6、聖女の烙印(1)
(真っ赤な口紅とか、薄いキラキラしたドレスを着たかったのよ)
*
生まれたのは西の国の、小さな街。石畳が続く街並みの、どこにでもあるような平凡な街。大きな鐘と噴水があって、街はずれには大きな風車が良く回っていた。
そこで生まれた少し裕福な家の娘。それがバルシャだった。使用人を何人か使う雑貨屋。けれど子供たちの世話は母親と、その親がしていて使用人たちが家に入ることはない、そんな程度の裕福さ。
バルシャが7つの時に、祝福を得ているとわかったとき両親や街の人達は喜んだ。
一つの国に一人いるかいないかの稀有な存在。祝福者。それも、恐ろしい炎や雷のような、人の「手に負えない」過ぎたものではなくて、聖女の癒しの祝福者。
家族は喜んだ。
街の人達も喜んだ。
聖女だ。
聖女様。
素晴らしい、聖女だ。
聖なる乙女が、この街にはいらっしゃる。
バルシャはすぐに神殿に連れていかれて、綺麗な白い服を着せられて、これまで口をきいたこともないような大人たちの世界に投げ込まれた。
七つになったばかりの少女、バルシャがその時考えていたのはただ一つ。
「真っ赤な晴れ着は、いつ返して貰えるのかしら」
街のお祭り。七つになった子供が、神殿に行って神官様のありがたいお言葉を聞いて、一年かけて用意した真っ赤な晴れ着を着てお祝いされる。刺繍がたくさんされた晴れ着。バルシャは同じ歳の子供たちが遊びまわっている時も、せっせと晴れ着に刺繍をした。お祭りの当日、自分が一番「すてき」になるように。友達皆がバルシャの見事な刺繍と晴れ着姿を見て、羨ましがるように。
作った晴れ着は、ついぞ返されることはなかった。
*
「祝福を得た聖女さまは、心優しく穏やかなお方」
「祝福を得た聖女さまは、美しく淑やかなお方」
「いつも微笑みを絶やさず」
「誰の話でも黙って聞いてくださり」
「心内を理解してくださる」
世の中が「聖女さま」に求める事。
ようはつまり、いつもニコニコしてて他人に従順で、自分の意見を強く主張したりしない。顔以外肌を露出させず、その顔だっていつもヴェールを被って遠くからはわからない。けれど目と口元を覆ってしまったら、聖女さまが微笑んでいるのがわからないからと、そこだけは露わにされる。
大神殿で、大聖女様の元で修行をさせられながらバルシャはうんざりしていた。
大声で笑うことも、走り回ることも「駄目」「ありえない」「はしたない」「聖女はそんなことをしない」のだ。
規則正しい生活。
常に言われることは「他人に優しく」「正しいと思うことを心がける」「思いやりを持つ」ように、とそういうことばかり。
バルシャは他の聖女の少女たちと話をする度に、違和感を覚えた。
「なんで?皆、嫌じゃないの?」
「嫌って……どうして?」
「だって、知らない人のためになんで真剣に祈らないといけないの?聖女の力を、お父さんやお母さん、近所の人たちのために使うならいいのよ。街の人たちは……まぁ、全員知ってるわけじゃないけど、同じ街の人だし、まぁいいわ。靴屋のレダはいっつもあたしに自慢ばっかりしてきて気に食わなかったけど、もうあたしの方が偉いんだし、祈ってあげてもいい」
「まぁ、バルシャ……あなた、不思議なことを言うのね?」
「わたくしたちの授かった力は、全ての人を救うためにあるのよ?」
「あなた、不思議なことを言うわ。どうして、自分で選べる、だなんて、そんな酷いこと」
全ての祈りは平等に。
聖女たちの真心は誰にだって与えられる。
乞われれば祈り、救う。
純粋で無垢。
「バルシャ、あなただって、目の前で困っているひとがいたら、手を差し伸べるでしょう?」
「それと同じよ」
いや、あたしは別に、知らない人が困ってても助けないけど?
バルシャはそう言いたかったが、さすがにそれを言えばどう思われるかくらいはわかっていた。
けれど「そうか」と腑に落ちる。
街にいた頃から、感じていた事があって、それが聖女の少女たちと一緒にいて、濃くなった。
(あたしがどうして、聖女なんだろう)
気持ちが悪いと、その時、酷い吐き気を催したのを忘れない。
*
生まれた時から少し裕福で、他人の生活を知る機会があった。
だから、単純に、バルシャは他人が妬ましかった。
四つ上の姉が、両親に頼りにされて自分や弟の世話を任され「駄目よバルシャ」「良い子ね、お姉ちゃんの言う事をちゃんと守って」なんて言う度に「は?」と、腹が立った。
一つ下の弟が「跡取りが出来た」と祖父母に贈り物をされ、よだれ塗れの汚い顔でいても撫でられ抱きしめられるのを見るたびに「は?」と、腹が立った。
幼馴染の靴屋のレダが、自分より可愛くもないのに「レダは優しい」と男の子たちがもじもじしながら、レダの家の前を通って、レダに微笑まれるのを望むのを見るたびに「は?」と、腹が立った。
聖女の祝福を得ていると言われた時、バルシャは有頂天だった。
きっと皆、羨ましがる。
なんてったって聖女さまだもの。
誰もが自分を見てお辞儀をして、丁寧に話しかけて、バルシャが何か言おうとすると畏まって真剣に耳を傾ける。
真っ赤な晴れ着は着せて貰えなかったが、代わりに用意された真っ白な聖女の衣裳はバルシャが触ったこともないようなスベスベとした布で出来ていて、とても美しかった。
街を離れる時、真っ白い衣裳を着て見事な馬車に乗るバルシャを見送る近所の友達の顔に浮かんだ表情はどれもこれもバルシャを満足させた。
いつもいつも、バルシャを「嫌なやつ」と詰っていた男の子も。
いつもいつも、バルシャに「もう少し、友達に優しくしなさい」と口うるさかったパン屋のじーさんも。
いつもいつも、バルシャに「バルシャちゃんも一緒に遊ぼう」とお節介を焼いて来たレダも。
(羨ましくてしょうがないんでしょう。レダなんて、顔を真っ赤にしてる。悔しいんでしょうね。あたしのこと、いつも下に見てたものね)
バルシャはそう思った。
レダが泣いている理由も、自分ならそう思うと勝手に判断した。
バルシャは自分が皆より「偉い」のだと嬉しくなって、そうして、神聖ルドヴィカの大神殿にやってきて、がっかりした。
そこには自分と同じ「聖女」の祝福を得た少女たちが集められていて、修行をしていたからだ。
そこに入ってしまうと、自分は別に「特別」ではなくなる。
むしろバルシャはその「皆」の中で、自分が劣っていないか、負けていないか、気になって仕方なかった。
「えー、マーサは孤児なの?」
「えぇ、そうよ。捨て子だと思うの。貧困街でなんとか育って、偶然神官様に聖女の祝福を得ていると見つけて貰えたの」
「パドマは貴族なのに、どうして神殿に入ったの?」
「お父様は公爵っていうだけだわ。わたくしは授かった力を正しく使うために、神殿で聖女としての勉強をしっかりしたいと思ったのよ」
聖女の少女たちは色んな生まれがいた。
けれどそこでは「平等」に扱われて、孤児でも公爵令嬢でも同じように扱われる。他の聖女たちも、自分と他人の「差」を考える者はいなかった。
バルシャは違った。
どうして孤児の子と同じ風に扱われないといけないの?
仲良くなるなら、貴族の子供との方が良いに決まってる。
ある時、聖女の少女の一人が神殿の規則を破った。
出入りしている使用人がその少女にこっそりとお願いをしたのだ。
家に病気の子供がいて、ずっと熱を出している。普通の薬じゃ助からないと言われた。どうか、聖女様の祝福を。と、懇願された。
規則では、聖女の修業を終えていない少女は勝手に祝福を与えてはいけないし、そもそも聖女の祝福は厳密に神殿に管理されているものだ。ただの使用人が、その子供のために貰いたいなどあり得ない。
けれどその聖女の少女は同情し、決まりを破って神殿を脱走して、その子供の命を救った。
バルシャと同室の子だった。
「内緒にしててね。点呼をなんとか誤魔化してね」
お願いよ、と頼まれてバルシャは「いいよ」と承諾した。少女はほっとして出かけて行って、子供の命を救って、そして、バルシャが密告したため、外で捕まった。
悪い事をしたのだから当然でしょ?
バルシャは自分は正しい事をしたと考えた。
規則を破ってはいけない。聖女の決まりを守らないといけない。当然のことだ。
けれど、その少女は三日間の広間の掃除を言い渡されただけで、むしろ、バルシャの方が咎められた。
バルシャは一週間、夕食が抜きになった。
「!?どうして!」
教育係を任されている大聖女様に直訴に行くと、歳をとった大聖女様は顔に深い皺を刻みバルシャを見つめた。
「あたしは正しいことをしました!規則を破ったものを……見過ごせばよかったんですか!?あたしも一緒になって、罪を犯し黙っていればよかったんですか!?」
「いいえ、いいえ。そうではありません。あなたの行動、ではなくて、あなたの心根の問題です」
「!?」
「聖女バルシャ。あなたが同室の子を密告したのは、それであの子が「叱られ」るからでしょう?それで、自分が大人たちに「褒められ」たいからでしょう?」
「当り前じゃないですか!あの子は悪い事をしたんだから、叱られるべきでしょう!?あたしは正しいことをしたんだから、褒められて当然でしょう!?それのなにがいけないんですか!?」
「あの子は規則を理解し、自分の行動がどういう意味を持つのか理解していました。その上で、自身の心の「正しさ」に問いかけて、見知らぬ子供を救ったのです。わかりますか?規則を破り、罰を受けることを理解した上で、自分が罰を受ける、自分が周囲にどのような評価を受けるかと考え「それでも」見知らぬ子供が熱で苦しみ続け、その親が悲しむことを、止めるために彼女は行動したのです。これこそ、聖女の心の本質でしょう」
は?と、バルシャは腹が立った。
ふざけているのか、このババァ。
四六時中、自分たちを雁字搦めにする「規則」「決まり」を破るのは悪い事に決まってるじゃないか。それを破った者がどうして正しいのか。ふざけているのか。破っていいなら、バルシャだって守らない。こんな、布が綺麗なだけの地味な服なんか着たくないし、信じてもいない神に祈りを奉げる時間なんて無駄で仕方ない。
だけど「規則」で「決まり」で、守らないと「悪い子」だと周りに思われて、見下されるから守っているのだ。
「……聖女バルシャ、全ての人に優しくなさい。それが巡り巡って、あなた自身の心を救うでしょう」
反抗的な目をするバルシャを、大聖女様はじっと見つめ返し、そう言った。
*
バルシャは本当に、理解できない。
他人に優しく、なぜしないといけないのか。
優しくって、なんだ?
その人にとって、都合よく振る舞えということだろうとバルシャは思って、どうしてそんなことをしないといけないのか、本当に気持ちが悪かった。
聖女の修業の一環で、貧困街に降りる。
そこには何か月も体を洗っていない汚い人間や、痩せ細って気味の悪い人間、蛆が体から沸いている人たちがいた。
聖女の少女たちは皆、自分のことのように悲しんで、率先して体を清めてやったり、消化に良いスープをゆっくりと食べさせたりしていた。
そして彼らの為に、涙を流しながら祈る。どうか、どうか、彼らに神の祝福をと、心から聖女の少女たちが祈れば、光が溢れる。神々しい少女たち。
(馬鹿じゃないの?)
そんなことをして何になるのか。
バルシャは嫌だった。
街で暮らしていたから知っている。人がいる場所にはなんだって仕事がある。選り好みさえしなければ、なんだってあるのに、どうして飢えるのか。
転がっている人たちはどこかで「選り好み」をしたんだ。
一度躓いたくらいで、人の街は浮浪者になるほど未熟な場所じゃない。
どこかで選り好みをして「できない」「したくない」となって、弱って汚れて、這い上がれなくなった連中に、どうして、選ばれた聖女である自分が、馬鹿な連中の分まで汚れないといけないのか。
聖女の祈りは命を削ると、そう大聖女さまに教えられた。
だから、祈り続けることは危険だとバルシャは考えた。
他の聖女の少女たちはそうじゃなかった。
祈りの時間は限りがあるから、その全てをより弱い人達のために使えるようにと、そんな馬鹿なことを考えたようだった。
*
十代の娘になって、バルシャは「聖女らしい」演技が上手くなった。
微笑んで、黙って相手の話を聞いて、時折涙を浮かべて「あぁ、なんてお気の毒に」なんて言えば、相手は感じ入る。
バルシャはその頃には理解していた。
聖女の力を持った以上、自分は「人に優しく」「人を愛し」て行動しないといけない。
聖女でさえなければ、バルシャが自分のことだけを大切にしていても、自分を輝かせるためだけに生きていたって、誰も文句は言わなかっただろうけど、聖女だから、駄目なのだ。
聖女だから、微笑んでいないといけない。
聖女だから、人に親切にしないといけない。
バルシャは観念した。
聖女「なのに」人に親切にしないと、自分が周りに変な目で見られる。
仕方ない。
優しくさえして、微笑んでさえいれば、「聖女さま」「聖女さま」とチヤホヤしてくれるのなら、してやっても、まぁ、いいだろう。
「結婚相手?」
「えぇ、そう。聖女の任期が終えたら、わたくしたち、結婚できるじゃない?」
7歳から聖女の修業を初めて、6年。バルシャは13歳になった。
同室はゼレマという少女に変わっていた。3つ年上で、彼女は来年小さな国の神殿に派遣されると言う。
派遣されるまでに聖女は婚約者を指名できる。
聖女という身分であれば、貴族の子息相手でも合意があれば婚約者とすることが出来るという、他の身分の女ではありえない待遇だ。
婚約者を決めて神殿での任期を6年終えて、聖女は結婚し「普通の女」になる。
「ふーん……ふーん……」
「ねぇ、バルシャはどんな方が好きなの?」
「そうね……」
問われてバルシャは考える。
当然、貴族じゃないと嫌だ。
聖女は偉いのだから、貴族以外の、それこそ平民だなんて冗談じゃない。お金持ちなら商人でもいいが、商家の暮らしは慌ただしい。
みんなが羨ましがる程、地位が高くて、カッコいい相手じゃないと、自分はもったいない。
けれどそれを口に出すのは「聖女」らしくない。
バルシャはゼレマに微笑んだ。
「好きになった方に、好いて頂けて、望んで頂ければ嬉しいわ」
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冬の夜。
神殿の入り口付近が騒がしく、何かあったのかと聖女見習いたちがそわそわとしていた。バルシャはその日、大神殿の火の番(神にささげる火を絶やしてはならないという考えで)だったので、起きていた。
神殿内に見た事のない甲冑、兵士達が入ってきて、誰も彼も血だらけで怪我をしていた。
大人の聖女やその女官たちが慌ただしく彼らの手当てをして駆け回る。
人手が足りなければ自分たちも起こされるのだろうかと、寝ているフリをしながら聖女見習いたちもドキドキしていた。
バルシャは「どうせ起きているのだし」と手当をする要員に数えられたらしい。大神殿の火の番をしながら、一人の少年の手当てをするようにと言われた。
バルシャの前に連れて来られたのは、赤い瞳黒い髪の、愛想というものが欠片もない無礼な少年。
短く切った髪はべっとりと血がついているが少年のものではなく、返り血らしい。
銀と黒で出来た鎧姿の少年は名をヤシュバルと言うそうだ。




