*番外*南瓜プリンと賢者のお仕事
いい加減仲直りしてくるように、とのお達しがあったのは、イブラヒムさんとの衝撃的なお見合い(仮)事件から一か月ほど経った頃。
別段お互い関わる立場ではないのだけれど、縁のある人間同士がいつまでも避け続けていると不都合も生じる。具体的には、イブラヒムさんはヤシュバルさまの「側」とみなされている部分もあるのに、ヤシュバルさまの婚約者である私が避けられ続けている状況はあんまりよろしくない、というわけだ。
「仲直りもなにも……問題を抉らせさせたのはイブラヒムさんご本人と陛下だと思いますが」
「……それはそうだが」
こほん、とヤシュバルさまが咳ばらいをされる。
「君の味方は出来る限り多い方が良く、イブラヒムは君に良い影響を与えるだろう」
良い影響。
ヤシュバルさま。は、私の保護者で教育者になりたがっているご様子。賢者であり、その名の通り「賢い者」のイブラヒムさんが私の教育に携わるのは良い事だとお考えなのだ。
「白皇后に色々教えて頂いています」
「皇后陛下はご賢明な方でいらっしゃるが、全ての分野に精通しているわけではない。私が君に教えられる事、皇后陛下が教えられる事、そしてイブラヒムが教えられる事は皆異なる筈だ。特にイブラヒムが賢者として研究している分野は将来的に君がレンツェに戻った時、役に立つだろう」
「……イブラヒムさんって何の研究をされているんです?」
そういえばぼやーっとした説明を受けたような受けていないような。
通訳とか便利な能力があるのは知っているけれど、そう言えばそれはあくまで賢者の能力のオマケらしい。
「私は戦う事くらいしか能のない武人だから、彼の専門的な内容について詳しくは理解しきれていないが……魔力のない人間、力のない人間でも平等に使用できる道具の研究をしている。魔石を用いての長距離通信や、別の場所の映像を投影させる技術などはイブラヒムの発明だよ」
ヤシュバルさまは幼女の私がわかりやすいように、出来るだけ優しい言葉を使ってくださっているようだ。
「シュヘラの宮にもある火とは異なる灯りがあるが、あれはイブラヒムが幼い頃に発明した物が改良され続けて実用化された物だ。魔石ではなく、雷などの力を溜めておき発電させているという」
「……………はい?」
さらり、と語られるのは……どう聞いてもファンタジーマジックではなく、サイエンス。
魔石というのがこの世界のエネルギー資源であるのはぼんやりわかっていたが、え、もしかして、普通に……存在できるの?科学。
「…………そういえばイブラヒムさん、プリンとかマドレーヌを……結構、科学的な視点で見てましたね……料理の材料の化学反応があるんだから、起こりうることですよね、サイエンス」
魔法と科学が共生してる世界ってどういう感じなのか、科学オンリーワールドから転生している私にはちょっとわからないが、特に異端な知識とかそういう扱いにはならないのか?
ちょっとヤシュバルさまにそれとなく聞いてみると、他国では異端な研究扱いされることもあるらしい。特に神聖ルドヴィカの教え的には、全ての現象は神々の齎す奇跡・恩恵・ご慈悲であり、雨が降り風が吹き、雷が轟くことも神の御業で、それを他の理由があると唱えることは、禁忌だという。
「確かに、神官の祈りや奇跡、あるいは祝福により干ばつ地に雨を降らせる事は出来るが、イブラヒムの研究は、そうした雨の少ない土地が孤立しないよう、他の豊かな土地から支援を受けられるよう、祝福を受けていない者でも瞬時に他の場所へ移動できる道具を作る事が、最終的な目標らしいが」
どこでもドアでも作りたいのか?
通信機や映像関連の発明というのはかなり画期的だと思うし、それを軍事利用されているらしいアグドニグルはさすがである。
しかし、子供の私でもわかるのだが、神殿勢力が「特別」としている祝福者の神殿から神殿への長距離移動を神の奇跡の力を借りずに実現させようとしているイブラヒムさん。
……ここがアグドニグルじゃなかったら、火炙りにされてないか??
思い出してみれば神殿にお世話になっていたころ、おじいちゃん神官さんたちは私には優しかったがイブラヒムさんには冷たかった。イブラヒムさんの性格が悪いので嫌われているんだとばかり思っていたが、そういう背景もあったのか。
*
「ということで、仲直りしに来ました。はい、握手でもしてお茶飲んで帰りますから、持て成してくださいよ」
「とっととお帰りくださいやがれ」
はーい、ときちんと手土産も持参でイブラヒムさんの研究室のある北の塔に登った私を、視線も合わさずに追い出す気の賢者様。
「……勝手に勘違いして私に惚れたのは貴方だっていうのに、いつまで被害者面してふてくされているんですか?大人げないですよ?」
「私は別に貴方を好きになったわけではありませんが?誰が貴方のような頭の悪い小娘、あれはただの気の迷いですが?今は正気に戻りましたので、貴方の顔を見ても吐き気がするだけです」
なぜヤシュバルさまは私がイブラヒムさんと友好的な関係を築けると思うんだろうな??あの人、天然入っていて可愛らしいんだけど、ちょっと自分に近い人間に盲目過ぎない??大丈夫??
口を開けば嫌味しか言ってこないイブラヒムさん。こちらも嫌がらせで大人の姿できてやればよかったかと私は思うが、しかし、今回の目的は仲直りすることだ。
別に仲直りなんぞしなくてもいい、のだが。しておくと便利じゃないか?とふと思ってしまった打算があるので、私はここでくじけたりしない。偉いね。
「まぁまぁ。一応、私も小指の爪の先くらいは申し訳ないなって思っている心があるので」
「ほぼ皆無じゃないですか」
「ゼロじゃありませんよ。で、お詫びのお菓子をお持ちしました」
「……」
そこで初めて、イブラヒムさんの瞳がこちらを見る。正確には私、ではなくて、私が持参した風呂敷包み。
「……客人を持て成せぬ無作法ものと思われるのも不愉快ですからね。席を用意します、こちらへ」
と、研究室の隣の小部屋に案内してくれた。
私の住居である新白梅宮は慰謝料としてコルヴィナス卿からも多額の支援がされ最初の宮より一層豪華絢爛になったのだけれど、イブラヒムさんのお部屋は、何というか地味だ。
沢山の書物や研究道具が積み上げられていて、乱雑とも言える。イブラヒムさんの地位ならお世話をする人が何人も付いていると思うのだけれど、助手もお世話係も付けていないらしい。
ガチャガチャと、イブラヒムさんが慣れた手つきでお茶を入れる。面倒くさそうではあるが、その仕草はきちんとしていて、シーランが入れてくれるお茶と変わりない。
「で?」
「はい?」
「何を持ってきたのですか」
お茶を一口飲んだ辺りで、イブラヒムさんが睨む。
あ、ハイ、と私は風呂敷包みをテーブルの上で開いて魔法で冷保存された容器を取り出す。
「プリンですか。ふん、代わり映えのないことで、」
「それでは続いてこちらをご覧ください」
どん、と、私は続いて取り出す。
幼女の頭程もある大きさのカボチャを。
「どこに隠し持っていたんです!?」
「この風呂敷魔法仕様なので……」
「質量の法則を無視している……っ、これだから魔法はッ!」
「え、イブラヒムさんって魔法がお嫌いなんですか?」
「別に好きでも嫌いでもありませんが、原理が解明出来ずただ「神の奇跡」でしかないものは気持ちが悪いと思っています」
それを嫌いっていうんですが、まぁいいでしょう。
「こちらのカボチャを用いて作ったのが、このプリンです」
「……まぁ、南瓜はデンプンが糖になり甘味が増す野菜ですが……」
「さすがその辺りの知識はありますね!」
「この程度常識です。貴方だって知っているではありませんか」
くいっと、イブラヒムさんは眉間に皺を寄せながら眼鏡を上げた。
「まぁ、いいでしょう。それでは頂きましょう」
「どうぞどうぞ」
「……」
一緒に持ってきた銀の匙を持ってイブラヒムさんが口をつける。
まず無言。味わうようにゆっくりと召し上がられ、顔を顰める。
「……なんだこれは」
ふざけているのか、と、敵意に満ちた反応。
「え、美味しくないですか?」
「味は良いでしょう。品としても十分、販売可能な域と言えます」
「ですよね、ですよね」
けれどその一口を食べたきり、イブラヒムさんは不機嫌になって、匙を置く。もう手を付ける気がないのは明白だ。じろりと私を睨み、テーブルが無ければ掴みかかってきそうな様子だった。
「どういうつもりだ」
「どうって、液体である牛乳と卵液に、固形物の南瓜を混ぜたらそうなりますよね?」
「あぁ。ざらついた舌触りが不愉快だ。これはこういうものだと、出されれば納得するだろう程度だが……貴方が、こんな程度の物を作るわけがない」
さて、作りましたかぼちゃプリン。
きちんと南瓜を蒸かして柔らかくして、裏ごしして生クリームと混ぜて、丁寧に、水分が少なすぎないよう、かといって多すぎないよう、丁寧に、慎重に、一生懸命作りました。
そうして完成した南瓜プリン。自分で言うのもなんですが、良い出来だと思います。
しかしそれを、イブラヒムさんは「失敗作を寄越した」という顔で私を睨むわけです。
「この食感が「当然のもの」であるのなら、不快感を与えることは……貴方の料理であれば有り得ないはずです。貴方の作るものは、五感で感じる全てをその料理を引き立てるものにしている。つまり、これは……あえて私に不快感を与えたということですね?」
「そんな過大評価して頂いているとは思いませんでした」
おやおや、と私はにっこりと笑って小首を傾げる。
「食感については十分配慮したつもりです」
「嘘をつかないでください。このザラつき加減は、私がプリンを作った際の失敗作に似ています」
イブラヒムさんの失敗のそれはすが入ったからだと思うし、加熱し過ぎ問題だと思うのだが、まぁ舌触りうんぬんは似ているだろう。
「まぁ……ちょっと妥協して作った、というのは認めます」
あんまりに睨んでくるので、私は観念した、というように頬に手をあてて溜息をつく。
「妥協?」
「人力での限界です……私は非力な幼女なので……普段力仕事はマチルダさんにお願いするんですけど、このプリンはお詫びの品だし、私がちゃんと作らないとと思ったんですけど……」
少し考えるようにして、イブラヒムさんは再び南瓜プリンに手をつけてくれた。味わい、首を傾げ、口を開く。
「……不可能と判断した工程は材料の攪拌ですか」
「そうですそうです」
おっ、やっぱりこの人、科学者要素あるな??
閃くイブラヒムさんの瞳は明るい。キラキラしていて、成程、と頷きながら席を立った。
「私もプリンを作る際に、自分に力が足りないと思い知らされた工程があります。その際に……いくつか設計してみました」
研究室の方へ行って引っ込んだかと思えば、手に二つの道具を持ってきた。
「既に現物がある、だと!?」
「なんです?」
「いえ、驚きが凄いと言いますか……え!?作ったんですか、これ!?」
「プリンを試作している段階で必要だと思ったので作りましたが、それが何か?」
いや、ただのプリンには不要だと思いますが……。
私はテーブルの上に無造作に置かれた、イブラヒムさんの作品二つを眺める。
一つは壺、というほど大きくはないが、小振りな容器。ただの器ではなくて、底に仕掛けがしてある。
もう一つは片手で握れる柄のついた三十センチ程の棒。その先端には金属がついている。
「スタンドミキサーとブレンダーじゃないですか……」
「違います。「攪拌機壱号」と「弐号」です」
名前のセンス……ッ!
というか、これでプリンの卵液作ろうとしたら、違う風になるんじゃなかろうか。その辺も失敗の原因な気がするが、ここで指摘すると不機嫌になってしまいそうなので黙っておく。
……ミキサー作って欲しくてこんなやり取りをしたのだけれど、すでにブツが出来ているとは……。
「えー!名前はともかく、凄いじゃないですかー!うわー!すごい!えー!イブラヒムさん凄いですねー!!」
「ふん、この程度、なんでもない事です。元々拷問器具として二枚の刃を回転させて手を切断していくものや、内臓をかき混ぜる道具は暗部より依頼されていましたから、その応用です」
「うん、聞かなかったことにしますね!」
確かに拷問道具に使えそうな品ではあるが、目の前のこれは調理用なので気にしないでおきたいですね。
さりげなく語られてしまったアグドニグルの闇の部分ではあるが、まぁ、どこの国にもそういう部分はあるでしょう。うん。
「それじゃあこれで作り直しますのでー、」
「貸すとは言っていませんが?」
私がニコニコとブツを風呂敷の中に入れようとするのを、イブラヒムさんがひょいっと持ち上げて阻止しやがりました。
「なぜこの私が、貴方に自分の作品を貸し与えないとならないのです?」
「いまそう言う流れでしたよね??」
「貴方の力量不足で菓子が完成しないのは私には関係のないことですが?」
「どうせなら美味しい完成品を食べたくないですか?」
どうせイブラヒムさん一人じゃプリンを完成できないのだし、とは言わずにいるが、表情で伝わってしまったらしい。
「私だって作れます」
嘘つけ。
ふん、とそっぽを向いていますが、ただの意地悪をしたいだけでブツを二つも持ってきたわけではないらしい。少しして、まぁ、と得意げに胸をそらした。
「どうしても、というのなら貸して差し上げてもいいですよ」
「いや、まぁ、そこまでではないです」
ミキサーもブレンダーもあれば便利だけど、なくても出来る知識があるし、南瓜プリンのざらつき加減も、まぁ、別に南瓜の割合をもう少し多くして南瓜感をマシマシにすれば、それはそれで硬めずっしり濃厚南瓜プリンになるのでOKです。
なめらかつるつる食感の南瓜プリンができないだけで。
「……はっ」
しかし、私の頭の中には浮かんできてしまったッ!
考えたのがいけなかったのか!私の祝福の能力、料理関係の知識であれば前世の世界にあるものは引っ張ってこれる、何の役に立つかわからない能力の発動!!
ミキサーがあれば簡単に作れてしまう美味しい物……ベイクドチーズケーキッ!フレッシュジュース!!じゃがいものスープ!!スムージー!!
なくても作れなくはないけれど、あると画期的に楽になってしまう……!それを、その快適さと、仕上がりの良さが浮かんできてしまった!!
「くっ……」
しかもこの二種類が作れているのなら……イブラヒムさんなら、作れる……ハンドミキサー!!
今はちょっとお時間のかかるメレンゲ作りも……!あっという間に……!カステラだって簡単に作れるようになってしまうのではなかろうか!!イエッス!!We can!!
私は膝から崩れ落ち、苦し気に呻いた。
「私には……イブラヒムさんが必要なのか……!!」
「そこまでの苦悩と理解は求めていませんが……!?なぜ急に這い蹲るんです!?」
「イブラヒムさんがあんまりにも便利なので!!くそうっ!」
「まぁ、私が有能で優秀で価値の高い人間であることは当然のことですが。貴方の悔しがる姿が見れてとても満足です」
この性格の悪ささえなければ、ぜひともお友達になって今後とも良くお付き合いしたいものだけれど、この性格なので、ミキサーだけ頂けないものかと本気で思う。
「くっ……イブラヒムさん、ミキサー貸してくださいッ」
「嫌ですが?まぁしかし、ここはアグドニグル。一つ、陛下に習い、取引をしましょう」
「……取引」
「簡単です。私は貴方を優遇する理由も必要も一切ありません。ので、私の作品が欲しい、というのであれば、私に貴方の有能さを示して頂ければ結構です」
アグドニグルは「有能」か「無能」かのジャッジを行うお国柄。
「……」
有能さを示せ、というのは、どういう意味でのことか。
私は黙り、口元を押さえて考えた。
何かイブラヒムさんの得になる知識の披露、ということだろう。あれこれと、前世で使えそうな知識が引っ張ってこれればいいが、私の能力は料理関係の事。自然に覚えている事で、例えば電車の仕組みなど話せればいいが、細かい所は分らないし、いきなりそんなぶっ飛んだテクノロジーの話をしても信じて貰えるか。
「……ありませんか?でしたらお引き取りを」
「……一週間で、体を健康に、改善できる方法、では?」
「……何かの薬、いえ貴方のことですから、食べ続けることで効果のある料理か何かですか?」
「いえ、必要な道具は一切ありません。イブラヒムさんは筋肉量が少ない事や……その姿勢などから見るに、肩腰の痛み、頭痛、不眠などに悩まされていらっしゃいませんか」
「必要な治療は受けています」
ノンノン、と私は指を振った。
「もっと簡単に手軽に、一日たった五分ですっきり解決。継続は力なり……ラジオ体操です!」
「は?」
「音楽に合わせて、決まった順番の体操!これを一週間、一か月続けることで気分爽快、すっきり健康です!」
突然何を言い出すんだこいつ、という顔をされるが、私は怯まない。ノリと勢いは大切だ。
私は「毎朝、正門の大鐘が六つ鳴らされる時にお誘いにきます、まずは一週間お試しで一緒にラジオ体操しましょう!」と畳み掛けた。
「な、なんで私が……」
「イブラヒムさんに足りないものは健康と筋力です!それが一日たったの五分で解決できるというのに、やらないのは愚かだと思いますが!?」
「この賢者である私が愚かだと……!?わかりました、そこまで言うのでしたら、ふん、一週間、付き合いますよ!効果がなかった際は、何か罰を受けて頂きますからね!」
ははっ、チョロいねこの人!わーい。
私はさっさと帰る支度をして、白梅宮に戻った。
音楽は……ピアノが無かったので、打楽器でそれっぽい音楽を演奏して貰えるようシーランにお願いすると、女官で良い所の出のアンがその方面の教育を受けていた。
アンにラジオ体操の音楽を口伝でお伝えし、なんとかそれらしいものが演奏できるようになり……。
……翌朝から、私とイブラヒムさんのラジオ体操週間が一週間、始まるのだった。
三日目のイブラヒム「……体が……動かない、これが……筋肉痛……ッ!?」




