15、アブラオオメニンニクマシマシローストビーフラーメン
アグドニグルは醤油の種類が多い。
確か前世知識によれば、上海などは醤油文化が盛んで味付けの基本は醤油。「味をつけるための醤油」と「色を付けるための醤油」の二種類を同じ料理に一度に使用する程、多種多様な醤油があった、と思い出してみる。
中華ファンタジーあふれるこのアグドニグルもそうした文化なのか、例えばシーランに「お醤油が欲しい」とお願いすると「簡単に集めましたけど……」と十五種類程のお醤油が用意して貰える。
そういうアグドニグルにて、さぁ、それでは私が作るラーメンは醤油ベースだ。
*
カイ・ラシュは調理場をちょこまかと動き回るシュヘラから目を離さないようにじっと、その場に待機した。
聖女とその婚約者の醜聞、そこから祝福者の黒化。表向きにはどう発表されるのかカイ・ラシュは知らないが、あの場にいた全ての人間の口を封じるのは難しく、レンツェの姫であるシュヘラザードが黒化したという噂はすぐに広まってしまうだろう。
そしてそこから生還した彼女を国がどう扱うか。
(……)
カイ・ラシュはヤシュバルを信じていた。
自分とは違う大人で、成人した男性で、一族の為に生き、皇帝陛下の信頼が最も厚い皇子であるヤシュバルがシュヘラの後見人だと知った時は「そうか、そうだよな」と納得した。
レンツェで虐待されていたシュヘラを救い出し王位につけるように皇帝陛下に直訴したという噂も聞き、なんて立派な行動なのだろうと尊敬しもした。
(だというのに、ヤシュバル叔父上はシュヘラを殺そうとした)
黒化したから。
もとには戻せないから。
国にとって不利益であるから。
シェラの首を落とそうとした時のことをカイ・ラシュは忘れない。
どういうわけかシェラは生還してくれたけれど、それはあの場の誰かが彼女のために何かした結果ではない。ただの偶然。あるいは奇跡。女神メリッサは否定したけれど、そうした類のものだ。
あの場の大人の誰もがシュヘラを助けようとはしなかった。
その事がカイ・ラシュには悍ましい。
(いつものように笑っているお婆様も、シェラが火を使うのを心配そうにしている叔父上も……何もかも、嘘っぱちだ)
シュへラには言えない。知れば悲しむだろう。あれだけ皇帝陛下やヤシュバルを信頼し好意を寄せているシュヘラだ。二人が自分を見捨てたなど知れば、傷付くだろう。
「……僕が、なんとかしないと」
深く頷き、カイ・ラシュは自分が何をするべきか頭の中で必死に考えた。
*
「おいしい~、あ、あたし女神なのに~……!うぅ~、牛さん鳥さんごめんなさい~おいしいーーー!」
ずるずると、泣きながら麺を啜るメリッサ。
三時間程して、健康診断と調理のどちらも終えたシュヘラザードが「ラーメンできました!」とニッコニコで戻ってきた。
まだ事件現場の作業が続く野外に簡単な長椅子とテーブルを配置して、そこに座るのは皇帝陛下に第四皇子、それに第一皇子の御嫡男。そして女神メリッサ。
どういう組み合わせかと、ちらちら周囲の視線を集めるが、それを気にする者はその場にいない
「基本は醤油ベースにシュマルツ(動物性脂肪で作った油)とおろしニンニクをたっぷり入れました!ガリガリに砕いた白ごまも入れて、チャーシューは作ってる時間がなかったので、陛下に献上されてた美味しそうなお高い牛肉でローストビーフを作りました!半熟卵と葱、もやしたっぷりのトッピングです!美味しいですね!」
ヤシュバルの隣にちょこんと腰かけて、メリッサと同じように麺を啜り解説をするシュヘラザード。
「うーん。いいなぁ、これ。良いなぁ!黒醤油を使ったか!真っ黒だな!明日の予定を一切シカトしたこのニンニクの量……!明日の謁見どうしようかな!美味いなぁ!」
一つ一つの食材についてきちんと丁寧に把握しながら、豪快に麺を啜る皇帝陛下。その姿は全く違和感がない。
「麺は真珠麺か?」
「あ、はい。色が白いことから真珠と言われる麺だそうで……味は普通の麺なんですけど、色が綺麗だから採用しました。あとこのスープは太麺が合うかと思いまして」
「成程、良いな」
「ヤシュバルさまはどうですか?お口に合いますか?」
無言で静かに食を進めるヤシュバルにシュヘラザードが声をかける。
「……実に合理的な食べ物だ」
ラーメンというものはどうしたって麺を啜る時に音が出るし、そういう食べ物だ。だというのに無音。いっそ優雅とさえいえる様子でラーメンを食している男は口元を布で拭い、箸を置いた。
「……ご、合理的」
「北方では寒さ対策の一環として豚脂や牛脂を湯で溶いたものを飲むのだが、これは温かな料理として提供可能で、その他の野菜も共に摂ることができる」
「な、成程……成人病まっしぐらなラーメンも……過酷な環境では貴重な高カロリー料理に……確かに、麺とスープがあれば作れますからね……スープも凍らせて長期保存できますし、または粉末状にして持ち運びできるようにすればインスタントにも……」
あれこれとシュヘラザードが話すのをヤシュバルは真面目な顔で聞いて頷いた。
「北方は以前の私の管轄地だ。この料理が採用出来ないか、現管理者に進言してみよう」
「作り方はマチルダさんと一緒にやりましたのでマチルダさんに聞いて頂ければわかりやすく説明してくださると思います」
そこからは仕事になるのでヤシュバルは後で考えることにしようと、再びラーメンに箸をつける。
「あら、ねぇ、あんたお肉食べれないんじゃなかったっけ?」
女神メリッサは自分の隣に座る少年、カイ・ラシュが無言でバクバクと、別の皿に載せられたローストビーフを食べているのに驚いた。女神の目で見てみれば兎と狼の混血児。兎の牙を持っているので肉食は得意でなさそうなのに、肉を食べている。
「……僕はシェラの作った物なら食べられるんだ」
「ふーん、そう」
「……」
「あんたバカねぇ。今更そんなに急いで食べたって、急に大人になんかなれないわよぉ」
「……別に、そういうわけじゃないし、わかってる」
「あら、そう」
オホホ、とメリッサは笑った。神が小さな人の子を嗤う意地の悪さが少しあったが、悪意はない。
ぼそり、と小声で。それこそ女神の力を使いカイ・ラシュにしか聞こえないようにして、メリッサは囁いた。
「バカねぇ。何でもない風にしてなさいよ。いっそ何もなかった。ただちょっと、面倒事があった、程度の顔をして堂々としてなさいよ。その為に、クシャナや氷の皇子はこうして外でわざと、皆の前で食べてるのよ」
直ぐに噂になるだろうレンツェの姫の黒化の事。噂は止められないだろう。だが、この場にいる多くの目が「え?レンツェの姫?あぁ、なんか、騒動があったらしいが、その後陛下たちと普通に食事してたぞ?」と、証言される。流れた噂は、「じゃあ何かの見間違いか」とそう消える。
「……」
「…………」
沈黙するカイ・ラシュの皿にメリッサはローストビーフを一枚載せてやった。
「ほらこれ。女神たるこのあたしからの一枚よ。有り難く食べなさいよ」
別段何かの祝福があってのものでもない。ただの肉料理のひと切れ。ただ美味しいものだとメリッサが認めて、出来れば全部自分で食べてしまいたかった。
牛には申し訳ないが、とても美味しい一品。
牛の肉の塊を油で表面をじっくり焼いて焦げ目をつけてあとはどういうわけか、生ではないがそれに近い状態を維持していた。
「ローストビーフって言うんですって」
噛むと柔らかい。ラーメンのスープ、麺と一緒に食べても美味しいし、一枚だけでもしっかり味が付けられているのか美味しい。
肉だけではなく、器の中の沢山の野菜が脂っこさを解消してくれていて、実に調和がとれている。
別に女神が肉食をしてはいけないという決まりはないが、メリッサは「美味しく食べれてごめんなさい」と言いながらもりもりと食べる。
自分の管轄ではないけれど、シュヘラの料理。これは、きっと危険だなぁとそのように思いながら。
「人間って欲深いものねぇ。美味しく食べられる物は、利用されちゃうわ。分け合うことが出来ればいいけど、奪い合うのが人間だもねぇ」
ズズズズと、スープを飲み干して、女神メリッサは器をトン、とテーブルの上に置く。
見ればクシャナが「この場の者たちにも振る舞うように」とラーメンを宮廷料理人たちに大量に作らせて食べられるよう手配をしていた。
皇帝陛下の御心遣い。
良い物を、民に分ける事、は、クシャナは出来るだろう。
(……)
続いてメリッサはヤシュバル皇子を見た。何を考えているのかわからない氷の皇子。
あの時、あの場で叫んだ言葉をメリッサは思い返す。
自身を呪えとそう言った。その意味を理解した上で言っていたのか、それともただ思いつきか。
ただ、あの時はメリッサに覚悟がなく、ヤシュバルを呪う前に上空にシュヘラの気配がしたのでそれっきりとなったけれど。
「あ、メリッサ。もう一杯食べます?」
「ちょっと考え中!でも、そうねぇ、いけると思うんだけど、どうかしら?」
「少し時間をくれたらチャーハンとか作ってきますけど」
「何それ」
「お米料理です」
「あ、それ私も食べたい」
はーい、とラーメンを完食した皇帝陛下が挙手した。
「あと何か足りないと思っていたんだ……やはり、ラーメンを食べたらチャーハンも食べないとな……いっぱい動いたから腹も減るわけだ」
「あ、じゃあ急いで作ってきますね」
席から立ち上がるシュヘラザードに、ヤシュバルが続いた。当然のように自分も行くという男。
「ぼ、僕も行きます!」
「え、カイ・ラシュも?」
「手伝うよ!料理を作るなら……僕だって手伝えるだろ!」
「まぁ、人手は多い方がいいですけど……」
王族であるカイ・ラシュが厨房に入っていいのかとシュヘラが首を傾げる。
「叔父上だって王族じゃないか」
「それはそうなんですけど???」
「私も行こうかな」
「え、陛下」
はい、と皇帝陛下が挙手した。
それぞれ食べた器を手に持って、厨房へ。
兵士達のためにラーメンを作り始めた厨房は大賑わいで、そこに皇帝や皇子たちが現れたのだから、一時騒然とする。
皇帝はそれを「良い良い、続けよ」と笑ってやり過ごして、厨房の一か所を使わせてほしいと申し出る。当然それを拒否する者はおらず、作業中の厨房職員たちに遠巻きにされながら、一行は手洗いうがい、身なりを整えて再度集まった。
「それではー、第一回、チャーハン選手権を始めたいと思いますー」
木箱の上に腰かけて、酒瓶を片手に皇帝陛下が宣言する。
何がどうしてそうなるのかわからないが、ひとまず一同は黙って聞いた。
「ルールは簡単。シェラ姫の指導の元、美味しいチャーハンを作って貰う。そして一番おいしかった者の宮に暫くシェラ姫を滞在させる」
「ただの夜食がとんでもないことに」
勝手に自分の今後を決められそうになっているシュヘラが思わず突っ込みを入れた。何がどうしてそうなるのかわかったが、そういうことじゃない。
確かに先ほどカイ・ラシュがヤシュバルの元からシュヘラを引き離したいという旨の訴えがあった。それを皇帝は無碍にはせず機会を与える、ということだろう。
「はいはーい、ねぇ、じゃあそれ、女神たるあたしも参加させなさいよー!あたしが勝ったらシェラを貰うわよー!神殿に連れて帰るわよぉ!」
無理矢理ではなく皇帝のお墨付きが頂けるチャンスならとメリッサも参戦を表明した。力関係が完全に皇帝>女神だが今更である。
「我が国の皇子たちに勝てるものなら良し。ルドヴィカの女神に負けるような軟弱な皇子はいないと信じておるぞ」
ぐびっと、酒瓶に口をつけて飲みながら皇帝は頷いた。完全に「本日の皇帝業務は終了。今はのんだくれでいたい」という姿勢だが、言動はきちんと皇帝陛下である。
さて、そういうわけで、どういうわけか、ここに第一回、シュヘラザード杯INチャーハン王選手権が開催されるのだった。




