20、千夜一夜
「え!?」
「シュヘラザード様?!」
「レンツェの姫様!?」
「「「こんな時間になんで厨房に?!」」」
深夜、王宮の調理場に現れた私を、当然ながら厨房の人たちは困惑して迎えた。
「こんばんは!いい夜ですね!ちょっと場所と材料を提供してください!お願いします!」
私は勢いそのまま丁寧に頭を下げる。
すると、これでも皇帝陛下に扱いを「他国の王族」と認められた私であるので、厨房の人たちは慌てて私に頭を上げさせようとする。
「いや、あの、お止めください!事情は……え?あぁ……はい、なるほど、かしこまりました。皇帝陛下にお出しするお料理でございますか。はぁ」
進み出て私に近付いて来たのは糸目に黒髪の穏和そうな男性調理人さん。この場で一番立場が上なのだろう。私の突然の訪問について、私に少し遅れてやってきた陛下の黒子さんがサッと耳打ちすると、ゆっくりと頷いた。
「わたくし、この第七食房の夜間帯を預かっております、雨々(ウーウ)と申します」
「紫陽花宮のシュヘラザードです」
「はい、お噂はかねがね。――皇帝陛下より、姫様のお手伝いをするように、とのことでございます。尊き方のお手伝いができるなどこの上ない喜びでございます。どうぞ何なりとお申し付けくださいませ」
雨々さん、私に対しては慇懃というか、きちんと礼儀正しく、なんならニコニコと好意的な態度であるが、先ほど黒子さんの説明の最中に面倒くさそうな様子を見せたの、気付いてますからね。
「あの、お仕事の邪魔してごめんなさい」
「いえいえ、姫君は何もお気になさる必要はございませんよ。このくらいの時間はさほど忙しくはありません」
ちらりと調理場の様子を見てみると、今は仕込みのお時間なのだろう。日中大忙しの調理場を支えるのはこうしたメイン稼働時間以外の仕込みがどこまでできているかというのは、前世の食堂で働いていた私にも理解できる。
私が申し訳なさそうにすると雨々さんはにっこりと微笑む。この世のうさん臭さを集めて人の形にしたらこんな感じなんだろうな、という手本のような微笑みだが、少なくとも私に敵意や反感は抱いてなさそうなのでOKです。
雨々さんは他の調理場の人たちにいくつか指示を出して、あとは私の手伝いをしてくれる様子。
必要な物を、と言ってくれるので私が卵や牛乳、お砂糖が欲しいと言うと雨々さんは細い目を僅かに開いて首を傾げた。
「もしや、姫君がお作りになろうとされているのは、賢者様が研究されているという芙麟なるものでしょうか?」
「……なんですかそれ???」
「おや?確か……レンツェにて姫君が偉大なる皇帝陛下に献上された……この世のものとは思えぬほど美味なる一品、口の中でとろけ滑らかに喉を通り、食べた後には喉から夜鳴鳥のごとし美しい声が零れ、一口食べれば一年若返り、寿命がのびると言う……料理では?賢者イブラヒム様が熱心に研究されていて、料理のことですから、我々料理人たちにも噂が入ってくるのですよ」
「チョット何ノコトカワカラナイデスネー」
芙麟。ふりん。プ……うん。わかりませんね!うん!わからないな!
私は無関係です!ね!!
視線を逸らし否定する私に、雨々さんは深く頷いた。
「成程。えぇ、左様でしょう。左様でしょう。情報は安売りしてはなりません。私のような者に気安く知らせてはなりません」
ちょっと勘違いされている気はする。あれか。私が、レンツェの秘術を秘匿しているとか、雨々さんを信用していないから言わないとか、そういう解釈をされた。
まぁ、いいか……。
とにかく協力的な雨々さんに手伝ってもらい、私はレッツクッキングを開始することにした。
*
「と、いうわけで……っ、持ってきました!さぁ、陛下!やりましょう……!」
「ほう。何をだ?」
「女子会です!」
どん、と、私はぐっつぐつに熱した器の載った木製のお盆に、黒子さんたちが続々と持ってくる果物や生クリーム、ジャム、バターの入った小さな器。
ちょっとお酒の入ったアイスティー。硝子の杯の中にカットした氷がカラカラと互いにぶつかって綺麗な音を立てる。
雰囲気が出るように灯りはランプ。ふわふわなクッションをいくつも用意して頂いて、椅子ではなく絨毯の上に座って食べられるように料理を並べていく。
「じょしかい」
「作りましたのは、クレープ生地に、アイスはちょっと時間がなかったのでまたの機会に!クレープ詰め放題です!」
「……じょしかい」
目を丸くして、私に言われるがままに絨毯の上にあぐらをかいて座る陛下。黒子さんたちがきちんと陛下の側にクッションを置き、体が痛くないように支えるのはさすがです。
「さぁ陛下!どんなクレープがお好きですか!」
「……じょしかい。うーん……女子会、かぁ。なんでそうなる???」
ふわり、と、陛下は微笑まれた。
呆れているような、脱力しているようなご様子。
私はせっせと、クレープ生地を広げて、木苺のジャムを塗る、そこにチーズや果物を置いて包みながら、きっぱりと答えた。
「生産性のないことをするためです」
「生産性のないこと」
「陛下は頭の良い方で、ご自分の感情や行動が周囲にどう影響を与えるのか、きちんとお考えになられているのでしょう。だから、レンツェを憎み続けることを「無駄」だと割り切って、そこにご自分の時間や感情を割くことを「不要」だと判断されたんですよね」
「まぁ、そうなるな」
レンツェを憎み続けたくない、という陛下の言葉を私は思い出す。あれは別に、憎むことが辛いとか、憎むことをやめたいという嘆きではない。ただ無駄だからだ。そんなことより考えること、心を占めなければならないことが陛下には多くある。
リソースを割きたくない、ということで、その為に私を使って千夜千食の儀式が必要だった。対外だけではなくご自身を納得させるために。
「陛下はそうなさるでしょう。そうなさるとお決めになられたのなら、そうなるのでしょう。でも、私は嫌です」
千夜千食。
私の料理を使って、陛下は「よし、憎しみは消えました」「もう何も問題ありません」というお顔をされたい。の、だとしても。
どん、と、私はぐっつぐつに熱した器を陛下の前に置く。
これはクレープではなくて、パンプディング。
マチルダさんの作ったパンに、私が作ったプリン液を注いで焼いたプリンの派生形。
「私は、陛下に美味しくて可愛いものを食べながら、愚痴とか、あれこれ、お話を聞きたいです。えぇ、そうです。愚痴って欲しいんです。女子会ですから。男のひとが話すみたいに、会社とかで大人が話すみたいに、解決策とか方向性を求めた話し合いとかじゃなくて、ただ、埒もない話を、ぐだぐだと、して欲しいんです」
綺麗な絨毯の上で、お洒落なランプを囲んで、月明りに照らされて。七色の珍しい果物とか、可愛いプディングとか、美味しいクレープを詰めながら、冷たいアイスティーとか、ハーブティーを飲みながら、この世の憎悪を煮詰めたような愚痴を、陛下に言ってほしい。
「……死体の話とか出るぞ?」
「イチゴジャムは控えましょう!」
「胸糞悪いオチしか無い話になったり」
「ミントティーですっきりしましょう!」
「時系列とかバラバラだし」
「小説にするわけじゃないからOKです!」
「……話したところで、何の意味もないことばかりだが……」
「陛下」
まだぐだぐだと抜かしやがられる陛下の手を私は取った。
細くて白くて、女性らしい手だ。この手がレンツェの王族の首を次々と跳ねたし、このローアン、アグドニグルという巨大な国を治めていらっしゃる。
「そもそも料理なんて、胃に入れば皆一緒ですし、盛り付けとか、突き詰めれば無意味なことです」
「それ言っちゃうか……?」
「でも、楽しいです」
意味がないと切り捨てることの出来るものなど、実は殆どないんじゃないだろうか。
あれこれと意味を付けるのは人の価値感とか立ち位置で、料理はその最たるものだと私は思う。
「なので、全く生産性のない女子会をしても、愚痴り大会をしても、OKなんです」
私はただ、個人的に嫌なのだ。
陛下がご自分の感情を切り捨てて、ただ前に進むのが。
自己満足。陛下が良しとされていることを、掘り返す傲慢さ。そういうことを考えないわけじゃないけれど。
「……」
千夜千食、陛下は私に付き合ってくださる。私も陛下に付き合う。
ので、そこに、ただ料理を食べる以外のことを持ち込んだっていいじゃないか。
「話を聞きます。千夜。陛下のどんなお話でも、私は聞きます。うまい返しとか、言葉が出るわけじゃないですけど……でも、私は陛下の話し相手になりたいんです」
食べて愚痴って、夜を越えて。
何も変わらない翌朝を迎えるのなら、それは生産性がないから意味のない事、無駄な事と、切り捨ててしまうのかもしれなくても。
私が千夜千食を提案したのは元々はレンツェのため。
だけれど、レンツェの国民を救いたいと求めた心の根はエレンディラのもの。
「私が同郷だからか?」
「はい?」
「……なぜそこまで、私に関わろうとするのか。私が引いた線を越えてくる必要はないだろう?」
必要なラインは陛下が決めてくださっていて、私は陛下に猫かわいがりされていることだって出来た。そうすれば必要なものはなんでも与えられる。それをどうしてわかっていて、越えるのか。
「陛下が好きだからですが?」
私は途端、不思議な思いに駆られた。
鞭打たれても、利用されても、いっそ見捨てられても、私はこの人が好ましい。
レンツェが傷つけたからその罪悪感とか、私を庇護してくれる存在だからとか、権力者だから好意的に接した方がいいからとか、そういうのを度外視して。
「だって陛下、かっこいいじゃないですか」
エレンディラを虐め尽くしてきたレンツェの王族たちを、ご自身の力で蹂躙されたその姿。
阿鼻叫喚、血塗れの王の間だったけれど。
そこに君臨する赤い髪に軍服姿、剣を携えた長身の女性。
かっこよかった。
あの時の私の胸の内にあったのは、エレンディラを殺した兄姉たちへの憎悪。
幼い子供を見捨てた大人たちへの敵意。
それらを、どろどろとぐちゃぐちゃと身の内を巡り巡っていた感情を、陛下の堂々とした姿がかき消した。
「……かっこいい私が好きなのか?なのに愚痴ったら台無しじゃないか??」
「陛下が好きなんですが???」
不思議だった。
アグドニグルの人たちは、皆陛下のことが大好きだろう。陛下だって皆のことを大切に思っている。なのにどうして、陛下は、愛されたことのないエレンディラが、人に好かれることを不思議がるのはわかるとしても、どうして、陛下のように皆に愛されている、ご自身も愛情にあふれた方が、どうしてこんなに、自分が人に好かれることに疑問を感じているんだろう。
「うーん、うーん……あ、えーっと、そうですね。私はいわゆる……ギャップに弱いタイプなのかもしれません」
「ギャップ……?」
「普段凛としている陛下がちょっとカッコ悪い姿とか、近寄りがたい雰囲気の陛下がおっちょこちょいなことして可愛く見たりとか……そういうの?」
「私は普段から常に完全に完璧だが????」
「えっ?」
「え?」
驚かれるが……え、そうかなぁ……。
そうだった、かなぁ……。
陛下、割とお茶目な所あるような……。
真面目に皇帝陛下されている場面は多く見て来たけど……最近だと酒瓶片手にぐだぐだしてたりしたし……。
「……しかし、そうか。そなたは、私が好きだったのか……」
好かれているご自覚はあっただろうけれど、また少し意味合いが異なったのかもしれない。不思議そうに首を傾げつつ、陛下はアイスティーを口に含む。
「女子会、なぁ」
「お嫌ですか?」
「前世ではしたことがなかったから正直とても嬉しい」
したことないのか、女子会。
日本人だとは思うが、おいくつでお亡くなりになった方なのか。
あまり前世のことを聞くのはちょっとマナー的に良くないような気もして、私は質問はしない。私にとって陛下は陛下だし。
陛下は部屋を見渡す。
急ごしらえで整えられた、どこかアラビアンナイト風なお部屋。絨毯の上には銀のお盆。ちょこちょこと小鉢がその上に載っていて、果物やナッツ、ヨーグルトに生クリーム、ジャム、雨々さんが作ってくれた焼き菓子なんかも届いていた。
「うむ」
それらを見て、陛下はゆっくりと頷く。
「良いな」
「でしょう」
「しかし、何を話せばよいか直ぐには思い浮かばぬな」
「次はサイコロでも持って来ましょうか?ほらこう、お題を六面に記入して、転がして決めるの」
「そういう番組があったような……」
ありましたねー、と懐かしくなり私も頷く。
陛下は私の手元をじっと見ていた。
もしや、私がクレープを包むのを待っておられる……?
「陛下」
「うむ、私はチョコとか好きだが、今回はないので、そなたのおすすめで良いぞ?」
「クレープパーティーはご自分で包むんですが?」
「私皇帝なのに???」
いや、陛下がご自分で包んでくれないと、私はただクレープを包む係のひとになるじゃないか。
食べて愚痴って、クレープはご自分で作って欲しい。
「成程……」
「黒子さんたちにやって貰うのはちょっとどうかと思います」
「……」
傍らの黒子さんがサッと陛下の目くばせでクレープ生地に手を伸ばしたので、私は突っ込みを入れた。すごすご、と、黒子さんの手が引っ込む。
「……」
「……陛下」
「私がやってぐちゃぐちゃになったやつ食べるより、綺麗なクレープがいい」
「やる前から諦めたら試合終了だって安西先生も言ってたじゃないですか」
「そなた前世トーク解禁になったら遠慮なくぶっこんでくるな」
陛下も突っ込みを入れつつ、仕方ない、とクレープ生地に手を付けた。
「……私はな。餃子も包めない女なんだぞ」
「あれはまぁ、コツがいりますし……小さいですし……クレープは簡単ですよ。ほら、特にルールもありませんし、好きな物を載せればOKですよ」
私が説明すると、陛下は真顔になってトッピングの具を載せ始める。
テキパキと、出来たクレープは生クリームを詰め過ぎてパンパンだったし、食べようすると生地が破けてしまって散々だったけれど、「それみたことか!それみたことかー!」と、陛下は楽しそうだった。
そうして夜が更けていく。
お茶を飲んで、お菓子を食べて、陛下がぽつりぽつりと語ってくれる「愚痴」は、まだ些細なものばかりだった。
その日から、私は陛下の夜の話し相手として、毎晩陛下の寝所に招かれる事になった。
これで第一部終了です。
お付き合いありがとうございました。引き続き、第二部もよろしくお願いいたします。




