第三夜 前編
「はっ……叫んだら起きちゃったじゃないですか、イブラヒムさんのアホー!」
「……シェラ姫様?」
朝の眩しい光が燦燦と降り注ぐ、新白梅宮の寝所。
私が目を開けるなり、体も起こさず叫んだので、そろそろ起こそうと近づいていたらしいシーランがびっくり、と目を見開く。
「あ、シーラン。おはようございます」
「おはようございます、シェラ姫様」
すぐにアンがお湯の入った器を持ってきてくれて、始まる私の朝の身支度タイム。
「……一応、念のために……聞いておきたいのですが。もしかして、神殿から乳製品のお届けとか、来ていませんか?」
夢の中でちょっと進展があったのだから、変わっていないだろうかと期待を込めて聞く。
「まぁ、シェラ姫。なぜそれを? 大神殿レグラディカの神官が、姫様に献上品をと訪ねてまいりました」
「あまり早いので失礼だって、シーラン様はお怒りなんですよ」
「アン」
窘められてアンは頭を下げる。
私は日記を開き、日付と昨晩作った料理の確認をする。
二百九十九品目。からあげ。
「うーん……エンドレスデイ」
どうしたものか。
*
「白梅宮は壮麗なる姫君、シュヘラザード様。聖ルドヴィカの祝福がありますように」
「ありがとうございます。朝からわざわざすいません。えぇっと」
昨日とはちょっと違う事をしてみよう、と私は自分から神殿の神官さんに会うことにした。前回前々回はシーランが対応してくれて、私は神官さんには会っていない。
牛乳と生クリームを届けに来てくれた神官さんは、覚えのない若いお兄さん。
黒髪に、前髪が長くて、頭を垂れていると目元が見えない。
「これは申し遅れました。わたくし、神聖ルドヴィカより参りました。モーリアス・モーティマーと申します」
「私が神殿にお世話になっていた頃は、お会いしたことがなかったと思いますが……」
「はい。先日、本国より異動になった身でございます。姫君にお目通りする機会をこの度頂けて、光栄です」
成程、それで下っ端神官さんの服ではなく、きちんと正神官さんっぽい人なのにお使い役になったのか。
「メリッサは元気にしていますか?」
「偉大なる女神、レグラディカ様はわたくしのような卑しい者の前には、御姿を御見せにはなりません。ですが恙無くお過ごしかと存じます」
マカロンとか置いたらすぐに来そうな気がしますが、まぁ、メリッサも信徒の人たちの前では女神モードで威厳を保っておきたいのだろう。
モーリアスさんはとても話しやすいお兄さんで、柔らかく穏やかな雰囲気の人だった。私が乳製品のお礼を言うと、にこにこと微笑み丁寧に頭を下げる。
「祝福を抱く姫君のお役に立てましたなら幸いです」
「神殿の牛乳はとても美味しいので、本当にうれしいです。寝る前にホットミルク……温めた牛乳に蜂蜜を少し入れて飲むと、すぐに眠れるんですよ」
あ、しまった。と私は思った。
これは本当なら「今日」この神官さんがシーランにおすすめするはずだった事だ。
「昨日」の夜も、私は神殿から貰った牛乳のホットミルクを飲んでいる。牛乳を届けてくれた神官さんがシーランに「よろしければこのような飲み方を」と教えてくれて、それをシーランが作って用意してくれた。
さすが聖職者、モーリアスさんは自分が言おうとしていたことを幼女が言っても「自分も同じことを知っています」とは言わない。それどころか「姫君は博識でいらっしゃいますね」と褒めてくださる。聖人か??
*
「よく予習されているようで」
「あ、あははははー……」
朝食後、白皇后の元で礼儀作法のお勉強です。
「今日」はお呼ばれした際のお茶の席でのマナーについて。白皇后のお茶を戴き、受け取って口をつけて、味の感想を言う。
直接「美味しいです」というのは下品だそうで、季語を交えはんなりと、お上品に微笑みつつ……本日の正解は「月下の銀糸のようでございますね」だ。
もう二回もやっている内容なので、圧迫面接のような白皇后との時間もなんとかなる。及第点を戴けて思わず愛想笑いを浮かべてしまうと、ぴしゃり、と、膝に痛みが走った。
「下品ですよ」
「申し訳ありません」
細い木の棒だ。
子どもの躾にと白皇后がご用意されたもの。服の上からなので痕が残ることはないけれど、一瞬とても痛い。
白皇后は「きちん」とした方だ。いつも背筋がまっすぐに伸びていて、髪のほつれの一つも許さない完ぺき主義者。少し前まで病で臥せっていたらしいから、そのお顔は痩せていらっしゃるけれど、ご高齢とは思えないエネルギッシュな女性である。
*
「……うん? うーん……?? あれ?」
午後。私の診察を始めたスィヤヴシュさんが、私の眼球の動きを確認するなり、首を傾げた。
「ううん? うん? うーん……?? うん???」
「え?え?なんです??何……?何かあります!!?」
うーん、と首を傾げるスィヤヴシュさん。
「昨日」の私のカルテを手に取って確認して、また首を傾げる。
え、何。怖い。
普段ちょっとお酒に目がなかったり、おふざけな言動の見られるスィヤヴシュさんだけれど、そのお医者さんとしての腕はアグドニグルでも「特級」と位置付けられる方の、この反応。
「何かあります!?」
「うーん……大したことじゃないんだけど……シェラちゃん、君、なんか、呪われてない??」
「おおごとでは????」
「うーん、でも、これ。うーん……なんか、弱いっていうか、ちょっと目の中にゴミが入り込んだ程度っていうか……寝れば治る程度なんだよね~。こう、紙で指先ひっかいちゃった、くらい??」
でもなんでだろー、と、スィヤヴシュさんは訝る。
「昨日はこんな兆候なかったんだよねー。でもこれ、なんか……今日はじめて呪われたってやつじゃなくて……呪われてから結構経ってる??でも、シェラちゃんのことはぼくが毎日診てるし……うーん。なんだろこれ?」
カキカキ、とスィヤヴシュさんはカルテにあれこれ書き込んでいく。
「え、これ、え、大丈夫なやつですか?」
「うん。そんなに強いものじゃないし、シェラちゃんは祝福持ちだから、時間が経てば消えるよ。一日や二日でどうなるもんじゃないから、まぁ、明日ヤシュバルが視察から帰ってくるまでは様子見かな~」
「え~不安なんですけど~」
そもそも明日が無事に来るのか??
あ、でも、明日が来ない、のなら、この呪いはずっと同じ状態のままかな?同じ日を繰り返して髪の長さが変わっていないのなら、これも同じようなものか?
「あ、そうだ。スィヤヴシュさん」
「うん?」
「イブラヒムさん、今日は研究室にいますかね?」
*
さて、白梅宮には私の超個人的な台所がある。
陛下へお出しするお料理などは雨々さんとマチルダさんが仕切る食房で作るのだけれど、ヤシュバルさまが「君が好きに遊べるように」と、こぢんまりとしたお台所をご用意してくださいました。
たぶんあの人、この期に及んで、私が料理するのおままごとの延長だとか思ってらっしゃるよ。
ここは基本的に誰も入ってこないように、掃除片付けも全部私が行う。材料の消費期限の管理や、整理整頓。こうしたことが私は嫌いではない。
L字型の、導線が可能な限り短く済む配置の台所で、私が並べたのはまずはジャガイモ。
ジャガイモは皮を剥いて、まずは五ミリ程にスライス。それを並べて千切りにして、水につけておく。
その間に、早朝から仕込んでおいたサワークリームさんのご様子を確認する。
「うんうん、良い感じに発酵していますね」
牛乳とヨーグルトを混ぜて作れるお手軽版サワークリーム。本来なら一日半発酵させたいところだが、私に「明日」が来るかどうかがまだわからない!
ぺろっと味見すると、きちんと爽やか酸味の良い感じ。
「白皇后のところでお勉強してると……口から出す単語一つ……気を使うから……解放されると、語彙が……死ぬなぁ」
何もかも「良い感じ」で駄目なんだろうか。駄目なんだろうな。
ボウルに塩コショウ、卵、しっかり水気を取った千切りジャガイモ、辛子、お酢、砂糖を入れてざっくりと混ぜる。
「あとは油を一センチほど鍋に入れて熱してー、具材を平たく伸ばしながら上げれば良い感じですねー」
バジバジと油が跳ねる。水切りが足りなかったか……クッキングペーパーが欲しい。本当に欲しい。アグドニグルに紙はあるけれど、クッキングペーパーってどうやったら作れるんだろう……。そもそも、記録を残すための貴重な紙を……使い捨て、油を吸うためだけに……使わせてくれるだろうか……。
*
「と、いうことで、上手に焼けましたので、休憩して食べてください王さま、じゃなかった、イブラヒムさん」
「………………………」
研究室に行きますよ、ときちんと先ぶれは出しました。一応、私の方がイブラヒムさんより地位が上なので(宮持ち)、イブラヒムさんに基本的に拒否権はありません。
物凄く嫌な顔をして迎えたイブラヒムさんは、私が腕に抱えているバスケットをじぃっと見つめてから、物凄く嫌そうな顔のまま、研究室に入れてくれました。
「……で、なんです?」
「はい。これは、レシュティというジャガイモ料理でして、薄く、可能な限り薄く、カリッカリに揚げたものに、サワークリームと蜂蜜をかけて甘じょっぱいを楽しむ、良い感じのおやつです」
「良い感じの。あなた、白皇后の所で礼儀作法を習っているのに、身についていないんじゃないですか」
「イブラヒムさん、私に『賢者様におかれましてはご機嫌麗しゅう存じます。こちら、春の芽吹きの祝福を受けました甘美なる一品でございますのよ』って挨拶されたいですか」
「止めろ、吐き気がする」
「偶然ですね、私もです」
イブラヒムさんが興味があるのは私の料理だけだし、私もイブラヒムさんの頭脳にしか興味がありません。
お茶を出され、それをゆっくり飲んでいると、イブラヒムさんがジャガイモ料理を食べ始めた。
「……」
美味しいと。まぁ、口に合ったのだろう。眉間に寄った皺がまた深くなる。もぐもぐと、無言で召し上がられ、時々お茶を飲まれる。ふと、この料理には別のお茶が合うと思ったらしく席を立ち、私の分も新しく入れてくださる。
最初に出て来たのはウーロン茶っぽいものだったが、新しいのはお花が浮いていた。
「この賄賂の目的は」
「賄賂って……まぁ、合ってますけど。イブラヒムさん、ちょっと知恵を貸して欲しくて」
「フン。なんです?」
「なんか面白い話知りません?」
実は、と、私は夢の中で変な金のガチョウの配布をのたまわる王さまの話をした。
「夢の中のことでしょう」
「夢の中なんですけど、なんかこう、次に見た時に王さまをギャフン、と言わせたくて」
「誰のどんな話を聞いても驚かず、その上位互換のような話を知っている、あるいは思いついている知恵者ということですか……」
芋料理を食べた以上、イブラヒムさんはきちんと相手をしてくれる。そういうところは律儀である。
「例えば、自分の娘は木の中から生まれたのです。とか話しても、王さまは「それだけか?そなたの話はつまらないな。私の知っている娘は、珍しい竹という植物から生まれて、金色に光り輝く程の美しさだ。あまりに美しく、求婚者があとを絶たないので、養父は四つの宝物を持ってくるように条件を出した」って、その四つのお宝をめぐる冒険譚を話し始めちゃいまして、あまりに奇想天外な話過ぎて、挑戦した人の方が「そんな話はでたらめだ!」って叫んじゃうんですよね」
「実際私も似たような話を知っていますね。木から生まれるくらい、よくあることです」
そうかなぁ……。
ふん、とつまらなそうに鼻を鳴らすイブラヒムさん。
「しかしこの……料理……単純そうですが、甘い物と、しょっぱいものを和えて一緒にすると……なるほど、これは……軽食に良いな」
「作り方は簡単なので、材料さえ常備しておけばいつでも食べれますよ~」
「別に作り方を知りたいなんて言っていませんが」
「まぁまぁ。それで、イブラヒムさんなら、その王さまにどうやって「そんな話はでたらめだ!」って言わせます?」
「簡単ですね。というより、そういう寓話を知っています」
ただ「そんな話はでたらめだ!」と言わせるくらいなら、そう難しくないとあっさりイブラヒムさんはおっしゃる。さすが博識な賢者様だ。陰険で陰湿なだけじゃないんですね。
「私の知る話は、自分の知識をひけらかしたい愚物のものですね。他人があれこれ話す内容を聞いて、自分が「そんな話は知らない!」と叫べば、金貨百枚やる、といって、他人が語る様々な知識や経験を「たいした話じゃないな」とあざ笑うんです」
……申し訳ない、イブラヒムさん。私の脳内では、その登場人物がイブラヒムさんの姿で再現されてしまっている。すまない。
「え、で、どうするんです?」
「簡単です。まず、身の丈ほどの大きな瓶を用意するんです。そして、挑戦者は語りました。自分の祖父は、貴方の父君の親友だった者です。父君がお若い頃、事業に失敗され、大損をした際に、支払いに困窮されました。祖父はこの瓶いっぱいに真珠と金貨の詰まった財産がありましたから、父君の窮地に快く貸してさしあげたのです。見たところご子息である貴方様は立派にお屋敷を構えられ、窮地を脱したご様子。今こそ、祖父の財産を返して頂きたく存じます。とね」
「うわ……せ、せこい……」
卑怯だな、その挑戦者。私は顔を引き攣らせた。
これでその大金持ちの方が、その挑戦者の話を否定しなかったら、瓶いっぱいの金銀財宝を入れて返さないといけない。けれど、「そんな話は知らない!」と突っぱねれば、金貨百枚の損で済む。
「いや、でもその話ですと……そもそも、お題の趣旨が違うような……自分の知らない知識や知恵を持ってこいって話ですよね……」
「自分の知恵をひけらかす凡人は醜い、という寓話です」
「えぇええ……」
そもそも本当に知恵者なら、そういう「穴」があることに気付いていないのがありえないと、賢者であるイブラヒムさんはばっさり切り捨てる。
「まぁ、あなたの夢の中のことなんて興味ありませんが……こうした「挑戦」というのはこういう、発想の転換でどうにでもできるものだということです」
サワークリームをたっぷりつけて、最後のレシュティを口に運んだイブラヒムさんは、「明日もこれを持って来なさいよ」と、そんなことをのたまった。
いよいよ明日12月1日、第一巻発売です(/・ω・)/
一巻は挿絵が9枚。カラー口絵2枚の大変美しい豪華セットとなっております。
巻末書下ろしはイブラヒムさんのプリン作り。挫折編。
各書店購入特典SSは
「皇帝陛下の愛人だった人の話」Wonder GOO様
「ヤシュバル様の兄上の話」書泉・芳林堂グループ様
「わたあめが可愛い話」くまざわ書店様
「スィヤヴシュさんの過去話」メロンブック様
「マグロが食べたいシェラ姫の話」ゲーマーズ様 の5種類となります。
私は田舎在住でWonder GOO様が身近になく欲しい特典が手に入れられません。
地域格差を憎んでる。




