*番外*悩める男の子カイ・ラシュ殿下
特に美味しい料理は出てきません。
大陸屈指の大都市、栄華を極める絢爛たるローアン。偉大なる皇帝陛下のおわす朱金城の後宮、ではなくて、中宮に位置する訓練場にて槍を構える幼い姿があった。
「叔父上、勝負をして頂きたいのです」
真っ白いふわふわとした狼の耳をピンと立てて、眦を強く引き締め相手に挑むのは第一皇子ジャフ・ジャハン殿下の第一子。『皇子』の称号を得る皇孫のカイ・ラシュ殿下だった。
「……」
相対しているのは全身漆黒の装い、瞳だけが唯一赤い長身の武人。雪のように白い肌の、氷のように冷たい表情を浮かべた第四皇子ヤシュバル殿下。
「稽古であれば、」
「稽古をつけていただきたいわけではありません。男として、真剣勝負をお願いしたいのです」
敵意、殺意の類はない。ただ必死に、懇願し乞う様子はあった。
第一皇子ジャフ・ジャハンの長子に稽古をつける程度なら、ヤシュバルも吝かではなかった。幼い男児が武を極めようと切磋琢磨する様子は好ましい事であるし、金獅子の一族で構成される第一皇子の軍の中では、カイ・ラシュの狼の耳を見て心無い陰口を耳にしてしまう事もあるだろう。
ヤシュバルはカイ・ラシュを血縁関係はないとしても、『身内』として情を抱いていて、この甥に何かしてやれることがあるのならしてやろうと思っていた。
だがそれは対等な関係ではなく、カイ・ラシュは現在、それを跳ねのけようとしている。
「……」
沈黙するヤシュバルにカイ・ラシュはぎゅっと、槍を握る手に力を込めた。
*
「ずっとこのまま、何も変わらないでいればいいのにな」
午後の白梅宮。宮同士の交流をたまにはすべきということで、ご懐妊中の春桃妃様の名代ということでカイ・ラシュがお茶をしにやってきてくれた。
厳戒警備中の蒲公英宮から息抜きにと春桃妃様のお計らいであることはカイ・ラシュもわかっているようで、なるべく粗相をしないようにと畏まっていたのは最初だけだ。
お茶会のメンバーが私とカイ・ラシュだけとわかると、白梅の咲く綺麗な庭を眺めながら、ぐでーっとテーブルにもたれる。
「何言ってるんですか」
「別に、時が止まればいい、とかそういう意味じゃないんだ。ただずっと、ローアンは平穏で、母上は幸せで、僕はこうしてシェラとずっと、お茶を飲んだり、おしゃべりをしたり、そういうのが、当り前で普通で、当然で、ずっと、いればいいなって」
あらやだ、また何か思い悩んでいるよね、カイ・ラシュ。
複雑な立場であることは私も知っている。
だから、この言葉が「僕たちズッ友だよね」という友情の確認、大人になっても仲良くしてね、という意味ではない。
「ローアンは、アグドニグルは……変わらないだろ?お婆様はずっと皇帝陛下でいらっしゃるんだ。偉大なる皇帝陛下の治められるローアンでずっと、明日になっても、朝がきても、何ら変わらずに」
子どものままでいられたらいいと、そのように。
思春期ですね。
特に、カイ・ラシュくん。最近お肉をちゃんと食べ始めたようで、体がどんどん大きくなっていく。元々獣人というのは、人間種より成長がかなり早いそう。赤ん坊なら一年程で、人間種の五歳程度の体になるそう。兎と肉食の獣人の血が混ざり、成長が遅かったカイ・ラシュの体も、今では私より頭二つ分大きくなっていて、当人はそれが嫌らしく、私の前では座ったり、こうして伏していたり、自分で差を感じないようにしている。
伸びる影に怯える子供。手でも握ってあげればその不安は和らぐのか。ただ、私はカイ・ラシュの人生の半分背負うつもりはないし、そういうことはできない。
「変わらないものなんてないと思いますけど」
「シェラは変わらないだろ」
「大人になりますが!?成長しますけど!!?変わらないのは陛下だけですが!?」
「そういう意味じゃなくって」
私も人外判定されているのかと慌てて否定する。
ずっと幼女とか嫌ですが。成長してナイスバディになる予定です。まぁ……以前、メリッサが変身させてくれた私の、推定未来の姿はスレンダーボディでしたけど……。
もぞもぞとカイ・ラシュが動く。
テーブル席ではなく、床に絨毯を敷き座りながら編み物をしていた私の方へずるずるとやってきて、私の膝に頭を乗せた。
「カイ・ラシュ?」
「……僕だって、大人になりたくないわけじゃない。大きくなって、大人になって、やりたいことがないわけじゃない」
「大人って色々荷物もあって大変だと思いますけど、やれることが沢山増えるから楽しいと思いますよ」
ふみふみと、私はカイ・ラシュのふわふわとした耳を触る。のんびりとした言葉。世間話の延長でしかないという、他愛もない回答。
カイ・ラシュは目を閉じて、それ以上何も言わなかった。
あー、これは……春桃妃様の、お腹の子の性別が判明したとか、そういうんだろうか。
息抜きにと蒲公英宮から出してくださったのは、どうも思い詰めるカイ・ラシュを私になんとかして貰おうとかそういう心もあったのかもしれない。
……カイ・ラシュはジャフ・ジャハン殿下の第一子で、アグドニグルでは「皇子」の称号を貰っている。
私も最近知ったのだが、アグドニグルの王族は、皇帝陛下の血のつながりのある皇子は一人もいないので、当然、皇子たちの子がそのまま「皇子」「皇女」と認められるわけではないらしい。
きちんとした儀式?形式?まぁ、そんな、お祭り?があって、お披露目会があって、皇帝陛下がお認めになられて初めて「皇子」「皇女」と名乗れるそうだ。
余談だが、第三皇子殿下はお妃様も多く、子だくさんだが「皇子」「皇女」の称号を得られているお子さんは一人もいないとか……。まぁ、第三皇子殿下のことはさておいて。
カイ・ラシュは皇孫の中でも特別な立ち位置なのだろう。第一皇子殿下と春桃妃様の第一子。
ただし、その耳は獅子ではなく狼。
今度生まれてくる第二子が獅子の耳を持つ男の子であれば、いや、兎の耳を持っていたとしても、狼でさえなければ、ジャフ・ジャハン殿下はその子を後継者にとお考えになられることは、私にだってわかる。
以前、カイ・ラシュを側室にと言われた言葉を思い出しながら、私はため息をついた。
ぴくり、とカイ・ラシュの耳が動く。なんでもないと言うように、私はカイ・ラシュの頭をぽんぽんと叩く。
(蒲公英宮、荒れるんだろうなぁ。いや、もう荒れてるのかな。春桃妃様の管理は完璧だから、外に情報は流れてこないけど……まぁ、荒れてるんだろうなぁ)
カイ・ラシュはどうなるのだろう。
「ままならないですねぇ」
「ママナラ……なに?」
「あ。これ日本語か。ままならない。思い通りにいかない、とか、十分じゃないとか、そういう意味です」
「ママナラナイ」
不思議そうにカイ・ラシュが繰り返す。
「でも、まぁ。世は無常、とも言いますし。あ、これも日本語か。無常に近い言葉ってないんですね。これ、仏教の概念だからかな?」
「?」
「変わらないものなんてこの世にない、ということです」
諸行無常。無常、という言葉は無情に音が似ていて、どこかマイナスなイメージを持ってしまいそうだけれど、私は悪い意味ではないと思う。
「全てはたえず変化していく、ということで、無常。だから、苦しまなくていいということだと」
「変わることが苦しいのに?」
「それだって、変わります。苦しい時も、いつか過ぎ去って、変わるんですって」
今のカイ・ラシュには「今が変わってその先」の苦しみが見えている。けれど、その先にもまた変化があるんじゃないかと、そう言ってみるが、カイ・ラシュは顔を顰めた。
「僕は苦しみたくないぞ」
「それは無理ですよ。人生、楽もあれば苦もあると、御老公もおっしゃっています」
「誰だその迷惑な老人は」
「徒歩で一国を旅する健脚なおじいさんですよ」
ぶすっと、カイ・ラシュが膨れた。私が適当なことを言っていると思ったのかもしれない。私はさらさらと、カイ・ラシュの髪を梳く。
「レンツェにいたころ、エレンディラと呼ばれていたころ、私の扱いは酷いものでした。でも、無常だから、この世は変わりゆくものだから、ヤシュバルさまに出会えて、カイ・ラシュに出会えたわけですね」
「……いつか別れる日が来るのも仕方ないと思ってるのか?」
そりゃ来るだろう。
予定されているものであれば、順調に行けば、私はレンツェの女王になるわけだし、そこにカイ・ラシュはついていけない。はたまた不幸な事故で、メリッサでも治せない状態になって私があっけなく死ぬ未来もありえる。ありそうだな……。
「まぁ、ままならないものですからね」
思い通りにいかないのが人生だ。私が軽く言うのが、カイ・ラシュには気に入らないらしい。眦を強くして、下から私を睨んでくる。
「そんな可愛い顔をしたって、ずっと一緒にはいられないし、私だっていつまでもアグドニグルにいるわけにはいかないんですが~」
ご縁があれば、繋がりというのは続くもの。私は自分がどう生きたいか決めているし、そうなるように努力している真っ只中だ。
そこにカイ・ラシュの存在はないけれど、それはそれ。カイ・ラシュだって自分の人生、思い描くものがあるのなら、そうなるようにすればいいだけのことだ。
「……僕はずっと、今が続けばいい」
だからそれは無理なんですって。
私は言おうとしたけれど、そう呟く膝の上の男の子の顔。あんまりにも泣きそうだったので、止めておいた。
*
「立てるか」
すっ、と伸ばされた手にカイ・ラシュは悔しくなった。
真剣勝負をと、挑んでおいて、まるで勝負にならなかった。
こちらの繰り出した攻撃を悉く躱され、流され、ただ一度ヤシュバルが振った槍の柄はカイ・ラシュを一瞬気絶させた。
……氷の祝福を使われることもなく、殺気を放たれることもなく、こうも容易く。何の勝負にもならない。子供がじゃれつく程度。いや、それ以下でしかない。
「……はい。お手を煩わせて申し訳ありませんでした」
「構わない」
悔し気に唇を噛み締めたが、カイ・ラシュは出された手を掴み立ち上がった。
「今のを受けて直ぐに起き上がるのは大したものだ」
「それは獣人族の体の頑丈さというだけです」
「だがそれも君の持つ武器だろう」
体の使い方を本能的にわかっている、とヤシュバルはカイ・ラシュを評価した。本日、何も思いつきで挑んだわけではない。カイ・ラシュは挑むと決めてから今日まで、どうすれば第四皇子に勝てるかと本気で考え、どう動くべきか作戦を立ててきた。
だがまるで歯が立たなかった。結果としては、それだけだ。
これが、今の自分と第四皇子の「差」だ。
(シェラ)
脳裏に浮かぶのは、穏やかな日差しを受けて笑っている白い髪に褐色の肌の女の子。
(僕はいずれ、外に出される。他国の婿に入るのか、それともどこかへ養子に出されるのかはわからないが、僕は、父上にとって邪魔になるから。生まれてくる弟の、邪魔になるから。兄弟同士が争うようなことになれば母上は悲しまれるでしょうから、父上はそうならないようにと、僕を外へ出すはずだ)
残された時間は少ない。
シェラは「無常」だと言った。変わらないものなどないと、それは、カイ・ラシュだってわかっている。
痛い程わかっていて、それでも、望みとして、いつまでもいつまでも、白梅宮で、自分を笑顔で迎えてくれるシェラがいて欲しかった。
だけど、それが無理なら。無常の世の中であるのなら。
カイ・ラシュは「君の動きのここが……」と、先ほどの総評をしてくれるヤシュバルの言葉を笑顔で聞きながら、掌をぎゅっと握りしめる。
(変わらないものがないのなら、叔父上とシェラのことだって、変わったって、いいはずだ)
ボカロの口内炎の歌である「痛がりたい」が好きです。




