第一夜
日記をつけるようにと白皇后陛下にすすめられたので、そのようにし始めました。
文字の勉強にもなるし、誰に見せるわけではないけれど、こうして記録していると自分が何を記録したいと思っていて、何に興味がないのかよくわかる。
千夜千食、本日は二百九十九品目。大神殿レグラディカから新鮮な牛乳と生クリームが届けられたので、それをゼラチンで固めたパンナコッタ。
大きな型で作って、スプーンでお皿に盛りつけ。そこにカラメルソースをたっぷりと垂らす。簡単だけれど、沸騰させず80度程度に保つこと、冷ますための大量の氷が必要であること、当然だけれど衛生管理がしっかりされていることが大前提であるなど、この世界でこれを口にするには「贅沢な環境」が必要だ。
日記に材料や詳しい手順を記していく。陛下に献上した際には、書記官の方が私が話す料理の説明を記録してくれて、それが別室に待機している新聞社の記者さんへ渡される。
毎朝発行される「昨晩の陛下のご様子」コラムはローアンでは大変人気だ。
*
真夜中に首を絞められる夢をみた。細い指先が食い込むものだから、普通に絞められるより少し痛いなぁと、そんな風に思うのは母親以外にも首を絞められることがあるからだった。
昔は艶のあるうつくしい黒髪だったという母。砂色の肌に神秘的な黄金の瞳。彼女がうつくしかった頃を知らないけれど、きっとさぞうつくしかったのだろう、と、「うつくしい」という言葉の意味はわからないが、母という女がよく口にした言葉であったので、そのように思った。
「……泣いてるのはエレンディラ。私じゃありませんねぇ」
おやおや、と、ぱちりと目を開けて私、シュヘラザードは目を覚ます。真っ暗、ではなくて、ぼんやりとした灯りのある白梅宮の寝室。正確には新白梅宮だけれど、旧白梅宮を知る人は殆どいないので、新と付けられても不思議そうに首を傾げられることが多かった。
「おや、これはこれは、ご主人さま。如何なさいました」
喉が渇いたので果物でも切って貰おうかと廊下に出ると、見慣れない青年が声をかけてきた。白い顔が半分だけの、やけどで爛れた貌。真っ白い服を着ていて、私に気付くと白い頭巾を被った。見覚えはなかったけれど、陛下の黒子さん達の色違いのような服装。口元を布で覆い隠して、目元だけが出ている。
「こんばんは」
「はい、こんばんは。ご主人さま」
如何なさいましたか、と、白子(?)さんがもう一度聞いてくる。喉が渇いたんですが、と控えめに言うと「それは困りましたね」と頷かれる。別に困っているほどではないけれど「そうなんです」と神妙な顔で頷くと白子さんは「えぇ、わかります」ともう一度頷いた。
真っ暗い廊下。灯りがなく、ぼんやりと輪郭が見える。
「今夜はあつうございますものね」
「暑いですよね」
夏だったか。今は。
白梅宮が燃えて、新しい白梅宮になったのは、夏だったか。思い出そうとしても、あたまが寝起きでぼんやりしていて、はっきりしない。
「危のうございますので」
と、白子さんが手を差し出してくれた。白い踵を追いかけるより、手を繋いで歩いた方が危なくないかもしれない。触れると手が熱かった。なので今は夏なんだろうと納得した。
ギャアギャアと外で何か、鳥のようなものの鳴き声が聞こえる。
「夜なのに」
「夜に鳴く鳥もおりましょう」
「なんだか、こわいですね」
「何。この宮へは入らせませぬ」
ご安心ください、と振り返って、微笑んだのが見えずとも気配でわかった。
てっきり、食房へ連れていってくれるのだろうと思っていたけれど、一向につかない。真っ直ぐ廊下を歩いて、時々曲がって、繰り返し。私の宮はこんなに広かっただろうかと、いや、子供の足なのだし、真夜中だし、そう感じるのかもしれないとついていく。
そうしてもう少し歩くと、大きな部屋。椅子と机があって、明かりがある。
こんな部屋はあっただろうかと思いながら部屋に入ると、違和感。
扉がある。
三つ。
けれど、違和感。白梅宮は、ローアンは、アグドニグルは、中華ファンタジー溢れる世界。建物のつくりは、引き戸だ。それなのに、扉。ドア。ドアノブがついていて、鍵が机の上に三つ並べてあった。
*
「おはようございます、シェラ姫さま」
「…………うん?」
朝。
朝日が眩しい。朝。
シーランがそっと声をかけて起床を促し、アンがお湯の入った器と顔を拭く布を用意してくれる。
「……」
うん?
「どうかされました?」
「いえ……夢、を」
見ていたんでしょう。と、私は頭を振る。夢の中で、誰かと話をしていた気がするが、誰だったか。アンやシーランではなかったけれど、白梅宮のひとだった。
「良い夢ですか?」
と、アンが私の髪を梳かしながら聞いてくれる。朝の世間話。頭を段々はっきりさせるための刺激は必要だ。
「なんか、全体的に暗かったです」
「怖い夢ですか?」
「なんか、鳥が絞殺されるような音は聞こえましたね」
「怖い夢ですね……!? 大丈夫ですよ、シェラ姫さま! もうすっかり明るいですし、あたしがおりますからね!」
幼い子供がそんな夢を見ていたら怖いだろうと、アンは真剣に心配してくれる。
……これで第三皇子のスパイじゃなければ、本当に、アンは良い子なんだけどなぁ……。
「シェラ姫様。朝早くから申し訳ありませんが、大神殿レグラディカの神官が、姫様に献上品をと訪ねてまいりました」
「二日続けてですか?」
昨日乳製品を頂いたばかりだ。今朝新聞でパンナコッタの作り方が公開されたら、乳製品を「お礼の品」として扱う大神殿はそれなりに忙しくなるはずなのだけれど、予想はずれて暇なのか。
「? いえ。神殿の者が来るのはひと月ぶりでございますが」
「昨日、牛乳をくれたじゃないですか。それで昨晩、パンナコッタを陛下に献上できたんですし」
「? 昨日? 姫君はカラアゲなるものを作られ、皇帝陛下はいたくお気に召されていらっしゃったかと存じます」
「カラアゲは一昨日ですよね??」
あれ? と、私は首を傾げる。
けれどシーランが私に嘘をつく理由がない。私は日記を開いて、最後の頁を確認した。
……作った料理はからあげになっている。
「……うん?」




