11、土足で荒らしても
体が焼けるように熱かった。
ぐずぐず、ヒリヒリと肌から指の先から火で焙られて、体の脂が燃えてどんどんと体中を這い巡って燃えていくような、そして焼けた皮膚が肉の中に潜り込んで骨に触れていこうとするような執念深さ。
一昔前の、いや、前世の、国を代表する世界的アニメーションで、山犬に育てられた少女が祟りを受けて呑み込まれて染まって行くのは、こんな感じだったのかと思うような。
強制的に憎悪と恐怖をたっぷりと流し込まれて、頭の中でガンガンと怒鳴られる。
『憎いだろう』
『辛いだろう』
『恨んでいるだろう』
そして呼び起こされるのは冬の池の突き刺すような冷たさ。
理不尽に投げつけられる血の繋がった兄姉たちからの罵声と罵倒と暴力。
身の内から泥のような感情を引きずり出そうと、僅かでも引火させようと……大変必死な感じですね……!
(めっちゃ痛い~)
体中の痛みや違和感、這いまわる何もかもを私はわりとぼんやりとのんびりと、俯瞰していた。
やりたいことはわかる。
なんだか知らないが、大変居心地の悪い空間。肉体そのままがあるのかそれとも精神だけなのか、この状況が私の夢の中なのか妄想なのか、それはわからないけれど、一体この場で自分が「何をされようと」しているのかは、まぁ、わかった。
頭の中に呼び起こされるのはエレンディラの幼い頃の境遇。
恐ろしかっただろう。
怖かっただろう。
苦しかっただろう。
何もかも憎んでいいのだと、そのように囁かれるような、まぁ、そんな……つまりは、私は薪で周囲にある火が一緒になろうと大変熱烈な申し出をしてきてくださっているらしい。
「今更」
ハッ、と、思わず笑い飛ばしてしまった。
声は出るようだ。
「前提として、私は確かに……小さな子供が周囲に理不尽な目にあわされて虐待されていたら、怒りますし憎悪をみなぎらせます。それは、えぇ。間違いではありません」
レンツェで前世の記憶を思い出した時に、確かに親族皆死んでくれと憎んだし恨んだし、不幸を願って大変アグレッシブに動きたくなっていた。
「ただ、その清算は既にされています」
生き残った兄上もいらっしゃるようだが、しかし、大元の父親や大半の兄上姉上、その他御親族の方々はクシャナ皇帝陛下とアグドニグルによって粛清された。
私に囁く泥が、私に鞭の痛みを思い出させた。
なら、これはどうだ。憎いだろう、と。
あの手この手で、中々大変、あきらめの悪い事である。
「私は自分に向けられる悪意や敵意、暴力に関しては……何かしらのマイナスな感情を抱くのがちょっと……それほど自分に関心がないので、難しいですね~」
アハッハハ、と朗らかに笑うと、明らかに泥が動揺した。
え、なにこのこ。
おかしい、こわ。
と、いうようなアテレコが付けられそうである。
「なんです、人のことを異常者みたいに……。冷静に考えて単純ですよ。エレンディラの不幸に関しては既に清算済みです。これ以上どうすることもできません。次に向かい合うべきは幸せになることで、それに関しては……ヤシュバルさまが助けてくださいます。ので、問題ないですし、私が尽力すべきは前に向かって歩くこと。憎んだり恨んだり、そういう後ろ向きなことをしている暇はちょっと、ないですね~」
そもそも、エレンディラを「他人」と見たうえで彼女を襲った不幸に関し湧き上がる強い心はあるが、これを「私が受けた事」と思えば、先述の通り、私は自分自身に向けられた攻撃に関しては興味がない。
「ので、大変申し訳ないのですが、この状況……どうにかこうにかキャンプファイアーでも起こそうとしていることは理解しますけれど……私を薪にするのは無理ですね。池に落ちただけに、燃えない薪になってしまっていまして……!」
あはっははは、と、この場を和ませ(?)ようと笑うが、だからといってハイソウデスカと、すぐにここから出して貰える感じではなかった。
「ぐぅっ……!」
泥が私の口や耳やら、鼻やら、あちこちから強制的に流し込まれていく。
(めっちゃ痛い~)
内臓がぐちゃぐちゃと体の中でシェイクされているような感覚。
頭の中に浮かべられるのは、バルシャおねえさんやアグドニグルの人たち。
この人達に関わったから、こんな痛い目にあっているのだと、そう思えるような優しいご手配ですね。
(頭の中に映像が流せるなら、前世で観た映画とか流して頂けたら時間つぶしになるんですが)
憎む要素。
恨む要素。
苦しむ要素。
そういうものを必死必死に掘り起こして、次々に見せてくれる、大変ご苦労様です。
(無理ですって~)
ちゃんと痛いし苦しいし、とてもしんどい、というのはちゃんとある。
ただ、無理だ。
どうしたって、無理だ。
諦めてくれないかなー、と私は泥の中に呑み込まれていった。
*
「……なんのマネだ?」
おや、と、クシャナは自分の剣を受け止めたヤシュバルを見て、目を細め首を傾げた。
遊んでいる場合でもない。
そろそろ消すと、そう決めて繰り出した攻撃は、泥たちの幾十もの結界を貫いて核まで届くはずだったもの。
それを受け止め、薙ぎ払ったのは氷の祝福を纏った剣。
「……」
「答えられぬ行いであれば二度とするな」
「陛下」
剣を握ったまま、ヤシュバルは頭を下げる事なくアグドニグルの皇帝に向かい合う。
「ハッ」
皇帝は鼻で笑い飛ばした。この間も二人には泥の攻撃が続くが、二人は互いから視線を外さずにそれらを防ぐ。片手間に出来る程度のものだった。
「ギン族はどうする。あれらは未だに、お前の支援がなければ冬を越せない土地にしがみついている。ここで私に剣を向けるということがどういうことか、しっかり考えたか。そしてきちんと答えを出した末のことか。これまでお前がしてきた何もかもを、たかだか一時共にいただけの、取るに足らない少女のために捨ててしまえるものなのか」
クシャナはヤシュバルを相手にしても死なない自信はあった。ヤシュバルを殺すことも可能だった。そしてそれはヤシュバルとて理解していることで、このささやかな抵抗が齎す未来を想定して、勘定しているのなら、それは愚かの極みであった。
「ヤシュバル・レ=ギン。お前のそれは意味のない事だ。あまりにも無駄で無価値で、救いようのない行為だ。お前に私は止められず、お前は自分のそのつまらない意地でお前が守ってきた全てを台無しにするだけの、なんの生産性もない行いだ」
ヤシュバルという男は、口下手だとクシャナは思っていた。
雄弁に語る事を、仕事としてならいくらでも行える。
だが絶望的にこの男は自分の感情を言葉にすること、自分の感情を表に出す事が極端に下手だった。
周囲から何を考えているのかわからないと、そう思われている。
だからこの男が、命を燃やしてまで自分を捨てた一族を守っていることなど誰も信じないし、知ったとして「え、何で?」「突然じゃない?」と困惑するばかりだろう。
それがわかっているクシャナでさえ、ヤシュバルが今こうして「シュヘラを守る」と行動したのを「え、なんで?」「そこまで大切だった?」と思わずにいられない。
だが、クシャナの言葉のあれこれを投げつけられてもヤシュバルは怯まず、真っ直ぐに見つめ返してくる。何を考えているのか、さっぱりわからない男。だが、クシャナが再び攻撃すれば、また防ぐのだろう。
「一、二、三、今だ!いけー!」
「キャワワワン!」
さてどうしたものかとクシャナが判じていると、頭上から孫と犬の声がした。
「うん?」
「え」
頭上。
ゆらゆらと揺れているのは、クシャナ自慢のシャンデリア。
その上に乗っているのはどう見ても、カイ・ラシュと雪の魔獣。
勢いをつけて一人と一匹が声を上げると、特別製のシャンデリアが落下した。
「あぁあああああああああああああああああぁあああぁああああ!!!!!???」
一つ一つが特別製のクリスタルガラス。
この世界においてクリスタルガラスというのは「宝石」の部類だった。クシャナの前世ではクリスタルガラスは硝子だった。水晶は鉱物、硝子は非晶質で宝石ではない。その矛盾した名称だったが、この世界では硝子と水晶を合わせる錬金術があり、その末に出来る一つ一つがダイヤモンドと同価値の宝石だ。
それが孫と小動物の手により、瘴気の泥にダイレクトアタックをかまされた。
「カイ・ラシュ?!」
「叔父上!クリスタルガラスの性質は「陽」です!この量なら、一時的にこの泥の勢いを止められます!」
泡を吹き倒れたクシャナをとりあえず安全な場所に避難させ、ヤシュバルは上階に飛び移ったカイ・ラシュと雪の魔獣に声をかけた。
傍観することくらいしかできることがないと思われた少年は、手にいくつもの札を持ち、上階を駆けずり回りながらあちこちに札を張りつける。
兎族の結界術だ。
最弱の部族と呼ばれた兎族は身を守るために結界を作る術を持っていた。しかし神の祝福や加護を得た力の前ではあまりにも「弱い」もので、ただの文化、滅びゆく技術の一つ程度の扱いで細々と受け継がれていくだけだった。
「女神メリッサ!」
確かにカイ・ラシュの言葉通り、泥の動きが停止した。周囲に雷電は走らず、グズグズと泥が揺れるのみだった。
ヤシュバルは柱の隅で震えている女神の腕を掴んだ。
「な、なによぅ!言っておくけど……あたしは何も出来ないわよ!?」
すぐさまヤシュバルの手を振り払おうとするメリッサが拒絶から姿を消そうとする前に、ヤシュバルは吠えるように叫んだ。
「私を呪え!」




