3、気付かない方が幸せ
「礼儀作法?あんた、そんなこと気にしてたの?」
「……いや、大切だと思いますよ。そういうの」
メリッサに連れ出された私は、出来る限り目立たないようにと部屋の隅にいたかったのだけれど、そんな私の緊張はメリッサには関係なかった。
「このあたしに数々の不敬をはたらいてるあんたがなんで今更、凡俗どもに畏まりたがるの?」
「そ、それを言われるとそうなんですけど……うーん、なんて言えばいいのか」
場の空気、というのだろうか。
もしメリッサが最初に登場した時、厳かで神聖極まりない、まさに神、ご降臨!であれば、私は畏まったかもしれない。が、この女神様の登場シーンは……思い返してみても「どこに敬う要素が???」という感想しか抱けないな。
「……こういう、人が沢山集まった場所で、礼儀作法を知らない人間だって、周りの評価を受けたり、そういう目で見られるのが怖いんです」
「ふーん?他人の評価が大事なの?」
「信仰も似たようなものじゃありませんか」
「そうかしら」
言いながら、メリッサは堂々とした足取りで大広間まで歩いて行った。メリッサは聖女のお付きとひと目でわかる、白をベースにした簡素なデザインのドレスだ。それなのにどこか神々しさを感じるのは彼女が神様だからだろう。どんな装いであっても侮っていい立場の存在ではないと、そう自認しているメリッサの内面がよく表れている。
「でも、今のあんたにそんなことは関係ないわよ」
「どうして?」
「だって、今のあんたは何者でもないわ。誰もあんたの名前を知らないし、あんたがどう振る舞って、何を感じたって、今夜限りのことだもの。それでも、あんたが他人の目が怖くて気になるっていうなら、あたしが全員の目を見えなくしてやるわよ」
ほーほほほ、とメリッサは何でもないことのように笑う。笑うと、この女神様は幼く見える。私があいまいに微笑み返すと、メリッサは部屋の中央に設置されている料理のテーブルを指差した。
「ほら!あっち、あんたの料理もあるんじゃない?」
「あ。ありますね。見えます?メリッサ。平たい、色んな色のやつです。ピザっていいまして、チーズがたくさん載ってて美味しいですよ」
このパーティー用に私は六種類のピザを用意した。
野菜がたくさん載ったオルトラーナ(菜園のピザ)。
鶏肉と赤唐辛子を使ったピッツァ・ディアボラ(悪魔のピザ)。
半熟の目玉焼きを載せたビスマルク。
キノコをたっぷり載せたボスカイオーラ(きこりのピザ)。
チーズとトマトソース、バジルを使ったマルゲリータ。
焼いたピザ生地の上に、後からサラダやハムを載せるピッツァ・ビアンカ。
六種類を一気に出し続けるのではなくて、最初は六種類を一枚ずつ、次に二種類を時間ごとに補充していくようにマチルダさんにはお願いしてある。
パーティーはブッフェスタイル、と言って良いのか。給仕の人に言えば料理を取ってくれるのだけれど、立って食べるのが主らしいが、女性は会場の四隅に設置されている屏風の裏の椅子を使用している。
皇帝陛下やヤシュバルさまたちはまだいらっしゃっていないけれど、既に大勢が到着していて人の塊、グループ分けが出来ていた。
「あらやだ。あんたの料理、あんまり手が付けられてないじゃない」
「え、あ、本当だ……」
他の料理の減り具合と比べてみると、確かにピザの売れ(?)行きは悪かった。
え、なんで?
見慣れない料理だからだろうか。
「いいわよ、あたしが全部食べるから」
「それはちょっと……メリッサも、他のお料理を楽しんでくださいよ」
他の料理を食べればピザが不人気な理由もわかるかもしれない。
私は給仕の人にお願いして、減りの早い料理と、そうでない料理を取り分けて貰い、食べてみることにした。
「……あー、成程」
まず一つ目、と行く前に私は気付いて頭を抱える。
給仕のお兄さんが取り分けてくれたお盆の上には、小鉢が六つ。
マーボーナスのような料理、小さな餃子の入ったスープ、肉と野菜をいためたもの、などなど……お箸あるいは匙を使って食べる料理だ。
「わたしの馬鹿ッ……!」
根本的な問題。
ハイ、パーティーで、手で食べる料理を選ぶでしょうか?
答えはNO!
「なんで気付かなかったー!なんで誰も指摘しなかったー!!」
しかもカットしたサイズ的に、用意されたお盆に乗せると他の小鉢が乗らなくなるし、なんなら「取り分けた料理は小鉢に入る物」という先入観のある参加者の方々からしたら、遠慮したくなるね!
「くっ……わたあめっ!」
「きゃわん!」
私は悔し気に呻いて、虚空からわたあめを呼び出した。
「きゃわん!きゃわわわん!」
パーティーには参加不可となっている魔獣だが、屏風の裏に隠れているここならそう発見はされないはず。わたあめは「御馳走!?ご馳走!」とお尻を振り大興奮だが、ステイ。落ち着いて欲しい。
「わたあめ、今すぐマチルダさんのところに行って、私の指示を伝えて欲しいの」
「きゃわ……?」
私はまだ文字がちゃんと書けないし、マチルダさんも私の書いた字が読めるかどうかわからない。ので、私はお盆の上に乗せたピザを四角く、小振りにカットしてわたあめに託した。
ピザを見つめて、わたあめがダラダラとよだれをこぼす。
「……くーん」
「食べちゃダメだよ、わたあめ」
「……」
一つくらい食べさせてから行きたいところだが、わたあめは一度食べ始めるとお腹いっぱいになるまで食べるので……ここはお使いを先にすませて頂きたい。
「終わったらマチルダさんのところで好きなだけ食べさせてもらっていいからね?」
「きゃわん」
ちょっと納得しない顔をしたが、お願いね、と再度伝えると、ポン、と雪の魔獣は姿を消した。
頑張れわたあめ~。
「ね、ねぇ!シェラ!」
「なんです?メリッサ」
「音楽よ!ほら、音楽!踊ってこない?」
一仕事終え、とりあえずまた様子を見ようと一息ついているとメリッサがそわそわとし出した。
確かに会場には良い感じの音楽が、生演奏なんだろうけれど、流れてきている。見れば中央部分が開かれて、そこに男女ペアが次々やってきて、踊り始めた。
こういう所は西洋的なんだなぁ。
「メリッサ踊れるんですか?」
「見てればなんとなくわかるわ」
さすが女神様である。いや、そういう性質なのかもしれない。
「私は踊れないからいいですよ。メリッサ」
「でも、」
「どうせ女同士じゃ踊れないんですし、私はいいから、楽しんできてください」
「う、う~ぅ……」
困るとメリッサは唸る。
私の側にいるという決意と、ダンスの楽しさを天秤にかけ悩む様子。
「ちゃ、ちゃんとそこにいなさいよね!」
しかし結局、少しくらいなら大丈夫と思ったようでメリッサは中央の集団の中に入って行った。
相手がいなくて大丈夫かと私は少し心配してしまうが、メリッサが入って行った途端、数人の男性がメリッサにダンスを申し込んでいた。メリッサと目が合った瞬間の行動なので、何か魅了とか、そういう女神様の能力を使ったのかもしれない。
楽しそうに踊り始めたメリッサを眺めながら、私は小鉢の料理を食べることにした。
「……エビだー!」
まず最初に口に付けたのは、少し甘酸っぱい衣に包まれた揚げもの。中にはぷりっぷりの海老。ローアンは内地だけれど、輸送手段や長期保存の技術が発達しているのだろう。ブッフェのテーブルには海産物も多く見られた。
「エビが大きい……ッ!くるんとした丸い、可愛らしいフォルムに……なんだろう、これ……甘いー!」
揚げた衣の上にさらにテカテカとしたものがコーティングされている。飴、に近い。大学芋を思い出す。
「マヨネーズが欲しい……ッ!」
美味しい、美味しい。口の中いっぱいに広がる、エビの味に飴のようなものの甘さ、そして揚げた衣の油特有の美味さ。
こ、これに……マヨネーズが絡めてあったら更に最高なのに……ッ!
私はお盆に飲み物を載せて配っている給仕のお兄さんを呼び止めて、酒精のない飲み物はないか聞いた。女性や子供も参加しているこの宴、もちろん果実の汁を絞った冷水やらなんやらはある。
しかし……私は、出来れば炭酸系を飲みたかった。
アグドニグルのお料理は油を沢山使った物が多い。そういうものと、一緒に飲みたいのは炭酸飲料ではなかろうか。
ないのか。
作れないかなー、炭酸飲料。
作り方としては水にクエン酸と重曹を混ぜるだけでとても簡単だ。
薬品関係に詳しそうなスィヤヴシュさんに相談してみよう、と私は考えてレモンを付けた冷水を飲む。
爽やか~。
レモンスカッシュが飲みたい~。
小籠包みたいな料理もおいしい。噛むと口の中に広がる熱いスープ。ニンニクだけじゃなくて香草も混ぜてある。タケノコがあるのだろうか。口の中に良い歯ごたえの根菜の風味が広がる。
「美味しい、美味しい」
パクパクと食べ続け、気付けばお盆の上には何もない……。
「……」
私は無言で立ち上がり、次のお料理を持ってくることにした。
*
「…………疲れた」
イブラヒムはぐったりと、屏風の裏の長椅子に座り込んだ。
まだ宴は始まったばかりで皇帝陛下やその皇子たちも現れていないというのに、既にイブラヒムの疲労感はMAXである。
アグドニグルの勝利を祝うこの宴。取り仕切っているのは宰相とその側近たちであるのだけれど、賢者のイブラヒムにだって仕事はある。
元々賢者は「そこに存在しているだけで有益」と言われて、イブラヒムは国政に関わることを期待されていなかったのに、気付けばあれこれ口を出してしまっていた。
今回だってただ陛下の側に控えているだけでよかったはずなのに、レンツェの王女、シュヘラザードの料理の評判が気になって陛下の登場の前から会場に出て来た。
普段滅多に会う事の出来ない三賢者の一人のイブラヒム。その登場に会場の貴族たちが山のようにおしかけては、イブラヒムと親しくなろうと試みる。
娘を伴って現れる貴族の多さにイブラヒムはうんざりしていた。
「……結婚相手なんか、いらないんだが」
自分はアグドニグルの、皇帝陛下にお仕えする賢者。それだけでいいのにとイブラヒムは思う。けれど独り身で、浮いた話の一つもないイブラヒムに「あわよくば」と娘を進める貴族は多かった。
元々はただの貧しい浮浪児に、賢者というだけで大切に育てた娘をやって出世を望む父親のなんと愚かなことだろう。
呆れながら、「賢者イブラヒム様なら娘を幸せにしてくださる」と信じている父親たちの目を思い出し、また疲労感が襲ってきた。
「はぁ……まぁ、いつまでも隠れてるわけにもいきませんしね……」
第一皇子殿下のご長子カイ・ラシュ殿下も父君の名代として挨拶を立派にされていた。倍以上生きている大人の自分が、これしきでうんざりしては申し訳ない。
シュヘラザード様の料理はあまり受け入れられていないようだった。別に構わないが、味は良い料理が無知な者どもの偏見で埋もれるのはもったいない。あの生意気な姫が落ちこもうが悲しもうが、どうでもいいが、泣けばヤシュバル殿下がまた無茶をしそうだ。
自分が人に勧めればいくらかさばけるだろう。食べてみれば不味いものではないのだから、完食はされるはず。そして誰かが食べている様子を見れば好奇心から手を付ける者も出てくるだろう。
「少しくらい付き合ってくれてもいいだろ」
「迷惑です。放してください」
頭の中に「都合よく利用できそうな人間」を何人か思い浮かべていると、少し離れた屏風の前で男女の言い争う声が聞こえた。
まだ始まって間もない、それにいつ皇帝陛下が登場するかわかんない中で(イブラヒムは知っているが)屏風の裏で休む者はまだいないはず。そして屏風を使用するマナーとして、使用中の屏風には入らない、入ろうとする者を引き留めない(イブラヒムはこのマナーを利用して人を振り払った)というものがある。
見れば貴族の青年が、銀髪の女性の腕を掴んでいる。女性の空いている方の手には料理が沢山載っている盆があり、ゆらゆらと危なげに揺れていた。
青年の腕を強く振り払うと料理が落ちるのだろう。女性の方の顔は見えないが、銀髪に上質な衣装の貴族令嬢のようだった。
「一人でいるより、俺と話した方が楽しいって」
「結構です。しつこいと大声を出しますよ」
「っは。俺は蘭家の人間だぜ?声をかけられることを光栄に思えよ。侍女もつけないで一人でいるような女なんだから、どうせ大した家じゃないんだろ?」
蘭家。
面倒な男に絡まれたな、とイブラヒムは同情した。蘭家は将軍を多く輩出している家だ。見た限り、青年の方は全く武人らしくないが、金と家柄の力で女性を振り向かせようとする者がいることをイブラヒムも知っている。
侮られた女性の方は沈黙していた。イブラヒムの位置からは女性の背しか見えないのでどんな表情を浮かべているのかわからないが、侮辱され傷付いたか、あるいは蘭家の男と知って見る目を変えたのか。
後者であれば自分が助けに入る必要はないな、と判断し女性の次の言葉を待っていると、女性が首を傾げた。
「つまり……あなたは私の人生に、役に立つ人材だ、というアピールでしょうか?」
「は?」
「今のところ衣食住に困ってはいません。直近の課題はクリアしていますし、あぁ、でも、ラン家?という家がどの程度の家格か知りませんが……それは王族より上なんですか?あなたの交友関係が手広く、人脈が私の今後に有意義、有効活用できるという可能性もありますね……すいません、話を聞かずに。もう一度、ご自身のプレゼンをしてくださいませんか?前向きに検討します」
「……は?」
……変人だ。
間違いない。変人だ。
イブラヒムは確信した。
目の前で男に詰め寄られて困惑しているか弱い女性、ではない。男性に手首を掴まれようが生まれを侮辱されようが全く気にしない堂々とした女。変人だ。
アグドニグルの賢者として、その変人に蘭家の公子が面倒をかけられるのを阻止した方がいいだろう。即座に判断して、イブラヒムは公子を助けるために進み出た。
「失礼、何かお困りのようですが……」
「け、賢者イブラヒム様……ッ、い、いえ……なんでもありません!ただ、こちらの女性に声をかけただけで……」
蘭家の青年はイブラヒムの登場に、よかったと明らかに安心した様子を見せると、そそくさと去っていく。
「あ。人材ネットワーク……」
銀髪の女性はその後を名残惜しそうに見送り、イブラヒムの方を見上げて停止した。
「……」
人の顔をまじまじと見つめて黙るなんていうのは、あまりにも無礼極まりない振る舞いだ。普段のイブラヒムであれば「無作法だ」と窘めただろう。しかし、今のイブラヒムも、その女性と同じ反応をしていた。
「…………」
振り返った銀色の髪の女性。女性、というにはまだ愛らしさの残る、少女と大人のはざまのような年頃。褐色の肌に、輝く黄金の瞳は遥か南方にある巨大国家ハットゥシャの民族の特徴だ。
ハットゥシャの貴族が参加しているという話は聞かなかった。が、侍女も付けず屏風の裏にいるような女性。何か事情があって密かに参加されたのかもしれない。
纏う衣裳はアグドニグルのものだが、異国の御令嬢が着ていると全く違う印象になる。
「……か、可憐だ」
思わずイブラヒムは呟き、自分の声ではっと我に返った。
「し、失礼……ッ。私は、イブラヒムと申します。ご、御令嬢は……どちらの家の方でございましょう」
「……」
ただたんに、これは賢者として、アグドニグルの王家につかえる者として、不審な人物の情報を探ろうとしているだけの正当な質問である。けして、どこの方なのだろう。お名前を、とそう、期待して聞いているわけではない。
しかし可憐な御令嬢は困ったような顔をして、黙ってしまった。
「……」
答えられない身分なのか。イブラヒムという名は賢者だとアグドニグルにいれば誰もが知っている。それに先ほどの蘭家の公子もそう呼んでいたのを聞いている筈だ。それなのに名乗らない御令嬢に、イブラヒムは……自分を責めた。
こんなに可憐な御令嬢を、困らせてどうする……!
この宴に参加出来ている以上、きちんと門の前で身分の確認をされて入っているのだと今更ながらに思い出す。それなのに、無礼にも出会ったばかりの女性を詮索するなど……なんたる破廉恥な……ッ!
「も、もうしわけ、ございません御令嬢……け、けして、貴方を辱めようとしたわけでは……」
「お気遣い、ありがとうございます」
ふわり、と御令嬢が微笑んだ。
砂の多い国の、星の煌めく夜のような微笑みにイブラヒムは硬直する。
ふと聞こえてくるのは、大広間で開かれている男女で踊るための音楽だ。
……イブラヒムは、これまで皇帝陛下にお仕えしこうした場に何度も参加してきた。そのたびに、踊る同じ年頃の男女の姿を見て、なんであんな面倒なことをするのかと理解できなかった。踊っているくらいなら、一人でも多くの人間から情報を得たり、交流を深めたりする方がいいだろうに、踊る連中の顔にはお互いしか映っていなかった。
だが今ならわかる。
その視線を独り占めできる時間が欲しいのだ。
「あ、あの……ご、御令嬢。もし、お、お嫌でなければ……その、ですね……い、一曲だけでも」
御令嬢に手を差し伸べるイブラヒム。その顔は緊張から真っ赤になり、声は震えていた。一世一代の、というような勇気を振り絞ったお誘いに、銀髪の女性は目をぱちり、と瞬きをさせる。
「……」
「……っ、ぅ……わ、私は…け、賢者です。先ほどの、蘭家の公子より……著名人の知人は多く……貴方にとって、有益な男だと思いますが…!」
断られるかもしれないと察したイブラヒムは咄嗟にそう、話していた。
これまで自分を賢者と知って近づこうとしている者たちを軽蔑していたのに、なんていうザマだろうか。自嘲する冷静な部分がないわけでもないが、同時に、その冷静な自分が「この機会を逃せば、もうこんな風に思える女性と出会えないのではないか」とも判断していた。
「私は、その」
「どうか、断らないでください」
ぎゅっと、イブラヒムは女性の料理を持っていない方の手を両手で握った。
これでは先ほどの公子と同じではないか。
顔から火が出そうな程恥ずかしい。
けれどその手が振り払われることはなく、銀髪の可憐な令嬢は困ったように微笑み、イブラヒムの手を握り返した。
賢者イブラヒム!二十代!初恋はクシャナ陛下!二回目は……銀髪の異国の令嬢!!
かわいそう………!!!!!!!!!!!!




