*番外*ヤシュバル殿下とメリッサ
化け物。と、そのように叫んだ声は複数あった。けれどヤシュバルは、今更それらに注視しない。氷の柱を幾本も出現させ、生物の存在が許されぬ空間を作り出す。
体内の水分も、魂までも凍てつかせる絶対零度。喚いていた何もかもが一瞬で沈黙し、ヤシュバルが剣を振れば全て砕け散った。
「あんたも十分、人間辞めてるわ」
「……」
「ちょぉっ、とぉ!?無言で女神に斬りつけるんじゃないわよぅ!不敬!」
「なぜいる」
戦場と言う程大がかりなものでもない。ただの反乱分子の始末。レンツェが支配していた土地に、アグドニグルから神殿の力を借りて移動したのはヤシュバルだったが、大神殿レグラディカの女神メリッサがこの地に一緒についてくる理由はない。
レンツェの旧貴族らを粉砕した氷の如き男は、瞳ばかりは燃えるように赤い。血が炎の中で沸きたつような赤の瞳には信仰心の欠片もなく、女神と相手を認識していても、道端の石ころを見るのと変わらぬ表情。それを受けて、不敬だとひとしきり吠えてから、女神はすぅっと、表情から感情を消した。神、すなわち人の心の反射鏡であるゆえに、シュヘラザード姫のような表情のコロコロ変わる眩しい娘を前にすれば喧しい小娘のように振る舞う。けれど氷の仮面の男を相手にすれば、女神の顔も冷たくなる。
「お前、そちらが素でしょう。お前のそのひとでなしの面、シェラにも見せてやりたい」
「……」
「シェラはレンツェの人間のためになんか色々してるっていうのに、お前はこうしてあっさり、シェラの国の人間を砕くのね」
詰ってもヤシュバルの顔には何も浮かばない。自分が言われている言葉を言葉として、意味を認識する気がない、他人に対して興味を抱かない男のごく当り前の反応だった。
そりゃそうだわ、とメリッサは息を吐く。女神であろうとなんだろうと、この男には有象無象。アグドニグルにとって邪魔なら凍らせて砕く。視界に入っても不快だなんだと思うことすらない。
それがメリッサの知る、アグドニグル第四皇子ヤシュバルという男であった。
「シェラが寄越したのよ。あんたのところに行ってほしいって」
「……シュヘラに何かあったのか?」
「そ!女神を使いっぱしりにするなんて緊急事態に決まってるじゃない?ぎゃぁあああ!?ちょ……あんた!?女神の頭を掴まないでよ!?不敬!!」
ヤシュバルはこちらの質問に明確に答えず、茶化すような口調のメリッサの頭を掴んだ。みしり、と軋む。骨ではなく神核に直接圧をかけている。
「今すぐレンツェへ飛べ」
「あんたたちあたしのことを便利な移動手段だと思ってるでしょ!?いだだだだだっ、いだいわよぅ!ちょっと!落ち着きなさいって、別に、シェラになにかあったわけじゃないわよぅ!!」
「シュヘラは。彼女は、目を離すとすぐに死にかける。死んだ魂と混合しているからか、死の淵へ寄せようと、本来の有様に戻そうと、死がこびりつく」
「だとしても今回は違うわよぅ!今回は、あんたに!お弁当を持って行けって!シェラが!!」
ぴたり、とヤシュバルの動きが止まった。その隙に女神メリッサはありったけの力を込めてヤシュバルに攻撃する。女神の本気の一撃。神の槍は光よりも早くヤシュバルを貫くかと思われたが、ヤシュバルが軽く腕を振っただけで、槍は凍り、砕けた。
「……私に、弁当……?」
「そ、そうよ!あんたが遠征中は殆ど食事をしなくて味気ない軍用食だけしか口にしないって聞いたシェラが『軍用食は効率の良い優れた食べ物であると理解はしていますし、悪いわけではありませんが……ヤシュバルさまは、私のお婿さんになるという自覚が少し足りないのではないですか?』って!まぁ、シェラは料理が好きだし、あんたが軍用食ばっかり齧ってるのが嫌なんでしょ」
さすがは女神。シュヘラの言葉らしいところは、幼い彼女の声そのままでヤシュバルの耳に届いた。
「……」
ヤシュバルはこの場にいない、彼女の言葉を借りるなら『未来のお嫁さん』になる少女の顔が浮かぶ。困ったように眉を寄せながら、小首を傾げて心底不思議そうな表情で言ったのだろう。聞く者にはやや疑問が浮かぶ言葉も、彼女にとっては「道理」であるのに、どうしてわからないんだろう、という顔だ。
「……シュヘラは、」
「レンツェに行ってるっていうのは知らないわよ。知らされないわ。絶対にね。あの子はそういう立場なんだもの。仕方ないわ。だから、シェラはあんたがレンツェに行ったのを咎めてるとか、あんたが何をしているかとか、そんなことは何も知らないおめでたい子のまま、あんたを心配してるのよ」
「正確には私の食生活のようだが」
「同じでしょ。馬鹿な男」
あー、やだやだ。と、メリッサはうんざりしたように首を振り、ひょいっと虚空から何かを取り出した。
「えーっと、なんだっけ。これ。えぇっと?お湯を沸かして……この包みをお椀に入れて……ちょっとあんた座ってなさいよ。今用意するから」
「……弁当では?」
「シェラはあんたがどこ行ったのかクシャナに聞いたら、あの女は『ピクニックに行った』って答えたのよ。で、それならって、なんか沢山持たされたわ」
ヤシュバルの知る弁当というのは、小さな箱の中に食材を詰め込むものだ。冷えているもので、量もそれほど多くはない。だが女神は歪んだ空間に手を突っ込み、あれこれとポンポン、道具を出していく。
ヤシュバルは腰を下ろすのに丁度いい岩に腰かけ、メリッサが足元に広げた布に視線を落とす。
茶器のようなもの。湯気が立っている。椀の中に注がれた湯が、包みの中の物と混ざって汁物になった。
「……」
黒い四角い、四段になっている箱もあった。それを開けてみると、一段一段に丁寧に、華やかな料理が詰められている。一段に六種類は入っていて、これだけの物を作るのは大変だったのではないかと、そんなことを考えた。
「あー!もう、やだここ寒い!凍ってる魂って女神の体にもしんどいのよね!あー!寒いったらありゃしない!あたしもそのスープ貰うわよ!」
「……これらは、手間だっただろうに」
一度の食事だけのために、小一時間もかからない食事などのために、シュヘラはどれほどの時間をかけたのだろうか。ヤシュバルの眉間に皺が寄った。
「彼女が料理を好んでいることは理解している。彼女にそれらの素晴らしい想像力や腕があることも知っている。その上で、それらは彼女は自身の望みを叶えるために、その価値を理解される皇帝陛下の為に振る舞うべきだろう」
「……は?」
ヤシュバルは布の上に広げられる、芸術品、まるで宝石で作られた装飾品のような料理を眺め、ただただ、『無駄』だと、そのように感じた。
これは陛下に献上すべきだろう。陛下はこの料理の美しさを認め、正しく味わい、シュヘラの才を更にお認めになり、褒美をくださったかもしれない。あるいは、白皇后へ送り親愛の証としても良い結果になっただろう。カイ・ラシュと共に食べて親交を深めても良い。イブラヒムなどはこれを受け取れば、眉間に皺を寄せながらも、シュヘラに茶を入れて持て成しただろう。
美しい宮中で、美しい人間により、美しい所作で扱われる価値のある物であると、ヤシュバルは考えた。
手の込んだ料理の一つ一つに、シュヘラが思いを込めているのがわかる。何か、食材の組み合わせにも意味があるのだろう。見かけが華やかなだけではなく、栄養というものも考えている料理を作るのがシュヘラであった。
「それをこのような。まともな人間のいない場所で。殺戮の行われた場所で。私のような者の口に入り、消えてしまうのは、なんとも無駄な行為だろうか」
岩から降りて、ヤシュバルは布の上に膝を揃えて座る。真っ直ぐに伸びた背筋で碗を手に取り、口を付けた。
温かい汁物。深い味は、野菜だけのものではないだろうが、手間がかかっているというのが想像できるくらいで詳しいことはわからない。それでも、喉を通れば体中が温かくなる。
「……無駄な事をする」
と、今度は自身への自嘲。
いくら体を温めたところで、氷の祝福者の体温は低く、凍えた心が人並になるわけでもない。
「馬鹿な男」
箸をつけようとしないヤシュバルを、メリッサは眺めて只管呆れた。
シェラ姫意訳「軍用食も良いでよね。でも、それはともかく、私は料理が好きなので遠出されるならお弁当作る人間ですよ。そういう子のお婿さんになるんだと諦めてください、早く」ということです。
Amazonさんとかで「千夜千食物語」のご予約が開始されました~。
表紙はまだ未公開なんですね~~~~~~~~キャラデザもまだ出しちゃだめなんですかね~~~~残念~~~~~。発売日は12月1日です。もう少しですね~~~~。




