*番外*アグドニグルの皇后さま!
「…………え? アグドニグルの……皇后さま?」
絢爛なるローアンは朱金城。
三日後は一年で最も月が美しく輝く“黄金月日”で、お月見のお祭りがあるため、後宮内もバタバタと慌ただしい。
色々あって自分の宮を頂く事になった私ですが、建設が終わるまでヤシュバルさまのいらっしゃる紫陽花宮から、皇帝陛下の寝所のある瑠璃皇宮へ移住しております。
さて、六人の皇子殿下や皇帝陛下。皇子殿下たちの奥さんたちやそのお子さん、要するに王族の方々がそれぞれ持つ「宮」は朱金城のおおざっぱに「後宮」と呼ばれるエリアに建てられている。
たると、と呼ばれる長いトンネルのような物を通ってのみ、ぐるりと高い壁に囲まれたそのエリアへ中宮から後宮へ入ることができる。
前世で読んだ中華ものファンタジーのように「後宮は男児禁制!」という強い縛りは特にない。
そもそも男児禁制なのは、皇帝が男性だからで、アグドニグルの皇帝クシャナ陛下は女性だ。
しかし、皇子殿下や皇帝陛下は後宮からあちこち移動され、外に出ることが出来るけれど、基本的に後宮の女たちはここから出ることはない。
手続きをすれば出る事はそれほど難しくはない。が、女性たちは出る必要性を感じていないようで、後宮の中のみで生活を完結させている。
これは後宮に入るような身分の女性は、名家の出であるので、元々が家の外に出る習慣のない、邸の奥で大切に育てられそれに疑問を覚えることのなかった者たちだからだろう。
そうなると、後宮の女性社会。うっかり放っておくと、女のこってりとした感情の煮凝りのような場所になってしまう。
皇帝陛下は女性だが、六人の皇子殿下は男性。女の園で、何も起こらないわけがなく、実際のところ、私も軽くそれに巻き込まれたことが……何度かあった。
私が正式に後宮入りするのは宮が完成し、お披露目会を開いてからということになっているものの、ちょいとした……具体的には、第三皇子ツォルネルラ殿下の奥さんたちが、それはまぁ、ちょこちょこと、嫌がらせをしてきてくれやがるようになりまして。
春桃妃様の個人的なお茶会にお呼ばれした際に「あのケバい集団を池に突き落とした際にする言い訳を一緒に考えてください」と言ったら、兎の耳のふわふわとした春桃妃様は困ったように微笑まれた。
妊娠半年になった春桃様のお腹はぽこっと出てきたらしいけれど、元々沢山打掛やらなにやらを着ていらっしゃる方なので、ちょっとよくわからない。
「あまり酷いようでしたら、一度……皇后様にご相談した方がよいかもしれませんわね」
「…………え? 皇后さま? アグドニグルの……?」
「あら、御病気で、シェラ姫がいらっしゃる少し前から、公の場にはいらっしゃらなくなっていますから、お会いしたことがなかったのかしら……?」
「……アグドニグルに、皇后さま???」
お優しい方よ、と春桃妃様はおっしゃるが、私はちょっと……頭に入ってこない。
皇后さま、というのは、皇帝陛下の奥さん、ですよね?
後宮の主人でその方に後宮で困った事を相談するのは……まぁ、わかります。わかりますが……。
皇后さま。
「……男の人ですか?」
「まぁ、シェラさんったら、おかしなことをおっしゃるのね。皇后、というのは女性のことですよ」
「ですよねー」
あれ? なんで私が変なこと言った感じになるんだ???
「……陛下の奥さん?????」
*
「私の前の皇帝は男だったからな。皇后、この国で最も身分の高い「女」という役職はそう簡単に廃止するのもまずかろう」
その夜、いつものようにお料理を献上する為に陛下の元を訪れると、私は「奥さんいたんですか!?」と聞いてしまった。
この場は無礼講。女子会。何でもありと言えば何でもありで、例えば仕事を終えた後に気軽に入ったファミレス、のような感覚。
寛いだ格好の陛下は柔らかなクッションの上に体を横たえてのんびりと答えた。
「良家の娘にとって、後宮に入ることは一種のステータスであり、人気の職場。外交面でもファーストレディ同士でしか行えないこともある。ので、私が皇帝だろうと、後宮は必要だし、皇后もいないと困るだろ」
「確かに……」
たまたま生まれた時代が女性の皇帝だったばっかりに、本来なら後宮で身分の高い妃にまでのし上がれるかもしれない才能が埋もれてしまうのは勿体ない。
アグドニグルは女性でも家長となることはできるが、当然ながら家の長というのは一人きり。次女でも三女でも、また家長としての才覚はなくとも、後宮でなら発揮できる能力もあるだろうと、そういう野心的な女性は中々多いそうだ。
あと単純に後宮はこの国でファッションの最先端。
位付きの妃たちはそれぞれお抱えのデザイナーや商人を擁していて、お茶会や唄の会、様々な宮中行事がコーデバトル。家門と家業とその他色んな、利権や思惑なんやらを抱えつつ、その年の流行が作られる。
……それ、私もそのうち巻き込まれるんだろうか。
そういえば春桃妃様のところも、いつも呉服屋さんっぽい方が出入りしていたし、言われてみれば私は一度も、春桃妃様が同じ服を着ているところを見たことがないな。
……私も正式に宮を持ったら、コーデバトルで差をつけろ! とか、やることになるんだな。そっか。
「そう言えば陛下は画家さんとか、アーティスト関係の保護に力を入れていらっしゃるんでしたっけ」
以前イブラヒムさんがそんな話をしていた記憶がある。
「うむ。文化芸術が数多く花開く事は、国家としてこれ以上ない喜びであり、また国民の生活を豊かにする。奨励して過ぎる事はまずない」
「アグドニグルは軍事国家なので、軍人になることが一番だって思ってる人が多そうですけど」
「職業軍人として、自国への愛国心、国防の意識から軍人であらんとする心はあっぱれであるが。軍人とて公私がある。私にて、芸術に触れ心を癒し、また自らが想像することもあるだろう。戦いはあくまで国の為の仕事に過ぎぬ。生きるために行う仕事の他に、人には必要なものが多くあろう」
「陛下は変わっているって言われませんか?」
「支持率は良いぞ」
そうでしょうね、と私は相槌を打つ。
上に立つ人間が、兵士の私生活についてまで考慮されることが果たしてあるのだろうか? あったとしても、それを実際に配慮して「一人の兵士にも命があり、価値感があり、人生がある」と、しっかりと自覚してくれるものだろうか。
少なくとも、レンツェの王族にはそういう人はいなかっただろうと確信がある。
「で、話はそれたが。なんだ、シェラ姫。百夜に会いたいのか?」
「百夜?」
「皇后の名だ。白家の娘で、白皇后という。白家は百夜の三代前の家長が戦場でちょっとした武勲を立てて、下級貴族に取り立てられた家でな。だがまぁ、色々あって落ちぶれて、豪族の妾にと娘を差し出した。それが百夜だ」
それがどうして、今はアグドニグルの皇后陛下になったのか。私が話の続きをお願いすると、陛下はにやり、と笑った。
「シュヘラザード、そなたの名として、それでよいのか?」
「私は暴君に殺されたくなくてお伽噺を必死に紡いでるわけじゃないのですが……あぁ。なるほど」
私は陛下の言わんとすることを理解して頷いた。
陛下が私に求めるものは決まっている。
話の続きが聞きたければ、話したくなるような料理を持ってこい、ということだ。
*
「白皇后がどのような方か?」
「はい。えぇっと、ヤシュバルさまにとっては、お義母様に? えっと、で、あれ? 陛下のことを母上と呼ばれてましたし、えーっと、あれ?」
母親二人になるな。
いや、ヤシュバルさまだって実の御母上はいらっしゃるはずだし、母親が三人という状況に??
私が混乱しているとヤシュバルさまは落ち着かせるように一度頭を撫でてくださって、簡単に説明してくださる。
「皇后陛下は『皇后』という役職につかれているという考え方だ」
「皇后陛下は、普通皇子殿下の母上的立場では……?」
「……君にわかりやすくいうとだな……立場的には、太師や将軍といったものと同じだと考えていい」
「……??? つまり??」
「家族というより上司だな」
サバサバされてますね。
他の皇子殿下たちとのご関係もそうだが、アグドニグルの王族たち……あんまりファミリー感がない。
「白皇后陛下は長く陛下をお支えされ、後宮の妃たちの手本となるに相応しい賢女であらせられるが……このところ、病に臥せっておられるようだ」
「春桃妃様もおっしゃっていました。ご容体はあまり良くないのですか?」
「元々あまり体の強い方ではないから、季節の移り変わりに崩された体調が中々戻らないのだろうというのが宮中の考えだが……」
あとで知った話だが、上司だとさっぱり言われたわりにヤシュバルさまは皇后陛下に滋養の良いとされる食べ物や薬、体を温める為の軽い羽毛布団など数々の贈り物をされていたようだ。ヤシュバルさまなりにご心配だったのだろう。
「白皇后と言えば、そうだな。ご活躍は後宮内部のことや婦人としての行動からのものが多かったが……一つだけ、熱心に取り組んでいた政策があったな」
「と、言いますと?」
「これは本来皇后の仕事ではないと、発案当時はかなり文官たちの反感を買ったらしいのだが、飢饉対策だ」
「それは、とても良いことで、反対されることはないと思うんですけど……」
どうしてそれが反感を買うのかと私は首を傾げる。
「不作や不況、飢饉対策は国にとって重要な物で、常の課題でもある。白皇后が言わずとも、文官たちとて常に頭を悩ませてその年ごとに必要な手、数年先を見越した手をいくつも打ってきていた。それを皇后が自身の権力を使い、一つ強引にねじ込ませたのだから、彼らからすれば面目を潰された、あるいは自分たちの領域に本来関係のない者が入ってきたと感じたのだろう」
「タヒねばいいのにー(大人のメンツは大切ですものね)」
「うん……?」
「あ、いえ、なんでもありません」
いっけネ!
うっかり本音と建て前が逆になってしまったヨ!
けれど私を純粋無垢で可愛い保護対象だと信じてくださっているヤシュバルさまは聞き間違いか何かかと思ってくださったようだ。よし。
「それで、その飢饉対策ってどんなことをされたんです?」
「芋の栽培の義務化だ」
「いも」
飢饉対策。芋。
……ジャガイモか?
「いや、でも、この国……ないよな。ジャガイモ」
私の食卓に出た記憶はないし、あったら絶対にポテチにして陛下に献上してる。
「じゃがいも?」
首を傾げるヤシュバルさま。
うん。
ジャガイモもヤシュバルさまの口から聞くと可愛く感じますね。
「芽とか基本的に食べると毒の芋です」
「なぜそれを栽培していると思ったんだ……?」
「え……飢饉対策といえばジャガイモだと思ったので……」
「まさか、レンツェでは毒芋で食い扶持を減らすのか……?」
怖いよレンツェ。まぁもう滅んだけど。
ヤシュバルさまはレンツェならやりかねないと呟きながら、私を安心させるように「我が国ではそのような非道なことはしないし、君が大人になってレンツェに戻った時も、そんなことはさせない」とお約束してくださった。
うん。
ヤシュバルさまに蒟蒻栽培の件。内緒にしててよかった!
イブラヒムさんやスィヤヴシュさんも私が毒芋調理を喜々としてやったなんて言わないだろうし、毒性あることはずっと内緒にしとこ!
今後、なんかヤバそうなブツを扱う時はイブラヒムさんだけ巻き込もう!
「あ、それでヤシュバルさま。皇后陛下がお命じになったお芋ってどんなものなんです? でも、芋料理ってあんまり食卓に出た覚えがないような……」
里芋っぽいものを煮たやつとか、餅状にしたものなら出てくるが、数としてはそれほど多くはない。
皇后陛下が栽培を奨励して収穫量が増えているものなら、しょっちゅう出てきそうなものだが。
「当然でございます。芋というものは基本的に、平民の主食。または野戦食でございます。この紫陽花宮にて、そのような物を頻繁にお出しする必要はございません」
お茶を入れ替えに近付いてきたシーランが、やや憤慨したように答える。
「シェラ姫様の健やかなご成長と趣向を把握するために、数度お出ししたことはございますが、幸いシェラ姫様に好き嫌いはなく何でも召し上がられる方でいらっしゃいますので」
なるほど。好き嫌いが激しく、万が一芋しか食べたくないお年頃だったらという可能性も無きにしも非ず。
私はそう言えば色んな主食が出て来てたな、と最初の頃を思い出しつつ、首を傾げた。
「東芋?」
白皇后陛下が各地方に、とりわけ干ばつ地に植えるように半ば強制している芋の名らしい。やせた土地でもよく育ち、根が肥大して濃い紫色の皮に包まれ、中は真っ白だという。白い花を咲かせ、その茎まで煮て食べられるので確かに飢饉対策としてこれほど適した物はない、というのが、現在の評価だそうだ。
*
「東芋というものは、宮中じゃあまり好まれてはいませんね」
その日の夕方、私は仲良くなった料理人雨々(ウーウ)さんに東芋を仕入れて頂くようにお願いした。
以前は夜間の仕込み担当だった雨々さん。
彼曰く「雑用押し付け係」「下っ端料理人」「下級使用人」「本来姫様のお声がかかるような人間ではない」と大変ネガティブな発言をされているが、仕込みの速度と食材知識が豊富なので、引き抜きました。
マチルダさんはパン作り、小麦や窯の扱いには長けているけれど、調理全般に関しては私の補佐を十分に出来る程ではないし、朱金城内のことは朱金城に長く勤めていた人間でなければわからない。
と、いうことで、私がスカウトすると表面的には「拝命いたします」としずしずと神妙に受け入れ、物陰で「よっしゃぁあああ! 下剋上!」と、叫んでいらっしゃった雨々さんは、一足先に私付きの使用人となり、宮が完成した暁にはその食房の責任者となることが決まった。
「御入用とあれば直ぐにでもご用意できますが、姫君様のお作りになられる料理ということは、皇帝陛下へ、ということでございますよね。正直に申し上げまして、陛下のお口に合うかどうか……」
「それは、私が美味しく調理できないということでしょうか」
「いえ。シュヘラザード姫殿下の豊富な知識、多種多様な調理法におかれましては私も常々敬服致しますところにございますが……あえて東芋を用いられる必要があるのかと、具申いたします」
朱金城には他にもっと調理すべき食材が流れてくるし、皇帝の口に入るというのなら、当然それに値するだけの物であるべきだろう、という雨々さんのご意見。
もっともらしく言ってるが、この方の性格を私は知ってる。
『平民が食べる芋とか仕入れてもつまらないからヤダ』
である。
雨々さん。
野心溢れる下級士官の出のこの方。
食材オタクでもある。
ようは国の金で珍しい食材を集めて調理したいし、可能なら試行錯誤したい。そんな雨々さんにとって、千夜千食、皇帝陛下に色んなお料理を作る私の下で働くという環境はとても魅力的なものだったそう。
「東芋……その調理方法を、はたして雨々さんは……調べ尽くした、と言えるのですか?」
「……と、おっしゃいますと?」
「これまで、私が陛下にお出しした料理で、雨々さんが『知っていた』あるいは『想像はできた』ものは、いくつあるでしょう?」
「…………」
洋食って基本的に料理形態が異なるから想像できないよね!
私の言葉に雨々さんは沈黙した。が、少しの間の後、口を開く。
「東芋であれば、よく知っております。私も地方の生まれ。飢饉対策として、幼い頃から触れ続けた食材でございますので。あれは、煮るか、蒸すかという調理法で摂取可能な状態にできます。生食は腹痛を起こす為控えるべきでしょう」
水にさらしてアクを抜き、煮物にするなら崩れやすいので少量の水で芋が動かないように、弱火で煮る。また皮を付けたまま煮るのも有効。
蒸した場合は若干の甘味が出るので塩を加えると更に甘さが引き立つ。練って固めて表面を焼き上げて食べても良く、天日干しで乾燥させれば保存食にもなる。
あれこれ、と、知りうる限り、考えつく限りの調理法を連ねていく雨々さん。
……フッ。
「勝った!」
「何!?ま、まだ、何かあるというのですか!?姫君はまだ東芋を見たことすらないというのに!?」
「フハハハハ! 今の調理法や食材の特徴を聞いて、この私が何も想像できないと思うのですか!?」
「くっ、もしや……今のは私から情報を集めるためにわざと!?」
「今更気付いたところでもう遅いのですよ!!」
よいしょっと、私は自分用の木箱の上に乗って仁王立ちになる。
「聞いた感じどこからどう聞いてもサツマイモ! つまりはスィートポテト! かくなる上は、石焼き芋一択!! おやつに最適ですね! やった!」
「石焼き!? 姫君……!? まさかまた、未知なる調理方法を……!?」
「ふはははは! 調理に関しては、私はイブラヒムさんを凌ぐ才媛! さぁ雨々さん! 大人しく東芋を仕入れ……私の美技を目に焼き付けた方が人生楽しいですよ! メイビー!」
「くっ……調理人として……なんて抗えない誘惑……! 末恐ろしい姫君だ……!」
ちなみにこの私と雨々さんの茶番は調理場の隅で行われていて、マチルダさんや他二名の調理人さんたちはこの間にせっせと掃除や在庫チェック、パンの仕込みなんかをしている。あとわたあめはキャベツを食べている。
私の楽しそうな笑い声が響いていたので、カイ・ラシュもこのあと遊びに来たりもした。
*
「美味い物を食べれば、そなたもきっと良くなろう」
出会った頃と変わらぬ、美しい皇帝陛下はいつもと変わらぬ微笑みを浮かべて白皇后を見下ろしていた。
食が細くなったのは、何も病だけが理由ではない。
百夜はそっと鏡に映る自分の顔を見た。
あと数年で百を越える女にしては肌の皺は少なく、肉も垂れてはいない。だが、どこからどう見ても老女という、白い髪に青白い女がそこには映っていた。
十二の時に、親から金で売られ豪族の慰み者になる筈だった自分は、婚礼衣装のまま川に飛び込んだ。
今ならわかる。
酷い飢饉の年だった。いや、百夜が生まれる前から続く不作。
百夜が物心ついた時からの仕事は穴を掘る事。
掘って掘って掘って、埋める。
枯れ果てた大地は、まるで神の怒りでも買ったかのように一向に快復する兆しがなく、おぞましい数の犠牲者を呑み込んだ。
遠く離れた、豊かな土地の豪族に娘一人売って、救える命があるのなら。
貧しいが先祖が武功を立てて貴族になれた家。平民の生活の厳しさを良く知っている。
近隣の飢えた者が、時折近くまでやってきては引き返すのを、両親は気付いていた。
娘一人でも、遠くに逃がしてやれるのなら。
近くの村で、旅人が村人が墓を掘り返しているのを目撃した話を聞いた。
その旅人が、仲間を奪われ命からがら逃げてきた事も聞いた。
だが当時の百夜はそんなことは思いも寄らない幼い娘。
親に見捨てられた。売られたのだと、泣いて、悔しくて、恨んで、喚いて、川の中。
「臣妾を川より拾い上げられた際の陛下も、同じことをおっしゃいましたね」
「ずぶ濡れで震えていた痩せた小娘相手に他に何を言えばよかった? そなたは全く口を利かないし。なんか全体的に怒っていたし」
なにが駄目だったのか? と、当時を思い出すように目を伏せてから皇帝は首を傾げる。
川を流れ沈んでいく百夜を救い上げたのは、軍服姿の女性だった。
装飾品も豪華な着物も何もかも流されて下着となっていた百夜を見た軍人女性は、口減らしから自ら川に飛び込んだ娘なのだろうと思い込んで、百夜にあれこれと話しかけようとしたのだが、なぜ邪魔をしたのかと百夜は燃えるような目で睨むばかりだった。
「死のうとした者を邪魔すれば、それは憎まれましょう」
「でも、生きててよかっただろう?」
「……」
な? と、皇帝が微笑んだ。
けして……その後の人生が、良い事ばかりだったかといえば、そうでもない。
百夜はその軍人女性をまさかアグドニグルの皇帝だとは思わず、ただ階級の高そうな軍服を着ていたので「私を後宮に入れて」と迫った。後宮に入れば両親はもう手出しできず、後宮であれば飢える事はないと、そう考えての事。
「……そう言えば、陛下は……最近、第四皇子殿下に婚約者を決めたとか」
過去を思い出し続ける自分の思考を、百夜は振り払った。
臥せってからの百夜に負担をかけないようにという配慮か、それとももう皇后としての役目は果たせないだろうと見限ったのか、百夜が政治の相談を受けることはなくなった。
百夜の持つ宮、白蓮宮に皇帝が通うこともなくなった。
最も、お支えしなければならない時に、百夜は自身が床についてしまったことを、今でも深く後悔している。
「レンツェの王族だが、そなたがそんな事で反対するわけはないだろ?」
「臣妾は常に、陛下のお望みを叶える為にここにおります。陛下のお決めになられた事に、異を唱える事はございません」
「え、何か怒ってないか?」
「そのようなことはございません」
怒ってる人って絶対そう言う。と、クシャナは眉を寄せた。
拗ねたような仕草。
百夜は「怒っていませんよ」と、今度は少し、柔らかな声で言った。
「なら良いが」
「……」
自分の一挙一動を、きちんと気にかけてくれることに百夜は胸を躍らせた。
何十年とお傍にお仕えさせて頂いても、陛下が自分をきちんと尊重してくれていると感じられることは、百夜にとって喜びであった。
百夜はクシャナの側にいたかった。
有能であればお側に置いて貰えると気付いてからは、無学無教養の田舎の痩せた娘が血反吐を吐く程の努力をして、後宮での地位を築いた。
何度も男との結婚を薦められたことがある。
その度に、百夜は真面目な顔で聞いたものだ。
『……陛下は、臣妾がいなくて……後宮を御せるのですか?』
『うん。無理だな』
百夜は皇帝クシャナにとって最良の「皇后」であり続けた。
その自負が、未だ百夜の命の炎を消さずに燃やし続けてくれている。
「まぁ、これでも食べて機嫌を直せ。シェラ姫の今宵の献上品、そなたもきっと気に入ると思ってな。ここまで持って来させた」
「……」
皇帝が合図をすると、陛下の黒子達がそそくさと支度を始める。
「……なんです、これは……壺?」
「熱いので触れないようにせよ。壺の中に小石を敷き詰めてな、こう、密封して、加熱したのだ」
机の上に、その壺の中から取り出された物を見て百夜の表情は硬くなった。
「……東芋」
忌まわしい記憶の蘇る物だ。
白皇后と言えば、東芋を国中に植えさせた「芋皇后」というあだ名が流れた事もある。笑いたければ笑えと、百夜は気にもしなかった。それだけ必死だったのだ。
国中を襲った恐ろしい飢饉は百夜の脳裏に焼き付いた。
その二年後に、クシャナがどうやったのか、国中の土地を回復させ、再び作物がよく実る様になったものの、百夜はまたいつ、あの恐ろしい出来事が起こるか怯えていた。
だから国中に植えさせた。
不作でも、酷い土地でも、育ち地面の中で太くなる東芋。
甘味は僅かにあるが、うまいかと言えばどうしても肯定出来かねるもので、不作でもない土地になぜこんなものを植える必要があるのかと不満の声は多かった。
だが百夜はそれを黙らせた。
後宮に上がり位を得て、ふと故郷の家族に自分の今の姿を見せてやりたくなって。復讐心から、故郷に便りを届けさせたところ、故郷の家には誰もいなかった。
ただ、何か引きずられたような痕跡と、骨が竃の裏に捨てられていたと聞いた。
「皇帝陛下が口になさる食材ではございません。なぜこのような物を……」
「まぁ見ているがよい。作り方はシェラ姫より聞いていてな。まずこの東芋を半分に切る」
壺から出した東芋を横にして、皇帝は切り口が長くなるように半分に切った。
そしてそこに、牛酪を塗り込み、更にもったいないくらいの砂糖を表面にかける。
牛酪も砂糖も滋養強壮に良いが、これほどかけては食べにくいだろうに、昔から大雑把な方だと百夜は苦笑する。
しかしその量にも意味があったようだ。
「そしてこの表面を……火で炙るッ。百夜、危ないからそなたは下がっているように」
「は? 陛下、炙る……」
ささっと、黒子たちが百夜の前に立ち、壁を作る。
隙間から見えるのは、二つ持つ祝福の内の一つ、雷の祝福を発動させ瞳の色が紫に変わっているクシャナの姿だった。
バジバジッ、と、東芋の表面を火花が飛ぶ!
「ふふん。どうだ、百夜。私の能力があれば、これこのように、美味しそうなブリュレを作るのも造作もない事!」
その作業、焼き鏝で良かったのでは?と、冷静な百夜は思わなくもなかったが、派手な演出を好まれる方なので仕方ない。
見れば表面の砂糖が解けて硝子のように輝いている。やや焦げているのは陛下が加減を誤ったのか、それともそういう仕様なのか。
「更に! ここにシェラ姫がヤシュバルと共同制作したアイスクリームを添えてしまう……! おいおい、深夜に焼き芋のブリュレ、アイス載せとか……私が皇帝だから許される行為だな……!」
ササッと黒子が差し出す、何やら氷の魔法が込められた器の中の、白いものを陛下は芋の上にぽん、と載せられた。
「さぁ、一口目はそなたにやろう。この、ほっくほくの焼き芋に、パリパリとした表面、さらにひんやりとしたアイス……ハッ、蜂蜜を持て! 私は天才かもしれん」
何やら陛下が楽しそうである。
……百夜がこれまで、見たことのない楽し気なご様子だ。
シェラ。シュヘラザードという姫を、陛下はことのほか気に入られたご様子。
こんなことはこれまで一度もなかった。
いや、皇帝として必要な人材を気に入り、ご寵愛を向けられることはあった。皇帝陛下は存外情の厚い方で、懐にいれた者はとことん可愛がられる所はある。
だが、百夜は長年の付き合いから、シュヘラザード姫はそれらとは、全く違う「別格」の存在としてクシャナが傍に置いているのだと気付いた。
「……これは。まことに」
「美味であろう?」
毒見の意味も込めて、百夜は躊躇わずに口に含んだ。
……仄かな苦みは、焦がした砂糖の部分か。
口の中に広がるのは、熱い東芋の、ねっとりとした食感。牛酪や砂糖由来のものではない。芋独自の甘さだが、違和感を覚えた。あの東芋はこんなに甘い物ではなかったはずだ。
熱い口内は、同時に含んだ冷たい白いものに即座に冷やされる。
あいすと陛下が呼んだ物だ。まろやかな、それでいて爽やかな食べ物は東芋の濃い味をなめらかにしてくれた。
……これが、あの東芋か。
不味い不味いと、皆に嫌われた物か。
「東芋は、スィートポテトに似ていたが、味……糖質はまるで異なっていた。私も、正直に言えば、まともに食えるものではないと思っていたが、シェラ姫のこの調理法なら、このように美味しく食べる事が出来る」
「……」
仕組みとしては単純だそうだ。
密閉できる大鍋に小石を敷き詰めて、そこに芋を設置。加熱すると遠赤外線が放射されて、密閉空間の中反射し合って芋の表面をまんべんなく加熱する。
面白い事に、表面温度は二百度以上の高温になって皮や表面は水分を失いパリッパリになるのに対して、内部の温度は百度にも満たない。
「芋のでんぷんは六十度に達すると水分を吸収して糊化し、さらに分解酵素がでんぷんを加水加工して麦芽糖……甘くなるのだが、東芋はその性質が少し特殊で、その作用が倍の効果に……つまり、東芋は石焼き芋にすると、甘くて美味い、ということだな」
皇帝の説明を受けながら、百夜は自分のこれまでが……揺らぐ思いがした。
なぜ、この方法を……百年近く誰も発見できなかったのだ。
東芋は不味い物。
ただ、飢饉には強く、食べるものが無ければ命を繋ぐために齧りつくしかない。人にとって、忌み嫌われる存在だった。
それが、こうもあっさりと。
百夜の脳裏にあった、飢餓の恐怖。
人が人としての尊厳を保てなくなる恐ろしさ。
それらを関連付けていた東芋の味の全てが、一瞬で書き替えられた。
湧き上がってくるのは悔しさだ。
自分の掌を見る。
皺だらけで細い。老人の手。
このまま、ここで死ぬなど。
あまりにも。
「陛下、お願いがございます」
東芋のブリュレを半分ほど食べてから、百夜は居住まいを正した。
床についてあとは静かに死ぬだけだと決めていた女の、強い光の浮かんだ瞳を見て、クシャナは緩やかに口の端を釣り上げた。
*
アグドニグルは朱金城の、後宮。その朝は早い。夜明け前から下級女官たちは身支度を終えて各々の仕事に取り掛かる。街の人口100万人はくだらないローアンの人口密度と比例して、城で働く人間も多い。
仕える王族は皇帝陛下とそのご家族、と言葉にすればそれだけであるけれど、合計すれば百人以上はいる王族だ。粗相のないよう、万事滞りないようにと、気を引き締めてかかって大げさなことなど一つもない。
その後宮で朝、一番のイベントといえば“玻璃の間”での総触れだ。
美しい後宮内でも一際贅を尽くした大広間に、毎朝後宮の美しい女たちがその日一番、着飾って集う。
皇帝への挨拶をするためのイベントで、これは元々アグドニグルの皇帝は「男性」であった頃の習慣。この時、新しい宮女はそれとなく前の方の列で平伏し、顔を上げた際にその美貌が見初められ、その晩の皇宮へ呼ばれる、とかそういうもの。
当然のことながら、現在はそういうシンデレラストーリーは宮女たちの中では起こり得ず、ただの朝礼の場となっていると、そのように説明を受けた。
「面を上げよ」
朝からきちんと皇帝モードのクシャナ陛下の静かなお声が、静寂の支配する玻璃の間に響き渡る。
その声を合図に、最前列からゆっくりと平伏していた女性たちが顔を上げた。その練習でもしたのかと疑いたくなるほど、一糸乱れぬ完璧なシンクロ。
当然だが、前の列に行くほどに身分の高い女性、ということになる。
春桃妃様は第一皇子殿下の唯一のお妃様でいらっしゃるので、当然最前列の、中央。皇帝陛下から見て一番最初に目に入る最高のポジションだ。
少し前まではこの朝の総触れには春桃妃様の長子であるカイ・ラシュも参加していたのだけれど、先月八つになったカイ・ラシュは「男児」として扱われることになり、この「女性だけの朝の場」には参加できなくなる。
代わりに、カイ・ラシュは他の皇子殿下たちと同じく、文武、百官たちが集う政治の場で朝のご挨拶をするようになるそうな……がんばれ。
さて、それはさておき、私シェラもこの度、この朝の回に初参加です。
どこで?
最前列で?
いいえ。
皇帝陛下のお隣でッ!!
なんでだよ!!
「……」
顔を上げた女官の方々や、皇子殿下たちの妃、側室の方々の視線が私に集中する。
全く動じていないのは事前に私の参加を聞いていた春桃妃様くらいだ。
「かねてより」
皇帝陛下の御言葉は続く。私に向けられていた視線が即座に消えるのだから、陛下の御威光は凄まじい。
「第四皇子を婿とするレンツェの姫の教育を、誰に任せるべきか、それは余を悩ませる一つであった」
うん。嘘だと思う。
イブラヒムさんのハートブレイク騒動がなかったら、私の教育をイブラヒムさんにぶん投げるつもりだったの、私気付いてますからね……。
「しかし、何一つ思い煩うことなどなかったのだ。我が後宮には才色兼備の美徳を兼ね備えた貴婦人が多く集まり、それらを束ねる皇后がいる」
陛下が終わるや否や、一人の女性がゆっくりと、陛下や王族のみが通れる扉から現れた。
銀に輝く髪には黄金の髪飾り。
黄金の竜を刺繍した美しい装いの、老婦人だった。
え。
おばあちゃん?
皇后、と陛下が呼んだその女性。
私の前で立ち止まり、柔らかく微笑んだ。
「……?」
ぞわり、と、なぜか私は寒気がする。
なんだこの……敵意、じゃない。負の感情、でもない……例えるなら、そう。
学生時代に……校長先生とか、そういう、滅多に会わない、でも立場が上の人に会ってしまったような、そしてその人物がこちらをどういう人物か認識して視覚に故意に収めてきているような……。
蛇に睨まれた蛙!!
「臣妾の全てをこの姫君にお教えいたします」
それはもう見事に美しい、最敬礼をして陛下の前に傅いた皇后陛下……。
……待って!
何で!?
私の混乱と動揺を完全に無視して、皇帝陛下は満足気に頷かれた。
補足:皇帝歴史アレコレ
アグドニグルはある神の怒りを買って土地が呪われた事があります。
他国に「神の切り花」と呼ばれる存在するだけで神の祝福を周囲に齎す聖なる乙女がいたのですが、厄災にしかならないその乙女を苦渋の決断の末にクシャナは殺害しました。
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書籍化作業をしているのですが、特典SSもいくつか書き下すことになり
「イビラヒム様のプリン研究~ノイローゼで吐きそう~」
「ヤシュバル殿下、第三皇子に育児について指導を乞う~逆ギレしてくる義兄が何を怒っているのかわからない~」
「メリッサと神殿じーちゃんズ、本庁にお願いしに行く~限りなくゼロに近い経費~」
の、どれ書こうかな、と思っています。
あと先日、主要キャラのキャラデザを頂いたのですが、解釈完全一致過ぎて本当、頼む、買ってくれと思いました。皆やばいです。
「え、これ、先行公開できないの??嘘……マジで???なんで??」ってなりました。




