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*番外*真っ白い酒ト蓮の贈り物



「冬の感謝祭に向けて、こう、最終的に日持ちがして、バターに漬けて粉砂糖を全体に分厚くまぶした、乾燥した果物を沢山入れたパンみたいなのが作りたいんですけど……」


 絢爛たる華の都はローアン。この世で最も美しく偉大なる皇帝クシャナ陛下のおわす朱金城、その後宮の宮の一つである白梅宮ヴェレス・ディネイシュの食房にて。


 雪のように白い髪を三つ編みにした褐色の肌の幼女が、金色の瞳を輝かせながら話し込む相手はスキンヘッドの強面。片脚がなく、腕には火傷の後もある。暗がりで出会えば心の弱い子供なら泣き出してしまいそうな中年男だが、暖かな秋の陽の差し込む室内で浮かべられる表情はどこまでも柔らかく優しい。


「へい、へい。ご主人様。なるほどなるほど、あっしはちょっと、想像力が足りないもので……付け足して聞いておきたいのですが、それに使う粉は一種類でよろしいのでしょうかね?ははぁん、あまりふっくらとさせない方が宜しいでしょうね。それでは強力粉は少し強くて、薄力粉ですと弱すぎますね」

「出来立てが一番おいしいんじゃなくて、日を追うごとにどんどん美味しくなるんです」

「一週間や二週間、という程度の話では?」

「いえ、三か月くらい」

「さ、三か月……魔法を使ってですよね?」

「いえ、使わずにです。平民のご家庭で作れるような道具と能力で作るんです」


 スキンヘッドの男は白梅宮に仕える奴隷である。名をマチルダ。以前はフランク王国にてパン屋を営んでいた平凡な男。それが色々あって、アグドニグルの選択奴隷になった。


 そのマチルダの主人は、この白梅宮の主人。幼い顔に賢い瞳をした可愛らしいお姫様。


 あれこれと、毎日溢れるように「こういうのが作りたいんですが」とマチルダに相談してくる。


「なるほどなるほど」


 まるで簡単なことのように、いともたやすく、無理難題を姫君様はおっしゃる。


 それが食房にいる使用人たちの密かな感想だった。

 千夜千食という、皇帝陛下とこの姫君の間の取り決め。その為に姫君様は連日連夜、様々な料理の開発をしなければならないのだが、ふと思いついた料理を「簡単に作れるもの」とそのように信じて疑わない。


 白梅宮に集められた料理人は、雨々の声のかかった、つまり食材マニアの雨々の判断基準を満たしたそれなりに知識と経験のある(身分は低いが)者たちの集まりであるが、姫君の要求に答えられる者は雨々と、そしてこのマチルダくらいなものだった。


「果物を沢山入れるとおっしゃっていましたが、酒にたっぷりつけておいた方がよさそうですね。味わいが深くなって、宜しいでしょうし、酒精は腐敗防止の助けになります。バターでつけるのは、油脂で全体を包むためでございましょう?分厚い粉砂糖で固めるのは酸化を防ぐため。よくよく考えられた仕様でございますねぇ」


 シュヘラザード姫のふわふわとした説明を頭の中できちんと組み立てていくマチルダ。


 しがない小さな街のパン屋だったこの男に最初からこのような理解力があったわけではない。いや、パンのことなら詳しかった。しかし小さなパン屋で使える食材、作ってきたパンの種類などたかが知れており、増やす必要性もなかった。


 シュヘラ姫に買われてから、マチルダは自分がなぜこんな大それた場に来てしまったのかと恐縮した。

 パン屋としての腕を買われたのはわかったが、それだっていつ「実はたいしたことはない」とそう見限られるか。怯え、いつ追い出されるかもしれないと覚悟を持っていた。


 けれどマチルダの主人、シェラ姫はそんなそぶりを見せない。

 皇帝陛下の口に入る物だからと、贅沢な粉や材料が山のように使える環境。マチルダがちょっと試してみたい、と思ったものは即座に用意され「美味しい物を作りましょう!」と瞳をキラキラさせたシェラ姫によって肯定された。


 マチルダが片脚であること。奴隷であること。学がないことなど、シェラ姫は構わない。

 

 美味しいパンをマチルダが焼けば、シェラ姫は笑顔でお礼を言ってきた。


 ……やれるだけ、やってみよう。


 そう、マチルダが淡い決心を抱くのは早かった。一度、命を捨ててしまった方が楽だと、他人に迷惑をかける生を恥じて苦しんだ頃からすれば、夢のような生活。


 慣れない文字をなんとか読んで、食材に詳しい雨々殿にあれこれ質問をして、マチルダは食材の、調理の知識を増やしていった。学んでみると面白い。パン屋として自然に行っていたことが、こういう仕組みだったのかとわかることもある。食材について知ると、これはあのパンを作る時に工夫して別のものにできるな、など、マチルダはあれこれ発想できる豊かさを喜んだ。


『マチルダさん!こういうの作ってほしいんですけど!』


 と、そのようにシェラ姫が相談してきてくれる。


 マチルダなら作れるだろうと、信じている黄金の瞳の真っ直ぐさ。


 できない、とは言わず「ちょっと、難しそうですがやってみやしょう」と請け負うと「さすがマチルダさん!」と尊敬の念を込めた目を向けてくる。


 それがマチルダにはたまらなく嬉しい。


「乾燥させた果物でしたら、菓子に使おうかと仕込んでいたものがいくつかございますからね。ちょいと試しに作ってみましょうか」

「良いですね!試作品ですね!」


 笑顔を浮かべる異国の姫君。マチルダが粉や砂糖、あれこれと材料を用意するのを手伝い、計量していく。分量についてはマチルダがあれこれ言うより、姫君の目は確かだった。何かしらの祝福を得ている、というのは聞いているから、分量を目で正確に計れるというのは祝福の一つなのかもしれない。


 粉を混ぜ合わせ、酵母と合わせて発酵させる。粉砂糖とアーモンドの粉を牛乳でゆっくり混ぜ合わせ練る。バターと砂糖を加え、すり混ぜていく。そこに卵黄やパン生地を合わせてよく捏ね、常温でねかせる。


「工程はさほど難しくありやせんね」


 これならよほど間違いがない限り、上手く作れるだろうとマチルダは長年の経験から結果が予測できた。


「名前はシュトレンって言いまして、冬の、偉い人の誕生日に食べる物だそうですよ」

「しゅとれん。へぇ。偉い方というのは、王族の方でしょうかね?」

「王様ではなかったと思います。聖人?」

「ルドヴィカの方ですかね?」

「多分違うと思いますけど、まぁ、美味しい物を食べる理由になってくださってありがとうございます、と思うくらいでいいかと」


 マチルダは酒ト蓮なるものの名前は聞いた事が無かったが、シェラ姫は他国の姫君であらせられるので、母国の習慣かもしれない。レンツェについての資料はマチルダには手に入れられなかった。小国で、アグドニグルとは国交の少なかった国の資料は奴隷の身分ではそう見られるものがない。それであるからシェラ姫の料理の数々に驚かされるのかもしれないと思っている。


「美味しくできました~」

「……途中から感覚が麻痺してきやしたが……とんでもない量の砂糖や卵を使いやしたね……」


 シェラ姫の指示のもと、酒ト蓮なるものが完成した。

 説明の通り、真っ白い粉砂糖が分厚く表面を固めている。


 王宮で作られるもの、というのを抜きにしても、シェラ姫の作る料理はマチルダにとって「な、なんて贅沢な……」と思う調理方法や食材の使い方をしている。


「三本作れたので……一本はマチルダさんのですよ」

「へ?え、い、いや。ご主人様。さすがに、それはちょっと」

「一本は陛下用で、一本は私とヤシュバルさまのなのであげられませんけど……」

「いえ、足りない、とかそういう意味じゃございやせんよ!?」

「クリスマス……じゃなかった。冬の感謝祭のための試作品ですけど、マチルダさんが作ってくれたので完成度はかなり高いはずです。あとでゆっくり召し上がって頂いてもいいですし、どなたかと一緒に過ごす時に召し上がってはどうです?」


 マチルダは腰も低く人当たりが良いため、白梅宮でも友人と呼べるくらい気さくに付き合っている人間は多い。奴隷の身分ではありえないことだが、白梅宮にいる使用人たちはそもそも身分というものは「陛下と皇子と姫君。あと使用人」という区別しかない。


「日が経つとどんどん美味しくなるのかの調査もしなきゃですし、あ、食べる時は端っこからじゃなくて真ん中から切って食べて、こう表面をくっつけて保存してくださいね」


 仕事仲間と仕事終わりに食べるのも良いだろう。普段世話になっている人たちへのお礼にもなる。マチルダはシェラ姫に感謝を伝え、酒ト蓮なるものを大切にしまった。





 けれど大勢で食べるには量が少ないな、とそう気付いてマチルダは頂いた酒ト蓮を半分に切り、乾燥しないように表面にバターを塗って、粉を振った。つまり、一つだったものを二つにして、一つは自分に、もう一つは贈り物にしようと考えた。


 マチルダには休日があり、これが珍しいことに七日間に二日頂ける。五日働いて二日休み。シェラ姫がそう決めたようで、白梅宮の使用人たちもみなこの間隔で働き、休んでいる。一年務めると十日間の「ユウキュウ」なるものが権利として貰えるようで、この十日間は休んでいても働いているのと同じ賃金が頂けるそうだ。姫君のお考えになられることはよくわからない。


 その休日を使い、マチルダが ひょいっと、足を踏み入れたのはかつての古巣。奴隷市場の一角。


「御無沙汰しておりやす」

「は!?え!?お、お前、マチルダか!?」


 見慣れた顏の奴隷や、職員がマチルダを見て驚く。


「お前……朱金城の賢者様に買われたって……」

「生きてたのか……」

「へぇ。あっしの主人は賢者様ではありやせんが、よくして頂いておりやす」


 奴隷を購入した際、登録の為に身分を偽ることは出来ずイブラヒムは名を明かしていた。それでマチルダが「陰険陰湿で有名な賢者の人体実験に買われていった」と、奴隷たちの間では噂になっていたらしい。


 怪我をした様子も、痩せた風でもない。それどころか立派な義足まで貰っている血色の良いマチルダを、かつての仲間たちは「本当にマチルダか?」と疑うように見上げる。


「ま、まぁ……良い暮らし、っていうのも変だが。アンタが、良いご主人様のところにいるみてぇでよかったよ」

「あんたにゃ色々よくして貰ったしな」

「俺等も良いご主人様に巡り合えるといいけどな~」


 奴隷たちは皆、マチルダが得たらしい幸運を喜んでくれる。一人一人、けして善人というわけではない。だが、誰にだって良心というものはあり、彼らにとって自分の中の善良さを働かせる対象になるだけの好感がマチルダにはあった。

 

 けれどマチルダがアグドニグルの王族の婚約者である姫君に仕え、給与を十分すぎる程頂き、衣食住も並の平民以上に良くして頂いていると知れば、彼らの善意は敵意になる。そのことをマチルダもわかっていて、彼らの祝福を笑顔で受けるのみに留めている。


 奴隷たちとの挨拶も終え、マチルダは支配人の元へ行く。ここの奴隷であった頃は気軽に会えることはなく、目を合わせるだけで鞭が飛んで来る相手であったが、支配人はマチルダの主人が誰であるのかを知っている。


「態々何の用だ?」


 お茶を出されもてなされる、ということこそないが、椅子に座ってよいと無言で許可される程度の扱いにはなり、支配人はマチルダの為に時間を作った。


「いえ、主人に……良い砂糖と、良い粉で……珍しい物を作らせて頂きやしたので。受け取って頂きたく……」

「……」

「ご主人様は冬の感謝祭に食べる物だとおっしゃっておりやした。魔法を使わず、長期保存が可能だとか。少し日をあけて、少しずつ召し上がって頂くと、徐々にうまみが増していき……おそらく、感謝祭に近付く楽しみを味わえる、という意味なのかもしれやせん」

「……なぜ私に持ってきた?」


 じろり、と口髭のある支配人はマチルダを睨んだ。良い主人だったわけではない支配人。ここの奴隷の半分以上はこの男を憎んでいる。その自覚は支配人にもあるのだ。


「へぇ。最初は仲間内で食べてしまおうと思いやしたが……折角の品ですし、あっしがお世話になって、贈り物が出来る相手、というのは旦那様くらいなもので。申し訳ありやせん。不快な思いをさせました」


 フランツ王国にも冬の感謝祭というのはあった。フランツ王国の、マチルダの生まれ育った街では乾燥させた枝を柔らかくして編み込んだ飾りを贈りあう習慣があった。誰かに何かを贈る、というのは、マチルダにとって、自分が人間らしく生きていた、まだ何の苦しみも世の中の醜さも知らない頃の、美しい思い出の一つだった。


 そういうことを、またできれば、もういつ死んでもいいと諦めていた泥の中で窒息するのを待っていた自分ではないと、そう思える。一種の自己満足だった。


「……フン!誰が不要だと言った!貴様の主人の関与している物なんだろう!拒否するなど不敬なことだ!」


 ふんぞり返ったまま、支配人はマチルダから顔を背ける。

 

 へらり、とマチルダは笑った。

 奴隷たちに嫌われ恨まれているこの支配人が、マチルダは嫌いではなかった。嫌われるべき存在だと思って、支配人がそのように振る舞っている事をわかっている。


 マチルダのような欠陥品が安く質の悪い使い潰しの道具としてどこぞの悪人に売りたたかれなかったこと、他では「買い手を探すのが難しく、維持費がかかる」と嫌がられがちな母子を疎まず引き取っていることなど、思い出せることは多くある。そもそもマチルダがこの奴隷市場でそれなりに、雑用係などできたのも、支配人の御目こぼしがあったからだ。


 丸い頭を丁寧に下げて、マチルダはお礼を言った。支配人はフン、とまた鼻を鳴らした。





「おい。マチルダには、会わせるんじゃないぞ」


 マチルダが帰ったあと、奴隷市場の支配人は気難しい顔を更に険しくさせて、部下たちに厳命した。


「はい、まぁ、それは。もちろんですが……」

「甥や姪の顔くらい見たいかもしれませんよ?」

「フン。当人にもう未練がないかつての親族の存在なんぞ、あえて知らせる必要はない」

「そんなものでしょうか」


 配下たちは呟きながらも、支配人のお達しは絶対である。

 支配人は少し前のことを思い出した。

 どこをどう辿ったのか、マチルダの「妹」「義理の弟」「甥」「姪」だという家族が支配人の元へやってきた。彼らは選択奴隷としてアグドニグルに入って来たのだが、目的は「マチルダの所為で自分たちは街を追われたのだから、マチルダが売れたのならその金は自分たちのものだ」と言い張った。


 支配人の管理するこの奴隷市場ではマチルダに対して好感を持つ者が多く、わけのわからないことを叫ぶ他国の奴隷家族の訴えなど「何言ってんだこいつら」「頭がおかしいのか」「マチルダさんには黙っておこうぜ」となるだけだったが、それでも彼らはしつこく支配人に「マチルダを売った金を返せ」と言ってきている。


 一応、選択奴隷は皇帝陛下の財産であるので傷つけることは出来ない。が、何事にも秩序は必要で、統制のため、躾のためのある程度の「所業」というのは黙認されているものだ。支配人は当然、それらの「程度」をよくよく心得ているし、なんなら罪に問われない方法も熟知している。支配人はけして善良な気の良い奴隷商人、ではない。

 

 なので喧しい「妹」と「義理の弟」とやらにはちょっとした労働と奉仕活動をさせている。他国から来たものだ。この国の水や習慣が合わずに風邪などひいて、そのまま死んでしまうこともあるだろうが、仕方のないこと。


 あんまりにも鬱陶しい連中だから、支配人はマチルダに会わせてやって、誰に買われたのか、現在の境遇が恵まれているのかを連中に突きつけてやろうかと思っていたけれど。


「……まぁ、良いわい」


 ちらり、と眺めるのはマチルダが持ってきたという贈り物。


 気の良い男であることは支配人も認めている。自分の境遇を嘆くわけではなく、ただ他人の役に立つことを喜びと出来る愚かな男。


 今の環境は恵まれているのだろう。あの男の美徳が曇らず、今も持ち続けていられる状況を支配人は思い返し、フン、と鼻を鳴らした。





しぶといな妹一家。さりげなく第二子も生まれてやがる。


自分の場合、買った方が安いし美味しいので毎年あちこちのシュトレン買っています。

あれ作れる人は上級者だと思います。つまりマチルダさんは上級者。

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2023年11月1日アーススタールナ様より「千夜千食物語2巻」発売となります
― 新着の感想 ―
マチルダにはずっと幸せで居て欲しい
シュトーレン美味しいですよね(*´ω`*) 私は中にマジパンが入ったタイプが好きです! マチルダさん幼い主人の元で幸せそうで良かったです。 そして妹夫婦ザマァ!!
[良い点] シュトレンは美味しくマチルダさんは幸せ。
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