19、共犯者
深夜。
お祭り騒ぎ、その後の大事件、そしてお料理三昧と大変充実(?)した時間を終えて就寝時間。
私は紫陽花宮ではなくて、恐れ多くも皇帝陛下の寝所のある瑠璃皇宮にお泊りすることとなった。
このまま紫陽花宮に帰れなかったらどうしようか、という不安はあるけれど、疲れていた体はすぐさまふかふかの寝台で横になりたかったし、皇帝陛下のご厚意、ご提案を誰が拒否できるだろうか。
そんなわけで、休んでいました。数分前まで。
「……」
体は疲れている筈なのに、私はまだ日も昇らない内に目が覚めてしまった。
「……」
薄明りの部屋を見渡す。
皇帝陛下の寝所のある場所なので警護の人たちはきっとあちこちにいるのだろうけれど、この部屋の、少なくとも室内には誰もいないし、私が誰かの気配を感じることもない。
いや、気配、というか、誰かいると、気付くのは一つあった。
「……陛下?」
「うむ」
窓辺に誰か腰かけている。
月明りに照らされる紅蓮の髪を持つ女性は、少なくともこの宮殿内に一人しかいない筈だ。
私が瞼を擦りながら呼ぶと、皇帝陛下は軽く頷いた。
「……」
「……」
「眠れないのですか?」
「そなたに会いに来たとわかっているのに、問うのは私の健康状態を心配してくれているのか?それとも朝に出直せということか?」
軽口である。
私は寝台からトン、と降りて陛下の方へ近づいた。
窓辺には小さな机があり、椅子もある。けれど陛下は窓枠に腰かけられていて、開けっ放しになった窓からは心地よい風が入ってくる。
私が椅子に腰かけると、陛下はふわり、と私の頭を撫でた。
「そなたには苦労をかけたな。宮を渡すのは私のせめての償いと思うがよい」
お優しいお声。
手つきもどこまでも、柔らかく優しい。
私は今日自分の身に起きたことや、これまでのことを振り返った。
そしてどうして、陛下が今ここにいらっしゃったのかも、考える。
「陛下は」
「うん?」
「私が絶対に、陛下を嫌ったりしないって、疑ったりしないって、思っていらっしゃいますよね」
失言、ではない自信が私にはあった。
こういう話がしたくて、陛下はいらっしゃったのだから、私のこの話題選びは正しい。
私の頭を撫でている手を引っ込めて、皇帝陛下は目を細める。口元にはいつも浮かんでいるような、この世の中を面白がっている笑みは浮かんでいない。
「違うのか?」
長い沈黙があった。
月明りが作る影の位置が、私の言葉と陛下の言葉の間に変わるくらいの時間は黙して、陛下は口を開く。
「違わないです」
「で、あろうな」
「あれだけ散々、転生者アピールされたら、無理でしょう。嫌うの」
「ハハッ」
私がはっきりとした物言いをすると、陛下は短く笑った。
同郷意識、とでもいうのか。
お互いにそれを「わかっている」と自覚すると、どうも、油断しきってしまう。
「いつからそうだとわかった?」
「ヒントは常々陛下がくださっていましたけど、実はプリンを召し上がられたご様子を聞いた時から、あ、陛下って同じ転生者じゃない?って思ってました」
私はその場にいなかったが、イブラヒムさんがプリンをナイフで切り分けて召し上がったのに、陛下はスプーンですくって召し上がった、と、そう教えて貰った。イブラヒムさんから。
プリンに対して並々ならぬお気持ちをお持ちのイブラヒムさんが「もしやプリンの正しい食べ方は」と私が神殿に滞在中に聞いて来たので、その際の雑談で、だ。
「それは少し、予想外だったな」
答えると皇帝陛下は首を傾げた。
「しかし、なるほど、そうか」
「陛下は常々、私にヒントをくださっていました。目的は、陛下は私と「同じ」だと気付いて、親しみを感じる事。実際、陛下がそうなのでしょう」
レンツェが陛下にしたことを振り返ると、いくら幼子だから見逃すとしても、今の私の待遇はあまりに過ぎたものだ。
簡単に言えば周囲にはっきりとわかるほどの特別扱い。
こうして陛下の居住区に、レンツェの王族が足を踏み入れるなど、いや、王族でなくとも、ただの子供が入り込めるなど、ありえない。
私をただ利用したいだけなら、ここまでしなくてもいいはずだ。
そして、私にそれを自覚させたうえで、陛下は私をどうしたいのか。
『あ、もしかして一緒?』と自覚した時に、私の中にはある変化があった。
たとえば、血の繋がりがあるから、家族だからと、相手の欠点を「まぁ、しょうがない」と受け入れてしまえたり、ただの知人であれば縁を切るような相手でも「家族だからな」と、なんだかんだと面倒を見てしまったり、付き合ったりしてしまうような、そんな「情」あるいは「慣れ合い」。
そんな感情が、湧き上がってくる。
転生者と転生者であるから、そう感じるのか。どうしようもないほど、不思議なほどに湧き上がる。
私はただでさえ、この世界での肉親への情が薄く、だからこそ「同じ」である陛下へのこの妙な情が、たまらなかった。
そして、私が「そうなる」と理解した上で、あれこれと私にヒントを出し続けた皇帝陛下を、客観的に「怖い」とも思う。
陛下も私と同じように私に対して「情」を抱いてくださっているだろうに、陛下は私を利用して、必要なら切り捨てられる。
「……」
私はじっと、陛下を見つめた。
「陛下が私を使って何をなさりたいのか、わかっているつもりです」
別に、このまま陛下に良いように扱われたって、私は構わなかった。
利用されている自覚を持たせてくださるだけ陛下はお優しいとさえ思っていた。
「陛下は、今でもまだレンツェが憎くてたまらないのでしょう」
「…………」
「征服して、蹂躙して、何もかも奪われて、踏み躙られて、それでも陛下はまだ、何もかもを憎んでいらっしゃる」
私だけは、陛下にそれを指摘してはいけなかった。
レンツェの王族であるエレンディラが、どの口で言うのかと、絶対に、指摘してはならないことだった。
だけれど、陛下は、私が同郷者だから。
私が同じ転生者だから、私が指摘しても、それは陛下の身を突き刺す刃とは感じない。
「…………だから、必要だったのでしょう。周囲に対して、あるいは、ご自身に対しての、一種の儀式のようなもの。対外的には私が、レンツェの王族である私が陛下に「許され」るための千夜千食。これで禊は終了したと、そう周囲への説得。……内面的には、」
「そなたが許せというのなら、私は許せるはずなんだ」
この世界で、祝福者が憎しみを持つことの危険性を私は肌で感じた。
あの妙な空間で、押し潰されそうになった、憎悪や憎しみ、負の感情。そうしたものを持ち続けると、きっと祝福者は堕ちてしまうのかもしれない。
陛下はそれを御存知だ。
憎み続けないためにレンツェを滅ぼして、それでも憎悪は消えなかった。
だから許すための儀式が、形式が、説得力が、必要だった。そうして選ばれたのが私、エレンディラで、そしてシュヘラザード。
「許したくなどはない。が、憎み続けたくもない」
憎まないためにレンツェを滅ぼしたが意味がなかった。
だから、私の提案を受け入れてくださったのだ。
もうレンツェをどうしようと意味がないから、私がレンツェの国民の命乞いをしても、陛下は受け入れてくださった。
淡々と話される陛下の瑠璃色の瞳は煌々と燃えるように輝いている。
私に何もかも理解させて、その上で、私が大人しく利用されるだろうと思っていらっしゃる。
実際私に、損はない。
私の身の上としてはこれ以上ない待遇が結果的に約束される。
けれど。
「私は、可哀想な被害者にはなりませんよ」
ぐいっと、私は陛下の腕を掴む。
ただ黙って、利用されていると知りながら受け入れる従順さ。そうあれば陛下は私を利用した加害者になる。陛下はそれでいいと思っている。私の何もかもを顧みない、ただ報酬だけは与える無遠慮さを貫いて、私をただ、巻き込まれただけの被害者にしかさせないおつもり。
「私は陛下の共犯者です。陛下に、レンツェを許せと、求めた加害者です。千夜千食は陛下の為のものではなくて、私の為のものでもあったはずです。私の料理は……」
言って、私はそこでぱたりと言葉を止めた。
「……待っててください!」
部屋を飛び出す。
陛下が私の名を呼んだのは聞こえた。けれど私は走って、走って、わたあめを呼んで、道案内をお願いする。
たどり着いたのは深夜の調理場。
明け方までまだ時間があるけれど、既に調理人の人たちは仕込みなどを始めていて灯りがついている。
そこに飛び込んできた幼女、私。
「すいません!ちょっと、料理させてください!!」




