4、命短し恋せよ男児
「……」
なにこれ。
なんなんだこれ。
私は手を引かれ、ダンスホールに連れていかれながら只管混乱していた。
耳まで真っ赤にしながら、ぎこちなく、けれど私の手を掴む力だけは冗談のようにお優しいイブラヒム様と……何がどうして、こうなっているんだろうか????
え。何。嫌がらせ?
私の正体がバレてないとか、そんなことありませんよね???
私が一人で抜け出してるのを見咎めて、何かこう……小言、あるいは処罰的なことをしようと、気付かないふりをしてるとか、そういうのですよね???
……気付いていないでこの得体の知れない美女に恋しちゃったとか、ないですよね!!
「どうかされましたか?」
「え、いえ……あの、えぇっと……」
私が戸惑っているのでイブラヒムさんが振り返る。
うっそだろ!なんでそんな優しい顔なんだよッ!
シェラの時に向けるうんざりとした顔がイブラヒムさんの標準じゃないんですかッ!?
自分の歩く速度が速かっただろうかとか、私の口から「やっぱり嫌です」と漏れるのを恐れるかのような、そんな不安の滲む表情になったイブラヒムさんは、私が言い淀んでいると「あぁ」と何か合点がいったように頷いた。
「どうか、私のことはイブラヒムと呼んでください」
「……イ、イブラヒム様」
「そ、そして……貴方のお名前をうかがってもよろしいでしょうか……?」
ぐぬぅっ……!!
私は思わず唇を噛んでぐっと俯いてしまった。
ここで「シュヘラザードでーす♡」なんて言おうものならどうなるのか。
普段私に対して嫌味や小言ばかり言う陰険眼鏡が、どうしてこう……ぽうっと、春の陽気に浮かれる青年のような、純朴そうなお顔をしてしまっているのか……ッ!
「あ、あの……イブラヒム様……わ、私はその、踊ったことが、なくてですね……」
「それならご心配なく。私は“賢者”の祝福を得ております。賢者の能力は、その場での言語の自動通訳だけではなく、時間制限付きですが、他者へ自身の知識を分け与えることが可能ですので」
ダンスを習得しているイブラヒムさんがリードして、賢者の能力を使えば踊れないはずの私も軽やかにステップを踏める、ということらしい。
賢者便利ッ!!
そりゃぁ寄ってたかって争奪戦が起きるわけだね!
私はぐぅっと、奥歯を噛み締めて表向きは微笑みを浮かべた。
……腹を括ろう。
ここで、イブラヒムさんに「シェラでーす」とバレてはいけない。こんなに、なんか……幸せそうなお顔で、見知らぬ異国の美女とのダンスを楽しみにしているイブラヒムさんに……実はあなたの嫌いなシェラです、なんて気付かれようものなら……一生口を利いてもらえない気がする。
私の人生にイブラヒムさんは必要だ。既に商会の斡旋とかこんにゃくの件とかで色々関わってしまっている。
……つまり、私の偉大なる使命は……ッ!
ここで全力で、イブラヒムさんにフラれることッ!
イブラヒムさんが嫌いそうな女性像ってどんなのかなッ!打算的で、あんまり頭のよくなさそうな……感じかな!いつも私のこと馬鹿にしてますもんね!
「では、御令嬢。よろしいでしょうか?」
「あ、は、はい」
ダンスホールの中央まで、すんなり入れてしまった。
見れば周りの人達が「賢者様」「まぁ、踊られるなんて珍しい」「御一緒の方はどなただろう」などと、注目されているのがわかった。
ひ、人の視線が、こわい。
「ちゅ、注目されていますね」
「それなりに、私は有名なもので」
私が見つめるだけで真っ赤になるイブラヒムさんは、どれだけ大勢が自分に注目していても、ひそひそと自分に関して囁かれても全く気にする様子がなかった。
「……イブラヒム様はお嫌ではないのですか?」
「見られることにですか?嫌ですよ」
「え」
「ただそれより、今は、貴方とその……」
ごもごも、と口ごもられるイブラヒムさん。
私の手を取り、腰には微妙に触れるか触れないか、というようなぎこちないご様子。けれど、賢者の能力を使われているのか、いつも緑色の瞳が今は少し金色がかかっている。
すると不思議なもので、私の体はごく自然に、ステップを踏めるのだ。
「すごい。本当に、私、踊れてますね」
「“賢者”の祝福です。とても便利でしょう?」
「はい。でも、イブラヒム様が習得されていないとこうして私に分け与えることができないのが前提ですから……すごいのはイブラヒム様ですね」
言語の通訳にしても、神殿で教えて頂いた情報によれば、賢者その人が完全に習得している言語であることが能力発動の条件だそうだ。
他人に容易く知を与える。けれど、当人自身は常人と同じ条件で知識を、いや、常人以上に完璧に習得し理解しなければならないのなら、まさに“賢者”だろう。
「神様から祝福を貰っても、楽はできないんですね。私は昔からあまり勉強が得意ではないので、本当に羨ましいです。努力できるイブラヒム様だから、祝福を得られたんでしょうね」
さりげなく自分の頭の悪さをアピールし、勉強も嫌いで努力しないタイプですと主張してみる。
「……」
しかし、イブラヒムさんのお顔は、侮蔑を浮かべる所か……なぜか、はっとしたような顔になり、そして……真顔になった。
「そんなことを、言われたのは初めてだ」
どうして…………ッ!!!!!!!!!!!!
素に戻ってるッ!
なんでッ、感極まったようなッ、顔ッ!
初めて言われた!?何を!!?
かなりありきたりな社交辞令じゃないですか……ッ!誰だって言いそう!言われたことない!?そう!これまでどんだけ他人と話さなかったんですかッ!!嘘だろ!!
これがもし乙女ゲームとかで、攻略するつもりのない対象から漏れた言葉なら、私は反射的にリセットボタンを押している。
しかし残念ながらこれは現実で、都合よく人生にリセットボタンは存在しない。
私たちは引き続き優雅に踊りながら、言葉なく互いに見つめ合うことしかできなかった。
「あれ?イブラヒム殿。珍しい」
一曲がどこで切れるのか、私にはよくわからない。踊り続けて暫く、聞きなれた声が踊っていない人たちが立っている場所から聞こえ、私はハッと我に返った。
(カイ・ラシュー!)
私たちの方を見て立っているのは、白いふわふわの耳に王族らしい煌びやかな恰好をされた、本日の私の同伴者、カイ・ラシュ殿下その人。
「?」
「(気付いてー!カイ・ラシュ!気付いて!わたし!シェラ~!!)」
私は必死でカイ・ラシュにアイコンタクトを送った。
いや、イブラヒムさんでさえ気づいていない私の正体に、カイ・ラシュが気付けるか?
気付いてくれるハズだ!
私はドレスは変わったが、頭にはカイ・ラシュがくれた花飾りをつけたままである。
ヘヴィメタルのライブに参加しているかのようにヘドバンをしてアピールすると、最初は「……なんだあのへんな女……」という目をしていたカイ・ラシュの顔が青ざめた。
「シェ、シェ………ッ!?」
私の方に指をさし、言葉に詰まりながらカイ・ラシュは目を瞬きさせる。
コクコクコクコクと私も必死に頷いた。
あーッ、と頭を抱えるカイ・ラシュ!
気付いたね!助けて!!
*
どうやってだよ!!
カイ・ラシュはかつてない難題に大声で泣き出したかった。
シェラを残してあいさつ回りに出たことが気がかりで仕方なく、最低限の挨拶だけ済ませて早々に部屋に戻ろうとした。
そうしたら、珍しいことにあの賢者イブラヒム殿が見知らぬ御令嬢と楽し気に踊っているという噂。色んな打算や企みで賢者殿が女性と踊ることがないわけではないので、今回もそうだろうとさして興味はなかったけれど「楽し気に」という言葉が少し気になった。
これまでカイ・ラシュは自分は父や母のために、有益になる家の女子を迎える、あるいは婿入りするのだろうと思っていた。
父が自分を見る目の冷たさに、カイ・ラシュは気付いている。
母が身ごもられてから、尚更、自分は父の一族には不要になるのだろうと、そう諦めていた。
(結婚するなら、シェラがいい)
だからカイ・ラシュは自分が出される「先」について、せめて自分で選べたらいいなと、そんなことを考えていた。
けれど、自分がシェラに抱く感情が恋なのか。それとも妥協なのかわからなかった。それで、恋なんてものに無縁そうな賢者殿、イブラヒム殿が女性と「楽し気に」踊っているその様子が気になった。
そして部屋の中心で、美しい動きで踊る男女を見て思わず息が漏れた。
見た事のないほど優しい顔をしているイブラヒム殿。その眼差しは異国の銀髪の美しい女性にただ注がれていて、女性への恋心がカイ・ラシュからもよくわかった。
恋をしている人の目は、あんなふうになるのかとカイ・ラシュは驚いて、そして女性の方と目が合った。
「?」
何か、カイ・ラシュのほうをじっと見ているような。しかし、気のせいだろうと思おうとしたけれど、女性は激しく頭を動かし、何かを必死に伝えようとしているような……。
「はっ!?」
げっ、と、言わなかっただけ上出来だろう。
銀色の美しい髪の上に輝くのは、カイ・ラシュにとって見覚えのあり過ぎる花飾り。
シェラを同伴者に誘い、衣裳も揃いで作ろうとしたけれど紫陽花宮から出るのだからと第四皇子、叔父上に却下された。それで、せめて何か贈り物をとカイ・ラシュは母親である春桃妃の常春の庭に咲く最も美しい花を母に頼み込んで一輪頂いた。
その青い花が、イブラヒム殿の恋して踊っている女性の頭の上にある。
どうして、とはカイ・ラシュは思わなかった。
あれは魔法がかけてあって、カイ・ラシュが再び取るまで外れないようになっている。
つまり、あれはシェラだ。
(どうしてそうなったー!!!!!!!!!!!!!!!)
頭をかかえるカイ・ラシュ。
今はもうシェラへの恋心がどうとか、そんなことはどうでもよくなっている。目を離せば騒動を起こすんじゃないかという不安はあった、あったが……それにしたって、これはないだろッ!
先ほど神殿の人間たちが来ていてカイ・ラシュにも挨拶をしてきた。先日の鞭打ちの件で、シェラの身を治療したのは神殿の聖女であるという話も聞いている。
神殿の何か奇跡とかそういうもので、部屋に閉じこもって退屈なシェラの身を成長させた、とか、そんなばかな話は有り得ないのだが、頭の花の魔法を知り、異国の女性、顔立ちがどことなくシェラの面影があるので……カイ・ラシュは自分の思考から逃げられなかった。
(というか、どうしてイブラヒム殿は気付かないのかッ!)
シェラだと思えば、もうそれにしか見えなくなるくらい明らかに「シェラ」なのだ。
助けて欲しいという視線は受けたが、どう助ければいいのか……ッ!
「イ、イブラヒム殿、す、すいません」
丁度一曲が終わった。しかしすぐに次の曲になってしまう。カイ・ラシュはイブラヒムの方に近付いて、声をかける。
「……なんです?」
仮にも王族に向ける目じゃないだろ!
邪魔をされたとイブラヒムの刺すような眼差しを受け、カイ・ラシュは逃げたくなった。
「そ、その……彼女を、返して頂きたく……」
「そ、そうなんです!私は、そうなんです!カイ・ラシュ殿下!さぁ、いきましょう!!」
「あっ……」
カイ・ラシュが出てきた事でシェラが明らかに安心した顔になり、カイ・ラシュの腕を掴んで走り出す。
「せめて……名前だけでも…………っ!」
追いかけようとするイブラヒムを、次の曲の相手にと女性たちが囲んだ。一曲他の女性と踊ったのだから、自分たちにも今夜は機会があると、そう判断した女性たちの勢いは強い。
カイ・ラシュは自分の腕を掴んで前を行くシェラ、の、大人になった姿を眺めて嫌な気持ちになった。
愚かな国。だから、滅ぼされた国。レンツェの王女だったシェラ。
一人生き延びて、恐れ多くも皇帝陛下に国民の奴隷化を止めて欲しいと取引を持ちかけたらしいシェラ。
(……僕は、いらないんだろうな)
シェラはこんなに綺麗な大人になるのだ。
目的を持って生きていて、酷い目あっても前に進む強さを持っているシェラに、自分は寄りかかろうとしていた。
シェラなら自分を馬鹿にしない、見下さない、一緒にいてくれるとそう思ったからだ。
けれどもし、カイ・ラシュの希望通り、シェラと結婚したとして、美しく成長して皇帝クシャナの覚えもめでたく、レンツェの女王となったシェラに、自分は釣り合うのだろうか。
ただ逃げたくて一緒にいたいと望んでいるだけの自分は、ただただ惨めにならないか。
そんな予感。そんな気がした。
シェラの大人の姿に手を引かれながら、走っているのは子どもの自分。それがずっと続くような気がして、カイ・ラシュは嫌な気持ちになった。
コアなファンがいるとは知っていたんですが、感想欄でイブラヒムさまが大人気で「どうして」ってなりました。




