守りの手袋
「なぁ、お前の手袋、別の人に譲っていいか?」
そう父に聞かれたのは5年も前のことだった。フィデルは別にいいけど、と伝えた。制作に入る前だからこそ融通が利いた。
フィデルは父に、誰のために? と尋ねたがその答えは得られなかった。
そんなの言えば、気になって見に行くだろと言われたところで王族でもないのかと気がついた。フィデルが頑張れば会えるくらいの人。それ以上の情報は与えられなかった。性別すら教えてくれないのは徹底していた。
知ろうと思えばわかるが、そこまでの興味は持てなかった。
グノー家の手袋。それは成人王族もしくはグノー家に生まれたもの限定だ。あまりに王族が多いと序列の上にしか与えられない。材料が有限である以上、ないものはないのだ。もっとも、まれに家族分を誰かに譲ることはあった。よほどの危機があり、精霊に好かれる気質があれば、ではあるが。
兄は手袋を既に持っており、下の妹は女の子だしな……と父が迷った末にフィデルを選んだのだろう。
家に残るだろうしという気持ちがあったに違いない。フィデル自身も外に働きに出る気はあまりなかった。今は健康そのものだが小さいころ体が弱く、足も悪かったので両親もどこかに修行をという話もしてこない。それをいいことにふらふらしているのも良くはないが、外はあまりにもうるさい。
フィデルはこの家にたまにいるちょっと変わった子だった。
精霊を見る目と声を聞く耳をもっていた。その代わりと言わんばかりに体が弱く生まれつき足が悪かった。両親はそれを察していたようだが、聞いてくることはなかった。
その代わりに、よく森へ遊びに連れて行ってくれた。
そこには友達がいて、遊んでいるうちに健康になり、歩けるようになった。森の加護と言うことになっているが、それは少し違った。
契約をした結果とは、誰にも言っていない。
この先も誰にも言う気はない。精霊使いとでも言われるのはお断りだからだ。彼らはちょっとした困りごとの対応をしてくれる人を欲していて、フィデルは健康な体が欲しかった。
契約を増やしてはならないよと精霊は言っていたが、当たり前だとフィデルは思う。あまりにも、精霊に近づきすぎる。
それは数代前にいた精霊使いの末路を思わせる。
あまりにも精霊を使いすぎて、精霊になってしまった。あれ以降、王家も精霊使いをとグノー家に言うことはなくなった。
しかし、今、フィデルが契約していると知ればなにを言ってくるかわからない。
黙って使わないのが一番である。実家でずっと過ごしておけばいい。そうフィデルは思っていた。
その事情が変わったのはそれから2年ほどしてからである。なんと、予定外に騎士団に入ることになってしまったのである。理由はとても簡単。給料が良かった、である。堅実だが、赤字経営が続く領地の借金返済にあてるため、とは両親には言わなかった。絶対、気にするのがわかっている。
借金も家業の洋品店が支払っているので、実質借金でもないが、利益を食いつぶしている状況には変わりない。
店は妹が継ぐのだから、できるだけ負債は減っていたほうがいい。領地経営の赤字はもう適性がないと諦めるしかなかった。フィデルも職人気質で商売は苦手だ。愛想笑いは板についても、数字と戦う気はしない。
警護などの仕事を先輩に連れられ覚える日々は思ったより悪くなかった。家名を名乗ることもなく、相手がどの家のという話もしない。フィデルは少しほっとした。寄宿舎では序列があった。
幸いというべきかフィデルの家名グノーは、この国では特殊な位置にありその序列外だった。
初代は建国前より建国王の従者をしていた者。その末裔である。大概の家より古い。さらに歴史書に初代の名が残っている。だが、男爵位というどうにも扱いに困る立場で、当たり障りなく対応されることがほとんどだった。
困ったことはあまりなかったが、それでもなんとなく、相手からの敬意や妬ましさ、恐れのようなものは感じることがあった。できるだけ穏やかに波風を立てずにとしていた日々にフィデルは少しばかり疲れた。
それと比べると騎士団での生活は快適に思えた。
ただ、ちょっとばかり、変な奴が多かった。
20年ほど前にメイドにちょっかいをかけて王から女性使用人出入り禁止を言い渡された、というところからして特殊だ。さらに罰として自分たちで騎士団寮を運営せよとなり、大荒れ、ではなく、きちんと整っている。
男ばかりとは思えないほど、いい匂いがして、おいしい料理が出て、きちんと洗濯もされている。
ほとばしる実家感、と誰かが評していたが、確かに実家という単語で表現できそうだった。そのためか驚異の独身率で、退役するときにこの環境を手放すのかと泣くらしい。
とはいっても、一人暮らしでも全然平気だったわ、全部出来たわ、と後日語るらしい。
独身が多いのは元々三男以降が多く、結婚しない立場が多いこともあるようだ。
フィデルも縁談があれば考えるけど、程度だ。妹は仕事するので結婚しないのと言い出しているし、兄に関しては謎過ぎる。
むしろ、我が家は婚約者をどこかから連れてくるべきではないだろうかとフィデルは思うが、自分に連れてこられたら嫌なので黙っていた。
両親はなんとなく、結婚したと言っていたのでもしかしたら兄がなんとなく結婚するかもしれない。そうしたら後継者問題は解決である。
そんなある日、城の警護に連れ出された。城は近衛の領土とバチバチにやり合っているらしいが、人手が足りない場合や重要度が低いときには護衛を依頼されることはある。
お前ら暇だろ、暇、と煽られるらしいが、騎士団長は王弟殿下なのでよくやるなとフィデルは思う。なお、近衛の団長とは幼馴染で仲が悪いらしい。
廊下を先輩に連れられ歩いている時に、フィデルはある女性を見かけた。若い女性のわりに地味な色味の服を着ている。自信がないからというわけでもなさそうではある。歩き方は背がすっと伸びていて、おどおどした様子もない。
「……あの人、誰ですか?」
「あ? ああ、グレース様、だな」
「なんか」
「ん?」
ちょっとちぐはぐな印象があった。しかし、それを口にすることはなかった。変なと表現すると相手を侮辱しているように思えたからだ。
怪訝そうな先輩にフィデルはごまかすように笑った。
フィデルはその日、初めてグレースを一方的に認識した。その後、城で時折見かけるようになった。よく見かけるのはなぜか先輩に尋ねれば知らんのかと呆れられた。
グレースは王の従兄の子であるらしい。侯爵家の一人娘で、隣国から王子を婿にもらうという。仲が良いという話は聞かないので政略結婚なのだろうと噂されているらしい。
「なんか、そのわりに地味」
思わず口から洩れてしまった。フィデルはせいぜい伯爵家のご令嬢かと思っていたのだ。それも兄弟が多いため、予算が足りないとかそういう理由の。
「おい」
「あの人なんで、あんな似合わない服着てんだろ。うちみたいに金がなければ労力を費やすのよと言ったりしそうにないと思うし」
「お前の家、金ないの?」
「領地が金食い虫なんですよ。昔ながらの手作業とか、金にならないったら。でも、伝統無くすわけにもいかなくって」
「そりゃ、売り方が悪い」
そこから貴重品の売り方がどうだという話に流れていった。
それからさらに数年たって、グレースの護衛に任じられるとはフィデルも思っていなかった。
団長直々にどうしても、頼みたいと言われれば断ることもできなかった。隣国の騒動に巻き込まれた形だが、実際狙われれば護衛をまわさないわけにはいかない。しかし、他国とつながりがないと確信できる家は少なかった。
グノー家は出不精なのか地元かそれに近い相手との結婚ばかりしていた。少なくとも直系では数代は他国の血は入っておらず、直接的な関与がない。
実家の友好範囲の狭さが役に立つ日が来るとはとフィデルはちょっと思った。
グレースはフィデルが城で見かけたころよりも大人になっていた。が、あの頃と同じくらい地味である。それだけでなく、ふわっとした服を着ているが似合ってない。
なんだろうと注目してみれば違和感の原因がよくわかった。
グレースは胸が大きいのである。指摘すると殴られそうなので言わなかったが。太っていると自認していそうで、それで隠したいとゆったりした服を好むんだろうなと。
磨けば光る逸材ではある。もったいないというのは他人だからいえるかもしれない。
フィデルはそこにはかかわらないつもりだった。もっと軽く、任務の間だけの淡い関係で十分である。
警護の都合上、メイドになるというのはちょっと予定外ではあったが昔の修行が役に立つだろうと考えた程度だった。
護衛の都合でメイド役をすることになったフィデルではあるが、仕込みなしに化ける自信はなかった。
「なぁ、仕事でメイドやるんだけど、服直すの手伝って」
フィデルは実家を即頼った。仕立てはお手の物の妹がいるのだから頼らない選択はない。
「……兄さんの仕事、騎士だよね? 護衛任務だよね? どこでなにやってんの?」
「極秘」
「……ほんと人使いが荒いお兄様ですこと!」
仕事なら仕方ないわねぇとため息をつきながら手を貸してくれる妹。フィデルは今度、おいしいものでも食べに連れていこうかなと検討する。
王都に長くいながらもあまり観光や名物などを食べに行くこともない。なお、ほっとくと作業部屋に引きこもりになるのは家族共通である。なんとなく、ざわざわしているから落ち着かないのだ。王都は特に。
「そういや、最近の流行りの飾りってどれ?」
「このあたり」
雑に一角を示された。フィデルが吟味しているとふっと嬉しそうに妹が笑ったのが分かった。
「毎度あり」
「……おう」
フィデルがツケではなく、即支払いしたのは兄の威厳のためである。
そうしているうちに、なにをしているんだ? と父がやってきて、そのあとに母があらぁ眉の形も整える? と面白がって凝りはじめる。皆がはっと我に返ったころには清楚可愛いメイドが爆誕していた。
声だけがそのままで最悪に違和感があった。
それだけでなく所作が微妙にがさつと仕事が終わった後に指導されること2日。ようやくお披露目となった。
フィデルのメイド姿は同僚の騎士が、どうされました? と優しい微笑みを浮かべ、メイド長があら、新しいメイドですかと少しも疑わなかった。
さらに懐疑的な侯爵の前で披露し、絶句させることにも成功する。
「いやぁ、才能ありすぎですね」
「そうだな……」
自画自賛しているフィデルに疲れたように侯爵は返事をした。あとはグレース本人を騙せれば、問題ない。
「不埒な真似はするなよ」
「しませんよ。仕事ですから」
「グレースは可愛いから心配だ」
「お美しいとは思いますよ」
そうフィデルが同意すると侯爵はうむと頷いて、少し首を傾げた。
「本当か?」
「ええ、なんというか、凛々しいですよね」
男装のほうが似合いそうではあるが、それは背徳的なヤバさがあり、フィデルは途中で想像を中断した。
「そうか」
なんだかとても重く受け止められたような気がした。しかも撤回できそうにない。フィデルはちょっと誤魔化し笑いで乗り切ることにした。
それからほどなく、グレース本人も呼ばれ、見破ることもなく、そのままメイドとして勤めることになった。
室内に異常がないかを念のため、確認している途中でフィデルはそれを見つけた。
「手袋」
グノー家の手袋はそれとわかる。刺繍が美しいだけではない。危機をほんのわずか避けてくれる。生死を分けるほんの少しの差。その差を生のほうに傾けさせる。
フィデルは改めてグレースに視線を向けた。
侯爵家の一人娘、隣国の王子を婿に迎える、さらに王のお気に入りと加われば危機は多いだろう。
王族でなくてもどうしても、と願う気持ちはわかった。
手袋は、なくてもよかった。でも、自分一人だけのけ者にされたような気分はどうしてもあった。家族の中で自分の手袋を持たないのはフィデルだけだ。
それを言えば、父が気にするとフィデルは口にしたことはない。黙って取り上げたりせず、同意を取ったのは父なりの誠意で、それにいいよと言ったのはフィデルだ。
そして、フィデルよりもグレースのほうが助けが必要だった。
健やかに怪我もなにもなく彼女がいるのは、手袋の結果も多少はあるはずだ。それを素直に良かったと思えた。
だから、もういいことにしよう。フィデルは、この件は口にしないことにした。彼女は知ればきっと気にする。そういうのは、いらない。
ただ、仕事をするだけ。
仕事というだけにしてはちょっとだけ上乗せされたやる気というものにフィデルが気がつくのはもう少し先のことである。
本編はこちらで終了となります。
おつかれさまでした。
また、ご感想、ポイント、いいね、誤字脱字報告等ありがとうございます。
この先はおまけとなります。蛇足であったりするのでよろしければどうぞ。
なお、ちょい出の妹がこの三年後に婿ーっ! となるのが、騎士団の繕い係です。兄二人が婿に行くと思ってなかったよっ! と嘆きながら優良な旦那をゲットします。




