*番外*鰐梨のグラタン風
それはヤシュバルさまが「珍しい物を頂いたのだが」と、やや困惑しながら新設された白梅宮にやってきたことから始まった。
「……何これ、食べ物?」
「……商人が言うには、果実の一種らしい」
テーブルの上に積まれた黒々としたブツを眺めるスィヤヴシュさんとヤシュバルさま。私が料理をするので、後見人であるヤシュバルさまの元には「白梅宮の姫君に」という名目で、ヤシュバルさまの機嫌を取ろうとあれこれあちこちの食材が献上される。
その中の一つである黒いブツ。お二人は「これが食べ物なのか」と首を傾げられているけれど、私はそれを見て「わぁ!」と声を上げた。
「えー!アボカドじゃないですか!あるんですねーこっち……ごほん、アグドニグルにも!」
「え、なに?あぼかど?」
「この鰐の皮のようなものを知っているのか?」
「美味しいですよー!」
「……そうなのか?」
え、なんですその反応。
眉を顰めるヤシュバルさま。どうも、私に渡す前に一応毒見というか、どんなものなのかと召し上がってみたらしい。果物だというのなら調理も不要だろうとご自身で皮をむかれ、まずその硬さに驚いたと言う。
「……食べて見たが、青臭く、硬すぎて、果実にはとても思えないが」
「この感じだとまだ熟してなさそうですもんね」
アボカド。和名で「鰐梨」と表記される、ごつごつとした硬い皮に、緑色の美しい果肉の果物。梨と言えば、瑞々しいしゃりしゃりとした食感の果物だが、こちらの鰐梨は熟したものならねっとりと、バターのような濃厚な食感。
私の前世である日本では、平成後期から輸入果実トップスリーに入っている程大人気だったが、それより前はマイナーな果物だった。
有名なイギリススパイ映画である007文庫シリーズにて、主人公スケコマシ……ではなかった、ジェームズボンド氏がレストランだかどこかで注文した料理が「鰐梨」で、当時の日本人は「鰐梨、なにそれ」と首を傾げたらしい。
流行り始めた頃も食べ方についてまだまだ認知がされておらず、プラスチックのようにピカピカと光り硬さのあるものを、こう、コリコリとサラダに入れて食べるものという誤解もあった程だ。
「もっと柔らかくなって、皮が皺皺になるくらいが食べごろなんですけど、このままでも食べる方法はありますよ」
「シェラ姫ってなんでも知ってるよね?なんで?」
「そういう祝福だと思うんですけど、細かい事はわからないので、頭のよさそうなイブラヒムさんに聞いてください」
スィヤヴシュさんの質問は最近口をきいてくれなくなった陰険眼鏡イブラヒムさんに振る。
「でもスィヤヴシュさんには私の不思議能力より、このアボカドの研究をして頂きたいところですね。このアボカド、確か森のバターと呼ばれるくらい、凄い良い感じの食材だったような……種も薬に使えたような……」
沢山食べると肥満防止になるとか、健康になるとか、そんな宣伝を思い出す。
「え、それ本当?こっちじゃあんまり見ない果物だけど……薬として用途があるならうちでも仕入れようかな」
ヤシュバルさまに献上したということは、ヤシュバルさまが気に入れば仕入れられるよう商人さんもルートを確保しているはずだとスィヤヴシュさんが言う。大人って色々考えてるんですね。
さて私はアボカドを三つ程頂き、とことこと食房へ。
「おや、これはお珍しい品で」
「雨々さんはご存知ですか?さすがと言いますかなんというか……」
昼食の仕込みをしていた雨々さんが私の持ってきたアボカドを見て細い目をさらに細める。
「南の方の果実でございますね。アーワカルトという名だったかと思いますが」
「調理方法はどんなものがあるんですか?」
「熟したものを潰して他の野菜と一緒に刻み、薄く焼いたパンのようなものに挟んで食べている、というのは聞いた事があります」
「ディップにするってことですか。成程。それも美味しいですよね」
「しかしこちらはまだ少々熟していないようですが」
片手にアボカドを持ち、雨々さんは「商人も日持ちするものを選んだのでしょう」と言った。
「熟していない、ということは、熟せばいいということです」
「……はい?」
私にとって、硬いアボカドはさしたる問題ではないのです。
アボカドさえ、ブツさえ手に入ればそれでいい。
「わーい、こってりしたものも食べたかったんですよねー!」
喜々として私はアボカドを切るために包丁を手に取ろうとして、食房の全員に一斉に止められた。
「姫君に刃物を持たせるなと第四皇子殿下に言われておりますので!!」
*
「え、なにこれ……美味しい」
「……」
スィヤヴシュは思わず口元を押さえ、ヤシュバルは無言で、箸をつけた料理を見つめた。
「……これが、あの果物?」
試しに自分で食べたことのあるヤシュバルの声の驚きは深い。
小一時間ほどしてシュヘラザードが「上手にできました~」と持ってきたのは、鰐の皮のような果物、を、半分に切っただけの料理だった。
「……柔らかいな」
「何かをかけて焼いたっていうのはわかるけど……果物、っていうか、本当にバターみたいだね?」
「アボカドのマヨ卵黄焼きです。美味しいですよね、わかります。七味とかかけて食べるとまたちょっとこう、変わります」
得意げにシュヘラザードは胸を張った。
硬いアボカドなら、加熱すれば柔らかくなる。
折角加熱するのなら、グラタン風に、とその考え。
アボカドを半分に切り、種を取る。種のない部分の空洞は、もはやそこに卵黄を落とし込むために存在しているとしか思えないほどジャストフィットする。
塩コショウ、マヨネーズにチーズを振って窯で焼けば、ねっとりこってり、焼きアボカドグラタンの出来上がりである。
簡単、美味しい、最高の一品だ。
欲を言えば、そこに生ハムを添えたいというのがシュヘラザードの希望だったが、残念なことに生ハムはなかった。
「どうぞ、こちらに七味が」
「あ、ほんとだ……ピリッとしたのがいい塩梅に……え、ちょっと……これ、冷やしたお酒が欲しいな」
「残念ですが、子どもが主のこの白梅宮にお酒はありません」
「そこで取り出しますのは、僕の魔法の鞄。そして、酒瓶」
すっと、スィヤヴシュさんがごくごく自然な仕草で鞄の中からお酒を取り出した。
……薬とか治療道具が入っている筈の鞄になんでお酒。
「いやぁ、シェラ姫のところに行くと美味しいものが食べれるし、そこにお酒があったらすごく幸せだよね」
「スィヤヴシュ」
「うっ、ごめんって、でもほら……こんなに美味しいもの……最高に美味しく頂けるようにしないのは逆に失礼じゃないかな」
「そういうものか……?」
ふむ、と考えるように首を傾げるヤシュバル。
シュヘラザードの料理をきちんと正しく食すべき、と言われてはヤシュバルはスィヤヴシュの言葉を無下にはできない。
ちらり、とシュヘラザードにヤシュバルが視線をやると、金色の瞳をぱちりとさせて、幼い姫は「うーん」と迷うように唸った。
「私はお酒は飲まないのでわかりませんが、お酒に合うものなら、お酒と一緒に食べて貰ってもいいと思います」
「ほら~!君だってお酒が嫌いなタチじゃないんだし!ほらほら~!」
「……一杯だけだぞ」
ぐいぐいと杯を押し付けるスィヤヴシュにヤシュバルは渋々頷いた。
「…………なるほど」
「うん!やっぱりお酒に合うねこれー!」
良く冷えた清酒に、このコクのある料理が良く合った。頷くヤシュバルと、上機嫌になるスィヤヴシュ。
「シュヘラ、これは体に良いものなのだろう。君ももっと食べなさい」
「半分も食べたら十分ですよー、あとお昼ごはんが入らなくなりますし」
「そうか。そうだな……」
シュヘラザードの言った健康面の影響についてヤシュバルはきちんと把握しておくべきだろうと、医学に詳しい第二皇子ニスリーンにもこの果物を持って行こうと頭の中で考えた。
そうして無事、第四皇子殿下のお気に召したということでアボカドを献上した商人は王宮御用達アボカドの印を頂くことになる。
翌日には皇帝陛下にも献上され、「アボカドと言えば刺身だな」と皇帝陛下にも大変評判が良く、ローアンではちょっとしたアボカドブームが起こった。
商人たちはこぞってアボカドを仕入れようとしたが、しかし、このアボカド、人間以外には強い毒性を持つことが第二皇子殿下によって明らかになる。
毒性があるのなら、扱える、そして口に出来るものは限られた商人、限られた人間、具体的には体の強い大人のみということになり、ローアンでは「貴族の食べ物」と、そういう扱いになるのだった。




