなことをするなんてなぁ……」


「ええ。びっくりしました。まさか撤去作業もやることになるなんて思いませんでしたね」



 彼の言葉に、隣に腰掛けたリーシャが同意する。



「俺みたいな新興の男爵家の人間ならあり得なくもないけど、君は子爵家。しかも東部の由緒正しいお家柄だろ? こういうの、やっても大丈夫なのか?」


「私は楽しませてもらっていますよ? 普段の私たちなら絶対に経験できないことですから。ただ……」


「ただ?」


「あまり兄様と会えないのはダメです。折角研究が終わって会えるようになったと思ったのに、これです。せめて一緒の作業だったらよかったのに」


「あ、あははは……」



 リーシャのぷりぷりする様子に、ルシエルはなんとも言葉にできないのような乾いた笑いを浮かべる。確かにここ数週間、アークスが家にこもりきりであったため、リーシャは会う機会に恵まれなかった。にもかかわらず、やっと会えるようになった途端これだ。こうして不満を漏らすのも致し方ない。



「でも俺たちも今日のこの作業で最後だ。ギリギリだけど、なんとか間に合いそうだな」


「はい。もう少し頑張りましょう」


「ほんとはもっと早く終わると思ってたんだけどなぁ」


「そうなのですか?」


「そうそう。ミリアとセツラだよ。あいつらがいればさ、絶対もっと早く終わってた」



 そう、この作業期間中、理由は不明だがいつの間にかその二人が消えてしまっていたのだ。ミリアは高所の作業を得意としており、そういった場所の作業をテキパキとこなし、特にセツラの方は、あの華奢な見た目で力仕事が得意という、二人ともこの手の作業では大活躍であった。



「ええと、お二人は……二日ほど前くらいは一緒に動いていましたが、そういえば見かけていませんね。他の作業を割り当てられたのでは?」


「そうだったら俺たちと同じところに来ると思うんだよな。アークスやスウシーア様、クローディア様と違って、書類仕事が得意そうってわけでもないし、校舎内にある設置物の撤去や誘導案内とかもやってるわけじゃない。むしろこっちで大活躍してたんだから、ずっとこここに割り当てられるはずだろ?」


「そうですね」



 ……二人の脳裏に思い浮かぶのは、校舎や屋台の上で「高いところは好きよ」と言いながらスマートに作業を進めるミリアや、大きな丸太を持ち上げながら「これくらい軽いですけど? なにか?」とキョトンとしているセツラだ。ルシエルはむしろ自分たちなどいなくても良かったのではと考えてしまうほど、作業の主役を担っていた。



 リーシャとルシエルがそんな話をしていた折のこと。



「あれ? そこにいるのはリーシャ・レイセフトにルシエルかい?」



 二人が声の方を振り向くと、そこにはケイン・ラズラエルの姿があった。

 白の制服に身を包んだ茶髪の少年で、ちょっと余った後ろ髪を小さく結んでおり、耳には小さなピアスを装着。見た目も優しそうで、朗らかな印象が強い。



 リーシャとルシエルが振り向くと、ケインが歩み寄ってくる。



「ケインか。もしかしてケインもこっちに割り当てられたのか?」


「ああ。クローディア様から頼まれてね。あともう一息だから、こっちを手伝ってきて欲しいってさ」


「そうか。じゃあ第二訓練場の設営の方はもう大丈夫なのか」


「そうみたいだね。あとは飾り付けが得意な人たちに任せるらしいよ」



 そんな話をしていると、別の作業をしていたシャーロットが戻ってくる。

 今日は作業の邪魔にならないようミルクティー色の長い髪を後ろに束ね、動きやすそうな風体。押しも押されぬお嬢様であるはずなのに、腕まくりが異様に似合うのはなにゆえか。



 シャーロットが一度ケインに視線を向けると、リーシャに訊ねる。



「リーシャ。そちらの方はお知り合い?」


「はい。同じクラスのケイン・ラズラエルさんです」



 リーシャがシャーロットのことを紹介すると、ケインが頭を下げる。



「ケイン・ラズラエルです。東部クレメリア家のご令嬢にご挨拶ができること、光栄の至りに存じます」


「シャーロット・クレメリアよ。確か、ゼイレ公爵家のエイミ様と婚約された方だったかしら? 南部でも有名だとお噂はかねがね伝え聞いています」


「ご存じなのですか? いや……」



 婚約話が知られていたことで、ケインは照れ臭い様子。頬を仄かに赤くして、どこかバツが悪そうしている。



「シャーロット様、そちらの作業の方はいかがですか?」


「ええ。こっちは片付いたわ。もうそろそろ他の生徒たちも引き上げるでしょうね」



 シャーロットがそう言うと、ちょうど作業が終わったのか、他の生徒たちも徐々に撤収していく。



 これで、あとは割り当てられた作業が終わればほぼほぼ終わりだ。

 もうひと頑張りとリーシャとルシエルが立ち上がったそのとき。

 シャーロットが眉間にしわを寄せ、険しい表情を見せる。



「……にしても、どうして訓練場を変えたのかしらね?」


「……? いえ、どうしてもなにも、警備の負担を減らすためにという話だったのではありませんか?」


「そうかしら? それを聞いたときはもっともだとも思ったけど、実際こうして演習の内容や屋台の設置、警備がどこに付くのか……それを考えると、そこまで大きく変わったとは思えないのよね」


「そう……なのですか?」



 リーシャが不思議そうにしていると、その一方でケインがシャーロットの話に同意するように頷く。



「そうですね。僕もなんとなくそう考えていました。いくら第二訓練場が第一と比べて小さいとはいえ、変更しなければならないのかと言えばそうでもない」


「それがわからない講師陣だとは思えないし、どうして賛成多数で可決されたのか。それに、変なことはまだあるわ」


「それは、なんでしょうか?」


「ここ数日、演習の作業は魔法院の生徒総出でやってるじゃない? そんなの必要ある?」


「魔法院の校舎は広いですし、そうなるのも不自然ではないと思いますが」


「そうね。でもその関係で、今日は前日だから最低限の数を残して他の生徒は休みになった。それも講師陣からの申し出で、よ? この前も魔導師ギルドの外で騒ぎがあったし、何か嫌な予感がするわ」


「それはさすがに考えすぎではないでしょうか?」


「それは……ええ。私もそう思うわ。理性的に考えればただの偶然の積み重なりだし、それに、魔法院で何が起こるにしてもまず何が起こるのかがわからない。最近の事件の関連なら、魔導師ギルドとか王都にある他の主要施設とかの方がしっくりくるし、事件が起こりやすいでしょう?」


「それを考えて、講師陣も他の施設に振り分けられていますしね」


「シャーロット様は、それでも憂慮がおあり、と?」


「ええ。視えるわけじゃないけど、なんとなくね……」



 シャーロットはそう言って、憂慮を隠し切れずにいる。

 ともあれ、四人でそんな話をしていたそんなときだった。

 リーシャの耳元で、悪魔が(ささや)く。



『リーシャちゃん』


「……あなたですか。どうしました?」


『いやいや、いまの話を聞いてたら、なんか面白いことになりそうだなと思ってね』


「あなたの言う『面白いこと』というのは、あまりいいものとは思えませんね」


『ひどいなぁ。でも、いま話をしていた彼女じゃないけど、僕も何か起こりそうな感じがするんだよネ』


「どんな根拠があってそんな結論になるのですか?」


『その辺は察してよ。こんな話をしてるとさ、よく起こるだろ? 何かしらがさ』



 後ろの悪魔の言葉は抽象的で、何が言いたいのかいまいちわからない。

 こういうときは、たとえ自分が教えて欲しいと言っても、教えてくれないことばかりだ。



 だが――



「兄様と似たようなことを言いますね、あなたは」


『そうなのかい?』


「ええ。なんでも()()()だとか、コトダマだとか言って、何か起こりそうだという話をしていると、それは往々にして起こるのだと言って、みんなの話を止めに入っていました」


『アハハハハ! なにそれ面白いね! でも、言い得て妙だ。確かに悪い噂をしていればそういうことを呼び込むしサ』



 そうなのだろうか。いや、確かにあの人の言う通りの状況になったことがあるゆえ、こちらも否定できない話ではあるのだが。



「ん?」



 悪魔とそんな話をしていると、ふとルシエルが視線を校舎側へ向ける。

 その先にいたのは、外廊下を歩く一人の生徒だ。

 桃色髪に風変わりな装飾を付けた小柄な少女である。



「あれって、ミリアか?」


「そうですね。他のところで作業に当たっていたのでしょうか?」


「こうして校舎にいるってことは、そうだったのかもな」



 そんな話をしていると、ふいにどこからともなく甲高い音が聞こえてくる。

 それは、やけに耳障りな音だった。同じ音程を短い形式で繰り返しているようで、やたらと耳に残り、長く聞いていると気を悪くしてしまいそうなほど。まるで幼子にわめきたてられているかのように落ち着かない。



「何か鳴ってますね。なんでしょうか?」


「なんだろう? 楽器とかそんな感じじゃなさそうだし」


「鐘を打ち鳴らしているわけでもないわね。ケイン君はこういう音に心当たりはあるかしら?」


「いいえ。僕もこんなのは聞いたことがありません」



 ケインも首を横に振る。

 果たしてこれは一体なんなのか。作業の終わりを告げる鐘の音とも違う不思議な音に、みなその場で困惑するばかり。



 しばらくの間、魔法院全体にそんな音が鳴り響いていた。



  ●




「――こちらです」



 魔法院の一角に、不審な集団の姿があった。

 王国の民が一般的に着るような服装をしてはいるものの、院の関係者とはまるで違う恰好をしており、場違い感が拭えない。



 彼らが早足で動くたびに、抜けるような高音が鳴り渡る。

 潜入の折は足音を極力立てないよう訓練されているにもかかわらず、彼らの意に反して靴音が響くさまは、まるで床自体が音を鳴らしているかのようでもあった。



 そんな彼らを導くように、廊下の奥に白い面が浮かぶ。

 そこにいたのは、銀の明星の使徒である仮面の女アリュアスだ。

 顔の上半分は仮面に隠れて見えず。スリットの入った黒の装束を身にまとい、口元には常に冷笑が浮かべられている。この日、彼らをここまで導いてきたのが、この謎の女である。



 諜報員の部隊長である男が立ち止まった。



「潜入は存外簡単だったな」



 諜報員の男が誰へともなく口にした言葉は、どこか満足げであった。

 その一方でジエーロがパイプを(もてあそ)びながら笑う。



「いやさすが銀の明星の人間と言ったところか。君の協力がなければ、こうまで簡単にはいかなかっただろう」


「いえ、策が図に当たったというだけに過ぎません。さして誇るべくもないことです」


「そうかね? まあ君がそう言うなら、そういうことにしておこうではないか」



 アリュアスに対する称賛はそのままに。

 諜報員の男もそうではあったが、ジエーロの機嫌も随分とよかった。

 それは、誰から見ても浮かれていると如実にわかるほど。

 声は明らかに弾んでおり、所作の端々には落ち着きのなさも表れていた。



 そんな折も、諜報員の男は予断なく周囲を見回している。

 警備や講師はおろか、普段はそこかしこにいるはずの生徒たちの姿もない。



「王国最高の学術府。警戒が厳しいとは言われているが、しかしこれでは拍子抜けだな」


「それは……どうなのでしょうね」


「どう、とは? それはどういう意味かアリュアス殿?」


「いえ王国のことを軽く見ているのではないかと思いまして」


「……アリュアス殿は我らのことを侮っているのか? 我らはこれでも常に周囲を警戒しているし、多くのことに気を遣っている。それを踏まえたうえでの言葉だ」


「そういうつもりではありません。お気を悪くされたのなら謝罪いたします」



 アリュアスは素直に謝罪の言葉を口にする。

 だが、その仮面の下に貼り付いた薄ら笑いは、彼らにとっては、身の程を弁えない者に対する嘲弄にしか見えなかった。



 当然だが、魔法院への潜入は簡単なことではない。

 まずは王国が最も警備に力を入れる魔導師ギルドの周辺で騒ぎを起こし、他の重要施設にも意識を向かわせたあと、さらに魔法院が慌ただしくなるだろう状況を見極めた上で、やっとこうして成功させることができたのだ。



 これがもし魔導師ギルドであったなら、こうはいかなかっただろう。

 魔法院のすぐ向こう側だが、その安全性は壁や塀の何倍も高く、そして分厚いものだ。

 アリュアスもそれがわかっているからこそ、言葉にトゲを含ませずにはいられなかった。



 それは聞き分けのない子供に言い聞かせる親心のなせるわざか、それとも単なる嫌みの一つだったのか。



「ときにアリュアス殿。潜入させていた仲間というのはどうしたのかね? 結局一度も顔を合わせがなかったが」


「そちらは別行動をしてもらっています。お気になさらず」


「ふむ。まあいい」



 ジエーロは自ら訊ねたものの、それ以上追及せずに捨て置いた。

 それは無論、目の前のことが最も重要だったからだ。



 一行はやがて、目的の場所に到着する。

 しかしてそこは、以前にクローディアが祖父に連れられて入った、地下への階段がある場所だった。



 一方通行の終点。


 廊下の突き当たり。



 これ以上進むことのできないそこに、連れて来られた者たちと言えば、怪訝な表情を浮かべている。



「ここが?」


「ええ」



 アリュアスは頷くと、横の壁に手を掛ける。すると何かしらの仕掛けが反応したのか、廊下の突き当たりの壁が地鳴りのような音を立てて動き出した。

 それはまるで、パズルのように複雑に絡み合った木組みを解くかのよう。



 やがて、地下への入り口がぽっかりと口を開く。

 その直後だった。

 魔法院の校舎全体に、やけに甲高い音が響き渡る。

 それは、先ほどリーシャたちが聞いたものと全く同じものだった。



「これは……」


「警報ですね。これは急いだ方がいいかもしれません」


「問題ないのか?」


「さほどは。あれは侵入者を知らせるための鳴子のようなものでしょう」


「な!? それは侵入がバレたということではないか!」



 アリュアスの推測を聞いて、諜報員の男が焦りを見せる。

 ともすればアリュアスに食って掛かりそうな慌てぶりにも、ジエーロは余裕の笑みを崩さない。



「まあまあ。中に入ればいずれバレるのだ。それが早いか遅いかだけではないか。我らが先行して現場に到着すればいい。そうではないかね?」


「それはそうだが……」



 それでも諜報員の男は、懸念事項は潰しておきたい性質(たち)なのか。落ち着かない様子で、周囲に気を配っている。

 ジエーロはその態度に冷めた視線を呉れると、すぐに翻って入り口に向かって行った。



「では私たちは先に向かわせてもらおう。君たちも準備ができ次第、続いてくれたまえ」



 その言葉をあとにして、ジエーロとアリュアスが入り口に先行する。

 諜報員の男は二人の背中を見送ると、部下の一人に声を掛けた。



「おい。以前にジエーロに渡されたものは持っているな?」


「はい。ここに」


「よし。それを使え」



 部下は諜報員の男の言葉を聞いて困惑を露にする。



「これをいま使うのですか? ですがこれは、魔導師ギルドの内で騒乱を起こすために使う予定だったはずでしょう?」


「念のためだ。もし魔法院の人間に勘のいい者がいれば、足元を掬われることになりかねん」


「……これほど簡単に潜入できたのです。私はそこまでとは思えません。それに、これを勝手に使ったことがバレたら、ジエーロ殿も黙ってはいないのでは?」


「中に入ればことは成ったようなものだ。あとはこちらで誤魔化す。いいからやれ」


「……は」


「あとはジエーロのことだ。そちらは前々からの打ち合わせ通りに」


「承知いたしました」



 しかして、魔法院の廊下に、恐るべき肉の塊が落とされた。




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